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History Members 三国志編 第25回
「正史三国志の祖父」

F「翡翠、ちょっと正座」
翡翠「うぃっす」(ちょこん)
F「僕はキミが何を買おうが基本的には口出ししないが、部屋に入らないものを買う場合は先にひと言ほしかったな」
翡翠「悪かったっすよぉ……」
Y「この間届いた本棚か?」
翡翠「新しい本棚が来る前にいまの本棚整理しようと思って、ぜんぶ出してる間に来ちゃったっす」
Y「本くらいなら、うちの実家で預かるぞ?」
F「計画的に整理できないのを叱ってるだけだ、置き場所の都合じゃないンだよ。ちゃんと反省するようにね?」
翡翠「おーらいっす」
Y「……ちゃんと父親やってるンだなぁ」
F「いちおう親だからな、叱るときはちゃんと叱るぞ。叱るべきじゃないときに叱り褒めるべきときに叱るような、オレの親とは違う。親は何をすればいいのかなんて知らんが、親は何をしちゃいかんのかなら、僕の親が何もかもやっているからな。そうでないことをすればいいだけだから、かなり楽なんだよ」
Y「あのクズどもが何かの役に立つ日が来るとはなぁ」
F「ゴミは焼いて埋める、埋めたら踏みつけるモンだ。さて、何かの作者にはよく『生みの親』という表現がなされるので、正史の著者たる陳寿(チンジュ)は正史の親と云っていい」
Y「父か母かと云えば?」
F「生んだからには母だろうね、男だけど。だが、陳寿が正史を書くに至った経緯を考えると、正史にはふたりの祖父がいる。つまり、陳寿直接の師たる譙周(ショウシュウ)と、晋で陳寿を見い出した張華(チョウカ)だ。今回は、ふたりの祖父のうち、父方の祖父にあたる張華について」
Y「晋代からのエントリーだな」
翡翠「アキラくんいないからって、あたしをおいとくのはどーかと思うっす。本棚組みたてようと思ってたのに」
F「いけません!」
翡翠「ぅわ、びっくりしたっす!?」
F「お前は自分が何を口走っているのか判っているのか! 工具なんて使って怪我でもしたらどうするの! 父が組み立てるから講釈終わるまで待ってなさい!」
Y「おいバカ親、お前翡翠が何歳か判ってるか」
翡翠「やってくれるならかまわないっすけどね」
F「では、話を急ごう。『私釈』では、彼がいかに呉を討つべく戦い、いかに死んだのか……は触れた。が、張華がどーいう経緯で、晋で重きをおかれるに至ったのかは触れていなかった。とりあえずその辺から見ていこう」
Y「そういえば、どこの出自かも知らんなぁ。ネットだと范陽方城(はんよう・ほうじょう)の出身となってるが」
F「張華は、正史三国志に伝はないが、晋書では衛瓘(エイカン)と同じ三十六巻に伝がある。そこでは范陽郡方城県の出自となっているものの、これは晋書の編纂された唐代の区分で、後漢から魏にかけての幽州に范陽郡はない」
Y「その辺り、編纂された時代が違うンだって実感するところだな」
F「だな。で、父は張平といって漁陽郡(ぎょよう)の太守だったが、張華が若い頃に亡くなっていて、ためにお家は貧しく羊飼いをして過ごした、とある」
Y「なんでケ艾(トウガイ)の次がコイツなのかと思っていたが、そういうつながりかよ」
F「まぁな。張華は232年の生まれなんだが、西では孔明の北伐がいち段落していたものの、北では燕王公孫淵(コウソンエン)が胡乱な動きをしていたり鮮卑の軻比能(カヒノウ)が侵攻してきたりと、かなり激動な時期だった。張平の死もその辺に関連があるのか、どうなのか……とりあえず明記はないな。で、盧欽(ロキン)って覚えてるか? つい先日出したンだが盧植(ロショク)センセの孫でな」
Y「あぁ、盧毓(ロイク)の子だったか」
F「翡翠がきょとん顔するから。盧植センセの倅が盧毓で、その息子が盧欽になる。盧毓は正史三国志に伝があって涿郡涿県(たくぐんたくけん)の出自とあり、注によれば張華も同郡の出身だ。それを信じるなら、張華は劉備とも同郷になる」
Y「おやおや、貧乏生活送ることになったのは宿業かよ」
F「どこまで劉備を嫌ってるンだ、お前は」
Y「真面目な話、劉備を世に生み出した罪で、魏が涿郡を抑圧していてもおかしくないと思っている。少なくとも劉備の生家と例の桑の木は叩き潰されていてしかるべきだ」
F「まぁ、曹丕が帝位についた頃には、ふたつとも残っちゃいなかったとは思うがな。とりあえず、それはなかったと云っていいぞ。張華は貧しい少年時代を過ごしたが、盧欽に高く評価され、同じく涿郡出身の劉放(リュウホウ)にも評価されたことで、生活と人生の機運はちょっと上向いてるンだ。劉放は覚えてるか?」
Y「曹叡から曹芳の代で勢力を伸ばした文官だったな。いちいち確認しなくていいぞ」
F「孔明の死後に関する、お前の知識はあてにならん」
Y「お前、それは俺に対して凄まじく侮辱的な発言だぞ!」
F「だが、そんな劉放が、時代が魏に遷ってからも重用されたからには、涿郡への抑圧はなかったと考えるべきだろう。ともあれ、羊飼いに落ちぶれていた張華を郷里で評価する者はなかったが、盧欽は張華を『博識で見聞が広く、物事に精通していた。まぁ、僕の息子には劣るけどなっ』と高く評価した」
翡翠「してないっすよ! 親がそーいうコトを云うと、子供としてはすごく恥ずかしいンすからね」
Y「俺が、ツッコミのスピードで負けた!?」
F「ナニを驚愕しとるのか、うっかり長兄。まぁ、盧欽本人の台詞じゃないンだが。もっと高く評価したのは劉放で、娘を張華の妻にさせ、さらに、学問を修める資金を出したようでな。娘のことは明記があるが、そのあとから張華の学識に関する記述があるからには、たぶんそーいうことだと思う」
Y「張華の場合の劉元起(スポンサー)は劉放だった、と」
F「さっきも云ったが、張華は博識と評価され、予言の業から方術まで『彼が詳覧しないものはなかった』とまで書かれている。また、文を書けば端麗、声に出して読ませれば方々にまで響いて、鷦鷯賦という詩を書いたところ『竹林七賢』の阮籍(ゲンセキ)から"王佐の才"と称された。云いたかないが、どっかの大耳野郎とはえらい違いでな」
Y「アイツは若い頃に目が出なかったからなぁ」
翡翠「おふたりともいないからって、まぁ……」
F「というわけで名を知られるようになると、郡の太守だった鮮于嗣(センウシ)から推挙を受け、中央に仕えることになった。司馬昭が政権を握っていた頃だが、盧欽が『アイツは掘り出しものですよ』と勧めたため、河南尹の丞になるはずだったンだが、なんかトラブルがあったみたいで沙汰やみになっている」
Y「何かって」
F「その辺の明記がなくてな。とりあえず朝議に参画して、著作郎補佐長史中書郎と、文官としてのコースを進んでいる。魏が晋に禅譲すると黄門侍郎となって侯にも封じられた。外に出すより手元で使った方がいい、と思われるような何事かが起こったと考えてよさそうだ」
Y「案外、司馬昭は外に出すつもりだったが、盧欽に勧められて内勤になったというところかもな」
F「かもしれん。司馬炎に仕えていたある日、漢王朝の制度について諮問されると、張華はよどむことなく解説し、また図を書いて説明した。すると群臣は『聞く耳は倦むことを忘れ、図から目を離すこともできなくなった』と、張華の講釈に夢中になって聞き入っている。僕もいつかそんな講釈をしてみたいものだが、こりゃ凄ェと司馬炎も感心し、ヒトは彼を子産に比したとある」
翡翠「?」
Y「春秋左氏伝に語られる名相だ」
F「アンタが死んだらどうなると聞かれても『ワシゃボケとるから子孫のことまでは知らん!』と云いきった人物だな」
Y「お前は少しオブラートを外せ」
F「ンなモンハナからつけておらん。張華は、数年のうちに中書令に昇進したが『内においては職務を全うし、命じられては軍を率いて外征も行った』とある。その最たるものが天下統一作戦で、羊祜(ヨウコ)の上奏に宮中では賈充(カジュウ)のせいで反対意見が多かったけど、張華だけは賛成していた。その羊祜が病の床に伏せると、司馬炎が見舞に出したのも張華だった」
Y「だが、実際の侵攻作戦が行われると、総司令官となった賈充から『アイツを殺せ!』と誣告される」
F「どうしても自分の代で天下統一を成し遂げたかった司馬炎が、賈充に『お前が行かねば俺が行く!』と云ったのは有名だが、その上奏にどう応えたのかは触れなかったな。張華伝では『張華は俺に従ったのであって(呉への侵攻は)俺の決定だ!』と豪語した旨の記述がある」
Y「さすがのハムレットでもこの段階では居直っていたのか」
F「張華を斬るなら俺を斬れ、と皇帝本人に云われているようなモンだが、さすがに戦争中に司馬炎が死んだらえらいことになるからな。賈充でも強気に出られなかった、と。そんな頼れる君主の下で、張華は補給作業を貫徹し、晋書でも『ひたすら勝とうと努力した』と書かれている。ために、遠征軍は勝利できた……というのは周知の通り」
Y「船と孫皓王濬だけでなく、張華も必要だったか」
F「そゆこと。天下一統が成されると『亡き羊祜とともに、策を運らし勝ちを決した(運籌決勝)』と絶賛され、万戸侯に封じられて絹一万匹を賜っている。司馬炎にしてみれば、賈充の対抗軸に育てたいところだったンだろう」
Y「絹はともかく、その台詞で万戸侯って張良か?」
F「あっちは三万戸だ。だが、このあとから張華の人生に陰りが見え始める。さっき云ったが、張華は下々の出だ。それでいて司馬炎のお気に入りなモンだから、賈充ににらまれた。晋書では賈充本人ではなく、賈充の3本めの腕にあたる荀勖(ジュンキョク)ににらまれているンだが、経過はともかく結果は変わらん」
Y「ケ艾のようになったなぁ」
F「だな。加えてこの頃、司馬炎の庇護も失っているンだ。司馬炎の後継者について諮問されると、息子ではなく弟の司馬攸がよいと答えたモンだから、司馬炎も荀勖の誣告を容れて、安北将軍・幽州軍事都督・烏桓校尉に任じて北方に送り込んだ。昇進はしているが、いつも通り称薦しての左遷だな」
Y「ホントに、この策はタチが悪い。周処もコレで死んでるしな」
F「ところが、張華はうまくやった。異民族を慰撫したので北狄・東夷はこぞって朝貢し、これまで朝貢していなかった二十部族も使者を送ってきている。晋書では『年ごとに(収入が)豊かになった』とあるが、問題は『四境無虞』との一文でな、これを何と訳したものか。『四方の異民族は劉虞を忘れた』でいいのだろうか」
Y「いや、よくねェだろ……とは思うが、うーん」
F「というわけで、張華が朝廷でも外地でも功績をあげたモンだから、賈充派は面白くないし、反賈充派は彼を招いて政治に参画させたい。そこで動いたのは、賈充の四本めの腕にあたる馮紞(フウタン)だった。司馬炎とふたりきりになると『鍾会に大兵を与え乱を起こさせた、お父上の愚を繰り返されますか!』とまさかの司馬昭批判をブチかます」
Y「まずいだろ、それ」
F「僕ならその場で斬り捨てた。司馬炎も怒ったものの、馮紞から『天下に功績が明らかでその名を知らない者はなく、地方で軍権を預かっている者を、警戒しないでどうしますか』とまで云われては、反論もできなかった。張華を召して太常には任じたものの『屋根が壊れたから』と解任している」
Y「何をしてるンだ、司馬炎」
F「まぁ、張華は以前、馮紞の弟を批難していたので、馮紞の側には個人的な恨みもあってな。というわけで、張華は司馬炎在位の間、朝廷での発言力を失っていた。その死後に、賈充の娘である賈南風と組んで権力を取り戻した……のが、『私釈』で見た最期になる」
Y「あぁ、けっこう長引いたからな」
F「うむ、早く本棚をつくらねばならんのに。ところで、晋書張華伝には、割と身も蓋もない一文がある」

「この野郎について伝え聞く事柄には、この類のモノが多くてね……まぁ、書けたモンじゃないのさ」

Y「房玄齢は何を云ってるンだ?」
F「晋書張華伝には、頭抱えたくなるイベントが数多く掲載されているンだ。ある日、しっかり鍵をかけていたのに、なぜか武器庫の中に雉がいた。驚いた役人が張華に知らせると『雉? じゃぁヘビが脱皮したンだろう』とのたまう。武器庫の中を確認すると、雉のそばには本当に、ヘビの抜け殻が落ちていた」
Y「バジリスクか?」
F「これがいつのことか書かれていないが、295年になると、武器庫で今度は火事が起こってな。張華は変事が起こってはならないと、兵には宮殿を守らせた。そのあとで消火活動を行ったモンだから、王莽の頭蓋骨や孔子の履き物なんかが燃えている。何で火が出たのかと云えば天罰としか考えようがないンだが」
Y「別の理由を思いつけ」
F「ところが、高祖劉邦がヘビを斬り捨てた三尺の剣も焼失してな。張華はこのとき、剣ひと振りが武器庫の屋根を突き破って飛んでいくのを見ているンだが、その剣は結局行方不明になっている」
Y「それはそれで、惜しいのかそうでないのか微妙なものだな」
F「また、ある宴席で陸機(リクキ)が、張華にもらい物のハムを出した。ふたのついた器だったンだが、開けてすぐに張華は『龍の肉じゃないか。酒ですすいでみろ』と云いだす。信じていない陸機が試してみたところ、ハムは五色の光を放った。驚いた陸機が送り主に問いただすと『あまりに綺麗な肉だったので差し上げたワケで、へい』とのことだった」
Y「誰からもらったンだよ」
F「記述はない。呉の海岸が崩れて、太鼓みたいな形の石が出てきたので、司馬炎はそれを叩かせるが音がならない。どうする、と張華に尋ねると『蜀の木材で作ったバチなら鳴りますよ』と応えるので、やってみたら鳴った」
Y「まぁ不思議な現象だが、どちらかといえば張華の機転をあらわすエピソードじゃないか?」
F「そーだな……では。ある日、張華のところに身なりのいい客人が訪ねてきた。張華は文学から歴史から語りあってみるが、その客人には到底かなわない。そこで『俺に勝てる奴がいるモンか、きっと妖怪だ』と、寝室を用意して強引に引きとめた。客人は逃げようとするものの、監視がついていて逃げられない」
Y「単純で傲慢な姿が見受けられます」
F「実は本当に妖狐でな。燕の昭王の墓の近くに住んでいて、長い年月を経て変化の術を身につけたンだ。有名な張華と自分、どっちが上かと墓の前に立つ飾り柱に尋ねると、こっちも長い年月のせいで自我を持っていた柱は『キミのが上とは思うが、試すのはやめておけ。キミは帰ってこれないし、ワシにも害が及ぶでな』といさめられる」
Y「……で、意地になって?」
F「乗り込んでしまったワケだ。博識を持って知られた豫章(よしょう)の雷煥(ライカン)が、キツネの化けの皮をはごうと犬をけしかけるけど、本性をあらわさない。だが、張華は『こーいう連中に犬は通じない。千年を経た神木を燃やし、その火で照らせば正体を現す』と、最初からやれよという知識を披露する」
Y「誰かに聞いてほしかったンだろうよ」
F「じゃぁその神木はどこに、と雷煥に聞かれると『うむ、燕の昭王の墓に柱があったな』と、だから最初からやれよということを云いだす。現地に向かった使者は、途上で空から降りてきた少年に、どこへ何をしに行くのか尋ねられた。バカ正直に使者が答えると『あのキツネのせいで、ワシに害が及んだわ!』と頭を抱えて消えてしまう」
Y「飛べるなら逃げろよ」
F「というわけで、柱を伐ると、千年経っているとは思えない、血のような赤い樹液が噴き出した。持ち帰った木材を焼き、その火で客人を照らすと、キツネの本性が現れている。『キツネも柱も、私に会わねばもう千年生きられただろうになぁ』と笑って、張華はキツネを煮殺した」
Y「煮るのは犬にしておけって……コレ、本当に正史にあるエピソードか?」
F「最後のキツネだけは、さすがに本文にはないエピソードだ。『張華の宿舎には妖怪が何度かやってきた』と書いてあるが。で、問題なのはこの先。呉の滅ぶ前のことだが、夜空に紫の気が漂っていたので、天文官は『呉にはまだ勢いがあるということです』と司馬炎に上奏した。が、張華はそうでないと考えていた」
Y「天文にも通じていた、と」
F「実際に、呉は滅ぼされたからな。ところが、呉が滅んでも紫の気はますます濃くなる。そこで張華は、雷煥とともに夜空を観測したところ、雷煥が『豫章に眠る宝剣の気が、立ちのぼって天に達したのです』と云いだす」
Y「そいつ、ホントに博識なのか?」
F「それを聞いた張華は『やぁ、そいつは嬉しいな。私は若い頃、六十を過ぎて三公に上り、宝剣を帯びるようになると云われたことがあるンだよ!』とはしゃいで、雷煥を豫章の令に任じて宝剣を探させることに」
Y「こっちはこっちで……」
F「雷煥は豫章に帰ると、紫の気の根元にあたる牢獄を取り壊し、基礎を深く掘り返した。すると石棺が見つかって、中には双振りの剣が納められている。この剣を南昌(豫章の西)の土で磨くと光を発するようになり、お盆に水を張って剣をおけば光は増して、見る者の目をくらませた。そして、夜空に紫の気は見えなくなる」
Y「じゃぁ、張華にも剣が見つかったのはバレたな」
F「うむ。だが、剣に目がくらんでいた雷煥は、ひと振りだけ送って、もうひと振りは自分が持った。多分息子だと思うが『だまされないと思いますよ?』と進言するひともいたのに『張華殿はいずれ災いを受ける身だ。この剣は、張華殿のお墓に手向けるさ。それに、こういった物はいずれ化けて亡くなるしな』と、渡さない宣言している」
Y「何やってンだ、お前は」
F「史記に、李礼という人物のオハナシがあってな。ある日、主の命で使者として他国に向かう途中、昔馴染の徐君に出会った。その徐君が李礼の持っていた剣を欲しがったンだけど、それを口に出すことはしない。が、察した李礼は使者の役目を終えた帰りに、また徐君に会って剣をあげようと考えてな」
翡翠「はぁ」
F「ところが、帰ってくると徐君は死んでいた。李礼は『なんてこった、とっても残念だよ……』と哭し、徐君の墓の前に立っていた飾り柱に剣をかけている。ために、雷煥も『徐君の墓の樹に繋ぐ(繋徐君墓樹)』と発言しているンだ」
Y「晋書を読むのにも史記の知識は必要か」
F「そんな雷煥のところに、やっぱりだまされなかった張華からお手紙が届いた」

「宝剣を送ってくれてありがとう。とても嬉しくて、寝るときも離さずに持っています。それはそうと、剣の紋を確認したら干将(かんしょう)って書いてあるんですよ。となると莫邪(ばくや)はどこでしょーねー? まぁ、天が作ったものなんだから、いずれひとつになるよなぁ?」

Y「脅迫状じゃないか」
翡翠「息子さんが正しかったっすねー」
F「ところが、張華が本当に『災いを受け』て死ぬと、その干将は行方不明になっている。時期は不明だが雷煥も死んで、息子の雷華が揚州に赴任するため、長江の渡し場にさしかかったところ、結局持ち歩いていた莫邪が腰から落ちて水中に沈んでしまった」
Y「何してンだよ」
F「慌てて従者を潜らせて剣を探させると、水の底に龍が二匹沈んでいた。従者が驚き慌てて水から出てくると、たちまち光が水面を埋め尽くし、波が沸き立つ。雷華は溜め息ついて、剣を諦めた」

「父は『化けて亡くなる』といい、張華殿は『いずれひとつになる』と云われた。おふたりの言葉は正しかったな」

Y「コレ、干将・莫邪じゃなくて別の何かだろ」
F「とまぁこのよーに、干将・莫邪を発掘したと云っても、コレが本物だったのか判ったモンじゃない。あるいは別の宝剣だったかもしれんし、そもそも本当にあったことなのかも判らん。だが晋書は、張華伝にこのエピソードを採用したうえで、さっきの『書けたモンじゃない』と書いている」
Y「陳寿なら間違っても採用しないエピソードだからなぁ。裴松之が担当だろうよ」
F「その通りだな。陳寿は正史三国志の編纂にあたって、物語性を排除し事実(と、陳寿が認定したイベント)だけを淡々と記している。ために、そういうのは裴松之が注で補っているンだが、その陳寿を晋で認め、引きたてた張華の伝に、こんなイベントが数多く採用されているのは歴史の皮肉と云うしかない」
Y「房玄齢は何を考えていたンだろうな」
F「陳寿が著した正史三国志が簡潔だった、これを意識しているとは思う。陳寿の才と作品を認めた張華を、そういうイベントに巻き込むことで『歴史書とはこうでなければならない』と史記への回帰を求めているともとれるンだ。後漢書には正史三国志の影響が強いが、内容がネタ盛りだくさんという意味で、晋書は史記に近い」
Y「後漢書は、四百年代の成立だったか」
F「うん、順番としては正史三国志→後漢書→で晋書。また、陳寿はほぼ同時代の歴史家だけに、あまり突飛なエピソードを採用できない。だが、晋の滅亡から300年は経ってから成立した晋書では、本人や遺族への遠慮はあまりしないでいいからな。気兼ねなく、こーいうエピソードでも採用できたワケだ」
Y「少しは気兼ねすべきだろうに」
F「ともあれ、陳寿が正史にそーいうエピソードを採用しなかったのには、張華が正史の祖父だったことが大きい。息子に星の運りが悪いから官職を辞すよう勧められたときに、本人が云った台詞が、晋書張華伝に見られる」

「天道とはひとの手が届くようなモンではない、ただ徳を修めてそれに応えるのみだ。星の運りが悪い? だからといって、天命を待つのは性に合わん」

F「僕も陳寿に毒されてるようで、さっき見たエピソードたちより、この啖呵こそが張華の本性に思えてな」
Y「張華本人は、怪力乱神にこだわるタイプではなかったと?」
F「その張華に見出された陳寿が、オモシロエピソードを意識的に排していたのには、そんな"父"の影響があるように思えるンだよ。事実、その類を排した正史三国志について、張華は『晋書もこうあるべき』とのたまっている」
Y「事実をありのままに執筆した陳寿を認めた男、ねェ……確かに、干将抱いて喜んでる姿は似あわないな」
F「続きは次回の講釈で」


張華(ちょうか) 字は茂先(ぼうせん)
232年〜300年(晋書に曰く「衛瓘・張華は一族郎党皆殺しになったが、ま仕方ないンじゃね?」とのこと)
武勇4智略3運営5魅力5
幽州涿郡出身の、呉を攻略したもののそれほど成り上がれなかった羊飼い。
政治・軍事いずれにも精通しており、詩文にも通じる。また、陳寿・陸機ら蜀・呉の文人を保護した。

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