*あらすじ*
<血肉を削って中古のパソコンを購入し。いつもプレイチケットをギリギリで買ってプレ
イしている激・貧乏人、浅野猛(たける)。
21世史上稀に見る貧乏高校生、……それが、猛君だ!
そんな彼が繰り広げる日常と言う名のサバイバルバトル、それを描いているのがこのシリ
ーズである!
碧衣の騎士団に立ち向かうのではなく、放浪AIと不思議な出会いをするのでもなく、給
料アップのために店長と戦い、それとなく出合った仲間達に笑いながらドツかれる。
そんな微笑ましい日常の物語。
今日も今日とて誰かに振り回される浅野君はそう。
ゲームばっかりやってないで、と、外に叩き出されたのだった。
母はいつものように理不尽である。
さてさて、そんな猛君にはどんな一日が待ち受けているのだろう……>
<ほんとのこころ!>
今朝のことだった。
それは俺が11時間労働を終えて、泥のように眠って、3時間ぐらい経った後の出来事
……。
ぐっすりと。
そう、寝ながらにして『誰にも起こされたくない』、と言う濃いオーラを出していた、そ
のときのことである。
メガホン並みの音量が俺を襲った。
「ほら、起きなさい! 日曜日なんだからグータラしてないで外で遊んできなさい!」
「……ハ?」
それと同時に先ずはシーツを剥がれて、朝の冷えた空気の中に放り出される。
俺は何か悪いことをしたのか?
疑問を持つ間もなく肌を刺す寒い空気、眠気とそれが相俟って脳内が凄いことになる。
そんな中。
取り合えず耳を疑った。
「まってまってまてぃ!! 高3にもなってその台詞は無いだろ、と言うか俺はグータラ
してないよ間違いなくっ! むしろ働きすぎなんだよ寝かせてっ!?」
「起きな、さい」
容赦、無し。
ベッドの上でもそもそしながら必死に手を伸ばすも、シーツには届かない。
既にシーツを持って2段ベッドの上から降りてしまっている母には、届こうはずもない。
当然。
シーツを持ち去ったと言うことは反論も聞く耳を持たないと言うことだ。
「ゲームばっかりやってないで、偶には外の空気と日の光を浴びてきなさい」と言って
部屋を出て行く母。
少し間を置いて、コッ、コッ、と容赦なく階段を下りていく音が聞こえる。
「……………わけが、分からん」
取り残され、ちょっとだけはだけたパジャマがズリッ……とずれた。
いつもなら流石に、休日は寝かせてくれるのに。
日の光なら十分浴びて居るし、むしろ昨日は駐車場の警備員をやっていたのだから一日
中浴びていた。月の光すら十分に浴びた。
なのに何故、あんなことを言われるのか?
むしろ褒め称えて眠らせて欲しい。
台詞自体はまともでありがちな台詞だけど、言う対象が間違っている。
確かにゲームはやっているけど……、それでも此処までされるほどじゃない。
つまり、理解不能だ。
ふと時計を見てみれば、……ゴミ捨て場で見つけて復活させた大きなのっぽの古時計だ
ったりする、ぜんまい式は電気を使わないから素晴らしい。
時刻は、朝の6時だった。
「お早うー…………」
本当に、棺桶にでも入っていたかのような顔で降りてくる俺。
鏡を見て死人のようだと感想を抱いてしまうのは何故だろうか?
ふらつく足取りで食卓に着くと、そこには出勤前の親父と、何も悪びれた様子もない母
が座っていた。
「おっ、卓じゃなくて猛か。………今日は珍しく早起きだな?」
「ちょっと、ね」
ジト目で母を見て……、ため息を一つ。
朝の定番、目玉焼きへと箸を伸ばす。
流石に……日曜日なのに普通に出勤と書かれて違和感の無い親父に今朝のことを愚痴る
気は起きなかった。
と言うかお疲れ様。親父。
今日も遠くに出張なんだね。
その防寒具の詰まった装備から察するに、行き先は北海道ってところか。
「あら猛、今日は早いのね? 健康的でお母さん嬉しいわ、偶には朝日を浴びてお散歩な
んてどう?」
嬉しそうに驚いたかのような声がした。
見てみれば、『今気付いたばかりよ本当に驚いたわ』っとでも言いそうな表情の母親。
それが、コトリ、とお茶の入ったコップを親父と俺の前に置く。
それも近年久々にみるような笑顔で、である。
「健康を考えるなら、俺を寝かせなさい」
「うふふ、……ダーメっ♪」
四十路も後半になって、人の鼻の先をピーン?
ダーメっ?
…………。
…………。
………一瞬、いや違う、それどころか数秒間。
意識が飛んだ。
そして椅子に座りながらスザザザッッ!! と後方にダッシュする俺、我ながら凄まじ
いスピードだ。
器用にも、だがそのくらい本能的な危険を感じたのだ。
にこにこにこにこ
ああ、恐恐恐恐<にこにこにこ>と表記したい。
母の笑顔が、何か別のものに見える。まるで途轍もなく高名な菩薩のようなお坊さんが
マジで怒ってるかのようだ。
呼吸が荒い……、ここは、危険だ。
一瞬で滝のような冷や汗が滴り落ちる。
そう、寒気がする。
なんだろう……、このいつもと全くもって口調の全く違う母親は?
優しすぎるぞ。
優しいなんてありえない。
……違和感が恐ろしい。
ピーン?
何ですかそれは?
新婚さんいらっしゃいでも見かけないぞ?
今、何の間違いが起こったのだろう。
あまりにも恐ろしかった俺は母に目を合わせられないで、思わず親父を見てしまう。
すると親父は「しょうがないな」とばかりに苦笑していた。
「……………………………何。コレ?」
コレ、のときに母を指さす。
全身全霊の疑問心を込めて。
すると親父はどうしようもないほどの哀愁を撒き散らし、安物の髭剃りで髭を処理しな
がら。
まるで洗うことを辞めたアライグマが、洗濯について語るかのような口調で。
こう言った。
「久恵はね、10年に1度くらいの周期で……こんな風にヤル気を出すんだ。
お前はまだ小さかったから覚えてないかもしれないが、11年前もこうやってヤル気を
出してな。それはもう、家中ぴっかぴかに大掃除したことがある。
そのときの記念写真がアルバムの21ページだ、あそこから後の写真はやたらと家が綺
麗になってただろ?
あれは、そのせいだ。
久恵は……
久恵はな……時に、若いころの気持ちに返るんだよ。
ふと前世を思い出すかのように、唐突に。
アレは昔の久恵だ。
俺とまだ結婚したてだった頃の、若くて可愛くて働き者だった頃の姿に。立ち戻るんだ」
キラキラとした過去を追憶するかのように、静かに親父は呟いた。
「あの頃は良かった」なんて、なんて言えない、表現しきれない。
哀愁と言う文字ではもはや言い切れないほどの懐かしさを込めて。親父は言葉を吐き出
していた。
突込みどころがあるのに、恐れ多くて突っ込めない。
とんでもない影<現在>と、光<過去>が親父を渦巻いている。
ヤバイ。
本気で涙が止まらない。
俺は輝かしい幸せの絶頂から、だんだんと、終わらない悪夢のような今に落ちて行く英
雄<親父>にそっとエールを送った。
取って置きのコロッケを半分、切って渡した。
親父は返そうとするが、「いいから食べて」と押し返す。
この行為は我が家では『初任給を貰って恩返しにとそれを渡そうとする息子に。遠慮す
る父親』の図に匹敵する。
コロッケは渡した。
ゆっくりと苦笑して、それを食べてくれる親父。
父と子のシンフォニーが此処に生まれ、お互いの境遇にガンバレとエールを送った気が
する。
因みに久恵と言うのは我が母の名前である。(本日名前初公開)
この時、母は何故か向かいの席で山口百恵の『夏ひらく青春』を歌っていた。
……確かに、立ち返ってる。選曲が古っるい。
あんたは抜刀斎か何かか。
「猛、今日はお母さん――」
「………分かってる、久々に家事をやるんだろ? 大人しく公園にでも行ってるから、ど
うぞ全力でやっちゃって」
丁度焼き上がったパンに(直火で焼く)取り掛かる前にそう言うと。母はニッコリと笑
った。
10代の笑顔だった。
―――ああ、また何か寒気が。
「物分りが良くて宜しい! ご褒美に晩御飯は腕によりをかけてご馳走しちゃうわ。ああ
そうそう、ちゃぁんと6時までには帰って来るのよ? いい?」
「……へーい」
全身に毛虫が這い回るような感覚。
ゾ、ゾゾゾーーーっと来る。
何かこう、冷静さを保つだけでやっとだった。
4月も深いこの時期、まだまだコタツを片付けないで自分で入り浸って居るような母親
が。
あの蜜柑の皮すら自分で片付けたことのない母親が。
子供が必死で働いているのに家で晩婚さんいらっしゃいを見ているような母親が。
ぶっちゃけてしまえば、あの、グータラした人が!
テキパキと明るい仕草である。
優しい言葉である。
知らない家にでもワープしてしまったかのような違和感。
違和感。
違和感。
………そろそろ耐えられなくなった俺は、意識を朝飯に専念した。
そう言えば、今日の朝食は随分と手が込んでいる。
………。
暫くして、俺は同じく居心地が悪そうにしていた加奈と共に家を出た。
逃げ出したといってもいい。
母が仕事をするのもあるが、あまりにも空気が違いすぎて居辛かったからだ。
湿った場所でのみ生きられるカビは、カラッと晴れてしまった場所では生息できない原
理である。
「兄貴、最後まで伯母さんとご飯食べてたんだ。
…………それはまた随分と頑張ったね」
途中で抜け出したらしい加奈は、珍しく疲れた口調で語っている。
片手間にパンをかじりながら。
「正直言うと席を立つ余裕も無かったな………」
頷く。
まだまだ朝は早いけど、それでも人通りは出始めるような時間帯。
俺と加奈はその澄んだ空気に目を覚まされつつ、愚痴を零しながら歩いていた。久々に
共感である。
「お早う御座いますー」っと、道行く人々と軽く挨拶を交わしつつ。
そのまま適当に公園へと歩く。
因みに加奈とは俺の従妹、5つほど年下の女の子で。よく使われる代名詞は【鬼】。
そんな奴だ。
「ふぅぁぁぁーーーーーー……あっ、と。
ダメだ。眠すぎる……、公園で寝ようかな。このままじゃ目の下に隈が出来てしまうわ
い」
「ああ、その心配は要らないからちょっとウチに付き合ってくれない?」
さらっと寝かせない発言?
お前もか。
「何故に」
「隈なら。もう十分濃ゆいのが出来てるし」
「ねっ?」っと、こっちは正真正銘の10代笑顔を振りまいてくる加奈。
あれだろうか。
―――うちの家系の女たちは、こんな時にしか笑えないのか?
笑顔不信になりそうな今朝の出来事。
同情するなら睡眠をくれぇー……。
朝っぱらの公園。
それは寂れていて人気がないこと、の代名詞みたいな場所だった。
日曜日なのに全っ然人間が居ないことがそれを証明している。
ゲートボールに白熱して入れ歯を飛ばしているお爺さんも居なければ、かくれんぼで木
によじ登って葉っぱで絶対に見えない場所に隠れてるガキンチョも居なかった。
しかしそれは異常な光景ではない。
いつものことなのだ。
ベンチが一つ、数本の木々が植えられていて、遊具はない。
それが『夢尋公園』と言う名のこの公園。
近所に出来たもっと大きな公園や娯楽施設に客を奪われると言う、何処かの商店街のよ
うな様相を呈している公園である。
故に誰もが『無人公園』と呼ぶ。
午後になればそれなりに集客は見込めるのだけど、今は俺たち2人の貸切状態だった。
青々とした若葉を茂らせる桜が、最後の花弁を冬服を脱ぎ捨てるかのように散らしてい
る。
黄土色の地面もこの時期だけは薄桃色の絨毯が敷かれていた。
――――――『ドゴッォ』!
そんな絨毯の上で、やけに生々しい音が響いている。
離れていても聞こえるような音量だった、それが、とても痛々しいのは言うまでもない。
腹を押さえて蹲る、俺。
「兄貴、休憩にはまだ早いんじゃない?」
首根っこを掴んで、優しく穏やかに、しかも笑顔で立たせてくれる加奈。
もちろん蹲まらせた原因もコイツだけど。
「けほ………な、なんで、朝っぱらから」
フラフラしながら自分の足で立つ。
「血肉踊る、バトルをせなあかんのだ……」
従妹と暇つぶしに公園に出かけて行った。
そこまでは良い、ほのぼのしたシチュレーションだ。
たいていの人はのんびりと散歩でもする光景を思い浮かべるだろう。
そっからどうして
『戦おう』と言う結論に到る?
「うーん、拳舞(ナックルオペラ)みたいにはやっぱ動けないか……」
「俺を殺す気か」
因みに拳舞(ナックルオペラ)とはThe Woldの拳闘士の技である。名の通り強烈な拳を
連発する恐ろしい技だ。
俺は3発目で沈んでしまったので全部当たることはなかったけど、形だけは真似できて
いるのが恐ろしい。
ズキリ、と特に思いっきり入ったボディが痛む。
つまるところ、加奈はゲームの中の必殺技をリアルで再現したくて、こうして俺を練習
相手にしたらしい。
俺なら気兼ねがないからと言うことで。
加奈はぐるぐると腕を回していた。
滑りやすい桜の絨毯など意に介さず、トントンッと軽くステップを踏みながら。
その姿は拳闘士そのものだ。
身長150程度のちみっこが恐ろしく巨大で威圧的にみえた……。
「殺す気はないけど、それに近いことならするつもりは。有る」
彼女は知る人の間では『鬼』と呼ばれる。
「………バカヤロウ、そーゆーときは嘘でも良いから希望の有る言葉を言うもんだ」
ぶつぶつ言いながらも足を開き、柔らかく手を開く………空手の基本的な構えを取る。
一応は俺も格闘技の経験はあるのだ、だから何とかまだ暫く付き合うことは出来る。
できるけれども。
「ヤロウ………?兄貴、ウチは野郎じゃない。…………殺さないって言ってるのに死亡フ
ラグ立てたがるんだから」
先ずは笑顔♪
そして何か、拳を突きつけるような、とても完成されたポーズを取っている加奈。
次元が違うと言うか、あの若さで構えの中に何処を見ても隙と言うものが全く見当たら
ない。
段位認定は中2からしか出来なので段位は初段なのだけど。
実際4〜5段くらいの実力はあると、先生はとても嬉しそうに語っていた。これからが
とても楽しみなのだと。
それは良い。
だけど。
加奈の額のやや左側に、十字型の怒りマークを浮かべている最中に、それを思い出した
くはなかった。
挙句の果てに出てきた音符マークは死刑宣告だ。
いやもとい。
半死刑宣告といったところか。
余計なことを言ってしまったようだった。突き刺さるような視線と共に殺気を感じる。
このとき、
俺の寿命は確実に3ヶ月くらい縮まった。
「休憩はもういいね。……行くから」
「な、ななっ、ちょい待てっ!?」
ほんの僅かに残っていたらしい乙女心を、拳と言う名の凶器に乗せて打ち込んでくる加
奈。
そんな破壊兵器を死ぬ気で避けていく俺。
はたから見れば面白い光景だろう。
明らかに深長差の有る女の子が、背だけはある兄貴をボッコボコに押しまくっているの
だから。
観客は電柱の上の雀程度だけど。
戦闘訓練は再開された。
若干の殺気を感じつつ。
踏み込みの勢いで桜の花弁を散らし、強烈な正面蹴りを打ち込んでくる。
それを腕で受けると共に後ろに引いてやり過ごす。背中に縋る木の幹を感じて即座に立
ち位置を左にすべく跳ぶ。
そこを。
前蹴りはどうしたのだと言いたくなるような、既に振り始められていた回し蹴りが奇麗
な姿勢で、しかし途轍もなく恐ろしいスペードで打ち込まれてくる。
ゴルフのナイスショットを思い浮かべると分かりやすい。
究極の弧を描いて打ち込まれる足は俺の胸程度にしか上がらない、しかし……『嫌な音
がした』……上体を捻って受け止めた左腕を青黒くするには、十分な威力だ。
思わずその腕を庇って右腕を前に出す構えに変える。
そのとき、加奈は既に蹴っていた。
さっきの木の幹をだ。
できる限りの跳躍で後ろに飛ぶも、木を直接蹴って突っ込んでくる加奈の勢いは殺せな
い。
弾丸がヒョロヒョロした的を打ち抜くかのようだ。
「空手斬(カラテチョップ)―!」なんて台詞を叫びながら打ち込まれる、何故か上段
正拳。
喉元に突き刺さるそれは受けることも出来ず突進の勢いを込めてヒットする。
一瞬にして呼吸が絶する。
そこから派生する様に左下段横蹴り、そして踏んだり蹴ったりでふらついた体勢に、思
いっきり空手斬(カラテチョップ)らしき一撃が右の肩口に打ち込まれた。
そこまでの動作をまるで早送りのように繰り出し、全てヒットさせている。
俺はと言えば最後は受けることも出来ずにスローモーションのように倒れるだけだった。
何とか、危ない場所だけは外せたけれど……。
無残な音を立てて、桜の絨毯へと倒れこむ。
同時に止まっていた息が、渇望に負けるかのようにゼイゼイと復活した。
ちょびっと、口の中に花弁が入ってきて咽た。
「ふぅぅぅー……、ストレス発散」
「結局それかよ……」
「もう良いだろ、終わりだ終わりー……」とだけ吐き出して、俺はだらしなく全身の力
を抜いた。
とやかく言ったけれど、別に不快と言うことはない。
これも日常なのだから。
まぁ、それだけ実力の差を見せられれば毎度のことながら納得してしまうのである。
目が覚めれば、丁度お昼前だった。
太陽の位置でそれが分かる。
そして起きた場所はベンチの上……どうやら加奈が運んでくれたようだ。何だかんだ言
って嫌われてはいないらしい。
「さてと……」
起き上がろうとして、
「っ………」
出来なかった。
腹筋が何か悪い冗談じゃないかと思えるほど痛む。
そう言えば手酷くやられたもんだと、ここで思い出した………両手を突いて今度こそ立
ち上がった。
見回してみると、加奈の姿はない。
昼前だから家に帰ったのだろうか?
いや、母には昼は食べてくると言っておいた筈だし……。
「おおーーい、こっちこっち!」
ちょうど背後、しかも遠くから加奈の声が聞こえた。
公園を覆うフェンスの向こう辺りだ……と言うことは道路か。
身体を捻ってみれば、加奈は公園の裏にある道路。その脇にある駄菓子屋で悠々とチェ
リオを飲んでいた。
「奢らせる気だな」
俺は鋭い直感でそう感じ取ったのだった。
自分で払えと言いたい所だが、加奈のことだから財布など持ち合わせていないだろう。
「やれやれ……。分かった、すぐ行くから俺の分も取っといてくれー」
昼食は、その駄菓子屋のお好み焼きにした。
『タムラ屋』と言うのだけど、この店はお好み焼き屋とドッキングした駄菓子屋なので
ある。
この街ではわりとよく見かけるタイプの店だ。
普通のお好み焼き屋とは違い、一枚240円と言う素晴らしい安さがお子様に人気の秘
訣である。
もちろん、俺も昔っからお世話になっていたりする。
此処のお婆ちゃんは俺の顔を見ただけで偶に負けてくれるという良い人だからだ。
ご近所では、俺は『最近は見かけない若いのに健気に働いている子』となっているのが
原因らしい。
まぁ、間違ってはいないけど。
戦前の、兄弟の面倒を見ながら家の手伝いをしつつ学校に通っていたという、自分達の
姿を思い出すのだそうだ。
……思い出されるような境遇なのだろうか、俺は。
まけて貰えるのは嬉しいのだけど。
ともかくそんなお好み焼きをハムハムと食べながら寂れた商店街を歩く俺と加奈。
何とか歩ける程度には回復していた。
「ねーもうちょっと速く歩いてよ、だらしないなぁ兄貴は」
「誰のせいだ、誰の。イタタタ……」
商店街と言っても、商店よりシャッターの方が多いようなシャッター街なのだけど。
特に理由もなくそこを歩いていた。
商店街の横には巨大な神社があって、お祭りのときだけは賑やかになるような場所だ。
しかし。
普段だとオバちゃんをちらほらと見かけるだけの活気のない場所である。そんな所で商
売を続ける商売人だけは元気な場所なのだけど。
そこが何となく落ち着くのだ。
シャッターなんぞ無いかのように聞こえてくる楽しげな話し声に、商人の元気な声が響
く。
活気はないけど元気はある場所かもしれない。
「おー、加奈ちゃん! 今日は兄貴と一緒に買い物かい? だったらうちで何か買ってっ
てくれよ、おまけするからさ」
と言うわけで早速声をかけてくる八百屋の親父さん、とても定番な性格の人だ。
この商店街にはこんな雰囲気の人が多い。
「あ、ゴメンねおじさん。今日は野菜には用が無いからさ、また今度ね」
「それじゃあ加奈ちゃん、こっちのマグロを買ってかないか? たまには刺身を出してや
ると伯父さん喜ぶだろ?」
「それも残念だけど、伯父さんは出張で北海道まで行っちゃうから遠慮しとくね。あ、で
もマグロは好きだからまた今度来るかも」
「加奈ちゃん加奈ちゃんちょっと聞いてよ……」
商店街を歩いているだけでこの人気、人々が気さくなだけでなく加奈自信のせいらしい。
皆が加奈に声を書け、ついでに俺に声をかけていく中で俺は必死に我慢していた。
笑顔を貼り付けて必死に我慢していた。
「みんな騙されてるよっ!!!」
……っと、叫ぶことを。
このように、加奈は途轍もなく外面だけはよろしいのである。
まるで住民の心を掌中に掴むかのように。
さっきまで兄貴をボッコボコにしていた鬼は、商店街の人々と楽しく雑談に勤しむのだ
った。
おばさんたちのローカルな話題を上手くキャッチーボールして、おじさんたちにはかわ
いい所をアピールする。遠目で見てるとそんな風に見えた。
それは悪いことではない。
ギャップがあるだけで、きっと裏で何か考えていることなんて無いんだ。
きっと。
俺はそう信じて、雑談に混ざっていった……。
たったそれだけしかしていないのに、時間とは進んでいくものである。
とは言え結局商店街を抜けて街を一周してしまったのだけど。
こうしてみると案外知り合いが多いことに気付く。
小さい頃からテレビさえも見えないような環境で育ったのだから、遊ぶなら外しかない。
そのせいでご近所の人々と仲が良いのだろう。
さて、そんな訳で空はそろそろ赤くなろうかと言う頃合。
大分傾いた太陽には薄く薄く広い雲が掛かっている。
だから夕暮れは紅くなりそうだ。
長く伸びた影を踏みしめるように、帰り道の道路を踏みしめて歩く。
やたら俺の影ばかり踏もうとする加奈が無邪気で、子供らしいなーと思いつつも、そん
なに踏みたいのかよと危うさを覚えた。
まばらに人通りの有るいつもの歩道。
見知った人には挨拶をしながら歩いていく、通り過ぎていく家も電柱もここまで来ると
お馴染みだ。
そんな場所に桜の花弁が舞っている。
街路樹の桜は車が起こす風にでもさらされるのか、少し早めに散りきりそうだった。
「………兄貴、あれ」
そんな場所で唐突に、加奈が歩みを止めた。
「ん?」
その目線の先を追いかける。
いつもの道だ………だが、その先に何か見慣れないものが有る。
薄桃色に塗れているそれは、茶色かった。
茶色くて、地面は赤い。
「………猫、か」
言うまでもない。
轢かれたまま………死んでいた、死骸だった。
それが舞い落ちた桜の花弁に塗れて薄桃色になっている。
それが妙に生々しくて、そして痛々しい。鼻を突く強烈な腐敗臭も過激なほど伝わって
くる。
道行く人々はそこだけ無言になっていた。
怖いもの見たさのように好奇心で目だけを向けて………、そのままだ。
「自分にはどうにも出来ない」とでも言うかのように、そのまま歩いて行ってしまう。
動かない猫は見開いた瞳でその光景をジッと見つめていた。
「兄貴……」
もう一度呼ばれる。
さっきまでのテンションを忘れてしまったかのように、小さな声で。
されどそれは意志が小さくなったわけでも、気持ちが弱くなったわけでもないようだっ
た。
「アイツ、埋めてやろう」
それは同意を求める声。
自分はやると決めている。俺もそうだろうとは思っているけれど、もしかしたら嫌がる
かもしれないと思っているような声。
だから俺は頷いた。
「よっしゃ、やってやるか」
さも、当たり前のように。
事実それは当たり前だ、だけど出来ない人間は沢山居る。
家は狭くても心まで狭くは無い、そんな育て方をされたからだろうか。
加奈は近くのコンビニに走ってダンボールを分けて貰いに行き。
俺はサックから『貧乏人七つ道具』が一つ、……シャベルを取り出していた。
「ちゃーんと成仏してくれよ……」
猫の顔に掛かっていた花弁を取って、見開いた瞳を閉じてやった。
公園に埋めるのも難なので、結局家の前のまさしく猫の額のような庭に埋めてやること
になった。
公園だと子供の悪戯で掘り返される可能性が有るからだ。
何を隠そう、俺とて蝉の幼虫探しでそこらじゅう堀りまくった経験がある。
ダンボールに入れた猫。
滴り落ちる紅い雫。
轢かれてから半日くらいしか経っていなかったらしく、血液はまだ残っていた。
見つかれば近所の人は何かと思ったことだろうが、幸いにもアレから人には出会わなか
った。
家に到着し、早速庭に深めの穴を掘る。
「コイツ、名前は何て言うんだろ。墓標立てたいけど猫じゃちょっと寂しいね」
「どうだろなぁ……。首輪はしてないし汚れてたから野良、だとすれば名前は無いんじゃ
ないか?」
ご近所の間で名前が付けられていたかもしれないが、生憎とコイツの名前は聞いたこと
が無かった。
穴を掘るのを手伝いながら加奈は少し考えて……。
「ん、それじゃ………ユウ」
「ユウ?」
「夕暮れ時に見つけたから」
ポンポン、と完成した穴を叩いて、加奈は誇らしげに名前を提案した。
臭いを我慢しているだろうに、そんなもの無いかのように笑顔で。
死んでから名前をつけるという皮肉。
だけどそれでも名前をつける、付けられるというのは、嬉しいことなのだと思う。
「安直だけど、加奈にしてはいい名前だ。よって採用」
「ウチにしてはって何さ。ま、いいけど」
2人で頭と腰を持ち、ダンボールから猫を取り出す。
何ともいえない感覚が手を襲ったけど……、それは深く考えないことにしよう。
そのままゆっくりと、割れ物でも下ろすかのように穴の中に猫を埋めてやった。汚れた
手でシャベルを握るのもなんなので手で土をかぶせていく。
だんだんと埋まっていき、臭いももう薄くなっていく。
その中で猫は、心なしか嬉しそうだった………とは言わない。
猫は静かに横たわるだけだ。
けれど、空耳かもしれないけど。
どこか遠くの背後から、のんびりとした猫の鳴き声が聞こえた気がした。
夕暮れはもうすぐ終わる。
ユウも眠りに付く時間だろう。