彼は詩人だった。  そう、絵に描いたような吟遊詩人。  片手にリュートを持っていて、その手には銀のリングが幾つか光っている。  赤の外套を腰辺りに巻いていて、それを覆い隠すように白いローブを纏ってる。  背は高くも無く低くも無く、髪も耳に掛るくらいで長いとも短いともいえない茶色み掛 った金髪。    第一印象は。ゲームに出てくるような派手さが無いなってこと。  どっちかと言うとリアル、本当の中世の伝説に出てきそうな感じ。  素人が単純に格好良くしようとしたんじゃなくて、相当こだわって史実に基づいてデザ インされていた。  極め付けに歌ってる時の歌声も素人のそれじゃない。完璧凄い上手い。  彼はマク・アヌ酒場の前で歌っていた。吟遊詩人といえば、酒場に居るのが定番だから。  そういうのは、好きだ。  だってゲームっぽさが薄れる、本当にそれだけでそこに【世界】が在るような感じがす るから。  雰囲気を出すとはこういうことを言う。  正直に言うと初心者のデザインにはうんざりしていたと言うのもあるから、たまにこう いう人を見かけると嬉しくなる。  そう、細かくキャラクターデザインを決められるってことは、逆に言えば美観を損ねる 可能性を大いに含めている。  たまに痛いぐらいトンチンカンなデザインのキャラクターを見かけると頭が痛くなりそ うだった。  私はそういうところに拘る人間だから。  でも、逆に、今回みたいに新たな可能性も秘めている――……。                         ―――― .hack//予言の詩 ――――  吟遊詩人の声は朗々と響いている。  確かに音量は大きいけど、この声なら誰だって迷惑には感じないだろう。  大量の豆が掻き混ぜられるような人込みの端っこで、彼は何人もの人間をその歌声で振 り向かせていた。 夕暮竜を求めて旅立ちし影持つ者、未だ帰らず ダックの竈(かまど)鳴動し 闇(ダック)の女王ヘルバ、ついに挙兵す 光(リョース)の王アペイロン、呼応して 両者、虹のたもとにまみゆ 共に戦うは忌まわしき“波” アルバの湖煮え立ち リョースの大樹、倒る すべての力、アルケ・ケルンの神殿に滴となり 影を持たざるものの世、虚無に帰す 夕暮竜を求めて旅立ちし影持つ者、永久に帰らず  ………黄昏の碑文、と呼ばれている。    私も詳しいことは知らない、知ってる人は多分日本には居ないと思う。けれどThe World をやっている人間なら誰だって噂に聞いたことがある筈だ。  有名だけど誰も知らない叙事詩、原文はドイツ語で作者もドイツ人なんだっけ。そして それが公開されてたのはネットだけで、今ではそのサイトは跡形も無いとか。  まぁそんなことはともかく、あの詩人の彼は日本語訳の詩の断片を知っているらしい。  ここまでくるとかなリのヘビープレイヤー、相当やりこんでると見た。  存在は知っていてもここまで長い分を知っている人は少ないらだ。  でも……やっぱり凄い。  ただでさえ名作、歌い手がいるとそれがもっと何倍にもなって伝わってくる。  やっぱりテキストで見るのと、上手い人が発声するのとじゃ全然違うなー。      漠然とそんなことを思っていると、いつの間にか私も観客の一人になっていたらしい。  それも至極熱心な。  彼がコロリコロリと取り留めなく歌を変えたり詩を吟じたりしている中で大抵の人は立 ち止まってもすぐに先を急いでしまう。  そう、それが正しい付き合い方なのだろう。  けれでも私は何故か動けなかった、足に楔でも打たれたかのようにその場に固まってず っと彼の歌声を聞き入っていた。  はー、歌の魅力にここまで惹かれたのはsee-saw以来かもしれない。      高くも無く低くも無い不思議な男性らしい声。  耳に響くように聞き取りやすい、しかも発音の一つ一つも分かりやすいとかほんと修行 しましたって声だ。  何となく英雄譚が似合いそうな荘厳な感じがする。……いや実際歌ってたけど。  ポロンポロンと流れるリュートの透き通るような音色もよく似合っていた。  流石にPCはジッとしているだけだったけど、あれもリアルで弾いているんだろうな。  プロの演奏家か何かなのだろうか?  考えてみれば一人で練習するよりこうやって人に聞いてもらう方が何倍も練習になるだ ろうし、案外的を射ているかもしれない。  けどそんなことを尋ねるのも無粋だし、永遠の謎と言うのもなんだか詩人に似合ってい る。      ふとすれば眠ってしまいそうな、ゆったりとした時間が流れた。  何故かよく覚えてはいない、だけど心地よい時間だった事だけはしっかりと覚えてる。  彼はそれほど激しい歌は歌わなかったからかもしれない、聞いているとゆっくりと心に 溶かすように歌うのが得意なのだと分かった。  うん、あれで何でも歌えたら流石に反則だよね。  とか何とか、結局どれくらい時間が経ってしまっただろうか。  いや『しまった』は正しくない、私はガラにも無くボー…ッと聞いていることに満足し ていたのだから。    学校の音楽の授業もこれくらい楽しければ万々歳なのだけどなぁ。  だが残念ながら隣の席に竹下が座っている限りその夢が果たされる事は無いだろう。  彼が居る限り安息の音楽は訪れない、……口惜しや。  ………竹下を思い出したら一気に目が覚めた。  ありがとう竹下、夢見心地から抜け出させてくれて。      でも明日辺り決闘を挑むかもしれないから気をつけて。            竹下のせいじゃ無いだろうけど、いつの間にか詩人の彼は歌声を止めていた。  パサリ、と白いローブをはためかせてリュートを背中に背負う。  何気ない慣れた動作、そんな瞬きするような一瞬。  私の目が腐ってたのかもしれないけど、私の妄想が入り混じったせいかもしれないけど、 ほんの一瞬あの灰色の瞳が私に目配せをした気がした。    ――ドキリ、とした。    不意打ちでフリッカージャブ脇腹に打ち込まれたような衝撃だった。いや、『サンタさん は居ない』と母親に思いっきり言い渡された時の幼少の記憶並みの衝撃だったかも。  ……このくらい混乱するには十分な衝撃だったわけで。    そして彼は何も言わず【カフェ・デルタ】と言う酒場の扉を潜ってしまうのだった。     「………どうしよう?」      時間を見てみると、5時。  優に2時間ぐらいあの詩人の歌に付き合っていたことになる。因みに今日は土曜日だか らまだまだ時間には余裕が有った。  いまさら、彼の為にもう少し時間を割いたって変わらないだろう。  誰と約束があるわけでも無いし、イベントがあるわけでも無いし、最強を目指してレベ ル上げに明け暮れているわけでも無い。  でも、でも、でも、少し。いやかなりいまさら声を掛けるのは緊張するわけでっ。  パーティに誘うのとは違うから慣れてないわけでっ。      女は度胸。    不意に私はかのドーラ様が言い放った名言を思い出した。  まるで天から授かった声のように思い出した。  つまり。      結局、私は初めてサインを貰うために突撃するファンのような心境で【カフェ・デルタ】 の看板を潜るのだった。  ああ、あんな小娘に成り下がるまいと思ってたのに。        因みに。酒場といってもどっかのファンタジー小説のように人相悪い親父さんがいて、 傭兵風味のガラの悪そうなムキムキ男達が巨大なビールジョッキかち合わせてワイワイや っているような店ではない。  どっちかと言うと現代の喫茶店に近い。  窓を多く取った明るい店内にスッキリとした四角いテーブルとふかふかの椅子が特徴的 で、何故か大きな掲示板が店の目立つ壁に設置されている。  あの掲示板は文字通り【掲示板】でいろんな人が情報を書き込んだり返信したりできる、 cc社からのお知らせやそれに対するユーザーの補足説明とかもあったりしてこの酒場を ただの飾りにはさせないことに役立っていた。  ここは実際にRPGで言う【酒場】としての機能を持っているのだ。    もちろん私も来るのは初めてではないんだけど、何故か初めてのときのようにドキドキ していた。  知らないものがそこに待っていると思うと、人間ドキドキするのだろう。    あの白い姿を探してみる……。    店内は意外に広い。  たぶん外見よりも中身は広くなっている。    最初になんて声を掛ければいいだろうか。  やっぱりこんにちわ? でもなぁ。    人の入りはいつものように多い、けれど全く席が空いてないわけでもない。  あの大きなリュートは目立つからすぐに見つけられるはず。    歌の秘密を聞いてみたいような、でも黙っていて欲しいような。  やっぱりファンタジー小説とか好きなのかな? だったら話題は持ちそうだけど。      思考と行動がバラバラと纏まらないまま店内をウロウロする。  馴染みの客でもないから見知った客は居ないみたいだ、見知っているNPCならいつも のように働いてるけど。  フローリングの床をカツカツと鉄靴を鳴らして歩く、いつもよりゆっくりと………。      いた、      リュートを自分の椅子に立てかけて、NPCになにやら注文している。  この酒場では雰囲気を出すために注文すると飲み物とかを出してくれるのだ。もちろん、 注文が届いても飲んでるような食べてるようなアクションを起こすだけで味なんてしない けど。  雰囲気と言うのは大事なのだ、ただでさえ雰囲気が有る人がやるならもっと大事。  ああ〜、どうしよう。  なんて声を掛けようか、いざとなると声が出ないのは私の悪い癖だ。  音楽界とかでも散々痛い目に遭ってきた、……だけど迷っているうちに足ばかり気が急 いているみたいに彼の方に歩み寄っていたのだった。  私よ、正直だね。    だからと言ってわたわたするのはみっともないと分かってはいるのだけど。  悪い癖というのは中々治らないもので。  ああ、痛いな私。     「もし……?」    もし。    もし、かめよ、かめさんよ?    違うよね。うん、確か話しかけるときに使う言葉だったかな。  何とも古風な、ロール好きなんだろうな。  ん? と言う事は私が、話しかけられているわけで……?   「は、はい!」    ビックリして元気よく返事をしてしまうのだった。  引っ込み思案なのを治す為にThe worldを始めていたというのに、これじゃあ 全然成果が見られない。むしろ悪化してる。  私は何とか取り繕うように、と言うか失敗を隠すように、頭を下げる。  長い髪がフワリと掛る視線の中で、少しだけ詩人の灰色の瞳が細められた気がした。 「先ほどはご静聴ありがとう。それと、そんなに畏まらなくても良いよ。私は偉人でもな んでもないからね、平等なのがこのゲームの良い所だ」 「あ、はい、すみません……」  詩人の彼は私が言葉を続けられずに立っているのを知ると、小さく笑って隣の椅子を引 いてくれた。 「まぁ、良かったら座って感想を聞かせてくれないかな? 私だけ座って話すというのも 気が引ける」 「ありがとう、ございます」  言いながら、きっとリアルだったらギクシャクした動きだったのだろうけど、幸いにも PCは上手く椅子に座ってくれた。  それにしても私の言語能力は幼稚園児並まで退化してしまったのだろうか?  さっきから平凡を通り越してカタコトと受け答えしているだけだった。  せっかく話が出来そうなんだからもっとちゃんと喋らないと。  私は気合を入れて感想を頭の中で纏め上げ……。それだけは得意だった。  それにしてもこの人普通に喋ってても声綺麗だなぁ、それに言葉も。  きっと頭も良く回る人なのだろう。  「えっと、さっきの歌、とても良かったです。声がそのまま心に響くというか、凄く聞き やすい発音で………」  たぶん、こういった言葉を素直に言えるのがネットの良さなのだと思う。  相手の素性が分からないからお世辞抜きの言葉がいえる。  そして相手もお世辞抜きに返してくれる。  もしもこれがリアルで、相手が偉大な音楽家だったり、私が総理大臣とかだったりした らこんな会話は出来ないのだから。  だから、とても良いことなのだと思う。  ネットと言うのは自分の作品の展示に向いている。  私は、いつの間にか饒舌になっていたらしい。  いつになく言葉が出てくるのはきっとこの人の歌が本当に上手かったからなのだと思う。  彼も歌の解説を交えて相槌を返してくれたりしたので余計に話が弾んだ。  やっぱり自分の歌を褒められるのは嬉しいと、私がつっかえても彼は終始笑顔で話を聞 いてくれた。  さり気無く『2つ』届いた紅茶にもちょっと感動したり。 「私も少し期待していたのでね? これで座ってくれなかったら大分みっともないことに なっていたかもしれない」  古風な喋り方だけど案外気さくな人だった。  それから、彼は自分の事を話してくれた。  もちろんリアルの事ではなくてThe worldでの活動の事。  彼の名前は『alcaic《アルケイク》』といって古代ギリシャの詩人の名前を借りているこ とや、色んなサーバを渡り歩いて歌を披露していること、その傍らで各サーバーの酒場に 寄っては黄昏の碑文の断片を集めていることなどをせがむ私に話してくれた。  そんな感じだろうなとは思っていたけど実際に聞いて見るとまた驚きの連続。  本当に世界には色んな人がいるんだと感心しきってしまう私なのだった。  それでも、やはり時間は嫌でも流れていく。  いつの間にか定期購読しているメールマガジンが届く音が響いていた、と言う事はもう 外は暗くなって久しい事になる。  流石にアルケイクさんも待ち合わせがあるそうなので、そろそろ別れの時間が来てしま ったようだ。  残念だけど、アドレスも交換できたし上々だよね。    けど、彼にはもちろんそんな私の心境もお見通しだったようで。  なんと最後に私に詩を贈ってくれるという。  短いけれど、なんて謙遜してるけど私は飛び上がらんばかりだった。    早速握られたリュートから流れる旋律は、夜の酒場らしい静かなものだった。  まるで音色で無音を表現しているかのように絶妙な爪弾き。  目立たない音なのに耳を引きつけて止まないような感じがした。それが私の為に奏でら れているのかと思うと蕩けそうになる。  そこに店中のためか少し小さめの声で吟じられ……。       やがて言葉に別れが混じる  果て無き虚空に空の青は届かず 嘆息の生む風は深き闇の帳 数え歌歌うように夜明けを待った 瞳の中に太陽の子を宿し 暗中模索の鍵は何処《いずこ》 羽ばたける明日は何処 答えは鏡  実像に真実はなく 虚像に偽りもない 奥底に眠る鍵は貴女の中に  その後。    私はその詩の言葉が、私の未来を言い当てたものなのだと知った。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――― はい、書き出しは8:00です。 ……1時間ほど遅刻ですね、申し訳ない。 むぅぅ、納得いくまで書いて遅刻しない方法とかどこかに転がって無いでしょうか?(無 理 はい、精進いたします。 ともかく、今回は女の子視点なのですがそれっぽい雰囲気は出たでしょうか? 出てるといいな。 途中まで分からないようにしたのは真理表現だけで書けるか試してみたからだったりしま す。 因みに、私は男です。 これも修行の一つなのです。