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History Members 三国志編 第37回
「リハビリ中なので短縮メニューでっす」

F「アタマは正常なんだけど、身体、特に発声器官が思うように動かせないのが辛いところで」
Y「普段と逆なだけだろ?」
F「この野郎。まぁ、リハビリがてら軽いメニューをこなそうかな、と。翡翠はともかく医者の許可は出たから、普段の半分くらいの量で講釈するよ」
Y「平日で病室で、しかも俺しかおらんが」
F「今より多いと僕が辛い。とりあえず、今回は厳顔についてー」
Y「割と大物……いや、正史だと小物というかチョイ役というかか。演義だとそれなりの扱いだが」
F「じゃね。テンプレがまったく出せないひとりだ。生没年から字まで不詳、というか、正史では張飛伝に少しだけ記述があってそれっきり。なぜ羅貫中があそこまで活躍させたのか疑問なひとりだ」
Y「正史からは活躍の欠片も見出せんからなぁ」
F「そゆこと。演義での初登場は63回になる。張魯から益州を守ろうと劉璋劉備を招いたのに反対して、というエピソードは正史の注にも引かれているな。ちなみに、演義では老将と描写されているが、実年齢は不明だ」
Y「老将だったか判らない、と」
F「『真・恋姫』では目分量最大のバストを誇る熟女に描かれているが、演義では老将の黄忠黄蓋もそーいうキャラになっているから、バランスのためだね。年齢としては祭さん(黄蓋)>桔梗サマ(厳顔)>ちょっと開いて紫苑(黄忠)みたいだけど」
Y「紫苑がいちばん上じゃないのか?」
F「娘の年齢考えろ。祭さんは亡き孫堅時代からの宿将で、つまり雪蓮(孫策)くらいのトシの娘がいてもおかしくない。桔梗サマは焔耶(魏延)の親代わりだから、やはりアレくらいの娘がいる年齢とも考えられる。だが、紫苑の娘は幼女だぞ」
Y「……逆算すれば、数字としてはそういう順番か」
F「話を戻すと、法正李厳といった、劉璋には軽んじられたけど劉備に起用された面子って、当時の年齢では若手が目立つンだ。なのに厳顔は巴郡(は)太守だから、ちょっとした年齢だったとは考えてよさそうで」
Y「あまり戻ってない気もするンだが……人間関係だなぁ」
F「厳顔は、益州で苦戦を続ける劉備への援軍として侵攻してきた、張飛の前に立ちはだかる。降伏勧告をはねつけて徹底抗戦し、陣頭に出てきた張飛の兜を射抜いて度肝を抜く、という真似をしてのけた。横山三国志の張飛は兜をかぶらず、孫悟空みたいなわっかを頭にはめているモンだから、あのシーンはずいぶんなものになっているが」
Y「アレは、黄忠でも当てられんと思うがなぁ」
F「若い頃に轅門射戟ならできたが、さすがにそれができるか試すのを、的が嫌がったからなぁ」
的「当たり前だ! お前の弓勢は知ってるが命は惜しい」
F「病室で騒ぐな。ところが、城攻めを諦めて間道から迂回しようとした張飛に夜襲をしかけたら、それが罠で捕らえられるという、割とあっけない負け方で捕えられる。正史では撃破されたとあるので、戦って負けたらしい」
Y「で、例の名台詞か」
F「うむ。張飛に『なぜ降伏しなかった?』となじられても『益州には首級を討たれる将はおっても降伏する将はおらんわ!』と豪語。腹を立てた張飛が斬ろうとしてもぜんぜん動じず『斬るなら斬れ、怒ってどうする』と悠然としていたモンだから、むしろ感服した張飛に説得され、劉備側に寝返ることになった」
Y「その辺りの潔さは正史・演義共通、と」
F「そゆこと。このあと、進路上の『全部攻め落とすには3年かかる』と云われた諸城が、厳顔の管轄下にあったおかげでフリーパス。張飛は劉備のもとにとっとと駆けつけることができた。ちょうど捕えられた雷銅呉蘭が『厳顔が劉備に味方したなら……』と帰順する始末で、劉備軍の勢力拡大に貢献している」
Y「益州での名声は確たるものがあったワケか」
F「肝心の張任には通じなかったけどな。のちの漢中争奪戦では、黄忠との老将コンビで堂々たる活躍を見せる。葭萌関(かぼうかん)で張郃を破り、天蕩山(てんとう)では夏侯徳を斬りと奮戦。演義における厳顔は老練な武将そのものの感がある」
Y「あくまで演義限定、と」
F「正史での記述は、さっき云った通り少しだけだ。張飛伝で『負けて捕まったが上記の台詞で感服され、張飛に賓客として遇された。注で劉備の益州入りに懸念を表明している』と、それっきり。まぁ、演義でも天蕩山のあとは出なくなり、いつの間にか死んでいたンだろうという扱いなんだが」
Y「使い捨てか」
F「繰り返すが、正史では生没年不詳、それどころか何の活躍もない。ために、いつぞや触れたコーエーの『三國志英傑伝』では黄忠とともに壮絶な戦死を遂げ、周大荒の『反三国志』では益州のお留守番という、活躍はできないが誰かがやらなければならない重要な役割を担って、出番がなくなっている。持てあまされている感がぬぐえない」
Y「あの周大荒でさえ使い方に困った武将なのか」
F「実際のところ、コーエーの三國志W事典でも『(演義での活躍をした)ほどの人物ならば、ほかにも事跡があると思われるが、正史に伝が立てられていないのはどういうことだろう』と、厳顔の人格と能力が疑問視されていてな。正史だけで見るなら、割と評価は控えめというか抑えめにならにゃならんだろうなー、というところだ」
Y「まぁ、演義では優秀だが……記述がなくてはなぁ」
F「演義では『張飛に降伏しない』『張飛に啖呵を切る』はともかく『張飛に騙される』『張飛に説得される』という、オツムが割と残念な感じの人物に仕上がっていてな。そーいえば、張飛からの降伏の使者を、鼻と耳を削ぎ落として追い返すというあまり好ましくない真似もしている」
Y「人格面には問題がありそうだな」
F「三國志V事典では『きっとあの張飛を面罵したことで恐怖とか良識とかいうものをどこかに置き忘れ、過激戦闘マシーンと化したのだろう』となっているが、戦闘マシーンはともかく過激の方は素だと思う。いちおう、三國志V事典は、その『あの張飛を面罵した』一件をして『三国志中最高の勇気の持ち主』と褒めてはいるが」
Y「……評価に困るな」
F「ところで、と云おうか。正史で云うなら褒められるほどの人物じゃない。記述が少ないので評価のしようもない、というのが本音だ。ではなぜ羅貫中が、そんな厳顔を老将として活躍させたのかのヒントが、実は陳寿の張飛評、要するに正史に書かれてあった。ちくま版で云うなら2箇所しかない記述の、面罵シーンでないもうひとつだ」

 関羽・張飛はいずれも一万人の敵を相手にできる男と賞讃され、この時代の勇猛の臣であった。関羽は曹公に手柄で報い、張飛は義気を示して厳顔を釈放し、ともに国士の風格があった。

Y「正史では厳顔を助けたくらいしか張飛を褒めるエピソードがなかったのに、その厳顔を大活躍させることで『張飛が偉い』と思わせるように画策した、と」
F「アキラやお前のカミさんに怒られるような発言は慎もうな!? 張飛を褒められるエピソードはともかく、ここでのポイントは、演義で黄忠を助けたのは誰だったか、だ」
Y「関羽か? ……あぁ」
F「そゆこと。関羽は黄忠を、張飛は厳顔を、という具合に、それぞれ蜀のためになる老将を助け、配下に招いたというエピソードを作ったワケだ。となると、黄忠や、曹操のために関羽が討った顔良文醜並みの存在感が厳顔には求められる。なぜなら、関羽・張飛は"いずれも""ともに"国士だから、だ。関羽にばかりええカッコはさせられんのだよ」
Y「武勇だけでなく、そっち方面でもある程度の働きが求められたワケか」
F「若い頃は猪武者の固有名詞だった張飛でも、劉備が国を得てはそれじゃ通じない。猪から一軍を率いる武将への過渡期としてのエピソードも兼ねて、厳顔という男はある程度以上の大物でなければならなかった……というワケだ」
Y「かくて老いたる過激戦闘マシーンは、演義で活躍するに至った、か。じゃぁ、最期が描写されなかったのは何だ?」
F「馬超馬良同様、ある程度使っちゃったらロクでもない死に方はさせられんから『いつの間にか死にました!』で済ませる。そこまで面倒みきれるか、という羅貫中の諦観じゃないかな」
Y「他の事例があるだけにやりかねない……というか、やっちまったワケだな」
F「まぁ、最後まで生き残る『反三国志』ではそうも扱えなくて、息子の厳寿にそこそこ働かせるというフォローをしている。その辺り、周大荒の蜀将贔屓には引き倒しの感があるな」
Y「正史派としては、あまり評価できる人物でないよなぁ」
F「続きは次回の講釈で」


厳顔(げんがん) 字は不明
生没年不詳(いつの間にかいなくなっていた)
武勇4智略2運営1魅力3(なお、演義での評価)
益州梓潼郡の出自と思われる、益州の名将(とされている)。
正史ではほとんど記述がないが、演義では黄忠に劣らぬ武勇で活躍し、あっさり退場する。

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