<仮面の下の素顔> 『マギ、お前は引き続きプレイヤーからのメールを見張っていてくれ』 『了解しました。神威さんはどうするんですか?』 『わたしは……巡回でもしてくる、少し時間が余った』  ここで通信を切った。  マギは必ず『行ってらっしゃい』と言う筈だが、いつも一秒を惜しむほど忙しいのでこ のタイミングで切っている。  今は例外的に時間が有るので早々と切る必要はなかったが……まぁ、いい。向こうも癖 だと理解している。  わたしはすぐに管理モードをオフにすると、何の躊躇いも無くこのエリアからゲートア ウトした。  もはや、このエリアに用は無い。  AI《バグ》は既にデリートした。  この仕事は忙しい。  だが全く寛げる時間が無いかというと、実はそうではない。  午後二時。部下達の報告書を全て片付けたこの時間帯になると、偶にぽっかりと時間が 取れるときがある。  本来なら午前中に処理できなかった業務があるが、稀に午前中に全部片付くときが有る。  そうなると暇が出来るわけだ。月に一回程度だが。  マギが拾い集めた問題を提出してくるまでの間、わたしは偶にやって来るこの時間をい つも巡回に使う事にしていた。  無論『碧衣の騎士団』と堂々と看板を引っ提げて歩く訳ではない。  一般PCを装ってユーザーの中に入り込み、その中で最近の実態を調査する。バルムンク の好きな仕事だ。  わたしは常に机の脇においてあるミネラルウォーターを掴むと、軽く一口飲む。  意識をディスプレイに戻すと、そこには恐らく廃人と呼ばれる者たちと同程度まで見慣 れたルートタウンの光景が在った。    “女神の息子”マク・アヌ。  陽光に染まったこの水の都には、いつもの様に膨大な数のPCが行き来していた。  ある者は皆と喋りながら、ある者は1人無口に行き交う。そんな光景が苦も無く数十数 百と見受けられる。  この人の濁流とも思える流れの中には1人として同じデザインのPCは居ない。そして同 じ名前のPCも居ない。  まさに世界だ。  この量と質を考えると、この世界は奇跡とも言える。  だがしかし、わたしにはこの凄まじい人の流れや美しいルートタウンを見てもどうして もそれだけの事としか思えない。  わたしの目にはただ人を模した映像が行き交うだけにしか見えない。  あの人のように感動さえ覚えれる日は、恐らくわたしには来ないのだろう。  感慨も無くその人込みに入った。  The Worldではリアリティを出す為に遠近感と言うシステムが確りと確立されている。 遠くのものは薄く霞んで見える、そして物音は近づくことによってよりハッキリと聞える ようになる。  雑音に混じって膨大な量のテキストが表示され、その雑音からは幾つもの声が聞こえた。  中には幾つか如何わしい会話が聞えたが……この程度では取るに足らない。  わたしは苦手な作業をした。つまり、気の向くままに歩みを進めた。    全く変わらない歩調で歩いていると、幾つかの露店を通り越し、やがて小規模ながら賑 やかな噴水広場が見えてくる。  迷わず曲がった。広場に入る前に。  あの場所はプレイヤー同士のトレード、又は個人商売の盛んな所だ。行けばわたしのよ うな暗い人間でもほぼ間違いなく声を掛けられるだろう。  何も買うつもりも無ければ、広場のその先に用が有るわけでもない。  あの雰囲気は苦手だ。だから曲がった。  曲がった先に在ったのは、どうと言う事は無い何の変哲も無い小道だった。建物に挟ま れているのでやや薄暗いが、その先はすぐ開けているらしく奥から橙色の光が漏れている。  ツカツカと鉄靴の足音が響いた。  通り抜けると、そこには運河が有った。ただし本流ではないので聊か水は少なく流れも 遅い。  人気も疎らで私にとっては丁度いい道が左右に開けていた。  ルートタウンの人の流れには幾つか法則がある。  カオスゲートやショップ、イベントを発生させるNPCの前には膨大な量のPCが集まる が、こう言った何も無いNPCを置く為のスペース稼ぎと言えるような場所には全くと言っ ていいほど人気が無い。  同時接続で軽く2000人はこのタウンに居る筈だが、不思議なものだ。  わたしは何となく運河を見つめながら右へ歩みを進めた。  水嵩が少ないので船は通っていない、まるで自己主張でもするかのように魚が跳ねたが 特にどう思うと言う事はなかった。  漠然と振り子時計の振り子でも見つめるかのように、感想も抱かずに運河を見つめて歩 き続けた。  すると、運河の下、視界の下の方に黄色い何かが映った。  それと同時にその何かに躓く。……視線をずらして歩いていたから何か障害物にでも当 ったのだろう。  こういう場合、確かめるにはこのまま首を動かすのと視点を変更する二つの方法がある。  間違いなく後者が速い、わたしは又もいつもの癖で視線を変更して視野を広げると、“そ れ”を見た。  障害物ではない、PCだった。  キャラメイク時に一番若く設定したのであろう10才前後の少女、明るいブロンドの髪が この黄昏の町の中でやけに目立っていた。  少しだけ驚いた顔でこちらを見ている。  手摺に圧し掛かって魚の姿でも追っていたのだろう。わたしは「失礼……」と言うと、 その少女を避けて隣を行こうと…… 「ねえねえねえっ!」  ……したら少女は急に声を張り上げた。  いかにも少女らしい高めの声、ボイスチェンジャーの変換しやすい部類の声だ。  軽く周りを見渡すが、会話が届く範囲にはわたしの他にPCは居なかった。 「ぱーてぃ組まない?」  唐突で短い台詞だが、特に珍しい事ではなかった。  このPCでは特に男性PCからよく声が掛けられる、それと槍を見て一部の上級者が声を 掛けてくることも少なくは無い。  わたしはなれた手つきで神威を振り向かせた。  ネットゲームと言う性格上、The Worldも例に漏れず長たらしい誘い文句などは好まれ ない。  無論、わたしも短い返事を用意している。  わたしは愛用のバイザーを上げると、使い慣れた“笑み”を浮かべて返事をした。 「すみません、忙しいので他を当って頂けますか?」  声色と言い台詞と言いいかにも日本人染みた返事だ、それだけに根深い拒否が込められ ている。  言い切ってわたしは再び歩き出そうとした。  だが、それは意外な言葉で遮られた。 「忙しいの? 1人でゲームやってるのに?」 「うっ……」  僅かに返す言葉に詰まった。  普通は先ほどの台詞で諦める、そして別のPCを誘うものだ。ネットゲームでの誘いなど その程度の重要さしかない。  それを引き止めてくるとは……、常識が無いとしか言いようが無い。このような断り方 は理由無く“嫌だから”断った事を意味するのだから。  しかし彼女は本当の少女のように屈託の無い声と表情で呼び止めたように見えた、少な くとも悪意は無さそうだ。恐らく初心者なのだろう。  少なくとも悪意を持って呼び止めたようには聞えなかった。  更に言えば、何気ないこの言葉にも一理ある。  わたしは少し返事に悩んでしまった。  その隙に。PT要請の画面が表示されていた。 「えへへへ〜〜♪」  わたしは小さくリアルで溜息をつくと、それを受諾した。  不幸にも実際時間は余っていたのだ。本当に暇な以上、口下手なわたしには上手く断る 理由が思いつかない。  それに、この雰囲気では何故か断り辛いものがある。……恐らく少女の無邪気さが原因 だ。  わたしは諦めてその少女の方を見た。  一般的な感覚を有しているのなら間違いなくこの少女は可愛いと言える、年少者独特の 魅力が有るとわたしでもハッキリ分かる程だ。  キャラメイクは大抵見栄え良く行うものだが、それが何処まで上手く行くかは本人のセ ンスに一存される。  適当な美男美女が多い中で彼女は独特の個性を持っていた。内面が同時に外見をも引き 立てている。  初心者にしてはかなり上出来だ。  彼女は「ありがとう!」と元気良く言うと握手の手を差し伸べる。  仕方無しにその手を取った、……何かどんどん彼女のペースに引き込まれているような 気がする。ブンブン振り回される神威の手を見てそう思った。  少し、腹立たしかった。  少女の強引な行動に対してではない。外見と声に対してだ。  『放浪AI』の多くはこの程度の年齢の無垢な少女――を、装っている事が多い。彼女は ……。  わたしはリアルで首を振った。  目の前の少女は通常のエディットで作られたキャラクターだ、少女には悪いが声も気が 狂うほどに美しいあの声とは違う庶民的なもの。  間違いなくPCだ。  どうも最近は変な部分で過敏になっているらしい。  ……わたしには元々そう言った傾向がある、それを更に悪化させない為にも彼女とは暫 く一緒に行動した方が良いのかも知れない。 「えっと……」 「神威だ、あなたの名前は?」  流石にわたしが黙ってしまったものだから、彼女も気まずくて間が持たなかったらしい。  多少謝罪の意も込めて自分から名乗る。  それと、少女が不思議そうに見ていた作り笑いも止めた。この少女には意味を成さない ことだと何となく分かったからだ。  不思議と。 「あたしは貞子、よろしくね♪」  ………。  かなりネーミングセンスを疑った。 「……その名前は」 「お兄ちゃんが付けてくれたんだよ、映画のヒロインの名前なんだって♪」  ろくな兄弟を持ってないということは、良く分かった。  恐らくこんな人気の無い場所でじっとしていたのは名前が原因なのだろう、この名前で PTを集めても集まりが良いとは思えない。  それどころか誤解も生みかねない。    何故こんな所で黄昏ていたのか聞いてみたところ、やはり想像した通りだった。  今日初めてThe Worldを始めて慣れる為にPTに入れてもらおうとしたが、中々見つか らなかったらしい。  そのうちPT希望の言葉を叩くPCが出て来て、居辛くなったのでここまで逃げてきたの だ。  兄は笑いながら『よく有ることだ』と言い、そのままPT集めを続けるように言った……。  インパクトを付ける為に多少変わった名前を付けるのはよく有ることだが、ここまでハ ッキリとイメージの悪い名前を使うと誤解される。  荒らしに。  その兄とやらは少女がこうなる事を半ば予想していたようにしか思えない。 「なるほど。The Worldをやってるなら、その兄とは後でゆっくりと話がしたいものだ」  わたしは少女の話を聞きながらそう呟いた。  出合ったらみっちりと倫理について講義してやるつもりだ。  それから小さく溜息をついて提案した。 「その名前は変えた方が良い、イメージが悪い上に誤解もされやすい……」  わたしは分かり易く説明したが、少女は頑として聞かなかった。  まるで駄々をこねるように。 「名前を変えるって事はこのキャラを消さないとダメなんでしょ? ……そんなの、やだ」 「何故だ」  聞いたところでは今日始めたばかりのはず、まだ愛着が沸くには早い。  渡会さんのように三日もかけてキャラを作っているのならば別だろうが……。  口ぶりからして三日も掛けているようには見えない。 「だって、最初のあたしなんだもん。絶対大事にするって決めたんだから、消したくない」  ……成程。  そこまで聞くと、わたしは少女に背を見せてカオスゲートの方に歩み出した。何も語ら ずに。  少女は『?』を浮かべながらも付いてくる。  そう言えば、彼女はマギではなかったな。言葉に出さないとやはり伝わらないか。  首だけで少し振り向いた。   「分かった、ならそのキャラで頑張るといい。暫くすれば改名イベントが有る、その時ま での辛抱だ」  わたしが背中を向けることは肯定を意味する。  少女も何となくそれを察したのか、実に嬉しそうに付いて来た。まるで迷路の抜け道で も見つけたかのようだ。  再度歩き出す。  視点はまだ3人称だ。  神威で背を向けながらも、わたしには少女の嬉しそうな表情が見えた。眩しい笑みだ。  思えば、管理者としてではなくプレイヤーとして人の笑顔を守ったのは初めてかもしれ ない。  PTを組むのは褒められた事ではない、だが不思議と悪い気はしなかった。 【Δ萌え立つ 過越しの 碧野】  とっさに思いついた一番レベルの低いエリアがここだった。  以前バグモンスターの報告が有って調べた事がある、だから覚えていた。  わたしは正式に調査したエリアなら属性もレベルも全て記憶している……まぁ、どうで もいいことだが今回はそれが役に立ったようだ。  ここなら授業をするには丁度いいだろう。   「もえもえ〜〜」 「その『もえもえワンド』と掛けたつもりか。なるほど」 「神威お姉ちゃん、突っ込みが寒すぎるよ」  いかにも平和そうな野原に点々と少な目の魔法陣が浮いている。今にも眠りたくなるよ うな気持ちの良いエリアだ。  それに影響されてか会話も自然と弾む、片方だけだが。  障害物も少なく緩急も僅か、少しでもこのゲームを齧った事の有る人間ならレベル1で も寄り付かないような場所だ。  だが、全くの初心者である彼女にはこれくらいで丁度良い。  突然泉から出てきたムッシュに驚いて半べそをかいている少女を見て、わたしはそう確 信した。  少し腰を抜かしている。 「ここでは武器を投げ込むとレベルアップして戻ってくる、試してみるといい」  軽くそうアドバイスした。  彼女は暫く迷っていたが、意を決すると『もえもえワンド』を持って投擲ポーズを取っ た。 「え、えっとぉ……。どえぇぇぇぇぇいいいぃっ!!」  まるで投槍で獲物を刺し殺さんかのような気合だ。  そんなにムッシュが怖いのか。  勿論ムッシュはいつもと同じ対応でパワーアップした杖を差し出した。  別に投げ方によってリアクションが変わるわけでもなく、アイテムも変わらない。  必要以上に思い切り杖を投げ込んだ彼女は、ムッシュが消えてしまう事には肩で息をし ていた。  まぁ、気持ちは分からないでもない。わたしも初めて見た時は多少デザインに驚いた。  彼女は暫く呆然とムッシュが消えていった空を見つめていた、……恐らくまた降って来 ないかと警戒しているのだろう。  暫くして危険は無いと判断して己の手にある武器を改めて見てみる、予想通り飛び跳ね て喜んでいた。 「ぃやったーーー!!」  この後の台詞は省くとしよう、兎に角似たような言葉が3分ほど続いた。  しかし……、ここまで素直にThe Worldを人間が居たとは。  わたしもこの世界を“管理”し始めてもう4年以上になるが、彼女ほど表面的に思い切 りゲームを楽しむ姿を見るのは初めてだった。  文章では伝わりきらないような喜びの気持ちが、声となってわたしの耳へと届く。  管理者として之ほど嬉しい事は他に無いだろう。  彼女の喜ぶ姿を見ていると、思わずいつも張り詰めていた気持ちが緩みそうになる。  わたしは小さく笑った。   笑いは伝染すると言う。  出会ってから終始笑顔を絶やさない彼女に、ついにはわたしの口もともついに屈服した らしい。  一瞬のことではあったが。  わたしはそれを隠すかのように声を出した。 「さあ、はしゃいでないでそろそろ戦闘をするぞ。これを覚えないことには始まらないか らな」 「はぁ〜い」  彼女は元気良く返事をすると、素直にレベルアップした杖とじゃれるのを止めてこっち に走ってくる。  それを見計らってわたしは魔法陣を開けた。――出て来たのは何の変哲も無いゴブリン 1体だ。  そいつはのたのたと一番近いわたしの方に歩いてくる。……もしかしたら走っているつ もりなのかもしれない。  エリアレベル1ならば初期装備でも負けはしないだろう、わたしも適当に回復くらいは 受け持つつもりだ。  ゴブリンは最低レベルのモンスターらしく、確りと神威をターゲットしては打撃攻撃だ けひたすらに繰り返した。  モーションこそ大げさに力が篭っているが実際のダメージは全くそれに比例していない。  4桁のHPが地道に『1』ずつ削れていく。 「……どうした?」  近くまで来たが彼女はいっこうに攻撃しようとしない。  先ほど攻撃の仕方もスキルの使い方も教えた、説明書も勿論持っているだろう、何を躊 躇っているのだろうか?  暫く小さな三つ編みに纏めた髪をいじった後、申し訳無さそうに言葉が続けられた。 「えっと、このモンスターを……攻撃するの?」 「そうだ」 「かわいそう……」  ……は?  モンスターを攻撃しなかったらゲームなど成り立たない、そこまで知らないわけではな いだろう。  あまりにもリアルに作ってあるモンスターを見て躊躇ってしまったのだろうか。どうし ても彼女は構えた杖をゴブリンに振り下ろせないようだ。  ゴブリンを可哀想に思うなら、ずっと攻撃され続けているわたしのほ方がよほど可哀想 だと思うが……。 「無茶を言うな、こいつらを倒さなければ先に進めない。システム上でそう決まっている」 「でも」 「こいつらには痛みも泣けば意思すらも無い、消される為の存在だ。躊躇う必要は無い」  わたしはここまで楽に言い切った。  笑いと違ってこういった台詞なら滑るように出て来る。……全く、たちの悪い職業病か もしれないな。  少し自己嫌悪が顔を覗かせた。  普段なら全く気にしなかっただろう、だがこの少女の前では何故か気になってしまう… …。 「そんな意味の無い存在じゃないよ。この人だって、わたしと同じだもん」  やはり頑として自分の主張を曲げない。  子供らしく言い張ったら聞かない性格のようだ。見ようによっては微笑ましくもある。  だが、だからと言ってこのまま放っておくわけにも行かないだろう。  彼女と、このデータとは同じではない。同じ生き物と言うわけではない。 「……言い直す。わたし達はルートタウンを守るために町を脅かす外のモンスターを駆逐 せねばならない。彼らには倒される同時にわたしたちが強くなる種の糧になってもらう、 無意味ではない」  頭の奥底からこの世界の設定を掘り返して言い直した。  成さねばならないことを成す、可哀想だからと言う直感的な理由に対してこれだけはっ きりした理由があれば対抗できるだろう。  我侭にはそれらしい理由を見せて説得するのが一番だ。 「むぅ……」  彼女は悩むようにして眉根を寄せると、やがて諦めたように目を瞑った。 「世の中は弱肉強食だ。ここも然り、リアルでは肉も魚も食べるだろう?」  そして覚悟を決めた瞳を開いた。 「……分かったよ、あたしも戦う」  程なくして、やっとわたしへの一方的な攻撃は収まった。  同時に少女とゴブリンとの戦いが始まる。  最初の一撃目は……はずれた、どうやらニューグローブを使って操作をしているらしく 慣れない操作で杖を明後日の方向に振ったようだ。  無論その隙にゴブリンの攻撃が入る、呪紋使いなのでHPは低いがそれでも4分の1も 減ってはいない。  わたしはめげずに続けるように指示した。そして彼女のHPを回復する。  ……10分ほど経っただろうか。  どうやったらゴブリン相手にそこまで時間が掛かるのか疑問だが、実際経ってしまった のだから否定の余地は無い。  なんにせよ彼女は勝った。 「ふぅぅ……、や、やった……」  精魂を使い切ってへたり込む彼女にわたしはオリプスを掛けた。  リプスでも全回復するだろうが、生憎そこまで丁度いい防具は持ち合わせていない。  彼女は凄まじい回復量に目を丸くした。 「お疲れ様。……次は魔法スキルを使って倒すといい、恐らく1,2発で倒せる」  たっぷりと間が開いて時間が流れていった。  言うまでも無いが少女が呆然とした時間だ。 「そ、それを先に言え〜〜!!」 「何事も経験だ」  向こうで喚いている初心者を傍目に、次の魔法陣へと歩き出す。  そして歩きながらふと思った。  渡会さんならきっと同じ事をするだろう、と。  確証は無かった。けれどそんな気がした。 ―――暫くして、外の魔法陣を一掃したわたし達はダンジョンへと入った。  低音で鳴り響くダンジョン独特のBGMへと音楽が切り替わった。それと同時に陽光が遮 られ、頼りない蝋燭の光へと光源が変わる。  空気も気のせいかひんやりとしているように感じる、更に言えば匂いもかび臭い気がす る。  そう感じるほどにリアルだった。思わずグラフィックチームの研修旅行の苦労話を思い 出す、そう言えばヨーロッパまで行って資料を集めてきたらしい。  お陰で蝋燭の蜀台まで呆れるほどリアルだ。  全体的に薄暗くなったが見通しは効く、この辺りはやはりリアリティよりもプレイヤー に配慮してある。  が、やはり初心者にはこのリアリティは衝撃的だったようだ。  いや、それ以上に彼女は怖がりだったのだろう。  ガタガタガタ……。  サウンドエフェクトが有ったとしたらそんな感じだろうか、彼女はわたしの腰にしがみ 付いて放れようとしない。  まるでコアラだ。  及び腰になるほどに震えている、神威の背に隠れては背中から蒼白な顔を出していると 言った状態だった。  見かけは可愛らしいが、別にそう見せようとしてやっているわけではないだろう。  どうしたものか。 「う、ううぅ…、ひっく……」  お化け屋敷に子連れで入ったら、恐らく似たような体験をすることになるのだろう。  正直に言えば歩き難い。  しかしそれ以上にわたしにとってはこの状態への対処が問題だった。  わたしは一人っ子だ。泣く子をあやした経験なんてものは無い。 「……何も泣く事は無いだろう」  努力はした、しかし優しい声が出たような気はしない。  どっちにしろ彼女が怖がっているのは変わらない。 「だって、怖い……」  モンスターが出る前にこれだ、幾らなんでも怖がりにもほどがある。  『ハハハ、柴山のほうがよっぽど怖いっての』……わたしの右後ろの席でコーヒーを飲 んでいる人物なら、こんな言葉を言っただろう。  この子は絶対に闇属性のエリアに連れて行かない方がいいな。そう思った。 「……仕方ない。モンスターはわたしが倒す、慣れるまで我慢するんだ」  彼女はわたしの言葉にこっくりと頷くと、恐れを振り払うかの様に思いっきり抱き締め てきた。  不意打ちを喰らったわたしは思わずよろめいく。  思わず苦笑した。  暫く歩いただろうか、2,3モンスターを倒した辺りでやっと彼女は慣れてきた様だ。  だがまだくっ付いて離れようとしない。  それを咎めようと彼女の方を振り向いたら、彼女は不意に笑顔を見せた。 「えへへへーー」  まだどこか恐々としていたが、それは笑っている方も笑い掛けられている方も満たされ るような笑顔だった。  普通に笑うアクションを起しただけだろう。  なのに彼女の笑顔はわたしのような人間でも心を暖かくする、それが不思議でならなか った。  PCの笑顔など無機質な笑顔のはずなのに。 「泣いたり笑ったり、忙しいな……」  笑顔のお陰ですっかり毒は抜かれた、咎める気は失せてしまった。  やれやれ、これでは部下に示しが付かないな。  溜息を一つ漏らすと、わたしは彼女を振り返った。そして少し真剣な表情で問う。 「何故そんなに嬉しそうなんだ?」  疑問でならない、わたしと共にいて楽しいはずがないのだから。  だが少女は当然のように答えた。  まるで夜がくれば朝が来ると説明するかのように。 「だって、初めての本当の仲間なんだもん!」  わたしに質問の答えとしては、少し論理的な理由が欠けていた。だが言いたい事は何と なく分かった。  分かって、また少し苦笑を漏らしてしまった。  わたしを仲間と呼ぶ人間など現れるとは思って居なかったし、欲しいと思った事も無か ったのだから。  初めての仲間がわたしとは、なんとも稀有な事だ。彼女は恐らく運がいい。  必要なのは忠実で有能な部下。  それだけの筈だった。仕事に必要の無いものは切り捨てるのがわたしだ、私情もそれに 然り。  その筈だった。  だが……、仲間と呼ばれることを、どうしても否定する気にはなれなかった。  わたしも神威である以前に人間なのだろうか。  ここのダンジョンは例外的に2階層構成になっている、何処まで単純で短くどんな初心 者でも道を間違えることは無い。  彼女にも『これだけ?』と聞かれてしまったほどだ。  2階に下りた辺りで彼女はもう普通に喋れる程度に慣れていた、お化け屋敷と違って構 想は単純な繰り返しでモンスターも予告があるのだから当然と言えば当然だ。  だが未だに離れようとはしない。  本人曰くこうしていると安心するのだそうだ、……そう言われると離れてくれとは言い 難い。  わたしは離すのを諦めて進む事にした。どうせ長くは無い。        そろそろ神像部屋に到着する頃だった、不意に二人の影がわたし達の前に現れた。  1人は双剣士、黒い鉢巻をして長い前髪を目にかからないようにしているのと、恐らく ダイイングが付いている双剣を持っているのが目に付いた。  もう1人は重剣士、赤褐色の肉付きのいい体に無数の傷跡が走っている、要所を守るだ けの鎧は見るからに傭兵を思わせる。  そいつらが態々神像部屋に進むのを阻止するかの様に立ちはだかった。その行動にどこ か不愉快な感じを受ける。  すぐにその理由が分かった、そいつらは笑いながら武器を構えて道を塞いだからそう感 じたのだ。  ここまでくればどんな人種かは大体想像はつく。 「貞子、少し離れていろ。見たところ取るに足らない相手だが、魔法スキルでお前を先に 狙うかもしれない」  彼女は状況を察したのか、すぐに魔法が届かない程度に下がった。  初心者なのだからPKは知らないはず……、何故察する事が出来たのかは、恐らく彼女の リアルが絡んで来るのだろう。  兄の行動と言い彼女のリアルは………いや、今はこちらに集中しなくては。 「貞子かぁ、いい名前じゃないか?」  双剣士が言った。 「ハハ、確かに。化けて出てくるのが楽しみだ」  重剣士が言った。  軽い会話だ、まるで珍しいモンスターでも見つけて倒そうとしているかのような。  どうやら脅して楽しむタイプのPKではないらしい。  だとしたら、単にPKをした回数を競っているだけか……。まぁ、どうでもいい事だ。  わたしはヴォータンを威嚇して突き付けるように構えた。  一般PCに牙を向けるのはマナーの手本である管理者として恥ずべき事だが、PKと退治 しているのなら問題ないだろう。  風紀は正さねばならない。 「我が名は神威。貴様達がPKとして牙を向くなら、先ずわたしが相手になろう」  威圧を込めて一歩踏み込んだ。  本来ならここで罪状を読み上げてしかるべき処分をするのだが。相手はPK未遂、そこま でする必要も無いだろう。  わたしは冷めた目で二人を一瞥した。 「か、……かかかかっ神威ぃぃぃっ!?」  名乗った途端に声の裏表が変わったかのような悲鳴が帰って来た。  十分な恐怖を孕んだ声だ。 「なんだ、わたしを知っているのか」  わたしを知っているか。  となると、やはりロクなPCではないようだ、恐らく何かしろ前科があるのだろう。  睨まれただけで先ほどの少女の数十倍はガタガタと震えている、……もっとも可愛くも なんとも無いが。  そいつらは急に閻魔大王でも相手にしているかのように直立不動の体勢を取ると、地面 に頭を擦り付けられる寸前まで頭を下げた。  そして気合を込めて声をハモらせる。 「「お世話になりましたっ!!」」 「ふん……」  そういって慌しく精霊のオカリナを吹いては逃げていった。  ……以前キツイ取調べでもやったのだろうか。どうも良く思い出せないが、そんなとこ ろだろう。  二人が逃げ去ったのをみて少女は駆け足で戻って来た。  いや、スキップだ。 「すご〜〜〜いっ!! 神威お姉ちゃんカッコいい〜〜!!」  止まる気はないようだ。  彼女はそのまま勢い良くスキップで走って来るとわたしの胸に飛び込んできた。  危うくそれを受け止める。 「こら、行き成り抱きつくな」  PKには負ける気はしない。  しかし、どうしてもこの少女の笑顔には勝てる気がしなかった。  神像アイテムの中身は『光の十字』が一つ入っていただけだったが、彼女は「一生大事 にする!」と張り切っていた。  わたしがもう一つ手に入れれば重なると説明したが、「絶対に一個だけ残すもん!」とや はり頑として聞かない。  それは使ってこそ意味が有る消費アイテムなのだが……まぁ、いいだろう。それもこの ゲームの無限にある楽しみ方の一つだ。  妖精のオカリナを使ってダンジョンの外に出ると、もうそろそろマギが文句を言いに来 る時間になっていた。  だからここで別れることを告げた。   「今日は本当にありがとうね、神威おねえちゃん」 「そうだ、礼は大切なマナーだ。このゲームをやるからには忘れないようにな」  わたしは出来のいい生徒を褒めるように言った。  実際、この世界において彼女は優秀な生徒だろう。  わたしよりもずっと。世界に愛されているような気がする。 「アハハハ、先生みたいだね」 「似たような立場だ」 「なぬっ?」  このやり取りもこれで最後になるのかと思うと、少し心残りを感じる。  だがアドレスを交換するわけにはいかない。渡会さんを真似たわけではなく、これはわ たしにとっての鉄の制約だ。  神威となったその日から、決めていたことだった。 「……それじゃあ、さようならだ」  2000万人の中の1人と1人に戻る言葉として、わたしはそれを使った。  もはや出会うことは無いだろう。  彼女が不祥事を起すとは思えない。彼女の兄ならいつか会う気がしているが。 「うん、また遊ぼうねーっ!」  わたしは悲しげに頷いた。  彼女は何も知らない。今はまだ、知らなくていい。今知れば彼女は絶対に食い下がらな いはずだから。  小さく手を振った。  そして黄金の輪に身を包ませて、この世界から消える。  少女の目線からだと、ちょうど黄昏た空に溶けるように見えたかもしれない。 『随分長くINしてましたね、柴山さん?』 『ああ、すまなかった、性質の悪いPKを見つけたのでな。……仕事の方はどうなっている』 『ええ、たった今放浪AIの目撃情報が……』  わたしは神威、神の威を借る者。  仕事場に戻ってそれを再確認した。  怯える――様に見せかけられたAIをデリートする事で。  何の躊躇いも湧かなかった。  わたしはデバッガーだ。  普通のPCを装った所で、わたしは神威でしかない。  わたしは、人間である前に神威だ。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――― <あとがき> 何というか、長っ!? 幾ら私が神威ファンだからといって……こりゃあ長過ぎでしょう?(聞くな ここまで読んでいただいて恐縮です、本当に。 今回は神威でほのぼのストーリーをやったるぜーー!! って感じのノリでやってみました。 見事に語り口が真っ黒でどうしようかと焦りました。 なので貞子が明るくなりました。電球娘とでも呼びましょうか、お天気な割りに案外奥が 深い子です。 のつもりです。 ……そーなってたらいいなぁ。(自信なし) ともかく、私の中の神威はこんな感じです。 私の書くキャラはほぼ例外なくネタ染めしますからシューゴに引き続きイメージが崩れて いるかもしれません、気分を害したか神威ファンの皆様がいらっしゃいましたら深くお詫 びします。 でもほんのチョッとでもいいからホンワカしてくれたら嬉しいな、と風月は願っておりま す。 あ、因みに繋がるは思いっきり抱きついて連結してたシーンです。 でもどっちかと言うと合体ですね。(何