戻る

F「さて、今回はちょっとワケありで、タイトルコールはあとにする」
Y「何企んでンだろうね、コイツは」
F「ちょっとした悪戯だ。とりあえず、ターゲットは張任さんだが」
Y「劉璋配下が続いて来たな。こちらも、正史ではそれほど記述がないひとりになるな」
F「少ないな。益州は蜀郡の出自で、生年は不詳だが没年は213年。演義での初登場は60回。ただし、ここでは群臣諸将のひとりで、名のみの登場になる。劉備を益州に招くのに反対する武将のひとりとして登場している」
Y「いちおうテンプレできるのか」
F「マトモにテンプレ入ったことのが少ない気がするンだがなぁ。正史では、劉備の入蜀に反対したという記述はないンだが、劉備が成都に進軍を開始したときに、迎撃に出されたひとりとして名が挙がっている」
Y「扱いとしては厳顔と似たようなモンか?」
F「いや。正史に直接の明記があるのはそこだけなんだが、正史の注では『蜀郡の出自で、代々貧乏さんだったけどお役所に勤めて取り立てられた』となっている。どこの馬の骨か判らん厳顔とは違って、いちおう、どんな人物だったのか書いてはあってな」
Y「それほど多くはないものの記述はあった、か。それを羅貫中が膨らませて?」
F「いっぱしの武将に仕上げてしまったワケだ。演義では、黄権の前歯を蹴り砕いて、王累が墜死するのを余所に、劉備のお迎えに伺った劉璋に同行している。その連中ほど、積極的に劉璋を諌めようとはしなかったワケだ」
Y「唯々諾々と従うのは忠臣のすることじゃないンだがなぁ。是は是、非は非と鳴らさんと」
F「さっきも云ったが、張任は代々びんぼなおうちの出身でな。正史の注では『若い頃から大胆で勇敢、しっかりした意思を持っていた』とはあるが、その辺りの事情があってか、あまり強くは出られなかったようでな」
Y「身分的なものか」
F「今でも階級社会は根強いからねェ。だが、戦場ではそんなモン気にせずに働けるのが男というものだ。劉備を迎えての宴席で、劉璋を殺すよう龐統魏延に剣舞をやらせると、ただならぬ気配を察した張任、自ら『おう、相手をさせてもらおうか!』と名乗り出てチャンバラ始める」
Y「魏延が劉璋を害しようとしたら、劉備もタダじゃ済まさんぞという意思表示だな」
F「まぁ、いちおうは呂布とも刃を交えた劉備だけに、張任に斬りかかられても対応していたとは思うけどね。例の雌雄一対の剣を抜いて『ええかげんにせえよ、お前ら!』と怒鳴りつけたから、その場は流れている」
Y「厳顔のネタと違って、その辺りはむかししっかり講釈したから覚えてる。ある程度は繰り返しになるか」
F「演義でも高く評価されているひとりだからねェ。まぁ、このあとはしばらく出てこなくて、正史での展開通り、劉備が益州州都の成都へ進軍を開始すると、迎撃に出されている。紫虚上人の死亡フラグを笑い飛ばして、他の武将とともに荊州軍に対抗しているンだが、緒戦でケ賢(トウケン)・冷苞(レイホウ)があっさり破られる」
Y「大軍を率いるには向かないのかね」
F「いや、この時点で益州軍の指揮を執っていたのは劉カイ(字が出ない)だ。張任とケ賢・冷苞はその副将扱いで、ケ・冷を外の砦に出す策を建てたのも劉カイ(字が出ない)。なので、ケ賢が黄忠に斬られて、冷苞が魏延に捕まったことにまで、張任の責任を求めるのはちと酷だろう」
Y「劉カイの方がアホだった、と」
F「だな。援軍の劉循(リュウジュン、劉璋長男)・呉懿らが合流してからも、張任はあまり目立たない。本格的に動き出すのは、年の変わった213年に入ってから。益州軍のこもる雒城(らく)の、東南の小道を自ら志願して守りに出ると、ちょうど魏延が進軍してきた。それをやり過ごすと、白馬にまたがった武将がノコノコ現れる」
Y「で、一斉射撃」
F「前に宴席で顔は見たはずなんだが『あれこそ劉備だ!』と矢の雨を浴びせた。というわけで、鳳のセンセは落鳳坡に死す。龐統を討ち配下の兵を蹴散らした張任は、魏延の退路を断つと背後から襲撃している」
Y「魏延まで討っていたら大手柄だっただろうに」
F「そこは、さすがに魏延だった。雒城から出てきた呉蘭雷銅を相手に奮戦し、追いついてきた張任に囲まれても一歩も退かず、黄忠の援軍到着まで持ちこたえたンだから。劉備本隊も合流して何とか魏延を収容したものの、荊州軍の被害は大きく、張任・呉蘭らの追撃を旧ケ・冷の砦では支えきれなくて、涪城(ふ)まで後退している」
Y「この辺りから活躍し始めるワケか」
F「そゆこと。張任は、それから毎日涪城に挑発に来ていたンだけど、それだけに割と疲れていた。夜襲をしかけられるとあっさり崩れて、雒城に逃げ込んでしまう。そこで荊州軍は雒城を包囲するンだけど、劉備が西門なら黄忠・魏延は東門、というぐあいに主力武将と離れているのを張任は見抜いた」
Y「あのアホの戦下手の真骨頂だな」
F「関羽張飛ならこの配置でも大丈夫だったろうけど、さすがにあのふたりの代わりにはなれん。今度は荊州軍が疲労したのを見計らって、呉蘭・雷銅を黄忠たちの足止めに向かわせると、張任は劉備本隊に攻めかかった。慌てて逃げ出す劉備だけど、逃がすまいと軽騎を引き連れ追いかける」
Y「大ピンチ」
F「そこへやってきたのが張飛で、きちんと劉備を救い出すと張任を雒城に押し戻している。何で張飛が来たのか、は前回の厳顔戦参照。あのおじいちゃんのおかげで戦闘ナシでここまで来れたので『水路で来る軍師より俺のが早かったぜェ』とご満悦だ」
Y「……はいいが、黄忠どうなった?」
F「雒城から呉懿と劉カイが出陣してきて、包囲された」
Y「助けろよ!」
F「劉備と張飛が救援に向かったから、呉懿たちは退却している。ために、呉蘭・雷銅は投降して、厳顔がいるなら……と帰順したのも前回見た通り」
Y「着々と追い詰められる雒城」
F「この頃には、すでに張任が劉循をさしおいて迎撃の指揮を執っていたような状態でな。呉懿らと協議の結果、決戦を挑むことになった。討って出た張任が張飛とぶつかり、わざと潰走して雒城の北におびき出す。その横腹に呉懿が攻めかかって、張任も兵を戻すと、張飛でも孤立して包囲された」
Y「さっきの魏延みたいな状態か」
F「今度来たのは、孔明隊の前衛を張っていた趙雲だったけどな。益州軍を蹴散らし呉懿を生け捕った趙雲に、張任は交戦を断念して城内に戻っている。孔明は劉備本隊に合流し『張飛殿が策を用いたとは、ご主君のしあわせのなんと大きいことか』とのたまっている間のオハナシだった」
Y「何かのどかというか、一本ずれてるンだが」
F「で、孔明は策を弄した。雒城の東にある金雁橋を、自ら一隊を率いて渡ると『曹操軍100万でもワタシの名を聞いて逃げ出したのに、何でムダな抵抗を続けるのか』と挑発すると、張任は『孔明の用兵は神の如しと聞いていたが、この程度か!』と襲いかかる」
Y「あからさまなフラグだな」
F「これも珍しいが四輪車から馬に乗り換え、金雁橋を越えて逃げる孔明を、張任は追いかける。そこへ、左から劉備、右から厳顔が襲いかかったので、慌てて引き返すが、すでに橋は趙雲が落としてしまっていた。やむなく川沿いに南へ逃れると、葦の生い茂る川辺で魏延・黄忠に攻撃されて次々と兵が倒れていく」
Y「いち、に、さん、し、ご……張飛か」
F「山道に逃げ込んだ張任の前に、張飛が待っていたワケだ。さすがの張任でも逃げ腰になり、兵士が殺到して捕縛された。劉備の前に引き出された張任は、それでも降伏しなかったために、劉備は惜しんだものの孔明が処刑させている」
Y「てこずったな」
F「正史では、ここまでの人物とは描かれていない。正史の注では『劉璋は劉カイ・張任らに精兵を与えて迎撃に出したが、涪で負けたので劉循とともに雒城にこもった。雁橋に出陣したが負けて生け捕りになった』と、むしろ戦下手なイメージ漂う記述でな。そもそも、龐統を討ったのが張任だとも記述がないンだ」
Y「流れ矢で死んだ、だったか」
F「惜しまれるに値する男ではある。張松曰く『文武智勇を兼ね備える者は100人以上』の蜀将の中でも、呉懿曰く『アイツは別格』という存在だから。演義・正史・その他での記述を、書き下して引用してみる」

「烈士豈甘從二主 張君忠勇死猶生 高明正似天邊月 夜夜流光照雒城
 (烈士は二君に仕えず、張任は死しても名は生きた。高明なるは空の月に似て雒城を夜な夜な照らす)」(演義)

「先主(劉備)は張任が忠勇の士と聞いていたので降伏させよと命を下していたが、張任は激しく『老臣は二君に仕えるような真似をせん!』と怒鳴りつけた。そこで張任を殺したが、劉備は感嘆し、哀惜した」(正史の注)

「こんな必死になってこの人の守ったものはいったい何だろう」(三國志Y事典)

Y「おい、最後に『何でわざわざ死なねばならなかったのか』みたいな文章を持ってくるな」
F「郝昭歩隲のエピソードでも判る通り、演義でも孔明を絶対者とはしていないンだ。できることとできないことがある。龐統を死なせ、張任を降らせられなかったのはその辺りの現れになるが、それ以上に、羅貫中はこの男をどこまでも気に入って、念入りに描写したようでな」
Y「厳顔とは違って、だな」
F「ところで、この張任さん、どうにも劉備ファンからも評価が高い。その生き様が生き様だけに判らんでもないが、だからといって劉備ファンは、手放しでこの男を評価していいものかと思う」
Y「ん?」
F「演義でも正史でも、雒城での激戦で龐統が死んだのは事実なんだ。それがなければ、このあとも鳳のセンセは生き延びて、劉備のため尽力したことは確かだろう。孔明が五丈原で過労死した原因の、半分は張任に求めていいように思えるンだよ」
Y「残りの半分は?」
F「法正の病没だ。孔明が蜀の軍事面まで担当しなければならなくなった、直接の原因のひとつが龐統の死なんだから。それを招いたのは、間接的に蜀の滅亡に貢献したと云っていい。どーして劉備ファンの連中は、その辺りに目をそむけているのだろう」
Y「……気づいていないのか、それとも龐統がそれほどの大物と思われていないのか」
F「まぁ、正史でも演義でも、成鳥になれなかったのは事実だからなぁ。割と異名負けしてる感は否めない」
Y「忠臣と評価できる男でも、のちの蜀にしてみれば一大戦犯か」
F「僕としては大好きな部類なんだが、というわけだ。つーところで、『HM 三国志編』第38回『蜀を滅ぼしたもの・2 雒城落城ってあからさますぎて笑えないよねェ』を終わっておこう」
Y「先にそのサブタイトル聞いてたら、俺帰ってたぞ!?」
F「続きは次回の講釈で」


History Members 三国志編 第38回
「蜀を滅ぼしたもの・2 雒城落城ってあからさますぎて笑えないよねェ」



張任(ちょうじん) 字は不詳
?〜213年(惜しまれつつ処刑される)
武勇5智略2運営2魅力4(なお、演義での評価)
益州蜀郡出身の、益州の名将。
演義では龐統を射殺するなど、侵攻する劉備に徹底抗戦するも捕えられ、惜しまれつつ処刑された。

戻る