リアルではない。 他ならぬ私の身体が、現実ではなかった。 目の前の私は偽者………ではない。 『似せ物』、だ。 等しく私と同じ心を持ち、全く違う体を持った『似せ物』。 一人称視点。 ホームに有る鏡を通して『自分』を見る。 目の前には左右が逆になった『私』……の『似せ物』がいる。 デザインには自信が有った。 黒く染めた革を金具で補強した鎧、それは浅草寺に使う甲冑とは対照的に冒険を行う時に 用いる略式鎧である。鎧の表面には白のペイントで土の紋を刻んだ。 それは肩口、間接、胸部、頸部、を部分的に守る作りをしていて、それに付随した鉄靴と 篭手もはめている。 その上から腰から足を半分覆い隠すように薄い薄茶色の外套を腰に巻き、盾を反対側の肩 に固定するようにして着けている。 そんな自分の『似せ物』、トリスと言う女剣士の姿はそんな感じ。 外見的にはリアルとは全然似ていない。 私より2周りくらい年上でキャラの年齢は20歳に設定した、深い真紅の長髪が鮮やかで 格好いい。 とても、気に入っていた。 『なりたい自分になれる』それがこのゲームの1つの売りだけど、なりたい自分を創る能 力に長けていた私は少し得をしているのかもしれない。 だけど。 それが綺麗ならば綺麗なほど、自分とは似てないほどそれは……。 絶対に自分が成ることが出来ない他人だった。                            ――― .hack//不滅の契り ― ―― 「―――意識不明っ? え………か、香住先輩が!?」  眼球と言う器官が飛び出すように出来ていれば、そうなったかもしれない。  『意識不明』  なんて単語は大体中年以上の人間か日頃から不健康そうな人、それと見るからに不幸そ うな人間にしか適応されない言葉なんだと思っていた。  行き成り言われても信じたくない、だけど現実は否応なしに嘘ではないと理解を訴えて いた。  嘘と言うのはつくタイミングがある、目の前の保険医は嘘をつく人間ではない。  結論なんて最初から一つ。   だけど―― 「原因は分かってない、体には何処にも以上は無いと病院側は言ってるの」  この言葉が、不安でしょうがなかった。  まるで二度と帰ってこないような不吉な予感がした。  現代の医学で原因が分からないなんて、軽い症状あるはずがないから。 「けど、ゲームをしている途中で倒れたみたいだからそれほど待たずに退院できるはずよ」  取り繕うような保険医の言葉も聞かず、私は暗くなっていた廊下を逃げるように走って いた。  咎める人間は居ない時刻。  タッタッと走る、    逃げる、    泣く。    無限回廊と言う言葉が有る。  何処までも暗く薄暗い廊下は誰もいない、どれだけ走っても終わりが見えてこないよう な気がした。  それは私の心情風景そのままだったから。  そう、土砂降りの雨が降っていた。  香住智成。  彼は私の所属するG研――『ゲーム研究会』の先輩に当る。  所属すると言うか、所属してしまったと言うか、同じ中学の出身だったのが運の尽きだ ったのかもしれない。  香住先輩は気さくで明るい人柄で人脈も広くて、私の兄の部屋にもよく遊びに来ていた。 深い関係ではなかったけどあの人は誰の家にでも遊びに出かけるタイプなのだ。  だから私の顔も名前も確り覚えていた。  ……兄が同じ学校に上がったのを話したのだと思う、特にどの部活にも入る予定が無い 事も。  帰宅部を決め込もうとしていた私は格好のターゲットだったわけだ。     ……途中は端折って。    熱心に勧誘された挙句、結局私はこの部活に入部したのだった。  先輩曰く、「華が無いんだよ、ここには。だから君が必要なんだ」とのこと。  華が無いのはそれなりの理由が有るのだけど、それを出す前にとどめの一撃をやられて しまった。  『ゲーム以外にもパソコンを使用してもいい』ことを条件に出されたのだ。  ……家の10年は型の古いパソコンと見比べると、つい首を縦に振ってしまった。  私は3Dデザインやウェブデザインに興味が有ったから。  基本的に顧問は来ないし部員も少ないからパソコンは自由に使える。  先輩達が何度も改造しているからスペックも凄く高い、それに先輩達に色々教えてもら えるのは有意義だし楽しかった。  今思うと香住先輩の明るい人柄があったから、と言うのが大きかったのだと思う。  The Worldを勧められたのは入部して少し経ったとき。  牧野と言う先輩に『香住もやってるし、一緒にやらないか』と誘われた。  最初は断ったけど、やっぱり強い勧誘で―――押しに弱いのだろうか、私って。  だけど楽しかった。  パソコンは使うけどゲームには興味が無かった私も、思いっきり虜になった。  気の知れた仲間がいたから、と言うのが大きな原因だったのは言う間でも無い。  香住先輩にアルケイクさんのことを話して「俺も知的になろうかな?」とか言われた時 は、悪いけど心から笑ったりもした。  皆で一匹のプチグソを育てた事もある。  こんなゲームもあるんだと、密かに感動していたのに。    ―――――それが、こんな事を引き起こすなんて。  香住先輩は、1週間経った今も目を覚ましていない。  体には何処にも異常が無いのに全く目を覚ます気配が無い、普通ならとっくに起きてい るはずなのに。  その時一緒に居たと言う水無瀬と言う先輩に話を聞いてみたけど殆ど原因は分からなか った。  違う、原因は分かっている。  The Worldだ。  ここで何かが起きたということはハッキリしている。  起こす方法が、分からないだけで……。  何が起きたかなんて分からなくてもいい。  先輩を起こす方法だけ、知りたかった。  例え何を失っても。  ……先輩の使っていたコントローラーを強く握り締める。  先輩の使っていたFMDを調べる、以前私が冗談で貼ったウサギのシールがまだついてい た。  先輩の使っていたデータを開く。……何もおかしな物は無い。  警察の人も調べたのだ、手がかりは見つかるはずも無かった。  部室はいつものように暗く、ゴチャゴチャした機械類が光を遮るようにひしめいている。  その半分は私にも用途が分からない代物で、その中の半分はガラクタだった。  私は自分がそのガラクタの一つになったかのような虚脱感に襲われていた。  心の拠り所が誰であったのか、今さらになって気付いたのだから。  ―――自分に割り当てられたパソコンを起動する。  いつもの場所に出る、赤く映えた空の美しい女神の息子。  誰もが世界に感動する町。  ここはいつものように賑やかで、いつものように私を受止めてくれた。いつもと違うの は私だけだ。  そう、こんな時だからこそ思い出が走馬灯のように流れた。  マク・アヌの懐かしいリズムは人間を感傷に浸りたくさせるのかもしれない。  あるいはここの夕焼け空がそれだけで懐かしいものなのかもしれない。  あるいはこの橋の上流から思い出が流れてくるのだろうか……。  私は橋の手摺にもたれるようにして川の流れを眺めている。  夕日を浴びて赤い光を煌かせる川面はとても綺麗だ、そこに何かを癒してくれるような 優しさを見出したから、私はこうしているのだろう。 ―――1つボートが過ぎる。  始めたばかりの時は何度もふらふらとモンスターに突っ込んでいってやられてたっけ。  それで、いつも先輩達に助けられてた。  結局助けられてたのは強くなっても変わらなかったな。 ―――次のボートが過ぎる。  そう言えば先輩が「バニーちゃんをやってみないか?」とか言いながら半分本気で頭の 装備をトレードに出してきた事があったっけ。  あの時は本気でぶっ飛ばしたなぁ……。 ―――3つ目のボートが過ぎる。  最後に先輩とプレイしたのはいつだっけ……。  つい1週間ぐらい前のはずなのに、何年も昔のような気がする。だけどその時の記憶は 鮮明に思い出せるのは何故だろう。  いつものようにちょっとしたイベントをクリアして、いつものように先に帰宅する私が 落ちる時。  あの時、別れ際の先輩は凄く楽しそうだった。 「それじゃあ先輩、また遊んで下さいね」 「おう、こっちはそれが本業だしね。  ……ああ、そうだ、トリス。今度仲間が増えるからさ、そいつと一緒にレベル上げ付き 合ってくれないか」   「もちろん! それじゃあ、また……」 「お前50分発に乗るんだろ? 走らないと間に合わないぞ、ハハハ」    あの時の約束はまだ果たしていない。  水無瀬さんとも約束した、『助けるまでは、全力を尽くす』って。  一つの約束が果たされて、一つの約束が戻ってくる時。  私はやっと私に戻れるのかもしれない。  懐かしい時の私に……。  そんなことを考えていると、不意にポンと背中をたたくように、唐突に歌声が聞えてき た。  誰の声かは、その優美な歌声を聴けばすぐに分かる。  だけど私は不覚にも歌声を聞いていたくて振り向くのを躊躇ってしまった、それはとて も優しい声だったから。  思い出よりも優しい声だった……。 ――――――…… 夕暮れ時は母の声が蘇る 優しく私を抱いてくれた 暖かな声、暖かな笑顔 ぼんやりしてると忘れてしまうような 何よりも大事なこと 命の意味を語る声 表す笑顔 今一度会いたい 故郷の母よ、天の母よ     ……―――――――  歌が終わって、私はやっと振り返った。   「アルケイク……さん?」  こんな請ったことをするのはあの人くらいなものなのだけど、いつもの癖で疑ってかか ってしまった。  彼はとても忙しい人で中々会うことが出来ないから。  しかもログインしている時間が平日の午前中がほとんどだと言うから尚更会うのは難し かったし。  だけど、今みたいに何故か会いたいときには姿を現してくれる。  悩んでいるといつの間にか全部見透かしているかのようなタイミングで彼からメールが 届いたりもする、本当に不思議な詩人。  私が一番頼りにしている人だった。 「アルクで構わないよ。君がもしも、少しでも私を信用してくれているのならね。形式張 るのは苦手だ、それに、一介の詩人如きに気を配るのも変ではないかな?」  白いローブにリュートをもつ姿が夕日をバックにとても映えていた、本当、物語の中か ら抜け出してきたみたいに絵になる。  この人のことだから夕日の角度ぐらい計算して立っているはずだ。  それくらいアルケイクさんと言う人は美への造詣と拘りが深い。きっと優しさが伝わる 光の角度がどのくらいかなのかも良く知っている。  だからこんなにも、私はこの人の笑顔に救われているんだ。    ……それにしても、私がとっても尊敬してる事を知ってて今の台詞を言ってるんだろう なー。  しかもこのタイミングの意味もちゃんと理解しているに違いない。  ほんのちょっと腹が立つような、物凄く嬉しいような……。  だけど私だってガードは甘くないのだ。 「じゃあ、アルクさんで。『さん』は譲れませんよ」 「ふむ、いずれ譲っていただけるよう努力しよう」  ……でもアルクさんの方が3枚ぐらい上手だった。  問答無用で頭を撫でながらそんなことを言うのだ、口先だけの抵抗なんてすぐに溶かさ れてしまう。  勝てないなぁ。  そもそもスペックが違うのだ、人生経験が違うのだ、口の上手さが違うのだ。  難だって負けているんだ凄いんだと、そう思った瞬間。  色々と吹っ切れてしまった。  私はキャラのロールも忘れて……  その胸に、飛び込んでいた。  永久に鐘のならない教会。  永遠に明日の来ない聖域。  不滅の神を否定した監獄。  静かな椅子の羅列の中央ぐらいに、私たちは座っている。 「摩訶不思議なことに実際相見えてみると、己の卑小さを今一度知らしめられる。すまな いね、医学も情報学も私の得意とする所ではないのだよ」  彼はすまなそうにそう言うと、もう一度深く考え込む動作をしてくれた。  分からないことは調べればいいと古いニュースのデータを調べてくれているのだ、それ だけでも何も出来ないでいた私に取って大きな助言だった。  今は私も手伝っている。  私は全部とは言わないけど、殆どの事情をアルクさんに打ち明けていた。  最初はそんなありえない話を信じてもらえないかとも思ったけど、心配した私が馬鹿だ った。  「信じられないかもしれませんけど」と前置きしたのが失礼なくらいアルクさんは真剣 に対応してくれたのだ。  こうしてマク・アヌから一旦離れて、誰もいないエリアである【隠されし 禁断の 聖 域】に来たのはアルクさんの助言だ。  誰にも聞かれないところで、ウィスパーを使えば問題ないけど少なくても誰も聞いてな いように見えるところの方が落ち着いて話せる。  それでも話す時はウィスパーモードで。  大事な事を話す時は囁き。  ………さっき公開チャットで抱きついてから、それを教訓にしました。    ゲーム中に人が倒れる。  調べてみると案外記事に上がっている回数は多かった。  どれもゲーム中毒になって体調を崩した例が殆どだけど、中には『急に倒れた』例も有 る。  少し古いウィルスの一種で、画面を強烈にフラッシュさせて意識を奪うと言うものだ。  昔アニメを見ていてその中に出てくる光のせいで体調を崩したという事件があったけど、 それの延長線上にあるらしい。  今回の事件にも、似ている。  だけどその時の被害者は例外なく1日以内で目を覚ましている、死亡や重態に陥ってい るのは慢性的なゲーム中毒者だけだ。  香住先輩は1週間経った今も起きていない。  それに、部活には熱心だけど、スポーツ万能で人付き合いも良い先輩は健康を損なうほ ど不健康な生活を送ってもいなかった。    手掛かりは殆ど得られなかったと言ってもいい。  行き成り答えが出るわけが無いと分かっていても……。 「……先輩と、約束したんです。今度一緒にレベル上げしよう、って。  でも、もう、もしもこのまま起きな―――」 「――色男は、淑女との約束だけは絶対に破らないもの。私の知る限りジーク君は間違い なく色男だと思うのだが。  君はどう思うかな?」  言葉が、詰まった。  だから、素直に一つ頷いた。  あれで先輩はとてもモテる、人気が有る、と言った方がいいかもしれない。 「彼はレム睡眠とノンレム睡眠とを繰り返していたのだったね。となると、少なくとも夢 の中だけでも意識は有ると言うこととなる。  意識が有るのならば戦う事も可能。戦えば勝つことも出来る。  故に、今はその可能性を信じていよう」  アルクさんは鎖で縛られた女神に向かって祈る。  助けを請うのではなく、まるで何かを誓うかのように。 「私たちに出来る事を尽くして」  果たしはもう一度、深く頷いた。  そして彼の隣に並んで。  戦いの無事を祈り、祈りを捧げたのだった―――。 ――――――――――――――――――――――――――――――― 書き出しは又もや20:00です、1時間オーバーですね。(汗 集中力の続かない自分が憎い。 修行有るのみです。 さて、今回やっと.hackの題名を関している理由が明かされました。 そのまんまリミナリティのサイドストーリーなのであのタイトルだったのです。 ……G研の設定有ってるのかなぁ? とか。 香住智成の性格ってどんなだっけ? とか。 心配事は多々ありますが、ともかくお届けします。 ご指導のほど頂ければ恐縮です。