獲得得点が20年以上で84点・・・今の時代ではタイトルすら獲得できない点数。 F1の人気が元々低かったドイツでシューマッハの登場で変わり、スペインもアロンソの登場によって変わり、ポーランドでもクビサの活躍によって人気が高まっているようにやっぱり自国のドライバーの活躍、特に優勝やタイトルを争うやチャンピオンを獲得するぐらいまでいくと大きく変わるのだろう。
ただじゃあ日本人ドライバーが優勝をするぐらい活躍したとしても・・・そりゃあ人気やメディアの扱いも今よりは変わると思うが、レースに対してまだ文化として根付いていないこの国でドイツやスペインのように国をあげて熱狂するとは考えにくいけどね。
ホンダがエンジンサプライヤーとして復帰し、当時国内最速を誇っていた中嶋悟が今で言うならホンダのテストドライバー的な役割を担っていた。
それ以前に富士で開催された際にスポット参戦した話については古すぎるし知らないのでここでは無視しよう。
1987年にロータスにホンダがエンジン供給する際に中嶋悟をレギュラードライバーとして起用を推し進め初のフルタイム日本人F1ドライバーが誕生する。 年齢を考えたらもっと早く行けていたらとは思いたくはなったけど。
これをキッカケとしてフジテレビの全戦中継が始まり、鈴鹿での日本GPが始まりとやっと日本でF1が遠い国のマイナースポーツ的扱いからちょっと変わる。
1988年の日本GPに鈴木亜久里がスポット参戦、当然中嶋に続く日本人ドライバーとして期待されたが、翌年は全戦予備予選落ちという結果に終わる。
1989年豪雨のオーストラリアGPで中嶋悟が日本人として初めてFLを記録した。
翌1990年にラルースから参戦していた鈴木亜久里が日本GPで3位表彰台を獲得と意外にここまでは日本人の成績もそんなに悪くなかったというか順調だったかもしれない。
1991年に中嶋悟が引退、それと入れ替わる形で片山右京がデビューと日本人2人体制が続く、それ以前に当時日本人の若手として期待されていた服部がスポット参戦しているが、予選を通過する事はできていない。
1992年にホンダが撤退するも無限ホンダが後を継ぐ形で参戦、1993年にはフットワーク無限ホンダというパッケージに鈴木亜久里が乗った。 マクラーレンからの技術供給によって後半は予選シングルの常連となったが・・・無得点に終わる。
片山右京はティレルに移籍、片山をサポートしていたJTもこの年からロゴをキャビンからマイルドセブンに変更してその後2006年のルノーまで、スポンサーとして活動した。
1993年の終盤には鈴木利男も参戦している。
1994年は鈴木亜久里がシートを失ったもののパシフィックGPにジョーダンからスポット参戦、片山右京はティレルヤマハで速さを発揮した。 この年の走りでベネトンと契約直前までいきながら断ったという話は有名ではあるが、それにはスポンサーのJTが2チーム体制希望がネックになったとされている。
ただ片山が独断でサインして移籍していればそれはそれで済んだだろう。 そうなっていたらシューマッハと走る片山右京が見られ、ベネトンルノーというパッケージを考えたら日本人ドライバーの歴史は変わっていたかもしれない。
それは中嶋にせよ鈴木にせよそういうもしあの時あのマシン・チームにという心残りはあるのだけどね。
1994年の終盤には野田、井上も参戦し日本人が3人F1で走ったグランプリもあった。
1995年も片山、井上がフル参戦し、鈴木もリジェで数戦走っていたため、3人が走っているグランブリもあった。
鈴木は引退、井上はシートを得られず1996年は片山が一人だけとなった。
1997年に無限のバックアップもあって中野信治がプロストからデビュー、中嶋悟が当時の愛弟子高木をF1に送り込むためにティレルに本格的に関わり始めたのもこの頃だろう。
1997年に片山が引退、その空いたシートに中野が移籍し、高木がティレルからデビューと当時としては国内レースで活躍した期待の若手二人がF1に参戦という新しい時代が・・・と少し期待したがいかんせんマシンがポンコツすぎて結果は散々だったが、中野はミナルディで10完走と健闘したが翌年のシートはなくジョーダンのテスドライバーに、高木はティレルがBARになったためアロウズに移籍するがリタイアばかりだった。
結局中野にしろ高木にしろF1では2年しか走れなかった。
こうして2000年から2年間日本人ドライバーは不在となった。 ただその2000年にはホンダがF1に復帰している。
2002年にイギリスF3チャンピオンという過去の日本人にはなかった肩書をひっさげて佐藤琢磨がデビューを飾る。 この年はトヨタも参戦開始。
ただ翌年は佐藤琢磨がテストドライバーになった事で日本人不在となるが最終戦の日本GPで佐藤琢磨が復帰し、翌年の初表彰台へとつながっていくがその後BARホンダは低迷していき佐藤琢磨もシートを失った。
スーパーアグリがなかったらこの時点で佐藤琢磨のF1は多分終わっていただろう。
2006年 スーパーアグリが佐藤琢磨&井出有治という日本人コンビで戦うもわずか4戦で井出はF1を去った。 その後シーズン終盤に山本左近が参戦。
2007年はスーパーアグリが前半は健闘 終盤にはスパイカーで山本左近がF1復帰を果たし、最終戦のブラジルGPでは中嶋一貴も参戦とこのレースに限っては日本人ドライバー3人が走った事となる。
2008年中嶋一貴がウィリアムズからフル参戦を開始、日本人としては初の二世F1ドライバーとなる。 ただシーズンが始まってすぐにスーパーアグリが消滅し佐藤琢磨もシートを失った。
シーズン終了後にはホンダが撤退を表明してF1から去った。
2009年はトヨタと中嶋一貴のみとなり、それも今後どうなっていくかは不透明すぎる。
2009年 初優勝が期待されたトヨタだが、何度かそのチャンスがありながらも優勝はできなかった。 ただ日本GPで日本チームが表彰台(2位)を初めて獲得した。
中嶋一貴はウィリアムズトヨタで走るも無得点でシーズンを終え評価を下げた。
グロックの負傷によってリザーブの小林可夢偉がラスト2戦に出走 トヨタが初めて日本人ドライバーをレースに起用した。 その2戦目で可夢偉は6位初入賞を記録して注目の的となり、2010年のトヨタのレギュラードライバーがほぼ確定とメディアが報じてから数日もしない間にトヨタはF1からの撤退を決めた。
それもシーズンが終わったばかりの2009年限りだ・・・これによって2010年は日本チーム不在、もしかしたら日本人ドライバーも不在となるだろう。
BSタイヤも2010年限りでF1からの撤退を発表となり、こうなると2012年以降の日本GPの存在自体も危うくなりそうな勢いだ。
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