<奪われてはならないもの>  眠る者、眠らせる者。およそ全ての人間が眠りに落ちる時間。  この時間帯では流石のThe worldもログインしている人間の数が極端に少ない。  だがこの場所はMMORPGのフィールドではなく、リアルのとあるビルの一室だった。  そこには数人の男が広い部屋を小さく使って、何やら話し合いをしているようだ。 話の内容から察すれば、なにかThe worldに関係する事なのだろう。 ログアウトやらワードやらの単語を聞けば、その大型ネットゲームに想像を飛躍させる には十分だ。 その場所で明かりをつけず……。いや、壊れてつけられないのだろう。 彼らは月明かりだけで話を進めていた。 どうやら相手の顔が分からなくても一向に構わないらしい。 僅かに輪郭が判断できるだけと言う明かりの中、彼らの会話は弾んでいるとは言えない が順調に進んでいる。 「リディール様、モルガナの実験体データ一次集計が完了致しました」 「そうか、報告してくれ」 話し掛けた男は長髪で背が高く、月明かりに照らされた顔はかなり整っている。答えた 男も、背は高いが長髪の男程ではなかった。しかし、答えた男の方が目上の人物らしい。 答えた男は応用に頷き、短くそして白い髪が月明かりに輝いた。 どうやら答えた長髪の男の目上らしい人物は若白髪のようだ。 「ゼーレ、ここで報告するからには我々にも聞かせるつもりか?」 「ええ、アトメストさんの協力も必要ですから。……カルムさんもね」 「………続けてくれ。リディール様、話を折って申し訳有りません」    アトメストと呼ばれた男は恐らく複雑な表情をしながら報告を聞く体勢に戻り、カルム と呼ばれた男は静かに話を元の場所に修正した。  どうやら彼らはThe world内のPCネームで呼び合っているらしい。  オフ会とはとても言えそうに無い雰囲気だが、彼らはリアルとThe worldの両方で何か しろの組織を組んでいるのかもしれない。  だとしたらリディールと呼ばれた男が指揮官、ゼーレ・アトメスト・カルムの三人が幹 部と言った所だろうか。  リディールと呼ばれた男が頷いたのを確認し、長髪の男……ゼーレが再び報告を始める。 「やはりモルガナはThe worldに人間の精神を取り込む為の『実験』を行っていたようで す。その数は約30人弱かと」 「結果はどうなった?」  指揮官らしい男……、リディールは表情を変えずに淡々と話を促す。  月明かりに青白く反射するその瞳は何故か墓場に浮かぶ月光を思わせる。  それは彼の持つ魂の光だろうか? 「初期の実験体となったPCは10数人と思われます、これらのPCは強い光を感じた事 以外特に何の変化も無かった様です」  ゼーレはここまで報告を終えると、前に垂れていた長い黒髪を後ろに流す。  怪しく黒光りする長髪が、月光の元で輝く。  それは見る物に黒い川が流れているような感覚さえも感じさせる。  一息入れた後、ゼーレは報告を再開した。  3人の注目は相変わらずゼーレに注がれている。 「中期段階以降の中で、『世界への取り込み』に成功したPCは2人。 中途半端に精神を移動させた影響で失敗した例、……つまりリアルとThe worldの両方で 感覚を持つPCが7人確認できました。残りのPCはみな身体に異常が無い模様です」 「それで、世界に入り込んだ9人はどうなった?」  又もリディールが話を促す。  重要な発言を後々まで引っ張って話そうとするゼーレの性格とは相反して、彼は必要な 事を必要なだけ聞ければいいようだ。  この2人の絶妙なバランスで会話はペースを落とす事無く、されど早くなることも無く 進んでいく。 「中途半端に取り込まれた7人は直ぐにリアルに帰還し。それまでの体験はCC社によって 『夢を見ていた』と言う事にされたようです」 「………ふっ、CC社上層部お得意の揉み消しか」 「ええ、そのようですね。……カルム」  CC社上層部に恨みでも持っているのか、カルムと呼ばれた男は静かだが最大限の憎しみ の篭った声で呟いた。  その声は慣れない者であれば一歩も体が動かなくなるような冷たさを含んでいた。だが 元よりここに居る人間はそのような声に何の疑問すら持たない。  ゼーレも過去に何か有ったのか、カルムの声にかなり深い声で相槌を打つ。  月明かりに、憎しみに燃える二人の目が輝く………。 「そして……、実験的に取り込まれた人間の名前が一人、判明しました」  ゼーレは再び髪を整えると、口調を整えて報告を再開する。  どうやら話し始める前に髪をいじるのは彼の癖のようだ。   「アスティア……、それがそのPCの名前です」 「鷲座の一等星か……、小洒落た名前だな」  リディールが初めて私的な言葉を口にする。  ほんの僅かだがそのPCに興味を持ったようだ。 「実験ではなく、モルガナが取り込む理由を持って取り込んだPCの調査はどうなってい る?」  今度はアトメストが口を挟んだ、彼は細かい報告よりも重要な報告を先に聞きたいらし い。  中々短気な性格なようだ。  ゼーレは報告書のページを捲り、この質問に答える為に別のページを開いている。  元よりこれから報告するつもりだったのか、彼は直ぐに必要なページを開きやはり髪を 触ってから報告を始める。 「現在取り込まれているのがが確認されているPCは司……、彼はどうやったかは不明です が、既に帰還を果たしたようです。あとはオルカ……、ジーク……この2人は現在も世界 の中にいるようです。 他にもいるようですが詳しい確認は取れていません」 「そうか……、だがそれで十分だ」  リディールは報告を打ち切ると、必要な事を復唱して頭に刻み込む。  そしてゼーレもそれに合わせて報告書を燃やし始める。  今度は月明かりとは別の光が4人を朱色の炎で照らし出す。  リディールは報告の内容を記憶すると、時間を掛けて立ち上がり残りの3人を見渡した。 「これからお前たちの取る行動を話す。これは最重要任務だ………」  不意に月に雲が掛かり、辺りが完全な暗闇に変わった。  あたかも真実を隠すかのように………。  窓からはカーテンの隙間から漏れる光が4畳半の畳をてらし、男物の衣服ばかり掛かっ ているクローゼットは常に開いている。 俺は今日もまた、大学から帰ると直ぐにパソコンの電源を入れた。 少々値段が張るが、高性能なそのパソコンは1分を待たずして立ち上げる事が出来る。 だがそれも驚くような事ではなく、言ってみれば俺の日常なので特に早いと思う事は無 い。 帰ってから直ぐにThe worldを始めるのが、完全に日課になってしまっているようだ。 あまり大学生としては褒められた日課ではない。  こう見えても親の脛かじって楽をしているので生活が苦しくなる事はないのだが……。  ほんの少し両親に罪悪感を思えてしまう。  なのでThe worldを終えたら勉強をする事も欠かしていない。  俺は粗野な男かもしれないが感謝と言うものだけは、忘れる事が有ってはならないと思 っている。  だが、それ以外にも俺には日課が有る。  金曜日の夜には必ず病院によって帰って来るのだ。  大学から帰ってきた駅を降り、5分程歩いた距離にそれはある。自宅からだと15分と 言った所だ。  ………寝たきりで植物状態の妹に会う為に。俺は毎週金曜日、一度も欠かさずに通って いる。  妹がそうなって既に1年が経っている……、17歳の誕生日さえベットの中での事だっ た。当たり前だが、表情を変えることは一度も無い。……昔は喜怒哀楽の激しい性格だっ たにも関わらず、だ。  その表情は石を彫って作ったかのように、残酷な美しさを添えた無表情なのである。初 めて面会を許された時などは『本当にあの香なのか?』と、疑ってしまったほどだ。  俺がThe worldをやっているのは、単に面白くてハマッているからではない。  確かに面白い、グラフィックもシステムも他のゲームとはずば抜けて面白い。  全国に2000万人以上のアカウント取得者がいるのも大して驚かずに頷ける。  だが、こうも毎日The worldに入り浸っているのは別の理由からだ。  俺はパソコンが立ち上がったのを確認すると、直ぐにThe worldを起動させFMDを被 る。  独自の剣が突き刺さるモーションを飛ばして、俺は直ぐにBBSへコマンドを動かした。  これも俺のThe worldを始める時の日課だ。毎日大量のツリーが立つそれに、俺はいつ もの様に検索を掛ける。 『モルガナ、意識不明、帰還、感覚……』 意識不明には偶に検索が引っ掛かる事も有るが、殆どは役に立たないクズ情報ばかり、 オマケに直ぐCC社に消去されるときている。 他の単語はヒットすらしな………、ん!? 俺は食い入るようにNEOマークが着いている画面を覗き込んだ。   <帰還せし場所を求め> 『取り込まれし者を救わんとする者よ。被害者を連れて「Σ煉獄裂く 魂の 置換所」に 来られよ』 <闇の女王の兄、光の王の友>  正に求めていた内容の記事を見つけた、ような気がする。  ……が、何か怪しい。  この記事は信頼に足る物なのだろうか? (間違いなく怪しい)、俺の勘は間違いなくそう告げていた。  だがしかし、こんな記事を読んで何も行動しない訳にも行かなかった。 「………よしっ、行こう!」  俺は悩んだ挙句、結局そのエリアに行くことにした。   どんな事も何もしなければ始まらないのだ。  これは俺の心情でもあった。  そして、何より『妹を救いたい』と思う気持ちが俺を突き動かした。  妹の名前は樋山 香、……PCネームは『アスティア』。  俺は世界から出られなくなった妹を、兎に角救いたかった……。  俺は世界の中心から伸びる鎖を、断ち切ってやりたかった。  どこまでも続く永劫の闇……、だがそんな感覚は一瞬で終わり。目の前にはマク・アヌ の騒がしい通りが広がっている。  水の流れる音、心地よいBGM……、普段なら聞こえるCC社の作った音は雑音にかき消 されていた。  今は一番ログインする人間が増える時間帯だ、兎に角ほったらかしにして置いたら腐る のでは、と思う位にPCで溢れ帰っている。  これがリアルだったら、一回買い物するだけで30分は並ぶだろう。  まぁ、こっちの商人は一度に20人位相手に商売が出来るので並ぶ必要など無いが。  俺のPC、『ガレル』が最初に現れたのはホームの玄関だ。The worldではホームを持つ PCは先ずそこからゲームを始める事になる。  普通にプレイするには有り難い機能だが、タウンに目も暮れず行き成りカオスゲートに 向かう俺に取っては少々面倒臭いシステムと言える。  俺は真っ直ぐ進むのが困難な程の通りを抜け、唯一川を渡る手段である橋。……つまり 一番人がごった返す場所を何とか渡り切った。  そして幾らか隙間が見えるようになった道をかき分けてカオスゲートに向かう。  これだけ人間が多いと辺りの景色が楽しめず、更にPC同士の会話が入ってきてBGMす らまともに聞こえない。 「くそっ、初心者どもめ! チャットならパーティモードでしやがれ!」   と、俺は『パーティモードで』叫んだ。 チャットモードセレクトではこんな使い方も出来るのである。 もっとも、やり過ぎると偶に寂しくなるが。 それ以降は黙って歩き、やはり予想通り人だかりが出いているカオスゲートの前に立っ た。 ホームを持っていない状況ならばここから始められるのだが……、今更贅沢を言っても 仕方ない。 ホームを持っていること自体贅沢なのだ。俺は周りで好き勝手に話しているPCを無視し てワードを打ち込んでいく。 「Δ萌え立つ 待ち人達の 巨大遺跡」  そこが俺がいつも行く廃棄されたイベントエリアだった。ここでは昔大きなイベントが 有り、今現在は普通のフィールドとして開放されている。  金色の輪が体を包み、溶かして消し去るように俺をそのエリアに運んでいく……。 「あの書き込み見たか? アレぜってー怪しいって!」 「だよな、あんな書き込みにはいそうですか、って言って行くのは馬鹿中の馬鹿だな」 「ああそうだよ、このガレル様は之からそこに行く。お前らの言う大馬鹿野朗だ」  今度はパーティモードではない。  俺はそいつらの返事を聞かない内に転送されていた。  紺碧の空に、背の高い草が生えた草原が広がっている。  所々に小高い山になっていて、広さの割りに少ない魔法陣が偶に点在している。その光 景はいかにもアンバランスだが、不思議と見る者に悪印象は受けさせない。  そしてこの場所で何よりも目立つのは恐ろしく巨大な塔。  そう、ワードにも入っている『巨大遺跡』だ。  地上10階分の高さのそれは、塔と言っても横に広い独特の形をしていた。  ただ、何度も入り浸っているので特に感銘を受ける事は無かった。いつもの様にアプド ゥを使い、素早さの低い重剣士である俺は精一杯の速さでその塔のダンジョンに向かった。   俺は慣れた歩調でその遺跡に入って行くと、危なげなくトラップを抜けて一気に5階ま で上がる。  中は薄暗くて明かりを付けるアイテムが無ければかなり視界が悪いが、残念ながら俺は 何百回とこのダンジョンに通っているので明かりなんて無くても、それこそ目を瞑ってで も上がって来れる。  ダンジョン内にいるモンスターはゴブリン程度なので殆ど踏み潰していく感覚で通路を 進んでいく。  そして5回の通路を暫く歩き重そうな青い扉の前に行く、そしてわざとトラップの掛か っている青い扉に間違ったアイテム……、「完治の水」を使った。本来なら「黄金の針金」 を使う場所で、だ。  そしてトラップは正常に発動し、俺は最上階に有る『牢屋』に飛ばされる。  慣れ親しんだ黄金の輪が俺を包み、設定されたプログラムにしたがって『ガレル』を別 も場所に転送する。  つまりは出口の無い「精霊のオカリナを使うしか出る方法の無い部屋」に飛ばされたの だ。  因みに最上階は幾つもの牢屋があって、引っ掛かるトラップによって飛ばされる部屋が 違う。  俺が飛ばされたのはその中でも一番端にあり、唯一窓のある牢屋だ。  だがそこは初めて見れば牢屋と言うよりも1DLKの部屋のような印象を受けるだろう。   ベットが置かれ、本棚が置かれ、濃い緑色の絨毯が強いてあり、窓辺には水色のカーテ ンがはためいている。   そしてベットにはライドグリーンのロングヘアに薄い緑色のワンピースを着け、その上 に最小限の大きさにカットした、やはり緑色の美しい金刺繍の入った皮鎧を着たPCが座っ ている。 「ただいま」 「お帰りなさい、……兄さん」  俺はいつものよう挨拶を交わし、妹……アスティアの前に立った。  その表情はいつも俯きで、俺以外のPCには作り笑いさえも浮かべようとしない。  そして最近は俺の前でも殆ど笑わなくなっている……。  恐らく。いや、確実にこの人目を避けているとしか言いようの無い生活が重石になって いるのだろう。  アスティアは本来色々なエリアを巡るのが好きだった。  それが今では牢屋から一歩も出られない身だ。自由奔放な少女が牢獄に囚われるとは、 一体どれほどの精神的苦痛が伴うものなのだろうか。 ……重石になるのは、当然の結果なのだろう。 「………」  俺はアスティアの目を覗き込み、その目がまだ生気を保っているか確認する。  ……光は弱かった。  冷え切った雪の降る夜に、小さな焚き火をしているような光だ。  雪が一粒でも落ちて来れば消えてしまうだろう。  失われていった光を取り戻せない状況が悔しかった。  救えない自分が悔しかった。  こんな小さな牢屋から出してやれないこの時間が、悔しかった。  この状況は誰のせいなのか?  『世界』に縛られてしまった妹を俺は最初ホームに匿っていた。そのホームの鍵を無理 やり壊して襲撃してきた碧衣の騎士のせいだろうか?  ホームに匿って置けず、探し回った末にこんな場所にしか妹を匿えない自分のせいだろ うか?  それとも妹を世界に縛りつけたモルガナと言う奴せいだろうか?  ……悪い頭でいつも考えるが、答えが出た試しは無い。  いずれにせよ……。 「アスティア! 今日は久しぶりに外へ出るぞ、少しだけだがお前を帰還させる為の手が かりが見つかったんだ」 「………ほ、…んと?」 「ああ。俺は良く嘘をつくけど、お前にはついた事が無いだろ?」 「………」  無言で首を縦に振った妹は、鎧をつけた重斧使いと言うジョブなのにも関わらず。  これ以上大きく首を振ると折れてしまうのではないか、と俺を心配させる位弱々しい動 きだった。  ……これ以上、残された時間は無いのかもしれないな。  そう思いたくは無いが、どうしても頭からその考えが離れない。  俺はそれを振り払うかのように剣を鞘に収めると、精霊のオカリナを取り出す。  そしてアスティアの手を取ると、直ぐにそれを使った。  実際に重さを感じた訳ではないが、……アスティアの手は異常なほど軽かった。  窓から風が吹き込み、カーテンを空を流れる雲のように揺らす。  だがそこに俺達の姿は無かった……。    俺達はゲートアウトしてマク・アヌのカオスゲートに戻ると。その雑踏の音をロードす るよりも早く、間髪入れずにΣサーバーに移動する。  そしてその巨大な空中都市に到着すると、又もや急いで「煉獄裂く 魂の 置換所」と ワードを入れる。  急いでいるのが伝わっているのかいないのか、金色の輪は直ぐに俺達を運んで行った。  何故こんなに急いでいるのかと言えば、アスティアが指名手配犯の如く碧衣の騎士にス クリーンショットを廻されて付け狙われているからだ。  なので大量にPCがいる場所で行動するのは避けたい、勿論ログの残る会話もダメだ。  俺達はマク・アヌ程ではないが、やはりPCでごった返しているフォート・アウフを去っ て行った。  暗闇は俺達を迅速に包み込み、指定どおりの処理を行っている。……アスティアは、こ の闇をどう感じているのだろうか?  暫くすると急に辺りが暗くなった。  月と星が出ているのを見ると、どうやらここは夜のエリアらしい。  チラッと見ただけだが、エリア属性も闇だった筈だ。恐らくモンスターも外見に合った 闇属性のグロデスクな物ばかりだろう。  レベルは70と俺のレベルを考えれば楽勝な高さだった。  「暗い、ね……。どうせなら明るい場所が良かったのに」 「文句を言ってもしょうがないって。お化け屋敷にでも来たと思えばいいんだよ」  俺は多少無理があると思った言葉を口にして、手を握ったままのアスティアをダンジョ ンに導いていく。  アスティアの方も特に突っ込みを入れる気は無いようだ。  ……昔なら、「お化けの屋敷の方がまだ可愛気あるよ」などと返事が来たものだが。  光の薄いアスティアの瞳が暗闇のせいで更に暗く見える。  表情もやはり俯き気味だ。  俺は手を握ってやる事ぐらいしか出来ないのか……!  何も出来ない。元気付けてやる事すら出来ない自分が、たまらなく、悔しかった。  必死でレベルを最高にしたのも、強い装備を手に入れたのも、世界について調べ上げた 事も……。何一つ、俺の力は妹を救う道に及んではいなかった。  そしてその時だ、目の前に誰だか知らないがPCの姿が目に入った。  闇の中でよく見えないが重斧使いらしい、やたら大きな体が月明かりに照らされてどこ か生気のある死者を思わせた。  短髪で身長が高く、体格もいい。  だが、そんな事よりもこいつの服装はPCメイキングに無い物なのが気になる。  たちの悪いチーターだろうか? 「あんたがアスティアだな」 「妹に何の用だよ?」 「名前が確認出来れば問題ない」  噛み合っている様で噛み合っていない会話の後。  唐突にそのPCが闇へ消えた。  ………どこ行きやがった?  いくら周りを見回してもそいつの気配すら無い。  有るのはただ銀色に輝く月と、闇の色が混じり黒い光を反射している草原だけだ。  そんな事を考えている時だった、不意にアスティアの握っていた手が無い事に気付く。  まさか!?  俺は再度辺りを見回す、今度は全力で可能な限り早く。  声を上げる暇すらなく、アスティアは闇の中に消え去っていた。  見回した先に有るのは闇と風邪と岩だけだった。 妹は、連れ去られていた。 「……野朗、碧衣の回し者かよっ!!」  俺はアプドゥを使い、可能な限り早く闇の草原を走る。ほんの近くなので、プチグソを 使うまでも無く何かの骨で出来ているダンジョンに到着する事が出来た。 そして止まる事無くダンジョンに入って行った。  ダンジョンの外見もそうだが、内装も予想通り歪な物だ。  ウネウネと曲がったダンジョンは方向感覚が掴みにくく、曲がり角や扉の前などいつも 嫌な場所に魔法陣が設置してある。  道が分かっていても進むのは骨が折れる作業だ。  俺は何度も要請のオーブを使い、最短ルートで地下に降りていく。  無論成るべく魔法陣は開かないようにして、出てきた雑魚は一刀の元に切り捨てていく。  イベントで作り出したこのオリジナルアイテム『ガレルの剛剣』は殆どの闇属性モンス ターを一撃で倒せる特殊能力が有るのだ。  斬っては階段を探し、降りる。俺はそれを永遠と続けていった。  データだけの存在となった妹が、無事な事をただ願って。 地下12階  実際には20分程しか経っていないのだが、俺には何日もダンジョンを降りているよう に感じられた。階段の下に見えるのが死へと続く下り道に見えてならない。   早くしなければ……、早くしなければアスティアが危ない!   俺の勘はそう告げている。  ただ、危険だと言う声が頭の中でガンガン鳴り響いている。   ……俺の勘は一度も外れた事は無い。 「……ここかぁ!!」    俺は目の前に聳え立つ巨大な扉を蹴り開けた。  オーブで確認した通り、そこは神像部屋の筈だった。フロアの5分の1を使った広い空 間の筈だった。  ……だが、違った。  そこには数々のよく分からない機器が並べられ、真ん中に手術台のようなベットが用意 してある。  神像部屋はさながら病院の手術質のような場所に改造されていた。  そしてその真ん中のベットにアスティアが両手両足を固定されて縛り付けられている。 出ない力で必死に抵抗しているものの、もはやその姿は蜘蛛に囚われた帳のようだった。  その周りには先程のPCを加え、明らかにチートだと思われるPCが4人。 アスティアを囲むように立っていた。 「あ、アスティア!!」 「……お、………兄ぃち………」  既に弱りきったアスティアは口を押さえられている訳でもないに関わらず、声すら出せ ないようだ。  俺は急いで中に入ろうとする。……だが。 「………っ!!」  入れなかった、何かしろの見えない膜で覆われているようにまったく中に入る事が出来 ない。  凄腕のハッカーがいるのか、その空間は完全に守られている。  俺にはその透明なデータの壁が、ダイヤモンドより頑丈で、悪魔より残酷に見えた。 「くそぉぉぉ!!!」  俺は剣で何度もその膜を叩ききろうと切りつける。  だが手応えがあるに関わらず、その膜は破れる気配を見せない。いくら叩きつけても乾 いた音を立てるだけで弾き返されてしまうのだ。  俺がこんな茶番をしている間にも、4人のPCはアスティアに………妹に詰め寄っている と言うのに! 「残念だったな、お兄さん。そこでゆっくり手術の見学でもしていてくれ」  4人の中のリーダー格らしい短い銀髪のPCが冷たく感情も感じさせずに言った。  何も感じさせない声が返って恐怖を呼び寄せる。 「アスティアをどうする気だ!?」 「取り込まれたPCの構造が知りたくてね。……これから『分解』するのだよ」  そう言うと、リーダー格らしいPCはなにやら歪な刃物を取り出す。  恐らく、データを切り刻む為のチートアイテムだろう。  それは小さいナイフのような形をしているが、俺にとっては死神の鎌のように見えた。  もし世界に取り込まれた状態で死んでしまったら……。  その男は容赦などと言う言葉を知らないかのように残り3人にアスティアを抑えておく よう命令すると、何の変哲も無い歩調でベットに近付いていく。  何故かその時、長髪の男はこの上ない笑みを浮かべていた。 「………く、……う」   「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」  俺は必死になって剣を膜に叩きつける。  ボタンを押す指に力が入り過ぎてコントローラーがギシギシと音を立てる。  何度も、何度も……。俺はただ馬鹿になって、狂ったかのように剣を降り続けた。  そしてなにやら3人のうち1人が魔法を使うような仕草をしたかと思うと、激しい音と 共にやっと膜が破裂した。  永遠の闇がやっと晴れた……、かのように思えた。だがそれはま違いだった。  俺は怒涛のように部屋に走りこむ。  だが、それは直ぐに罠だと気付いた。……しかし、もはや避ける事が出来ない。 ……シィィィィィン……  金色の輪が俺を包む。 「アスティアぁぁぁぁああぁぁぁぁ!!!!!」    俺の体が消えていく、どこに消えるのかすら分からないまま。  そしてリーダー格の男がその死神の鎌を振り下ろすの目に入った。  アスティアが、4つに裂かれた。   ……血を、流す事も無く。 ……涙を、流す事も無く。 ……ただ、彫刻のように美しい顔のままで。  俺はどこに飛ばされるのかも確認しないまま、FMDを投げ捨てた。  激しい音を立てて、高級なFMDは地面に叩きつけられる。  俺は上着も着ないで玄関に向かうと、そのまま玄関を飛び出し、妹……香が入院してい る病院にに向かって走る。  途中の赤信号なんて気にしていられない、車の事情なんて知った事か!  俺はとんでもない呼吸をしながら、ただ全速力で暗くなり始めた道を疾走する。  病院までは15分の距離だが、俺は2分で病院に駆け込んだ。  自動ドアが開ききる事すら待てず、俺は半開きのドアをこじ開けて院内に走り込む。  受付で了承も取らず、妹の入院している3階の302号室へ階段を駆け上がる。  体中がメキメキと音を立てて痛み、筋肉が千切れる程痛み、息は酸欠で死に掛けている 人間のように荒いが、それでも速度を落とさなかった。  階段が雲の上まで続いているのかと思うほど長かった。だが俺は階段を上る力を緩めな い。  妹が、香が、アスティアが、ただ心配でしょうがない為に。  体は限界を訴えていた、だが俺はそれを無視する。  ……俺の体など、一晩経てば治るのだから。  俺の勘は絶望を告げていた、だが俺はそれを無視する。  ……俺の勘は間違っていた事など無いのだから。  俺は病室の前まで走ってくると、一瞬部屋の番号を確かめ、確認するとすぐさま扉を乱 暴に開いた。  そしてやっと月明かりが差し込んでいる個室のベットに、明かりさえも付けずに駆け寄 る。  闇の中で月明かりに照らされるその姿は、あたかも………。  俺はそっとベットに横たわっている、香の手首を握り、心拍を確認する。  その手は驚くほど軽く、雪のようだった………。 「くそっ!! くそっ!! くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!!!」   二度と、香の鼓動は感じられなかった。 笑顔も、泣き顔も…………… 命も 今(2月29日12時現在)大幅に加筆修正しました。 修正版を呼んでいない人はもう一度呼んで頂けると幸いです。 それでは、呼んでくれた方。どうも有り難う御座いました。 そして私のHPでTRPGに参加される方、内容をご理解頂けると幸いです。 (TRPGに興味がある方は私のHPに来て見てくださいね)