<テストの日>



 黒板………ではない、この大学では白板(ホワイトボード)を使う。
 俺はシャープペンシルという旧時代の文具を使ってそこに書かれていた文章を書き写し
ていた。講義は終わっていたので急いではいない。
 とある哲学者の考えを短く纏めた文だ、特に肩がこるほどの量でもない。
 とは言え主に講義で使用するのは映写機を使ってスクリーンに投影するパワーポイント
の用紙である。
 学生も大半がノートパソコンを使用している、文字通り大学ノートと同じ薄さと大きさ
の。だから態々ノートを取る必要はない。
 学生全員に配られるので俺も持っているが、堕落した感じがするので俺は直筆でノート
を取ることを好んでいる。それだけの理由だ。
 変わり者だとは言われるが、脳を鍛えたいならば直筆の方が鍛錬になる。
 変わり者だと感じる人間はこの便利な世の中に慣れ切った怠惰な常識人なのだろう。知
識を極めたいのならば常識を知った上で変人であるべきだ。


「………相変わらず勤勉ねぇ、鶴群(たずむら)君?」


 シャーペンを動かすその変人の隣に、ドカリと大きな鞄を降ろす影が刺した。
 その影は影を見ただけで分かるほどプロポーションが良い。……まぁ男であるならば第
一印象はそんなものだろう。
 学友だ。


「鹿末(かのすえ)ほどじゃない」


 ただ、第一印象を信用して散々な目を見た俺は、そこから得た教訓としてつっけんどん
に言葉を返す。
 自慢ではないがこの言葉で評価を落とすほどの評価を、俺は持ちえていない。八歩美人
にして体面を気にするタイプではないからだ。
 が、しかしその影の女は気にした様子もなく「謙遜はよくないなー」といって鞄を開い
ている。
 ……少し席をズレる。
 何故か? 俺のとなりにズンズンと積み上がっていく参考書の山がその答えだ。こいつ
は横長の机を常人の一,五倍の面積も使用する。
 参考書を使う、つまりこいつも近代科学の恩得には頼らないデジタル否定派の派閥であ
る……俺以上に。
 ただこいつの場合パソコンが使えないとも言うが。
 コンピューターの演習を見てみれば分かるはずだ、こいつほどの機械音痴はそうそうい
ない。俺にしてみれば真っ先にDNAに異常が有るのではないかと疑ったほどだ。
 その機械音痴は講義を受けるときにだけ使うめがねをかけると、とんでもない話題を喋
り出した。


「あなた、彼女が出来たんだってね?」


 一瞬目が点になった。
 すると鹿末は長い前髪の下で「あ、おもしろっ」って顔をした。


「………誰だ、そんなこと言った奴は。名誉毀損も甚だしい」


 切り返す俺は秒数が経つごとに憮然とした表情になっていく。


「あら、クリスタルパレスの方で聞いたんだけど? 最近はいっつも可愛い女の子のPC
を連れて動いてるって」

「そこに直接イコールを嵌め込んで結論を出したのか、鹿末にしては強引な計算だな」

「計算じゃないって、直感ってやつ。あなた、そろそろ目覚めるんじゃないかって思って
たから」


 何にだ。
 
 ……そうか、こいつこそ名誉毀損の元凶か。俺を何だと思ってる。


「アレか。……最初に断じておくが、あのピンクいのとはお前の期待しているような関係
じゃない」

「そうなの? 本人は「師匠は大好きですよ♪」ってモーションで音符まで飛ばしてたけ
ど」


 ガゴツッ

 ……その瞬間、俺は大学の細長い机に大事な頭部を振り下ろした。肩の力が急激に脱力
したのだ。
 苦悶をあげつつ額を押さえ、鹿末を恨めしそうに睨んでおく。


「……会ったのか、本人に。……言ったのか、本人が」

「『師匠』って呼ばせてるだなんて鶴群君もマニアックねぇ。まぁそんな感じはしてたけど」

「この性格だ、百歩譲ってマニアックに見えるのは許そう。……だがその変な誤解だけは
解いてほしい、頼むから」


 ああ、居る。
 確かにThe Worldという世界において俺はThe Startという傭兵であり、その傭兵は何
故か常にチェリーというピンクい小娘を連れている。それは認めよう。
 だがしかし俺が演じているのは「師弟関係」だ。
 それ以上でもそれ以下でもない。


「アイツは初心者で、俺はただ先人として教えるだけではつまらないから師弟関係を演じ
ている。それだけだ」

「ふぅん……それじゃ、そういうことにしておきますか、ね」


 意味ありげな笑みを浮かべると、鹿末はそれ以上追求せずにノートを開く。
 そこには米粒のような文字が機械……いやそれ以上の正確さと丁寧さで書き込まれてい
て、それらをパラパラと流す。
 そして一枚一枚芸術品のようなページを捲って白紙を出した。
 そこにはタイトルだけ一筆、『学習と思想(1)』と次の講義のタイトルだけ書かれてい
た。
 次には4時限目の心理学がある。


「ふん……」


 講義まではあと5分ほど。
 俺は憮然とした表情を直さないまま、自分もノートを開いた。
 構造的見易さを重視した俺の文字は美しいとはいえない。
 鹿末のノートに若干の劣等感を感じえるが、どう足掻いてもアレを越えることは不可能
なので気にしないでおく。
 俺の好きな作家の中に文字が美しすぎて原稿をそのまま額縁に入れて飾られている人が
居るが、アレはその世界の人間なのだろう。


「ああ、そうそう師匠さん。あなた、なんで誤解されたか分かってる?」

「……ご期待通り。皆目見当もついてない」


 鹿乃末は長い睫毛の生えた瞳を閉じると、どこか狐のような意地の悪い笑みを浮かべた。
 しまった。こうなると俺は手も足も出ない。


「彼女ね、あなたにべったりだったから、そう思ったの。師匠を名乗るにしては甘やかし
すぎなんじゃない?」

「………」

「師匠は甘いチョコでもなければ、味気ない栄養補助剤でもない。例えるなら青汁を無理
やり飲ますような存在、ってね」

「……それはまた、奇妙な例えをするな」

「分かりにくい?」

「いや、非常に参考になる。ありがとう」


 その後は特に会話もなく熱心に講義を聴いていく。
 よく聞けるように人気のない最前列の席にも座っている、他と比べれば二人ともかなり
の勤勉さだろう。
 後ろからはヒソヒソと雑談の声が聞こえ、果ては偶に携帯の音楽まで聞こえてくる。だ
が講師は真面目に語るし、必要であればそれらを叱責する。
 大学の講義とはそんなものだ。
 そして我々は級友というよりも学友である。
 分からない知識を補い合い、深め、講師を苛めるほどの質問を捻り出す仲間。
 それはこの学問が衰退していくこの日本の中で結んだ、必然的な同盟関係に近い。
 そう、……いつもならそのぐらいに講義を奪い取るが如く聴き取る。それだけを考える。


 しかし今日だけは、何故かチェリーのことが頭に浮かんだのだった。
 ………雑念だ。

 




 時刻は午後の7時。



 
 一人暮らしの俺は不健康と分かっていながらもファーストフードで夕食を採り、帰宅し
た。
 ささやかな抵抗として野菜ジュースを飲みながらパソコンの電源を入れる……。
 ああ、先に言っておくが散らかってはいない。
 男の一人暮らしだからと言って先入観を持って考えるのはダメだ、俺みたいな例外は存
在するのだから。
 まぁ……誇れるほど、広くもなければ高級な部屋でもないのだが。
 学生寮は所詮どう足掻いても学生寮に過ぎない。
 衣食住に困ってないので文句はないが。友人を招くたびに「本とパソコンしかない」と
よく言われる。
 当然だ。
 本とパソコンしか、置いてないのだから。
 台所には必要最低限の調理器具、押入れには布団が、クローゼットにはそれなりに衣服
も入っているが、それだけである。
 ゲーム機もコンポも楽器もボードもテレビすらもない、実につまらない部屋である。
 しかしその実俺という人間をとても表わしている。……まぁ、これなら整理整頓するの
も苦労しない。

 野菜ジュースを一気に飲み干し、その紙パックを濯いで開き、干しておく。
 さて、そろそろ起動が終わった頃か……。


 俺は若干年代物のキーボードを叩き、The World R:2へとログインした。








―−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






 そこは、いつものように運河が流れる黄昏の町。
 朝日かも知れないが、俺にはそう見えるので黄昏と記してこう。
 その見慣れた風景の中、俺……こと無骨な鎧を纏った傭兵『The Start』は苦虫を噛み潰
したかのような声で呟いた。


「………不味いな」

「何がですか?」


 その台詞にすぐさま飛びついてきたのは、ピンクくて小さいの(ただし背中に背丈並み
の大鎌を背負っている)……チェリーだ。
 彼女(暫定)とは予め待ち合わせしてあったので、こうして一緒に歩いている。
 昼間に印していることの多いチェリーだが事前に言っておけばこの時間でも大丈夫らし
い。
 俺たちはクエスト屋に向かって歩いていた。


「ああ、リアルで野菜ジュースを飲んでたんだよ、市販ではない濃いのをな」

「ふぅん……師匠、不健康さんなんですね」


 訳知り顔で頷くチェリー、だが今回は当たってるだけにぐうの音も出ない。


「それを言われると痛いな。確かに、料理は苦手だからコンビニとファーストフードで済
ませることが多い」

「ふぅん……今度、差し入れでも持って行きましょうか?」

「可能なら、是非頼みたいね」


 軽く流しておく。
 聊かチェリーがリアルの話についてくるのには驚いたがこれといって興味のある話もで
もない、どこにでもある冗談だ。
 それから二言三言話をしつつ、ツッコミを入れつつ、我々はいつものように等身の低い
クエスト屋の主人に話しかけた。
 この時間なので人が密集している……若干ターゲットするのに時間がかかった。
 パーティは、組んでない。


「あれ? パーティは組まないんですか?」

「ああ、今回はレベルの低いエリアのクエストだからな。バラバラに引き受けてそれぞれ
がアイテムを受け取った方が特になる」


 何しろクエストのレベル自体は高いのだが、これから向かうエリアのレベルは5なのだ。
 そしてクエストはそのエリアに出現する特殊モンスター『リュンクス』を10体倒せば
成功し、微弱な経験値と『碧の秘宝』を与えられるというもの。パーティを組む必要がな
い。
 因みに『碧の秘宝』とはNPCに売ってもそれなりの値段になるが、後々強力なアイテム
合成に必要となるので露店に出すと高く売れる。(※実際のゲームにはそんなものは有りま
せん)
 ……と、チェリーに説明した。


「なるほどー……ハッ!? ということは私、もしかしてお金持ちになっちゃったりしま
す?」

「成功すれば、所持金は2桁ぐらい増えるだろうな」


 チェリーの所持金はせいぜい3k(k=1000GP)程度だとして、『碧の秘宝』は売れ
ば100kにはなる。
 レベル12のアイツにしてみれば一気にリッチになることだろう。


「ひ……、ひえぇぇー…っ。……すごいです、そんなに溜まったらアレを買って、これを
買って、あああの縫いぐるみも……」

「………成功すれば、な」


 もちろん、100kで売れるからにはそれなりの難易度が有るのだが。


「にへへへ〜」


 ……幸せそうに笑みを浮かべてるこいつに忠告する勇気は、湧かなかった。
 頭の上に何かモーションが浮いている……目で見て分かる能天気とはこのことか。
 まぁ、口で言うよりも実際に体験したほうが早いだろう。
 美味しい話とは。
 それには必ずといって良いほど、邪魔が入るということを。
 この世界には1400万の目があるのだ。


 俺はチェリーに集まる視線から隠れるかのように。彼女の手を引いてカオスゲートへと
向かった。
 











――― エリア ――― 【Δ逃げまとう 沈黙の 真理】 ――― 転送 ―――











 そのエリアは、限りなく砂漠に近い荒野である。

 潅木がまばらに生える以外殆ど草木はなく、時折吹く風は乾き細かな砂を孕む。10年
もすれば砂漠になりそうな大地。
 その地において太陽は無に発狂したかのごとく猛り狂って大地を焼き、生物は暴君に追
われる民が如く太陽から隠れて生きる。
 即ちそこは灼熱地獄。
 同時にして大地は凍ったかのように静寂。
 そして一様に一見は平和に見えるこの世界(フィールド)には……油断すれば大自然の
罠(トラップ)にかかるという不動の掟が存在する。
 だがそれを恐れてじっとしていても、やがては対置から針が襲ってくる。そう、それは
蠍と言う名の使者である。
 
 これらは全てNPC扱いの仕掛け(フィールドギミック)、引っかかればレベル100万で
あろうともフィールドを追われ、30分間入ることを許されない。
 ここではレベルではなく、状況判断とトラップ探知の【腕】を試されるのだ。
 故にエリアレベルは低くてもクエストレベルは高い。


「………そういうわけだ。無闇に歩き回ってアリ地獄にでも嵌ったらとんでもないタイム
ロスになる」


 淡々と説明するThe Startは平然としていて、それを聞くチェリーは熱心に足元を見な
がらビクビクしている。
 早くも罠がないか怯えているらしい、……出現ポイントに罠なんてあったらCC社に誰か
殴りこみかねないと思うんだが。


「さ、さささささしすせそ……じゃない、さ、サソリも出るんですか……?」

「ああ、そうなるな。小さいが蛇も居るぞ、こいつらに捕まっても強制転送される。あと
罠ではないが蜥蜴(とかげ)などもいるな、変なところでCC社も凝るよな。……我々は
ここで砂に擬態している小さな猫のような動物、リュンクスというこのエリア特有のモン
スターを10匹見つけて狩るわけだ」


 カクカクと頷くチェリー。
 一応了解したようだが、蠍と蛇という単語にとんでもなく緊張しているようだ。
 別に噛まれてもゲームオーバーになるわけではいないんだが……、まぁリアル顔負けの
精度だ、見た目に怖いのも頷けるか。
 このフィールドの作りこみ具合からしても納得できる。
 何故ここまで広く作りこんであるのか?
 それは去年、ここが【夏の迷宮】という季節のイベントに使われたフィールドだからで
ある。PC同士のレースに使われたイベント専用のフィールドなのだ。
 その時に作ったフィールドを、特殊なクエストで使うフィールドに転用しているのであ
る。
 因みに【夏の迷宮】イベントとは全4コースのイベントエリアでスタートからゴールに
たどり着くまでのタイム競う物で、一定タイム以上を出せばイベントアイテムが、そして
最速の者にはさらに豪華なイベントアイテムが景品として贈られたという。
 ………このフィールドの悪質さから見て、良タイムを出す人間どころかクリアした人間
すら極僅かだったことだろうが。


「そっ、それで師匠! 何をすれば良いんですかっ?」


 ……The Startは砂漠の真ん中でコケた。
 いいクッションになった。


「……だから、リュンクスというモンスターを探すんだ。罠に嵌らないように気をつけな
がらな。リュンクス自体は弱い、逃げようとするがな」 

「さすが師匠、コケかたも見事です!」

「お前のお陰でな。…………ええいさっさと探しに行け! 今回は別行動だということを
忘れるな!」


 チェリーを蹴飛ばしてやや強引に捜索に行かせる。「はぁい」と渋々ながら一人で行動し
だすチェリー。
 ……そんなに何度もこっちを振り向くな。ここで一人で行動するのもまた経験なのだ。
 俺はどうしてもそばに居ると手を差し伸べてしまう、だからこそこうやって獅子は子を
谷に落とさなければならない。
 鹿末のように言えば無理やり青汁を飲ませなくてはならない。
 ……怨まれるかもしれないが、あいつが人を怨むことを覚えてくれれば、こちらとして
も楽だ。
 さてと。
 俺は耳打ち(ウィスパー)モードにチャットを変更し、遠距離会話を始める。


『………準備は完了した。184:1021辺りだ。10分後ほどに行動を開始してくれ』

『了解(ヤー)、アニキ』


 ……会話を閉じる。
 さて、それでは俺もリュンクスを探すとしよう。
 チェリーの後を見付からないようにつけながら……。
 障害物の殆ど無いエリアだが、チェリーの行動パターンは読みやすい。
 いくらか進んだら周りを見渡し、またいくらか進んだら見渡し……それの繰り返しであ
る。
 なので見渡すタイミングで上手く伏せていれば見付からない。
 俺は尾行を開始した。


 ………なんとなく。娘の初めてのお使いを影から見守る父親のような気分がした。




 暫くすると、チェリーは足元でほんの少しモッコリと盛り上がってる砂を見つける。
 最初は蜥蜴かと警戒したようだが、考えてみれば猫のような大きさの蜥蜴はここにはい
ない……この大きさと言えば。
 彼女はダッシュしてそれを蹴りにいった。
 とりあえずモンスターだから武器攻撃なのだが……とりあえず、上手く彼女の先制攻撃
でバトルは開始されたのだった。
 砂への擬態を解いて素早く逃げ回るリュンクス、これがまたチョロチョロと素早くて捕
まえ難い。
 いかに訓練したとは言え、いかに攻撃範囲の広い大鎌とは言え、これを捕らえるには時
間がかかる。HPは10しかないが当てるのは相当に難しい。
 5分。
 追いついて攻撃が当たりそうになるまでそのぐらいに時間追いかけっこが続いた。
 だがそれも終わり、やっと、やっとチェリーの攻撃がリュンクスへと届こうとしたその
瞬間である。


 ―――――ヒャァァァッッッッホゥゥウッ!! イエェェェッッ!! 


 奇声がその場に轟き、チェリーはわけも分からないまま飛び込んできた奇声の主に蹴り
飛ばされた。
 その数は二人。
 そいつ等は卑下た笑い声を飛ばしながら戦場に何入試、チェリーが勢いよく尻餅をつい
ている間にもう片方の斬刀士が素早く、リュンクスを斬り捨てた……。
 効果音が鳴り、その斬刀士の男の上に【1】という数字が表示される。


「あ………あぁ………っ」


 その様子を見て愕然とした後、目に涙を溜めるチェリー。
 本気でショックだったようだ。
 起き上がる途中の体勢で固まり、斬刀士の男を凝視している。……それでもそこに浮か
ぶのは喪失への悲しみだけ、恨みや怒りは見えなかった。


「ダメだぜー嬢ちゃん、リュンクスを狩る時は周りに注意しとかなきゃよ? リュンクス
狩りで一番怖いのはライバルとのPK戦だって常識も知らなかったんか?」

「ま、知らなそーな顔してたから襲ったんだがネ! ジャハハハ!!」


 それは髭を生やしたボサボサの長髪の銃戦士と、小太りな丸太のような体格の斬刀士だ
った。
 腕には【ケストレル】の腕章が見て取れる……、分かりやすい筋金入りのPKだ。
 チェリーは「なんで…?」って顔をしているが、このエリアでPKは珍しくない。
 貴重な金の卵であるリュンクスを巡ってPC同士の戦いが頻発する危険区域……それが
このエリアだからだ。
 納得したのかしてないのか、チェリーは頷く。
 そして誰も予想しえない言葉を紡いだ。
 

「分かりました。……それじゃあ、常識を知らないわたしが悪いですよね。……どうぞ」

「どうぞ? 何の真似だいそりゃ」

「だから、PKするならして下さい。私逃げるの下手ですから、自分からされた方が時間の
ロスにならないです」


 ………唖然とするPK二人。そして俺。
 何の抵抗もしないで、武器を向ける二人に対してチェリーは目の前で大鎌を捨てて見せ
たのだ。
 まるで自分こそが罪人であるかのごとく、罪を受け入れるかのごとく、武器を捨てた。
 大鎌の重量で軽く砂が舞った。


「…………」

「…………」


 顔を見合わせる二人のPK、彼らにとっても抵抗しないで体を差し出す輩は予想外だった
のだろう。
 なにやらPTチャットで話し合ってる。


「………逃げちゃいますよ?」

「いや、その必要はねぇ! 参った!!」

「ジャハハハ! ワシらの完敗やネ!」


 そのPKたちはキョトンとするチェリーの前で再びお互いを見ると……。


「「ブアァハ ハ ハ ハ ハ ハ ッ ッ ッ 」」


 と、勝手に大笑いを始めたのだった。
 それはもう、面白くて仕方がないといった風な笑いを。しかしさっきのように悪意を感
じさせる笑い方ではない。


「ど、どうしたんですかお二人とも?」

「は、はぁ………。いやね、アニキの完璧な作戦もじょ、嬢ちゃんの前には通用しねぇん
だなってさ。思って……ハハハッ」

「アニキ、ですか」

「そうそう、アニキネ。名前をThe Startなんていうネ。ジャハハハ!」


 「へ……?」と、チェリーの表情が今度こそカチンコチンに固まる。
 それはもう誕生日を内緒で突然に祝われる気持ち……の、全く逆な驚きだろう。
 ギギギ……っとチェリーが目線を動かした先。そこにThe Startを動かしていった。
 ずっとうつ伏せに隠れていたのでパッパと砂を払う。


「………えっと、師匠?」

「テストだ、自分一人でPKを追い払えるかどうかのな。……結果としては再追試だが、赤
点ではないな」


 ここでやっと状況が飲み込めたのか、顔を真っ赤にして起こる…………のではなく、ホ
ッと安心した表情を浮かべるチェリー。
 むしろ笑顔まで浮かべている。
 ……想定外だ、嫌われて弟子を辞められるぐらいは覚悟していたんだが。


「ありがとう御座います、師匠」

「あ、いや…っ。確かに二人に2ndキャラを作らせて勝てるようレベルを調節したり寸止
めするように指示を与えたりはしていたが、俺は礼を言われるようなことは一つもしてな
いぞ。その言葉はもったいない、撤回しておくといい」


 そういうとチェリーはさらに嬉しそうに花のような笑顔を浮かべた。
 ついでに二人はニマニマとイソギンチャクのような笑みを浮かべた。
 

「やっぱりありがとう、ですよ師匠。その、おせっかいなところとか」


 にへへへへー、と意味深に笑みを深めるチェリーの表情に、俺は何故か返す言葉もなか
った。
 あったかもしれないが出てこなかったのだ。
 いかん、この程度の状況に対処できないようでは俺もマダマダ……。


「ヘッヘッヘ、アニキもいつの間にやら、隅に置けませんなぁ」

「置けませんネー、ジャハハハ!」


 ………よし。
 とりあえず八つ当たりしようか、こいつらに。


「へっへ……ってああっ、何で武器構えてこっち来るんスかアニギャハァァァッ!?」

「アレネ、笑ったのはあやまギャハァァァッ!?」


 約二名をアリ地獄のほうに蹴り落し、パンパンと手を叩く。
 

「いいんですか……?」

「いいんだ、放って置くと結婚式でも始めかねん、あいつらは」

「あははー、それもいいですねー♪」


 ――ドブフッ

 本日二回目の、砂に突っ込んだ。
 今度は砂の中に石が入っていた。


「あれ? どうしたんですか師匠?」

「………」


 それが冗談なのか聞く勇気は、俺は持ちえてはいなかった……。










後日談……。




「上手くいってるようね、あなたたち」

「やかましい」


 大学にてそんな会話を交わした。
 今でこそ思う。
 こいつはきっと、確信犯だったと……。