正直に話そう。
 これから語る物語はハッキリ言って夢オチだ。
 現実では何も起こっていない、ファンタジーと名を打つことさえおこがましい想像の世界の話だ。
 どーせ目覚めたら消えてしまう話だ。
 けどな、考えても見てくれ?
 
 覚めない悪夢ほど、恐ろしいものはない――――



 その日は秋晴れの気持ちいい爽やかな水曜日だった。
 水曜日は珍しくバイトが早く終る日だ、そのせいかいつも俺が夕飯を作ることになっている。
 なぜか自腹で。
 なぜだろうねほんと。
 そんなわけで俺はお世話になっている商店街をバイトの作業着のままうろついていた。
 一応都会の端っこなので人で賑わっている。

「お、猛ちゃん今日もバイトかい? いつも偉いねぇ、さぁさぁおまけしてあげるから何か買ってっておくれ! 
このコロッケなんてできたてだよ!」

 みんな見慣れてるのでこうして声を掛けられたりもする、俺は貧乏なのに健気に働く学生としてちょっと名
が知れていた。

「あーじゃあメンチ……は高いからいつもジャガイモで、5つ頼むよ。あ、それとおからも」
「あいよ〜」

 コロッケを受け取り代金を払ってから、店を出て溜息一つ。
 皆さんの対応が暖かすぎて時々将来が心配になる。
 いつになったらコロッケを大人買い出切る日がくるのやら。
 いや大人買いしてもしょうがないけど。

「だ、大丈夫だっ! 仕事もこなせて家事もできる男はもてるって言うしっ! ハハハ俺ってば逆玉確定かな
っっ!」

 コロッケを片手にくじけそうになる自分を鼓舞する。

「おかーさーん、あのおにーちゃんなんで一人でしゃべってるの?」
「シッ! 見ちゃいけません!」

 ヒュルリと木枯らしが吹いた。
 ああ、そういえばもう秋も深いね。そろそろ冬服を出さないと……今年ぐらいまでは持つかな、あの服。
 今日も貧乏が身に染みる。

「ちょっといい?」

 そんな黄昏る俺の背中に元気のいい女性の声が掛かった。
 来たか! 俺の時代!

「ってなんだ八百屋のおばちゃんか……。何だよ態々店から出てきて」
「ま、いーからいーから! ちょっとこれ見てってよ!」

 コロッケを落とさないようにしつつ、おばちゃんに引き摺られるようにして八百屋へ連れ込まれた。
 相変わらず瑞々しい野菜や果物が所狭しと並んでいる。
 けど、一つ……気になるものが有った。

「……?」

 なにやら仰々しいダンボールだ、子供くらい楽に入れるんじゃないだろうか? ただ、目に痛いぐらい真っ
赤な塗装がしてあってやたらと目を引いた。
 オバチャンがにこにこしながらその蓋を開ける。 
 "桃"だった。
 スイカぐらいの大きさだ、事実スイカが入ってるのだとばかり思ってたら、それは桃だった。それもダンボ
ールを埋め尽くさんばかりに巨大な。
 でっけぇ。……オバケかぼちゃの親戚か何かだろうか? 人類のバイオ技術もここまで極まったのか。

「美味そうだな、大きさはともかく」

 おばちゃんはそのお尻みたいな桃をペシンと叩く。
 いい音がした。

「でしょ〜、いい桃なのよ! なんでも突然変異らしくてねぇ。これだけがドーンとなってたんだって。……
どう、猛ちゃん所で貰ってくれない?」
「なんだバイオじゃないのか……って、へ? 貰うって、タダでいいの?」
「いいのいいの! どーせこんなに大きいと逆に売れないんだから」
「そっか、それじゃあ貰っていこうかな。ありがとなおばちゃん!」

 お得意さんだからねぇ、と気前良くダンボールを渡してくれた。受け取ってみるとそれはずしりと重かった。
中身が詰まってていい感じだ。
 俺は嬉々としてお礼を言い、オバチャンはご贔屓にと返すのを忘れなかった。
 それを、自転車の荷台に乗っけて家に持ち帰る。
 今思えば、それがそもそもの間違いだった……。







 結果として、桃は途轍もなく美味かった。
 両親と弟、それと居候をしている従妹も大絶賛で、家族五人の胃袋をあまーくスイートに満たしてくれた
 それは良かったんだ、そこまでは良かったんだ。





 いつの間にか夜が訪れていた。
 
 寒さに身を震わせて布団の中に潜り込む。
 そして今日は久々にいい夢を見られるかなー、なんて思いながら。俺は掛け布団を引っ張り上げて包まると、
そのまま瞼を閉じた。
 すぐにウトウトしてくる。
 のび○君並に一瞬で熟睡できるのが密かな自慢だ。
 眠気が津波のように押し寄せてきて、その眠りの海に渦に引き込まれるようにして落ちていく。
 それに抵抗せず、ユラユラと落ちていく。
 硬い煎餅みたいなベッドも快適な睡眠の園に変え、安らかに寝息を立てていく。
 うん、今日もいい夢が見られそうだ……。
 俺は睡眠についてもう一つだけ特技があった。
 それは、夢の中で「これは夢だ」と気付くこと。
 そして意図的にその内容を変えられることだ。この前テレビで見たけど、それは明晰夢という言うらしい。
 夢の中でなら簡単に億万長者になれるし、空も飛べればかめは○波だって撃てる。好きに出来るのだ。
 だから、いつも夢を見ることだけは楽しみだった。
 暫くすると。
 ほら、夢に落ちる不思議な感覚。
 甘く、頭が熔けて、優しく包まれれるような……。
 冷たいものがビチャビチャと体にまとわりつくような、洗濯機の中に放り込まれたような、宇宙空間でムー
ンサルトに挑戦したような……。

「……って、あれ?」
 
 なんだこのリアルな浮遊感は?
 というか感覚がリアルすぎないか……?
 むしろ気持ち悪いぞ……!
 なぜっ!?
 


  どんぶらこっこ、どんぶらこっこ



 言葉にすれば、そんな感じだった。
 あまりの急激な変化に思わず目を覚ますと、……目を開いてもあたりは真っ暗だった。
 窓の明かりも何もない。
 おかしいと思って体を動かそうとしたら……動けなかった、何か狭い場所に押し込められているようだ。丁
度、生まれてくる前の赤ん坊のように膝を抱えている。
 いつの間に……!?
 あまりに突然な状況に俺は半分パニックに陥った。
 必死になって辺りをまさぐってみたら、なんかぬっちゃりと湿っている。それでいてあまーいにおいがする、
まるでフルーツのような臭いだ。
 なんかこう、丁度バケモノに丸呑みにされたらこんな感じかもしれない。これから唾液に溶かされていくみ
たいな……。
 なにこの始まる前から死亡フラグ!?
 
「なんじゃこりゃーーーー!!!!! ちょ、待てっ!! 出してくれぇぇぇぇぇ!!!!」

 思いっきり叫んでみたけど自分の耳が痛くなるだけで何も変わらない。
 いや、それどころか俺の入っている箱(?)がグルグルと回転して途轍もなく気持ち悪くなった、うえ……
どうやら水の上に浮いているらしい。
 棺桶に入れられて海にでも叩き落された夢を見てるのだろうか?
 それでも悪足掻きをしてグルグルと自己回転を続けていると、気持ち悪さが限界点を突破して段々と意識が
遠のいていった……。
 ああ、なにやってるんだ俺。
 ああ、どうなるんだ俺。

 


  どんぶらこっこ、どんぶらこっこ
 


 流されていく感覚、落ちていく感覚、まどろんでいく感覚。
 それらがあいまっての闇の中に解けていきそうな絶望感の最中。遠くから微かに声が聞こえたような気がし
た。


  ……オン、ウロタモゥ……オン、ウロタモゥ、……オン、ウロタモゥ……


 何かの呪いだろうか……。
 しかしそれに耳を傾けるような気力は、もはや残ってはいなかった。
 暫くもしないうちに俺の意識は闇の中に熔けていく。
 次に目覚めたときはベッドの上で起きられますようにと、微かな願いを託しながら……。
 夢の中で気絶した。


 ………。

 ……。

 …。



 目を開ける。するとあまりの眩しさに目がくらんだ。
 ああ、なんだ日が昇ってるじゃないか。早く着替えて学校に行かなきゃ……。
 と、目を覚ましたら。

「……って。ここ、どこ」

 そこは知らない場所でした。
 光に慣れると……見渡す限りに紅葉に染まった山々が見えた、いきなり山とは冗談きついぜ。その足元では
急ではないが幅の広い川が流れている。
 周りには切り株と積み上げられた丸太があり、そのわきに小さな小屋がある。
 まるで昔々のあるところのような殺風景。
 まだ夢の続きなんですか。そうですか。
 ……呆然とした。
 
「おお、お爺さんや。なんと言うことでしょう、桃から子供が生まれましたよ!」

 すると後ろから奇声に近い驚きの声があがった。
 振り返ってみると、自分をかなーり物珍しそうに見つめるお爺さんとお婆さんの姿があった。
 目が合った。

「オオ、スゴイノウ」
「赤ん坊じゃなくて若者が入ってましたねぇ。これはこれは……、好都合な」

 お爺さんはまるで機械のようにカクカクと頷き、お婆さんは死ノートのあの人みたいに計画通りな笑顔を浮
かばせていた。
 いや、あの。
 だれ……?

「クックック……どうやら私達の研究は成功したようですねぇ、お爺さん」
「オオ、スゴイノウ」
「ははぁ、若くて元気そうだ。冥府の番人も気を利かせてくれたのかねぇ、長い付き合いだから。そうだ、こ
の子は桃太郎とでも名付けましょうか」
「オオ、ソウシヨウ」
「これでついに計画が実行に移せますねぇ。見ておれよ鬼どもめ……めにもの見せてくれようぞ」
「オオ、コロセコロセ」
「嫌ですよお爺さん、そんな物騒なこと。ホッホッホ」

 怪しさ満点だった。
 というかお爺さん大丈夫か? そしてお婆さんはどこの敵キャラだ?
 わ、わけが分からん……。
 けど、なにやら俺がとんでもない状況に置かれていることだけは、なんとなく分かった。
 二人とも演技ではなさそうだからだ。
 演技ではないとしたら、これが現実?
 と、言うことはこの黒魔術師みたいな格好をしたお婆さんも、機会みたいなお爺さんも、本物……?
 え? ……えっ!?

「ちょ、ちょっとまて! ここはどこ! あんたたち、何っ!?」
「ほう? ここはとある山村、あたしらは極平凡な老夫婦、そしてあんたは桃から生まれた桃太郎だ。それだ
けさ? そんなことも分からないのかぇ坊や」

 戦車を指差してあれは無害な自転車だと言ってるようなもんだった。
 というか、桃太郎? 俺が?

「突っ込みどころありすぎだろっ!? というかさっき冥府の番人とかいってたのに平凡!?」
「ホッホッホ、そんな細かいことを気にしていたら鬼退治なんてできませんよ」
「普通気にするって!? ……って、鬼退治?」

 鬼退治って、あの鬼退治?

「そう、鬼退治ですよ。恐ろしい鬼を桃太郎が倒すのじゃ」
「な、なんで俺がそんなことを……」
「桃から生まれたからですよ」
「それ理由になってね――」

 条件反射で断ろうとしたその時だ、手首に激痛が走った。
「うぐあっ!?」
 万力のような力でギリギリと捻り潰されようとして……い、痛……っ、なんだ、これ。押しても引いても蹴
っ飛ばしてもビクともしない。

「な、なんだ……よ!?」
「………」

 見れば、お爺さんの手だった。
 焦点が定まっていないフランケンシュタインみたいな目で、俺の腕をギリギリとただ軽く握っている。それ
だけで俺の手首が砕かれそうだ。
 か、怪物だ……。何だこの老人は?
 泣きそうになりながらも何とか逃げ出そうともがいた、よく分からないが鬼退治なんてさせられてたまる
か!
 喉元に冷たい感覚がヒタリ。
 抵抗をやめる俺。何か、喉に、金属のようなものが……。

「この村は鬼に略奪を受けて困っているんじゃ。手伝ってくれるかぇ、桃太郎?」
「オオ、コマッタノウ」
「………」

 優しい笑みを浮かべるお婆さんに向かって、俺は一度だけこくりと頷いた。
 笑みと共に突きつけられた危険極まりないブツを見つめながら。
 その持ち主たるお婆さんはニタァ…と、心から嬉しそうなな笑顔を浮かべた。
 それは、反則です。
 ああ、夢なら早く醒めてくれ。

「ぅぅ、なんなんだよマジで……」

 どの道、逃げ場も無さそうだった。
 だから俺はこのよく分からない世界を知ろうと、その生活を受け入れた。
 これは夢なんだ。
 だから、一度ぐらい桃太郎をやってもいいかもしれない。
 そう、強引に自分を説得した。



 それから一週間ぐらい色々あったけど、結局夢からは覚めなかった。夢の中で寝れば現実に戻れる……とい
うことはないらしい。
 色々あったってのはうん、色々だ。
 おじいさんが山に篭って3匹ばかり(何も持たずに)仕留めてきた熊の革を剥ぐのを手伝ったり。
 怪しいコスプレをしながら嗅ぐだけで死にそうな液体を煮詰めているお婆さんの黒魔術の助手をしたり。
 筋トレしたり、剣術叩き込まれたり、怪しい薬を飲まされたり、何故かお勉強をさせられたり。
 本当に色々あった。
 その中で、本気でこの人たちは俺を桃太郎として期待していることを知った。
 これ、ほんとに夢なのだろうか? 夢だったとしたら俺の脳みそのバカヤロウ。
 ほんとに俺、帰れるのだろうか……。
 段々と諦めが心に染み込んで来た頃、その日はやってきた。
 早朝の水汲みが終わり、小屋に帰ってくると。珍しくおばあさんが朝食を用意して待っていた。
 その席で何気ない話題のようにそれは切り出された。

「そろそろええ頃じゃろぅ。桃太郎や、鬼退治に行っておいで」

 まるでお買い物でも頼むかのような軽い口調。だが最大限ビクッと、背筋が伸びだ。
 分かっていたさ。
 そもそもこのために俺を呼び出したんだ(どんな邪術を使ったか知らないが)、いつまでも放って置くわけ
がない。
 味噌汁を飲み込んで口を開く。 

「……行かなきゃダメ?」

 恐る恐る聞く俺に、お婆さんはとてもにこやかな笑顔でお答えになられた。

「行きたく、ないのかい?」
「是非行かせて下さい。この桃太郎、粉骨砕身の覚悟で挑んでまいります!」

 笑いながら、懐に手を入れないで下さい。あと「チャキ…」って金属音鳴らさないで下さい。時代考証無視
ですか?
 必死にカクカクと獅子脅しのように首を振る俺を見ると、お婆さんは懐から手を出した。
 ヒィッ、と身構える俺だったが(なんどあのパターンからシバかれたか…)その手には意外なものが握られ
ていた。

「いい答えだ。それじゃあ桃太郎や、これをもってお行き」

 お婆さんが懐から取り出したのは小さな白い巾着袋だった。底の辺りがポコポコと丸く膨らんでいる。
 あれは噂に聞く桃太郎唯一の便利アイテム。
 出しただけでふあんと甘い匂いが漂ってくる、あれだった。

「あっ、黍団子だなお婆さんっ! うわっ、美味そう! 一個いただきま……」
「食べてはならんっ!!」
「あぅっ!?」

 俺の手をピシャリと鋭い鞭が打った。
 受け取ろうとした手から巾着袋が落ち、凄まじい痛みが手首からジンジンと伝わってくる……!
 どこから出したんだ。痛ぅ……。

「な、何するんだよ……! 一個ぐらいいいじゃん?」
「いいのかい? それを一欠けらでも食べればたちまち黍団子無しでは生きていけない体となるよ。安易に袋
を開けてもいけないよ、臭いも"来る"からねぇ」

 ……。
 …………。
 ………………。

「………は、はは」
 
 笑うしかなかった。
 何作ってんだよこの婆さん。

「まさか」

 そこで、お爺さんの方を振り向いた。
 おじいさんは空ろな目で瞬きもせず、朝飯にすら手をつけず、ただジッとその巾着袋を見つめている……。
 物凄く物ほしそうな表情だ。ハァハァと息も荒い。
 お婆さんに視線を移してみると、やっぱり、ニタァ…と笑みを浮かべた。

「甘い言葉で犬と猿と雉をたぶらかしてそれを食べさせておやり。命を張って戦う優秀なお供になるからねぇ、
ククク……」

 絶対袋を開けるまいと心に誓った。
 と、そこに追い立てて鬼のような叫びが飛んだ。ついでに鞭も。

「さぁ、さっさとお行き! そして鬼ヶ島の財宝を根こそぎ奪い取って来なさい、桃太郎やっ!」
「ひぃぃぃっ、いいいいい行ってきまぁぁすっ!!」

 やばいっ、やばすぎる! お婆さん顔がマジですよっ!?
 俺は大あわてで荷物を担ぎ、鞭から逃れるようにして戸口に走り、いっそそのまま本当に遠くに逃げてしま
おうかと考えながら戸を―――。

「ああそうだ、桃太郎や。これだけはよーく覚えてお行き」
「……な、なんでしょう?」

 戸口に手をかけながら、ぴたっと動きを止め。
 恐る、恐る、振り向いてみると……。

「逃げようなんて馬鹿な考えは……するんじゃありませんよ?」
 
 にこやかな笑顔。
 そんなことをしたら命はありませんよ、と、無言でそう仰ってた。
 カクカクと頷いて俺は猛ダッシュで出て行く。目から流れてるのはきっと汗だろう。

「いってらっしゃい、桃太郎や。しくじるんじゃありませんよ」
「オオ、スゴイノウ」

 こうして、お婆さんの陰謀は始まりを迎えたのだった。
 ああ、俺の楽しい明晰夢はいずこに。