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History Members 三国志編 第62回
「孟獲とユカイな仲間たち・りたーんず」

F「さて。予定は未定ということで、今週は講釈しておく」
Y「月頭からサボるのは感心せんからなぁ」
F「サボってるワケじゃなくて、本業が忙しいだけなんだがね。ともあれ、前回は割と真面目なオハナシだったので、今回はギャグに走ろう」
Y「だからって孟獲かよ」
F「あのタフガイの間抜けっぷりには心がなごむじゃないか。だが、正史にはほとんど記述がないのは当時触れた通りだ。このため、今回は正史ではない史料が中心になる」
Y「そうもなろうな」
F「まず、演義での南蛮、南中地方はまるで熱帯気候のような書かれ方をしているが、実際には亜熱帯で、しかも高原地帯だ。蛮地だからと腰ミノで踊るおねぃちゃんはいなかったと考えていい」
Y「南蛮とはいえ、気候そのものは益州と大差なかったのか」
F「だな。羅貫中はビルマかラオス、遠くインド辺りを南蛮と想定して筆を走らせたらしい。確かに、元代の"中国"は国土が極めて広かったが、さすがのモンゴル軍でもヒマラヤ山脈を馬で超えることはできなかったワケだから、当時を生きた羅貫中にしてみれば南蛮とは南アジアという認識だったようでな」
ヤスの妻「わたしは、その件に関してはノーコメントを貫かせていただきます」
Y「ムダに大人しいかと思えばそういう事情か。だが、そもそもそういう認識でいいンだろ? 華夷秩序での南蛮は」
F「漢民族にとってはそういう認識になるが、そもそも、孟獲がナニ人かがはっきりしない。孟獲について、正史にはっきり『漢人からも蛮人からも心服されていた』とあり『オレたちは世界でいちばん偉いのだ』と本気で思いこんでいる漢民族が異民族に心服するはずがないから、実際には南蛮王ではなく漢人だったと考えていいンだが」
Y「だが?」
F「孟獲には娘がいてな。フルネームを花鬘(カマン)という」
Y「変だよな」
姓を三度変えたキノマタ党党首「儒教では、子は父の姓を名乗ることになっている。現代でも漢土が夫婦別姓なのはこれが根本で、日本で夫婦別姓が取り沙汰されたときに決め手となった『家族の一体感』とやらより、誰の子で誰の子孫かがはっきり判ることを優先しているンだ。というわけで、孟獲の子が孟姓を名乗っていないことそのものが、漢民族と扱われていない証明でな」
ヤスの妻「でも、この子民間伝承にしか出ないよね?」
F「正確には京劇ですね。しかも、何しに出てくるかと云えば、関索こと花関索の妻となるヒロインですから。子が父方の先祖の姓を名乗るということは、同姓だとさかのぼればつながっているので、儒教には『同姓は娶らず』という基本原則もあり、花岳(カガク、育ての親)さんちの索童と花鬘がくっつくというのはこれまたおかしかったりします。ただ、京劇ではフルネームでなく関索で出てくるので、問題ないとも云えますが」
ヤスの妻「扱いとして微妙なんだね」
Y「母方の姓とも違うからなぁ」
F「儒教は原則男尊女卑だから、それはそれでありえないがな。そも、孟獲の妻と知られる祝融夫人は『姓は祝、名は融』じゃなくて『ワタシは祝融の末裔だからワタシもそう名乗るわ!』だ。貂蝉と一緒で、そう思われがちだが氏名じゃないンだよ。どっかで書いた通り、祝融とは火神だが司馬家の先祖でもある」
Y「……ということは?」
F「祝融夫人の本名が明らかでないのは司馬姓だったから、という可能性もあるワケだ。あるいは異民族だからという考え方もできるが、どっちにせよ演義での創作人物で、実史での孟獲の妻は、いたかどうかも含めて不明だし」
Y「なんだかなぁ……」
F「さて、そんな孟獲は孔明と戦い7度捕えられたというのは有名なオハナシで、正史の注にも引かれているエピソードだが、むしろ孟獲が、孔明を捕えたという民間伝承もある」
Y「7回か?」
F「一般的には……ではないな。7回と思われがちだし、実はググっても『孔明を7回捕えた』としかひっかからないンだが、僕の持ってるネタだと5回なんだよ」
ヤスの妻「数字がはっきりしないんだね」
F「講釈してみます。孟獲が南蛮の大王になると、蜀への貢物をやめてしまいました。これに腹を立てた孔明さん、ひそかに軍勢を率いて饅頭川を渡り……」
Y「待て。どこの川だ」
F「ほら、生贄に生首投げ込まないと荒れ続けて渡れないってあの川。名前が思い出せなくて」
ヤスの妻「濾水(ろすい)だよ」
F「でしたかね。というわけで、渡った辺りの酋長を捕え、この酋長を使って孟獲をおびき出してあっさり縄目にする。で、宴席に連れ出して縄をほどき、酒や料理をふるまって降伏するよう促した」
Y「1度めー」
F「何年振りだ、そのフレーズ。ところが大王サマ『私は卑怯なふるまいを好まない。男たるもの正々堂々と雌雄を決したい』と拒否。3日後に改めて戦うことを約束して、孔明は孟獲を逃がした」
Y「だから、どーして異民族にそういう口調を充てるンだ、お前は」
F「そして3日後、蜀軍と南蛮軍は戦場で相対する。孔明は四輪車に乗って陣頭に立つが、迎える孟獲もトラにまたがり前に出た。混戦すること4時間、孔明は蜀の武将10人(誰かは不明)を出陣させ、孟獲はひとりでそれを迎え討ち、3人を斬ったが残る7人によってクビを落とされてしまう」
Y「おい」
F「ところがどうしたことか、孟獲はクビつなぎの秘術を会得していた。落とされたクビを自分でつないで呪文を唱えればあっさり生き還る。これには蜀軍の将兵驚き果ててなすすべもない」
Y「俺だって驚くわ」
F「その隙に孟獲、虎を走らせて本陣に斬り込み、孔明を生け捕って南蛮軍の陣地に連れ帰った」
Y「えーっと、どうカウントすればいいンだ?」
F「孟獲本人が『これでドローだぜ』と云ってるよ。孔明の縄をほどいて、酒と料理でもてなしながら」
ヤスの妻「ぅわ、すっごい屈辱」
F「だが、そこは孔明さんです。白羽扇振り振り『お前、正々堂々とか云っておきながらあの秘術はないだろう! 今回は大目に見るが、次にアレを使ったら秘術破りでホントに殺すぞ!』と怒鳴りつけます」
Y「おい、ちょっと待て」
F「云われた孟獲『アレはお師匠直伝の秘術なのに、何で秘術破りを!?』と驚愕。孔明ニヤニヤと『お前を殺すのはちと惜しい。どうだ、今後クビつなぎの秘術を使わないなら、ワシも秘術破りを使わんでやるぞ』と持ちかけ、『そう云われては……』と受け入れた孟獲は孔明を解放し、1ヶ月後に再戦することに」
ヤスの妻「ね、ホントに秘術破りなんて知ってたの?」
F「いや、知らないらしいですね。相手が正直者の孟獲だからと、カマかけたらビンゴだったみたいで」
Y「なんという、孔明の罠……」
F「ということで、孟獲は孔明と12回戦い、孔明を5回捕えたものの、7回捕まっている。その7回めでようやく心服し、蜀の属領となることを受け入れましたとさ」
Y「巻きが入ったか」
F「しっかり見ると長くなるからねェ。孔明の南蛮行に関連する民間伝承は、有名な、濾水を鎮めるため生首をブチ込んでいた風習をやめさせるために饅頭を作らせたものなど数多いが、異民族の側の意地を見せたものもあったワケだ」
Y「地域密着型という認識でいいよな」
F「そうだな。繰り返すが、正史では、孟獲に関する記述は極めて少ない。だが、孟獲が孔明相手に善戦した民間伝承は数多く伝えられている。蜀に立ち向かった少数民族という構図は、広大な魏に立ち向かう小さな蜀の縮図とも云えるからな。民間レベルでは孟獲の人気があるのは無理からぬオハナシなわけだ」
Y「正史ではどっちも負け組だからなぁ」
ヤスの妻「ヤス」
F「あっはは。ところで、蜀に降った孟獲は御史中丞に叙されている。これがどんな役職かと云えば、官吏の違法行為を摘発し、有罪なら逮捕・尋問の権限を持っているものだ。九品官人法で云えば四品官に相当」
Y「割と高い官職だな」
F「孔明さんは単純に『悪い役人は取り締まり、良い役人なら行賞するお役目だぜ』と説明したところ、孟獲『判りましたー!』と、3ヶ月で悪徳役人33人、賢臣13人の名簿を上奏している。のだが、上奏された悪徳役人には、劉禅の縁戚が2人、孔明の友人が3人含まれていた」
Y「おや」
F「劉禅や孔明の威光を頼ってやりたい放題していた連中だな。それを弾劾しようとしたワケだが、名簿に目を通した孔明がいい顔をしないので、孟獲はいら立って『私情を交えずに、悪い者は悪い、良い者は良いと裁定しただけで、不当な裁きはしておりません!』と声を上げる。対して孔明『いや、そりゃおかしい』と静かに応じる」
Y「係累が惜しいか?」
F「『そうではない。この宮廷にはお上の権威を恐れず、公正に職務を果たす忠臣がいるのに、この名簿にはその者が含まれていないではないか』と応える。誰のことなのか孟獲も、劉禅も居並ぶ群臣も判らないが、孔明白羽扇で孟獲の肩をなでて『お前だよ』とにっこり。納得した劉禅は、孟獲に肥沃な土地と果樹園を与えたという」
Y「宮廷のしがらみには関係がないだけに、劉禅や孔明の係累でも処罰するのに躊躇いがなかったのか」
F「繰り返すが、正史での孟獲に関する記述は極めて少ない。孟獲が実際に、どう孔明に仕えたかは判らないが、こういう民間伝承が伝えられるような人物だったらしい。まぁ、虚像かもしれんがな」
Y「羅貫中に作られたイメージが独り歩きしたのか、それとも実際にそういう男だったのか、判ったモンじゃないワケな。俺としては前者だが」
ヤスの妻「後者だった、と思ってるひとが多いワケだね」
F「こういう脇役人気も三国志の名物のひとつなわけだ、ということで」
Y「どうぞ」
F「続きは次回の講釈で」


孟獲(もんほ)
生没年不詳(なんか「殺されたくらいで死ぬものか!」というフレーズを思い出した)
武勇3智略2運営3魅力5
益州建寧郡出身とされる南蛮王。実際は漢人と思われるが、正史にはほとんど記述がない。
負け続け逃げ続けても逃げ込んだ先で必ず受け入れてもらえる不思議な魅力の持ち主。その分、武勇と智略は褒められたモンではない。

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