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History Members 三国志編 第17回
「引き立て役なわたしたち・1 南荊戦隊ザコレンジャー、ピンクはナシよ」

F「えーっと、何とか精神的に立ち直ったつもりなので、講釈するよー」
Y「津島幸市は……」
F「やめんかね! アレのせいで、今週はほとんどお仕事に手がつかんかったンだから!」
Y「それは俺たちのせいじゃなくて、週に3度も医者通いしてたからだろ」
M「お姉ちゃん、むしろ『ロスト・シンボル』読んでて病院に行くのを忘れたのをどうかと思うわ」
F「ご迷惑おかけしました! 形勢が不利みたいだから、とっとと今回のオハナシに入るぞー。いつぞや『楽進于禁への評価から、コーエーの三國志シリーズをうのみにするつもりはない』と云ってあるが、あのシリーズがなければ日本における三国志ファンが少なく見ても3割減った、だろうことは事実だ」
Y「その数字の信憑性はともかく、影響力は大きいからなぁ」
F「そして、コーエーが『荊州弱小カルテット』と称して売りだしたモンだから、ユーザの悪ふざけに支えられてある意味での人気があるのが、今回のお題の劉度(リュウド)・趙範(チョウハン)・金旋(キンセン)・韓玄(カンゲン)。演義でさえただのやられ役だと云うのに、ゲーム中では一種独特な存在感を誇る彼らだ」
Y「帰っていいか?」
F「いてくれよ。確かに、今回は演義ベースでのオハナシになるが。赤壁戦終了後に劉備が、長江の南側四郡の攻略に赴き彼ら4人を降伏させた、とは正史にもある。羅貫中は、赤壁の戦闘が主に孔明と呉軍の面子ばかりだったので、その辺を膨らませて趙雲張飛関羽の見せ場を作ったワケだ」
Y「そのために、ザコどもを強引にキャラ付けしたワケか」
F「なんか読み返したら『……さすが羅貫中』と再確認したがな。演義では五二回になるが、伊籍の紹介で招かれた馬良が『南荊州の四郡を押さえれば劉備様は飛躍できますぜ』とけしかけたところからで、荊州略地図おーぷん」

荊州略地図


A「……あれ?」
F「うん、羅貫中はいつものボケをしでかしている。武陵(ぶりょう)・長沙(ちょうさ)・桂陽(けいよう)・零陵(れいりょう)の四郡、どこをまず攻めたものかと劉備に聞かれた馬良に『ここ(公安:E)からいちばん近い零陵にしましょうぜ』と云わせているンだ」
Y「交州にいたのか?」
F「そんなはずないでしょ、羅貫中が地理的なものをかなりてきとーにやっていたのは周知の事実だぞ。まぁ、話の都合としか云いようがないな。関羽に留守を任せて劉備が孔明・張飛・趙雲とともに1万5000の兵で向かったのは、まず零陵。ここの太守は劉度で、演義では息子の劉賢(リュウケン)と、配下にマサカリ使いの邢道栄(ケイドウエイ)を出している」
A「劉度はともかく、息子と道栄の名は正史にはない?」
F「当人かは判らんけど、魏の李豊(リホウ)と一緒に三族皆殺しになった関係者(『私釈』158回参照)に劉賢ってのがいるンだよなぁ。道栄の方は見つけられなかった。ともあれ、この劉賢と道栄が一万の兵を率いて劉備軍を迎撃するも、あっさり敗れて道栄が趙雲に捕えられている」
A「当然の帰結じゃね」
F「孔明さんは道栄を『劉賢を捕えてくれば降伏を許すぞ』と解放し、陣地に戻った道栄は劉賢と相談して、劉備軍に夜襲をしかけた。もちろんこれは読まれていて、これまたあっさりと返り討ちにあい道栄は死亡。捕えられた劉賢は『道栄にだまされました!』と云いだす」
Y「可哀想だな、道栄」
F「まったく、僕もそう思う。で、息子に説得された劉度は太守の印綬を差し出して降伏し、まず零陵は攻略。続いて桂陽だが、ここで孔明がいらんことしでかした。趙雲と張飛、どちらを行かせるかでくじを引かせているンだ」
A「いらんことか、それ?」
F「まぁ、あとでな。先のくじを引いた趙雲が3000の兵で桂陽を攻めることになったが、今度の相手は趙範。配下として地元出身の猟師あがりの陳応(チンオウ)・鮑隆(ホウリュウ)というのが出てくる」
Y「このふたりも、正史には出ない……よな?」
F「陳珪(チンケイ)老の次男、つまり陳登の弟(3人いる)に陳応というのがいるが、こっちは徐州出身だから関係ないと思う。鮑隆の方は見つからなかった。すっかり怖気づいている趙範に、陳応が『まず一戦交え、うまくいかなかったら降伏しましょう』とけしかけ、とりあえず戦ってみることになった」
A「だから、なんで蜀に敵対する敵のザコっぱちはそんなにちゃんとした口調なんだよ……」
F「越吉元帥雅丹丞相ほどじゃないが、道栄やこのふたり好きなんだよ。ともあれ、というわけで陳応は捕えられ、趙範に降伏するよう説得するため生かして返された」
Y「さっき見た失敗パターンだな」
F「いや、今度はちゃんと降伏したンだ。趙範は自ら印綬を持ってきて、趙雲を迎えている。また、趙雲と同姓ということで義兄弟の盃を交わしたンだが、死んだ兄の妻にあたる樊氏を差し出すと云われて趙雲キレた。義兄弟になったからには趙範の姉は趙雲の姉も同じだと、桂陽の城から出ていってしまう」
A「うちらの業界じゃ未亡人の兄嫁くらい普通なんだけどなぁ」
F「僕は近親相姦ものなら書けるが、近親姦は書けんぞ。まぁ、近親に限らずレイプものはあまり書きたくないが。趙雲を怒らせた趙範が陳応・鮑隆を呼び出してどうしたものかとはかると、鮑隆が『我らふたり、兵を率いて彼に降伏いたしましょう。そこへ殿が兵をお出しいただき、戦闘が始まったら趙雲を暗殺いたします』と……」
A「だから、違和感ありまくりだよ!」
F「そうか? まぁ、というわけで、ふたりは趙雲に偽りの降伏を見抜かれて殺され、連れていった兵が夜中に戻ってきたのを見て、趙範は城門を開けてしまう」
A「かくて桂陽城は趙雲の手に落ちた、と」
F「戦後処理で詳しく話を聞いた劉備と孔明は『いい話じゃないか?』と趙雲に持ちかけるけど『降伏したばかりの城から妻を得ては略奪したと思われかねません』とオコトワる。『天下に女はいくらでもいます、うしろ暗い縁談には気が進みません』と突っぱねた趙雲に『いや、立派な男だねぃ』と劉備は感心しきりだったという」
Y「演義ベースだと話が長くていかんな」
F「さて、趙雲がうまくやったものだから張飛は面白くない。次に攻める武陵は今度こそ俺が! と息巻くので、孔明さんは『負けたらただじゃすまさんぞ』と釘をさしてから送り出してやった。迎える武陵では金旋が徹底抗戦のかまえを見せるが、配下の鞏志(キョウシ)が帰順を勧めている」
Y「そいつは?」
F「自分で探す気はなくなったのか、お前は? 正史には確認できなかったな。鞏志の忠言を突っぱねて『敵に内通しているなら斬れ!』とまで云った金旋だが、いざ張飛が攻めてきて『誰か戦え!』と命じても、誰も出ていかない。だったら、と金旋が自分で兵を率いて出ていったンだが、張飛に一喝されると一目散に逃げ出した」
Y「それじゃダメだろ」
A「まったくだ……」
F「ところが、城まで戻ってくると、鞏志が民衆を扇動して城門を閉じ、金旋を追いだすことにしてしまっていた。恐慌を来たして落馬した金旋を射殺した鞏志は、その首級を持って張飛に降伏している」
Y「ここは太守が死んで、部下は生き残ったのか」
F「さて、趙雲・張飛は3000の兵でそれぞれ担当した郡を攻略している。張飛ならひとりでも大丈夫だった気はするが、残る長沙の韓玄には、留守のヒゲから『おにーちゃんオイラを出して、そいつ殺したい』という書状が届いた」
A「物騒な替え歌うたうな!」
F「まだ頭が落ちついてないンだからあまり大声で騒がないで……」
Y「女房が聞いてたら怒られてるぞ、たぶん」
F「反省。そんなワケで赤壁の帰り道で曹操を逃がして留守番に回されていたものの、張飛と交代した関羽は名誉回復のために『500で充分っす』と、孔明のいさめも聞かずに出ていく。韓玄は最初から黄忠さんを出すつもりだったンだけど、それを制した楊齢(ヨウレイ)が出陣。あっさり斬られている」
A「そいつは正史に?」
F「いないクチだね。関羽の兵にあわせたのか500の兵で城を出た黄忠は、まずどーどーと名乗りを上げる。対峙した関羽もそれに応え、百合あまり打ちあうものの勝負がつかない。六十近い黄忠を気遣った韓玄は引き揚げのドラを鳴らし、その日は痛み分けということに」
A「韓玄らしからぬ行いじゃねェ」
F「演義に明記があるンだよ。翌日、関羽は六十合くらい打ちあってからわざと逃げた。黄忠が追ってきたところをカウンターで斬り捨てる策戦だったンだけど、うしろでどさっと音がする。なんだ、と振り返ってみたら、馬の前脚が折れていて、おじいちゃんは地面に投げ出されていた」
A2「……ちゃんす」
F「とは関羽も思って青龍偃月刀を振り上げるンだけど『馬を変えて出直してきなさいよねっ』と見逃した」
A「嫌なツンデレだな」
A2「……ムダにネタが多い」
F「ですね……。というわけで、韓玄は自分の馬を黄忠に与えて『あしたは弓であのヒゲをしとめろ!』と厳命。だが黄忠さんは『あのときワシを斬らなかった関羽をどうして射られようか。だが、射ねば主に背くことになる……』と、眠れぬ夜を過ごした」
A「漢の世界じゃねェ」
F「張飛は武陵をほとんど一喝だけで攻略したから、ほとんど時間がかからなかった。趙雲も、戦闘そのものは二日くらいだ。ところが関羽はすでに3日め。さらに、さっき云った通り張飛でも『負けたらただじゃすまさんぞ』と釘をさされていては、関羽でもやや焦りが出たと演義にある」
A「いつもの『鼻先にジャブうちこんで発奮させる』が裏目に出たのか」
F「悪い方向に動いのた感は否めないな。この日も打ちあうが、三十合くらいで黄忠は逃げ出した。昨日のアレをやられていると思っても、焦る関羽はしっかり追いかけている」
Y「で、弓を」
F「うむ。二度にわたって矢を使わずに弓弦を鳴らしたので、関羽は『……あれ? ひょっとして、射ってこないンじゃね?』と油断した。間合いを詰めてきたところへの三度めはしっかり矢が飛んできて、関羽の兜の緒の根元に突き刺さっている。長沙軍からはやんやの喝采が起こり、関羽は矢も抜かずに撤退した」
A「兜の緒の根元って……耳もとじゃね」
F「兜のサイズがあっていれば、割と危険な部位だ。中身が入っているなら狙うのは感心しないな」
A「中身って云うな」
F「先の借りを返されたと関羽は気づくけど、韓玄は『このジジイ、敵に内通しているな!』とお怒りで、黄忠を城門の外で処刑しろと命じた。邪魔する奴は同罪だと厳命するモンだから、兵士たちも逆らえずに黄忠を外に連れ出す。そこへ割って入ったのが魏延だった」
A「襄陽へ劉備を引きいれようとして文聘(ブンペイ)に退けられたから、長沙まで落ち延びていたンだったね」
F「だ。長沙の大黒柱をへし折ろうという韓玄を生かしておくな! と民衆に呼びかけ、黄忠本人のいさめも聞かずに政庁へ乗り込んで、韓玄を斬り捨てた。そして、その首級を手に関羽に降伏している」
A「かくて四郡は劉備の手に落ちた、と」
F「韓玄を斬られたモンだから、黄忠は自分の館にひきこもった。入城して治安維持にあたった関羽が呼んでも出てこないので、やっぱり500じゃ不安だった劉備が、孔明とともに長沙の城に入った。劉備が自ら黄忠さんのところに赴いたので、ようやっと黄忠も出仕に応じている。まぁ、魏延に関するイベントはさておいて、こんなところか」
Y「事態の推移を見ただけでも、ずいぶんと長くなったな」
F「だな。こうしてみると、総勢1万5000とはいえ実働していたのは3000と少しな劉備軍に、多勢なはずの弱小カルテットが翻弄されていたのが判る。馬良が『南荊州の四郡を押さえれば飛躍できる』と云ったからには、四郡の生産力は劉備躍進の礎となれるはずなのに、だ」
A「……正史でも、この辺を得てから劉備は益州に侵攻したよね?」
Y「だったな。のちに李特(リトク)が、蜀を得ていながら失った劉禅を嘲弄したように、益州は豊かな土地だ。それを攻めるための国力を引きだしたことを考えると、あんがい四郡が協同していれば、劉備に対抗できたようにも思えるが」
A「いや、それはさすがに……」
F「できなかった事情があったようでな」
A「……事情?」
F「これが本当に羅貫中の創作なのか、判りかねる記述が演義の端々に見えるンだ。実史のものだったらこりゃ無理だわと納得するレベルの、政策の違いが」
Y「何かあったのか?」
A「えーっと……?」
F「順番に見ていくが、零陵。道栄が、孔明に向かって『赤壁の勝利は周瑜の謀略あればこそだ!』と、劉備より孫権に近い立場にあるような発言をしている。正直、道栄に天下を論じるオツムがあったとは思えんので、劉賢の入れ知恵だと考えていい」
A「となると、劉度の考えはともかく、呉寄りの風潮が零陵にはあったふしがある?」
F「そう考えられる。続く桂陽は、趙範本人は劉備に帰順するのに不満はない様子だ。極端な話、こっちに来たのが張飛だったら、というか趙雲でなかったら、陳応はともかく鮑隆は死なずに済んだ可能性が高い」
A「……あらら」
Y「孔明がいらんことしたのか、それともどうでもいいことをしたのか、判断しかねるな」
F「だが、陳応の態度は微妙だ。何しろ趙雲に『丞相の命には従うが、劉備など知るか!』と云い放っているンだから」
A「あらー……」
F「桂陽では劉備と曹操への感情が半ばせめぎあっている、ともとれる。では武陵はといえば、金旋が劉備を敵と云いきっている。となると、金旋の主筋は、この時点では劉備と同盟関係にあった孫権ではあるまい。曹操だろう」
Y「だが、部下と民衆の間では劉備への思慕が起こっていた、と」
F「残る長沙は、蔡瑁(サイボウ)に叛乱した魏延が頼ったからには劉表系とは距離を置いていた感があり、韓玄の意志、というかワガママで自立の道を選んでいたようにも見える。まとめるとこんな具合」

零陵:親呉:道栄は死亡、劉度は現職にとどまり、劉賢は劉備のもとに出仕
桂陽:趙範は親劉備だが、一部には親魏の強硬派も:その強硬派は死亡、趙範は現職にとどまる
武陵:金旋は親魏、部下と民衆は親劉備:金旋は死亡、鞏志が太守に就任
長沙:もともと反劉表の独立志向:韓玄は死亡、劉磐(リュウバン、劉表の甥)が太守に就任

F「これじゃ、ひとつにまとまって劉備に対抗するなんて、望むべきもないことだと判ると思う」
A「こりゃダメだ」
Y「劉賢が人質に取られたと考えれば、劉備……というか孔明が何をしようとしたのか判るな。親呉・親魏の面子を物理的に除いて、親劉備派で人事を固めた」
F「そゆこと。長沙が象徴的で、もともと劉表に距離を置いていたなら、劉g(リュウキ、劉表長子)を担ぐ劉備一家に親しめるはずがない。そこで、首魁の韓玄が除かれたのをいいことに、劉表の血縁者を探し出して太守に据えているンだ」
A「劉備一家の態勢固め……だねェ」
F「この辺りの一連の戦闘が本当に行われたなら、劉備の覇権を確立した孔明の手腕は高く評価されていい。だが、蜀書先主伝にはさっき見た通りの記述しかなくてな。実際にはどんなことが起こったのか、他の箇所にわずかに書かれた記述から察するしかないンだ」
A「あるのか?」
F「少しだけな。趙範が『切羽詰まって降伏し、趙雲に兄嫁を差し出して身の安全を図るが失敗。のちに出奔』した旨が、趙雲伝の注に引かれている。また、韓玄は劉表時代から長沙太守だったが、劉磐に黄忠をつけて長沙内の攸県(ゆう、地図G)に配置するという、韓玄おろしともとれる真似をしているンだ。劉表は韓玄に不満があったようでな」
Y「桂陽が親魏だった可能性が増えて、長沙はほぼ演義の通りだった可能性がある、と」
F「そゆこと。そして金旋に至っては『劉備に攻撃され死んだ』と明記がある。これらの記述から察するに、演義の通りの戦闘が行われた可能性はかなり高いように思えてな」
A「……さすが羅貫中、と俺も云おう」
Y「気づくお前もお前だが、たったそれだけの記述から演義での戦闘を書きあげてはなぁ……」
F「だが、割とアレなお話、趙範と金旋の末路は見た通りだが、正史には劉度と韓玄が死んだとは書いてなくてな。生死不明なんだが生き残った可能性もある。加えて云えば韓玄が、演義のような暴君だったとは確認できない」
A「確認できないだけ、だよな?」
F「劉表にハブられたのは事実っぽいが、その先は不明だ……としか。劉度もそうだが、記述が少なくて判断が難しいンだ。だが、この辺りの脇役・やられ役にもある程度以上のキャラ付けを行い、物語を発展させた羅貫中の力量には、本当に恐れ入るしかないな」
A「……かなわないよなぁ」
F「足元にも及ばん自覚はあるが、それを改めて思い知ったよ。ところで、さっき云ったが、馬良が云ったように『南荊州の四郡を押さえれば飛躍できる』というのは、本当か嘘か」
A「実は、割と疑わしいと思っている。こんな連中に治められていた郡が、そんなに肥沃だったとは思えなくて」
F「割と本当っぽいンだ」
A「……何で?」
F「三国時代の正確な人口は、戦乱のせいで陳寿にも把握できていなかったが、後漢当初の人口なら後漢書の郡国志(ぐんこくし)に記述がある。それによれば、荊州の人口はいつぞや触れた通り六百万で、長沙・零陵の人口はそれぞれ百万以上だ」
A「ぶっ!?」
F「後漢代十三州百二十郡国の中で、人口百万を数えたのはわずか十二郡。このうち、南陽(なんよう)郡を含めてみっつが荊州なんだ。さらに云えば、王莽(オウモウ)による新の建国とそれを叩き潰した後漢成立戦役によって、ある程度以上の人口流出入が漢土各地で起こっており、前漢から後漢にかけて人口が増えたのは冀・揚・荊・益州のよっつだけ」
A「……この時代でも、荊州の人口はかなりのものだったと推察できるな」
F「そんな下地があったからね。長江の北で天下を賭けた争いが続く中、それにおいてけボリを喰った荊州の人口は、劉表の仁政もあってある程度のラインを保っていたと考えられる。となると、その南半分を得るのにもかなりのメリットがあったように思えてな」
A「馬良や孔明の見立ては正しかったワケか」
F「かくて、南荊州を得て飛躍した劉備が目指した先は、人口百万を数えた残り九郡のうちみっつを擁し、荊州に匹敵する人口増加率(冀・揚州はやや劣る)を数えた益州だった……のは、また違うオハナシ」
Y「天下三分……なるほど、孔明の手腕は高く評価されていいな」
F「続きは次回の講釈で」


劉度(りゅうど) 字は不明
生没年不詳
武勇1智略1運営2魅力2
出自不明の零陵太守。荊州弱小カルテット先鋒。
息子と道栄にそそのかされるまま兵を出し(ただし、自分では何もしなかった)、息子に勧められるまま降伏した。

劉賢(りゅうけん) 字は不明
生没年不詳
武勇2智略2運営1魅力2
劉度の息子。演義の創作武将(同名の人物は正史にもいる)。
劉備と交戦するも敗れ、降伏。その後は劉備に仕えた。

邢道栄(けいどうえい) 字は不明(道栄が字か?)
?〜208年(戦死)
武勇3智略2運営1魅力2
劉度の部下。演義の創作武将。
鉞を振るう豪傑だが、孔明を罠にかけようと画策もしており、武勇一辺の男ではないのがうかがえる。(ひいき? なにそれ、おいしいの?)

趙範(ちょうはん) 字は不明
生没年不詳
武勇1智略1運営3魅力2
冀州常山郡真定県の出自(趙雲と同郷)となっている桂陽太守。荊州弱小カルテット次鋒。
演義では降伏後そのまま劉備に仕えているが、正史ではのちに出奔している。

陳応(ちんおう) 字は不明
?〜208年(酔い潰されて処刑)
武勇3智略1運営1魅力1
荊州桂陽郡出身の、趙範の部下。演義の創作武将(同名の人物は正史にもいるが、別人)。
猟師であったが飛叉の腕を見込まれて隊長格に取り立てられた。

鮑隆(ほうりゅう) 字は不明
?〜208年(酔い潰されて処刑)
武勇3智略2運営1魅力1
荊州桂陽郡出身の、趙範の部下。演義の創作武将。
二匹の虎を一射で殺した猛者だが、趙雲を謀殺しようとも画策しており以下同文。(だからひいきってナニ? ロシア語で云って)
なお「荊州出身の鮑姓」だが、鮑家荘との関連は不明。

金旋(きんせん) 字は元機(げんき)
?〜208年(戦死)
武勇2智略2運営3魅力3
司隷京兆尹出身の武陵太守。荊州弱小カルテット副将。
地方・中央の役職を歴任し、赤壁戦に前後して武陵太守となったようだが、曹操への忠義を貫いて劉備と戦い、死亡した(この辺りは全てノンフィクションです)。

鞏志(きょうし) 字は不明
生没年不詳
武勇3智略1運営2魅力2
金旋の部下。演義の創作武将。
『録を食んだ主を殺し、その土地をひとに献じる』というどっかで聞いた真似をしでかしているのに、なぜか受け入れられた不思議な人物。

韓玄(かんげん) 字は不明
生没年不詳(演義では208年に、魏延に斬られている)
武勇1智略1運営3魅力1
出自不明の長沙太守。荊州弱小カルテット大将。
正史の記述からは演義での暴君ぶりは確認できないが、劉表からにらまれていたのは事実と思われる。

楊齢(ようれい) 字は不明
?〜208年(戦死)
武勇2智略2運営1魅力1
韓玄の部下。演義の創作武将。
黄忠の前座として登場し、その通りの最期を迎えた、気持ちいいくらいあっけないザコ武将。

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