<私のお師匠さま>




 正直に言うと、俺は今、とても困っている。


 とは言え、PKされたわけでもサバ落ちして経験値が飛んだわけでも鬱陶しいハッカーに所
属ギルドを荒らされたわけでもない。
 特になにもないのだ。
 なにもやることがない。やりたいと思うことがない。

 ―――それが、そう。悩みだった。

 平日の午前…… 休日の夕方と比べると嘘のように閑散としたマク・アヌの橋の上を歩いていく。
 水音が気持ちの良い音を立てている。混雑している時は雑音がやかましくて聞いていられないBGMだ、……とはいえ、それに特に感心するわけでもない。
 美しい、といわれる町並みも既に見慣れてしまっていた。
 すれ違うPCの取っておきの笑い話を聞いてもなんの興味も惹かれない。
 冷めてる、と人は言うだろう。
 それは自覚していた。
 そう、そんな自分だからこそ、今現在【日本で一番面白いネットゲーム】とやらなら心を動かしてくれるかと思ったんだが……
 まったくもって、期待はずれだ。


「……飽きっぽいな。俺は」


 いや、それは違うか。
 最初からそこまで面白いとも思ってはいなかった、だから飽きたのではない。
 面白くもつまらなくもなかったゲーム、それを続けることに意味を見出せなくなった。それが正しい表現だ。
 流石のThe Worldにも俺のような人間はいるということだ。
 最初の内は真新しい情報が多くて、【どこかに面白いことがあるかもしれない】という期
待があったから続けられた。
 だが今は……
 することも無く、カオスゲートに向かう。
 ああ、行く先でPKにでもであって、お困りの姫様でも助けられないものだろうか?
 そうすれば少しはこのマンネリとした日常も面白くなるかもしれない。


「……ふん、我ながら馬鹿なことを考えだな」


 マイクを離して呟く、とは言え道の隅っこを寂しく歩いている鎧人間の独り言なんて誰
も聞いていないだろうが。
 それは欲求の生み出す邪な妄想だ。
 仮になんでも願いを叶えてくれる神様がいたとしよう、俺の願いが叶ったら必ず誰かが
不幸になる。
 事件は求めるものではなく、偶然に出会うものだ。それを自ら求める限り……俺はバカ
だ。
 それも、幼稚な。

 
 鎧人間はいつものようにカオスゲートの前に到着した。
 この先に宣伝のような美しい出会いと、危険がいっぱいの大冒険が待ち構えていればい
いんだが……。
 俺は手甲と肘宛でガッチリと固めた腕を伸ばし、クルリゆらゆらと回るか押すゲートの
ワード入力画面を開く。
 ……ラグは無い、流石に昼間なだけはある。これなら俺のナロってる回線でも転送中に落ちるなんて事は無いだろう。

「今日もほんの少しばかりの偶然を求めて……、ランダムと。【Δ唯我なる 伝説の…】」


「……う、うわぁぁーーっ!! うっそ、何コレ……ホントにゲーム、だよね?」


 思わず決定ボタンを押すのを躊躇う。
 ……なにか、途轍もなく間の抜けた声が聞こえてきた気がしたが。
 

「スゴ……映画の中の世界みたい……わぁ……」


 見渡してみれば、探すまでもなくすぐ隣にピンクいPCがいた。妙に背が低く、それ故にピンク色の長い髪ばかりが印象として入ってくる。
 そのピンクくてちっちゃくて髪の長い……どこかポイントを抑えてるようなそいつは、
これ以上無いくらいに初心者丸出しの台詞を吐いていた。

 うわー……

 これが正直な感想だ。
 そいつはまるで初めて見るかのようにカオスゲートを見上げている。その仕草のせいだろう、周りからは忍び笑いが漏れていた。


「…………ふむ」


 そして俺は。
 助け…… ずに、そいつを観察した。
 ピンクいのはしばらくゲートを眺めていると、不意に動き出した。
 オロオロしながらカオスゲートの裏側に走って行き、……行き止まりだと知って戻ってきたり記録屋を覗いてみたり、キオスクで買ったアイテムを間違えて捨てたりしたりしている。
 久しぶりになかなか面白い光景だった。
 ……だが、流石にこれ以上見ているのも心苦しいな。
 俺のPCは寡黙でぶっきらぼうだが世話好きの傭兵、という設定だ、彼ならここで声を掛けるだろう。


「ちょっと、君。……えぇと、チェリー、さん?」


 流石にこれ以上面白い行動をされると掲示板に晒し者にされかねない。
 ……まぁ、見世物の報酬は払うべき、という事だ。


「はい?」


 その小さな典型的初心者は……俺のPCがだいたい180だから、160に届かないく
らいか……若干緊張した面持ちで振り返った。


「な、なんでしょう? わたし、なにか失礼なことしてましたか……?」


 それにワンテンポ……いや、スリーテンポぐらい遅れて【/笑顔】のモーションが返って
くる。
 よほど緊張してるんだろう、タイミングも何も読んでない。ただまぁ、頑張ってるのは
分かる。


「いや、失礼にはなってない。むしろ面白かっ……コホン。ただ、少し警告をさせてもら
うと思って声をかけただけだ」


 いかんいかん、初心者相手にこっちが失礼になってどうする。


「余計なお世話かもしれないから、聞くか聞かないかは自由。だが、もしもまだこの世界
に不慣れなら……」
「お願いしますっ! 是非にっ!!」
「……聞いておいて損はない、と言おうとしたんだが。……まあいいか、それなら語ろう」


 どうもタイミングが合わない……、俺がバカ丁寧だったのだろうか。
 まぁ、今更ロールを崩すわけにも行かない。
 俺はベテランの傭兵。ぶっきら棒だが世話焼きの男『The Start』を演じ続けるとしよう。
 彼は変な奴ほど気になる人間だ。

 ………ん?

 見てみれば、目の前の『チェリー』と頭の上に文字を乗せてるPCは、【/正座】してい
た。
 しっかりとこっちの目を見て全身全霊で聞く体勢だ、物音一つ立てない。
 なるほど、いい意気込みだ。
 悪い意味で。
 目立ったが。


「一つ、カオスゲートの前で目立つ行為はしないこと。掲示板で馬鹿にされたくは無いだ
ろう?」


 かっくんと頷くチェリー。


「はい、分かりました! その通りですね!!」

「ああ、その通りだからまず正座は止めてくれるか?」


 ………。
 
 一瞬、間が空いた。そのあとに「……ぁ」とかいう声が聞こえたような気がする。
 なるほど、そういうことか。
 ………コレは本気でレクチャーしないと、PKに狩られる前に自滅するな、こいつ。
 慌しく姿勢を正しているチェリーを背にして、鎧姿の重槍士に天を仰がせる。
 そんなロールなのか地なのか分からない行動をしつつ、ふと思った。

 今の俺は、暇じゃないな。
 ……と。



 感謝するとしよう。
 ありがたい、余計なお世話をしてくださったどこぞの神様に。









―――――――――――――――――――










 
 ゆっくりと広大な涼空を流れていくワタアメのような雲、何処までも続いているのが見
えそうなほどにまっ平らな草原。
 草原は見渡すほど狭く平らになっていき、やがては地平の手となり、そのフワフワとし
た雲を受け止めていた。
 ああ、晴天だ。
 これ以上無いぐらいに喉かな草原だ。
 頭が痛くなりそうなぐらい低レベルなモンスターがうろついている、平和な草原だ。
 そんなところに、俺は来ていた。
 来てしまった。


 …………二人で。


 いまはちょうど、本気でカナードの露店にでもこいつを放り込みたくなっていたところ
だった。
 初心者歓迎のあそこなら、喜んでくれるかもしれない。
 それぐらいだ。
 それぐらい、……だったのだ。
 まさか、まさか……、コレほどまでとは思わなかった。

 ………チムチムに、苦戦するとは。


「だから、チムチムに向かってスティックを倒す、それだけだ。何故できない……」

「だ、だって難しいですよコレ!」

「そうかもしれないが、まったく反対の方向に走るのはないだろう」


 走るんだ、こいつは。逆方向に。
 「……ぅぅ」とかいいながら再チャレンジするものの、逆にチムチムから遠ざかってい
く始末。
 コレは中々、いまどき珍しいほどのゲーム音痴だ。
 戦闘前にやらせて正解だったな。


「………よし、30分以内にチムチムを5匹蹴ること。とりあえず今日の課題だ」

「な、何ですか課題って!?」

「その方がやる気、出ないか? 君はそういうタイプだと思ったんだが」


 半信半疑でいったんだが、信じられた。
 「なるほど、確かにそうです」と頷き、俺の合図と共になおいっそう頑張って走り出す
チェリー。
 暫くすると、ほんの少しだが動きはさっきよりはマシになった。
 最初は離れていったが、今では追いつけないだけになっている。……蹴れるのは、まぁ
もう少し先だろう。

 そう、俺の読みは当たっている。
 とはいえ彼女(暫定的だが)は課題を出すとやる気になるタイプではない。
 言えば乗ってしまうタイプだ。
 

「……はい、タイムアップ」

「…………」


 容赦なく言い捨てる。
 何も言わず、ガックリと肩を落としているチェリー。
 まぁ確かに気持ちは分からなくもない、やはり成果0匹は答えたのだろう。
 言葉にしないところに悲痛なオーラが漂ってる。


「まぁ、今日中の課題だ。後でまたやればいい」

「そ、そうですよね! わかりました! 練習してまた挑戦します、師匠っ!」


 ……お?


「なに、師匠?」

「はい、師匠です! ……ダメですか?」


 少し考えてから、俺は頷いた。
 The Start、世話好きの彼ならば、曖昧に笑って許容するだろうと。


「……いや、構わない。その方が面白い」

「やった! それじゃわたしのことは『弟子よ』って渋い声でいって下さいね!」
「それは断る」


 キャラじゃない、……というかそもそも俺が嫌だ。今の所ギャグキャラにするつもりは
なければそれになれる自信もない。
 彼ならば…


「俺は適当に呼び捨てる、その方がぶっきら棒な師匠っぽいだろう?」

「そうですか……?」

「そうだよ」


 そういい、俺は適当にLv1ゴブリンの群れている方向に歩いていく。
 次のレッスンはこれだ。
 戦闘という緊迫した場に置かれれば、嫌でもスティックを動かして『逃げる』感覚は捕
めるだろう。
 遠くで慌てふためいているチェリーの姿が見えた気がする、が、振り向かない。
 これも練習だ。


「さて、急いで追って来いチェリー。俺の気の変わらないうちにな」

 
 容赦なく、歩いていく。


「なんか、いきなり厳しくなってませんか……?」

「師匠だからな。うん、このロールは面白い。採用するとしよう」

「師匠ってけっこう意地悪な人なんですね。さ、さすが師匠!」

 なにがだ。
 ……まぁ、師匠は意地悪な人間、という俺の勝手なイメージがあるのは確かだが。
 それにして、意地悪といいつつ声を弾ませている彼女も彼女だ。
 俺には真似できないポジティブだ。
 いいか。
 とりあえず、案外俺のイメージというのも捨てたものではないらしいから。


 慣れて誤魔化しているのでもなく、気を使っているのでもなく、心から楽しそうな声。
 空気の読み合いも腹の探り合いもあったものではない。
 そんな空気が、妙に新鮮だった。
 
 
 
 
 
 
 
 ……それから2時間ほど時間を潰した。もうそろそろ昼か。

 
 
 





 戦った、負けた。
 走った、失敗した。
 メカグランティ、燃料入れられずに放っておいた。
 走った、失敗した。
 
 戦った、……ここでやっと、勝った。


 足元にコロリと転がって消えるLv1ゴブリンを注意深く見つめ、完全に倒したことを
確認しているチェリー。
 確認しなくても分かると思うんだが、どうも心配らしい。ゲーム勘がないせいだろう。
 彼女は安心するまで確かめると、慎重に自分の武器……【大鎌】をしまった。
 こいつ、見かけに寄らず鎌闘士なのだ。
 範囲攻撃は強いがそれゆえに固体攻撃が弱く、レベルが上がるまでは苦労する職業……
完全に趣味で選んだらしい。
 ……いい趣味をしてるとしか言いようがない。


「……や、やっ」

「ゴブリン1体に2時間か、驚異的な記録だな」

「ったぁぁ……って師匠! 水を刺さないで下さいよ、もう」


 拳を振り上げて喜ぼうとしていたところを突っ込まれるチェリー、おっとっとと……く
しゃみを途中で止められた感じだろうか、そんな風になっている。
 それはそれで面白いんだが、どうやら邪魔をしてしまったらしい。


「ああ、悪いな、記念すべき瞬間に」

「そうですよー、折角初勝利したのに」


 ……ゴブリン相手の初勝利にそこまで喜ぶのか。
 割と皮肉を込めたつもりの俺のコメントもそうめんの様にアッサリ流され、勝利の余韻
に浸っているチェリー。
 嬉しいのは分かるんだが。
 取り合えず初勝利を迎えるまでに50回は死んでることを、悔むべきだと俺は思うのだ。
 だがそれも取り合えず、いまは言わぬが花なのだろう。
 
 ………後で、絶対に言うが。


「どうだ。もうそろそろ操作方法には慣れたか?」
 
 
 2時間もたつと口調も砕けた感じになる、俺もすっかり師匠になってしまったものだ。


「えっと、動かすのはまだ失敗しがちですけど、やり方は分かりましたよ。こう、ターゲ
ットを見つけたらスティックを倒して○ボタンですね!」

「ああ、そんな感じだ」

 
 いまどきこんな会話、小学校でも聞けないだろう。
 ただ、ありきたりな会話をするよりはマシに思えた。
 面倒くさいが。


「さて、そろそろもう一回今日の課題をやるか。……こっちだ」
 
 
 ゴブリンからの戦利品をしげしげと見つめていたチェリーを背にし、容赦なく歩いてい
く。
 それに気付いて慌ててチェリーも追いかけてくるが、ストレートとジグザグ走向では残
念ながらストレートの方が早い。
 悲しいことに。
 
 
「あ、ちょっと待って下さいよ師匠ぅーっ!」


 手のかかる弟子だ、彼ならそう思っただろうから。
 足を止め、待つ……。
 後ろから不慣れな動作で走ってくるチェリーを見て、ふと思う。
 なるほど、自分には丁度良いと。
 そして彼女にとっても、そうであって欲しいと。


 はたして教えられたのは、どちらだったのか。