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History Members 三国志編 第22回
「輝け三国志盃争奪ざっつノンダクレグランプリ孫呉代表(国内2位)」

自分のペースでしか呑まない「『あのテンションと思考法を維持するために、クスリをやってるに違いない』と云われた庵主です」
かなり弱い「誰に云われたのよ」
F「お前がナニするか判るから教えない。ともあれ、オレの普段のテンションは、覚醒剤とか麻薬とかによるものではなくて、あくまで環境に対する諦観から来るものでな」
三妹「達観ですらないワケ?」
F「当然だ」
割と呑まれるタイプ「アキラを助けるのは諦めないでくれませんかね!?」
意外にもまったく呑めない「こら、アキラ? いま義姉さんはアキラ分をじゅーでんちゅうだから、暴れちゃダメだよ」
いちばん強い「(ふるふる)……だめなのは義姉さん」
たしなむくらいしか呑まない「の頭。ねェヤス、このヒトホントに何とかしてくれない?」
弱いのにかなり呑む「それができるのは幸市だけだ。本人が諦めたって云ってるンだから、サジ投げろ」
ヤスの妻「愛されてないなぁ」
M「甲斐性ナシってヤスが語源なのかしら」
Y「ンだとオラ!」
M「本当のことでしょ!」
ヤスの妻「さーアキラ、危ないからえーじろのうしろに避難しようねー」
A「すでにお蒲団が敷いてあるのは何でー!?」
F「鉄から不要な成分を除去して、熱を加えながら何度も折り曲げて叩いて硬くしたものを鋼鉄と呼びます。オレの神経がどれだけ鍛えられているのか、お前なら知ってるだろ」
三妹「諦めることを覚えて、ヒトは大人になるワケだ……」
F「この世はすべて絵空事。では、泰永が生きているうちに今回の講釈に入るよー(ぱんっ)」
ヤスの妻「しぶしぶ……でも、まだ生きてるの?」
Y「勝手に殺すなよ! 俺だってムダに鍛えられてるンだからな」
F「はいはい、いい加減にしなさいよアンタたち。前回が割とシリアスだったから、今回はネタ枠からのエントリー」
A「つーか、なに? 孫権に次ぐ呉のノンダクレ? 孫皓よりか?」
F「アレは酒に呑まれているというより血に酔っているようなモンだから、ノンダクレとは評価しかねるところでな。ともあれ、三国志と云えば酒豪ぞろいという印象があり、蜀代表の張飛龐統のような飲兵衛の話題には事欠かん。魏で云えば劉伶(リュウレイ)や曹操辺りになるか」
Y「異議あり。曹操は、蜀のノンダクレどもと違ってそれほど話題性はないぞ」
A「同じく異議ありだ。こっちのふたりだって演義や民間伝承でのネタだろうが。正史ではそこまで呑んでないだろ」
F「まぁ、そうだな。だが、ノンダクレだと正史でも確認でき、ネタもあるのが、孫権とともに呉を代表するアル中、今回のお題の鄭泉(テイセン)だ」
A「……劉伶って?」
F「また今度やるネタ。そっちはさておいてくれ」
A「んー、まぁどっちも知らんなぁ」
F「アキラ、前に『私釈』で触れようとしたとき『鄭姓の武将に触れるのは許さん』と暴言吐いたのは誰だった?」
A「……ヤス?」
Y「お前だ。……だよな?」
F「99回だ。時期としては夷陵の決着後、蜀との関係正常化をはかった孫権が送り込んだ呉からの使者でな」
A「(確認中)……あぁ、孔明李厳を除いて、蜀の文官連中はおおむね全滅していた頃か」
F「だから、以前云ったが、宗禕(ソウイ)や費禕(ヒイ)といった面子が、蜀から呉に赴いていた。宗禕については、正史には呉に派遣された旨の記述しかなく、演義に……は、出ましたかね」
ヤスの妻「んー、いないはずだよ。とりあえず記憶にはないかな」
F「じゃぁ出てませんね。いちおうこの時期に太中大夫だった記述はあるが、これは九卿のひとつの光禄勲(宮中での議事や宴席などの司会進行役)の下で顧問官なんだ。常設の任務はなく、いわば長期勤続者に対する名誉職に近い。能力を認められて就くような役職ではなく、長年仕えてゴクロウさん、みたいなニュアンスが強いンだ」
Y「つーことは、宗預の親かもしれんな」
F「年代の明記はないけど、可能性はあるね。ただし、孫権に気に入られた形跡はない。一方の費禕は当時太子舎人、つまり劉禅の世話役だった。正使に長年宮中にあった宗禕、副使で少壮気鋭の費禕(ただし、こちらも年齢不詳)が送られた……というかたちかもしれん」
A「どちらにせよ、この段階では呉との関係修復には至らなかった?」
F「そうなる。222年8月に劉備は白帝城に入っていて、宗禕が呉に赴いたのは10月。この頃呉は魏と戦火を交えており、魏・蜀両方を敵に回すのは得策ではないと考えて、孫権は劉備のところに講和の使者を出したと蜀書先主(劉備)伝にある。ただし、その使者が誰だったのか明記はなく、また呉書呉主(孫権)伝には出した記述がない」
Y「まぁ、何らかのかたちで使者はだしていたとは思うがな」
F「だろう、とは僕も思うが。で、12月になって、呉から蜀に鄭泉が送られ、これによって関係修復が成されたと呉主伝はしている。呉主伝の注には、劉備と鄭泉の『俺が皇帝になったのが、そんなに不満なのか?』『曹操親子に漢王朝が揺るがされたのに、皇族の劉備様が勝手に帝位に就かれたのは、天下の期待に背くものです』とのやりとりがあるな」
A「えーっと、呉が蜀と戦ったのは、劉備が皇帝を名乗ったのはけしからん、という口実だった、と」
Y「だが、あとあとで皇族でもないのに皇帝に即位する孫権に、それが云えるか?」
F「それを理由に魏と組んで蜀と戦い、魏が漁夫の利を得ようと兵を出してきたら『献帝が廃されたからには、劉備の国を蜀と云わず漢と呼んでよかろう』と関係修復に乗り出す、それが孫権の外交スタイルだった。呉を守るためなら主義主張にはこだわらない、というのが本心で本性なんだろうな」
A「何だかなぁ……で、鄭泉って何者?」
F「呉の太中大夫だ」
A「……何だかなぁ」
Y「右の頬を打たれたら左の頬を打ち返したか」
F「まぁ、宗禕同様、この一件でしか名がないンだが、宗禕よりは詳細に語られている人物でな。幅広く学問を修め、心がけは誠実だった。時には礼儀や敬意そっちのけで主をいさめていた、と孫権本人の言葉がある」
A「相変わらずの直言好きだな、オイ」
F「ところが鄭泉は、直言だけで孫権に認められた男ではなかった。あるとき『主君の逆鱗が怖くないのか?』と聞かれると『主君が仁愛深いお方なのですから、逆鱗などおそれません』と応えている。それを覚えていた孫権は、ある宴席で鄭泉をからかおうと、やっちまった」

ヨッパライ「あー、鄭泉鄭泉。お前、ちょっと打ち首」
鄭泉「……は?」
ノンダクレ「お前、日頃俺に無礼だから打ち首。おい、連れ出せ」
兵士「いいんですか? はぁ……」
 兵士が鄭泉を連れ出そうとすると、鄭泉はしきりに孫権を振り返る。
アル中「はい、すとーっぷ」
兵士「ほっ……」
飲兵衛「鄭泉、お前俺の逆鱗なんかこわくないンじゃなかったのか?」
鄭泉「いやいや、ご主君の仁愛を信じておりましたので、殺されることはないだろうと信じておりました」
この辺まで来るとかなり素に戻っている「……だったら何で振り返った。それも何度も」
鄭泉「普段はおそばに侍っておりましたので気づきませんでしたが、離れて見上げたところ、ご主君のお姿があまりにもまぶしゅうございましてな。それでついつい、振り返らずにはおれませんでした」

F「常日頃ボロクソ云ってる奴がいきなりデレて、孫権はご機嫌になったみたいなんだ」
A「意識的にツンデレやってたおじいちゃん、みたいな?」
三妹「ツンデレって無意識で出てくるものでしょうに」
ほか全員『……………………』
三妹「何よ、その生温かい眼差しは!?」
F「自覚があったならまぁいいことにしよう。深くはツッコまんぞ」
三妹「アタシの(前)どころか(うしろ)深くまで突っ込んでホントに病院送りにしたのアンタでしょ!」
F「だぁーっ!?」
ヤスの妻「こどもの前でそんな話しないの!」
A「だから、アキラはお兄ちゃんと同い年……」
M「ホントにちーちゃんとナニしてたの、このヒト……」
Y「とりあえず全員落ちつけ(ぱんぱん)。あと妹、俺の前でそういう話はするなと云うに。孫権にはどう応対すれば効果的かわきまえていたワケか」
F「ったく……まぁ君主の常ということで、直言のみならず甘言にも弱いところがあったワケだ。でなきゃ、後々の呂壱や燕王騒動は回避できただろうからな」
ヤスの妻「直言には性格的に、甘言には性質的に弱かった、と」
A「義姉さん、そろそろ耳から手ェ離してー……」
ヤスの妻「おっと」
F「というわけで、鄭泉は呉の宮中で自分の居場所なり立ち位置なりを確保していた。直言のみならず相手の状況によって言葉の使い方を変えられるのを見込まれ、劉備への使者に選ばれた……と考えてよさそうだ」
A「で、一時的には蜀呉の関係を正常化に導いた、か」
F「それが一時的なものにすぎなかったのは、鄭泉の交渉がまずかったからではない。半年と経たないうちに劉備が死んだため、呉としてどう対応すべきか政策変更論が起こったからだ。これまで通りの関係でいいのか、それとも今のうちに隴を得ずに蜀を得るのか。呉の宮中で波乱が起こったことは想像に難くない」
Y「まぁ、揉めるのも無理はなかろうな」
F「さっき云ったが、鄭泉の名は、劉備のところに使者に出された、この一件にしかない。このあと本人がどうなったのかさえ明記はないが、蜀まで出向いて成し遂げた関係正常化を頭越しに台無しにされたようなものだ」
Y「劉備が死んだからにはこれまで通りの関係を保つ必要はない、という意見があったため南中を動かすことにした、というわけで鄭泉の功は無になる。蜀、孔明としても、劉備生前の関係を保ちたいのに呉がそんな真似しでかしては『あの鄭泉とかいう奴はあてにならねェ』と考える。どちらにしても鄭泉が、もう一度蜀に送られることはないな」
F「かくて鄭泉は、呉の歴史から退場している。呉と蜀の本格的な関係正常化には、かの『我がケ芝』の登場を待たねばならなかった……というのは、この間やったオハナシになる」
A「……つーか、今回ネタ枠って云わなかったか? 割と真面目なんだが」
F「ところで、と本題に入ろう。この鄭泉、ヨッパライの鑑とも云うべきヨッパライでな。非番(ただし、先に触れたように太中大夫に常務はない)の日は家に引きこもって、こんなことをほざいていたと記述がある」

鄭泉「酒がね、呑みたいンだよ。旨い酒を五百石くらいの舟いっぱいに満たして、旬のつまみを用意する。舟に飛び込んで酒で泳いだり潜ったりしながらたっぷり呑んで、疲れたらつまみを食べる。こんなことをしたいのさ」
お仲間(誰かは不明)「酒がなくなったらどうする?」
鄭泉「注ぎ足せばいいじゃないか。あぁ……こんなことができたら理想だなぁ」

A「酒舟って何だ、オイ!?」
Y「酒池肉林とまでは行かなくても、かなりのノンダクレだな、コレは。つーか、五百石って……」
F「漢代の一石は20.2リットルだから、一升ビンが5600本というところかな」
Y「いや、呑みきれんて」
A2「……いあ、いあ」
三妹「呑みそうな子がここにいるンだけど」
A「あーさんでも無理だから! 完全にアルコール依存症なのか?」
F「『酒は呑んでも呑まれるな』というのが呑み助へのスローガンだが、鄭泉の考え方は凄まじいンだ。何しろ、死に臨んでお仲間に託した遺言がこうだから」

鄭泉「ワシを必ず、陶器工房の近くに埋めてくれ。百年もすればワシの身体は土に還り、その土で酒がめがつくられるかもしれん。そうなったとき、ワシの心願は成就するンだよ」

F「酒になって呑まれたい、というのが心からの願いだったらしい」
A「そこまで酒が好きなのかよ……」
Y「尊敬はできるがほめてはやれんなぁ」
A「いや、尊敬もできないよ!」
F「もうひとりの孫呉代表(国内一位)のノンダクレより、酒への執着という点では勝っている。どー考えても死因は呑みすぎだろう」
A「まぁ、長生きはできないでしょうね……」
F「続きは次回の講釈で」


鄭泉(ていせん) 字は文淵(ぶんえん)
生没年不明(呑みすぎ)
武勇1智略3運営3魅力2
豫州陳郡出身の、ノンダクレネゴシエーター。
望み通りの最期を遂げられたのかは定かではない。

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