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A「というわけで、おかえりなさーい!」
F「おう、ただいま」
Y「逆じゃねェか?」
ヤスの妻「細かいこと気にしちゃダメだよ、アキラがいいならそれで正しいんだから」
A2「……いあ、いあ」
Y「お前、合の手に困るとそれ云ってるだろ」
ヤスの妻「まぁ、それはさておき。予告通り、先日発見したものの上映会を行いたいと思います」
翡翠「ナニを掘り出したっすか?」
ヤスの妻「ずばり、えーじろ主演、地元農協のこまーしゃる〜!」
F「うわああああああっ!?」
三妹「なに、アレが残ってたの!?」
ヤスの妻「撮りだめしてあったル○クル○クのビデオ流しながら採点してたら、いきなり出てきてコーヒー吹いた」
翡翠「何人かに答案戻ってこなかったの、それが原因っすか」
M「えーっと……何のおはなし?」
Y「10年くらい前か? 農協のCMに出たンだよ。コンバインに乗ったコイツが……実際に見た方が早いな。よし、流せ!」
F「いや、らめえええええっ!? 僕の人生の黒歴史ーっ!」

 ぴんぽんぱんぽーん
ヤスの妻「お見せできないのが残念です」
F「残念じゃないよ!?」
 ぴんぽんぱんぽーん

M「若いわねェ」
A2「(こくっ)……別人」
翡翠「ぅわー……あたしくらいの頃っすか?」
Y「だな。後継者不足で悩んでた……のは今もだが、若者に農業をやってもらおうと、当時高校生のコイツでCMを作製した、と。がっこうには報告してあったが、実際に流れたらもう大騒ぎ。キメの『前田えーじろは、農業を続けます』って台詞が、人名とナニを続けるのかを変えてムダに流行ってな」
F「オレが生殖機能と引き換えに一命を取り留めたのは、こんな苦行のためじゃないと思いたい……」
三妹「あぁ、あの頃のえーじろ……アタシ、これだけで妊娠しそう」
A「アキラも子供できそう……うっとり」
ヤスの妻「ホントにできたら義姉さんが産んであげるからね!」
Y「ま、翌年にはコイツ、ロシアに帰って離農していたというオチまでついている辺り、黒歴史というのも間違いではないというオハナシだが。さんざん笑ったところで、とりあえず全員落ちつけ。おらえーじろ、タイトルコール」
F「えーじろって呼ぶなああああっ!」

ひすとりーめんばーず 三国志編 第16回
「15年前の某社の評価では武力73知力62」

F「今回は、屯田についての予定だったンだけど、精神的なダメージが大きすぎるのでまた今度にします……」
Y「何でここぞとばかりにそういうネタを用意していたンだ、お前は」
F「常時4人分のネタは用意してあるが、涙をぬぐう時間はくれ……。というわけで、今回は予定を変更して、後漢末の群雄から劉虞で」
A「リストの分類としては『董二袁三劉』の一隅じゃね?」
Y「劉表劉璋に劉虞で三劉か」
F「だ……。『正史にはほとんど名のみの登場』で『演義では大きく取り上げられる』という人物は少なくないが、劉虞は逆で『演義にはほとんど名のみの登場』で『正史ではそれなりの扱い』という人物になる。最近の三国志ものでは取り上げられることが多くなったから、15年前に比べると知名度は伸びてるが。えーっと、後漢初代の光武帝劉秀の、長男(廃嫡され帝位にはつかなかった)は東海恭王劉彊(リュウキョウ)というが、その子孫になる。つまり、献帝からみると縁戚にあたるワケだ」
Y「縁戚というか遠縁だな」
F「そうなる。それくらいの縁者となると劉曄劉備などなどピンキリいた時代だ。劉備の『私は中山靖王劉勝の末裔である!』が出世の足がかりにならなかったのと同様に、劉虞の人生は下級役人からはじまっている」
Y「判ってるとは思うが、劉曄がピンで劉備がキリな」
A「やかましい!」
F「劉虞は劉備とは違って勤勉でな。出身の郯県(たんけん、徐州東海郡)で下級役人をしていたンだが、仕事熱心で真面目だったモンだから郡の役人に昇進し、さらに孝廉に推挙されて郎(下級官僚)に取り立てられた。生年が不詳だから年齢は判らんが、順調に出世していたと考えていいな」
Y「誰とは云わんが、キリとは違って」
A「云ってるじゃねーかっ!」
F「劉虞がどんな人物だったのかについて、無視できないエピソードを裴松之が正史の注に引いている。郎に取り立てられたあとで、病気になって郷里に帰っていたンだが、出世したにもかかわらず謙虚で質素、民衆と苦楽を共にしていたモンだから、人々はみな劉虞を尊敬した……とあってな」
A「慕われる人柄だった、と」
F「どれくらい慕われたかと云えば、いざこざが起こって裁判ザタになっても、民衆は役所に訴え出ず、劉虞に審判を仰いでいるンだ。それに応えた劉虞は情理を尽くした判決を下したため、裁かれた人々は一切逆らわず、怨恨を抱くことはなかったという」
Y「ふむ……」
A「民衆からの支持は篤かった、と」
F「ただ、情理と云っても、どちらかと云えば情に傾いていた。やはり郷里にいた頃だが、近所の男が『牛が逃げた』と劉虞のところにやってきたが、劉虞の家にいた牛の体格や模様が自分の牛に似ていた。ために『ここにいた!』と云いだすと、劉虞は、反論しないでその牛を男に差し出している」
Y「だが、別の場所で、本当の自分の牛を見つけた男は、劉虞に牛を返して謝った……だったな」
F「つまり劉虞は、人柄は清廉で行いは公正、ただし情理では情に傾く、という人物だった。遠縁とはいえ皇族だったことと相まって、評判は次第に高まり、ついに中央に召還されると宗正に任じられている」
A「そうせい?」
ヤスの妻「現代日本で云えば宮内庁長官。皇族の生活や財産を管理する役職だね」
A「大変な地位ですね!?」
F「だが、時代が悪かった。『私釈』の10回で見たが185年、黄巾の余燼が燃え広がり、張純(チョウジュン)の乱が起こっている。漢土の東北部、幽・青・徐・冀州一帯を荒らしまわったこの叛乱には、北方対策のエキスパート"白馬将軍"コーソンさんがあたっていたものの、戦闘には勝てても鎮圧はできないでいた」
A「そこで、劉虞を起用した」
F「幽州牧に任じ、現地に送り込んでいる。着任した劉虞は、ただちに烏桓の首領・丘力居(キュウリキキョ)らに使者を送って帰順を勧め、張純の首級を差し出すよう求めた。劉虞の人柄を知っていた丘力居たちは、首級はともかくホイホイと返礼の使者を送って、帰順の意志を示している」
Y「だが、それがコーソンとの対立につながったワケだな。恩賞や財貨で異民族を懐柔すれば、朝廷を侮ってつけあがるから、とにかく力で制圧すべきと強硬策を唱えていたコーソンと逆の政策では」
F「宥和策をとった劉虞との対立は明らかだったワケだ。丘力居からの使者を待ち伏せて殺したり、劉虞からの使者を殺して烏桓への恩賞を奪ったりしたモンだから、さすがに劉虞でも腹にすえかねて、コーソンさんに『ちょっと会談しようか』と迫る。だが、コーソンさんの基本政策は『話すことなど何もない』だった」
A「それは政策じゃなくて、ただのワガママだろ!」
F「仮病を使って会談を拒否している。まぁ、烏桓の首領たちが次々と帰順したモンだから、形勢不利と察した張純は鮮卑の部族に逃げ込んだものの部下に殺され、首級は劉虞のもとに届けられた。東北部の叛乱はこうして終結し、劉虞は襄賁侯・太尉を経て大司馬に昇進しているが、コーソンさんは薊侯・奮武将軍どまりだった」
A「露骨に差がついたね?」
F「というのも、張純の乱が鎮圧されると、間もなく董卓が政権を牛耳っているンだ。当初、コーソンさんが張純の乱の鎮圧に従事していたのは、董卓が一方的に嫌っていた張温(チョウオン)の命で、兵を率いて至近にいたから……というのが影響しているのか判らんが、董卓はあまりコーソンさんを重視していなかった感がある」
Y「あぁ、政敵の子飼いと思われたかもしれんのか」
F「一方で、北方での名声高い劉虞は手なずけておくべきだと考えたようで、張純の乱の戦後行賞で太尉となっていた劉虞を、大司馬に昇進させたのは董卓だ。反董卓連合の結成後には『太傅にするから早く来て!』と送った使者が、袁紹たちに阻まれて行きつけなかった、なんて事態が発生している」
A「意外と情けない真似もしてるンだな、魔王サマ」
F「それくらい、劉虞には政治的な利用価値があると思われていたンだよ。幼い皇帝は董卓の手にあり、漢王朝の零落は明らかだった。そこで袁紹は、皇族の中から新しい皇帝をたてて董卓への対決姿勢を明らかにし、のちに名族支配体制を確立した際の旗頭として、劉虞を選んでいるンだから」
A「改革派だったな。名声高く、董卓の魔の手から逃れている皇族……だが、董卓の息がかかっている感もないか?」
Y「だからだろうな。董卓と対決するためには、北方にそんなモン野放しにしておくワケにはいかん。皇帝になるよう打診して、自分たちの側に引き込む目的もあったように思える」
F「董卓につくのか自分たちにつくのかはっきりしろ……と云われたとは、劉虞は思わなかったようで『忠臣の顔に泥を塗るか!?』と、送られてきた使者を怒鳴りつけているンだ。これなら董卓につくことはないだろう、と思ったようだが、劉虞を軽視していないのは袁紹も同じで、今度は録尚書事に就任するよう求めた」
A「外地での行政執行権だっけ?」
F「うん、のちに蒋琬なんかが就任した役職だね。今度は『これ以上私に不忠を求めるというのなら、匈奴のところに逃げ込むぞ!?』とまで反発したモンだから、さすがの袁紹でも断念せざるを得なかった」
A「意外と強気なんだな。でも、漢王朝のためを思うなら、自分が政権を握って政治を革新すべきじゃないか?」
F「そう思わなかったのが劉虞の限界なんだよ。情理が相対したら情をとるのが劉虞だ。いち地方の長官なら勤まるが、天下のためには多少ならず厳しいこともしなければならんことを理解できていなかったようでな」
Y「キレイごとだけで渡っていけるなら、戦乱の時代なんて起こらんな」
F「そして劉虞の隣には、とにかく情の通じない男がいた。劉虞は清廉だったため、自分の与党をつくろうとしなかった。野心がないのはほめられるが、だからといって幽州全体がそんな空気だったわけではない。コーソンさんは、幽州各地の太守を抱きこんで支配権を確保していき、実効支配するに至っているンだ」
A「劉虞についていては出世は見込めない、と考えた連中がコーソンさんについたのか」
F「加えて、もともと北狄と戦い続けていた幽州では尚武の風潮が強かったようでな。軍事的に優秀なコーソンさんだけに、ある程度の支持を得られたンだ。次第に旗色はコーソン色に染まっていった」
A「ナニ色なんだ?」
F「たぶん白。そして、両者の対立が決定的となるイベントが発生した。劉虞の息子・劉和(リュウワ)は侍中として皇帝に仕えていたンだけど、当時の皇帝は知っての通り献帝で長安にいた。洛陽に帰りたい献帝は、董卓の目を盗んで劉和を長安から脱出させ『軍を率いて迎えに来い』と、劉虞のもとに向かわせた」
A「そんなことしてたのか!?」
F「明記はないんだが、劉和が長安を脱出できたのには、我らが鄭泰の助力があったみたいでな」
Y「お前の他の誰が『我ら』なんだ?」
F「というのも、長安を脱出した劉和は、まず袁術のところに駆け込んでいる。後漢書では袁術に拉致られたことになっているが、のちに鄭泰・董承が頼ったからには、劉和の側から袁術に助力を求めたと考えてよく、現に正史の注にはそう書かれている」
A「劉虞が袁紹と仲違いしてたンだろ? だったら、袁紹に次ぐ群雄に頼るのは判断としてはまっとうだろうな」
F「群雄の順番としてはどうかと思うが、そーいう次第だ。そして鄭泰同様に、劉和もこれが命取りだった。劉和から劉虞招聘計画を聞いた袁術は、劉虞の軍を利用しようと企んでいる。劉和をそそのかして、劉虞に『軍を出せば袁術殿が合流して、長安に向かってくれるそうです』という書状をかかせたンだ」
A「だまされたのか? 劉虞が」
F「数千の騎兵隊を出そうとした、とあるな。ところが、意外なことに、この頃は対立している場合ではなかったようで、コーソンさんが『袁術はあてにならんぞ?』と、兵を出すのを強くいさめている」
A「……まぁ、天下が董卓のせいで荒れ果てていたンだから、遠く離れた幽州とはいえ内輪揉めしてる場合じゃないか」
F「だがこのふたり、互いに内心でどう思っていたのかがはっきり判る真似をしでかしている。劉虞はいさめを聞かずに兵を出し、コーソンさんは『俺が引きとめたって知られたら、袁術に恨まれるかもなぁ……』と、劉虞の騎兵に白馬兵一千を同行させて『全部アンタのモノにしな!』と袁術に持ちかけた」
Y「喜んでホクホクいただいた、と」
F「というわけで、劉虞とコーソンさんの関係はもう修復不可能なレベルに破綻してしまった。……のだが、さっき云った通り、幽州の支配権はコーソンさんの手にほぼ落ちているし、劉虞の軍事力もこの一件でほぼ喪失。ために、コーソンさんは劉虞を放置して、袁紹との対決に踏み切っている」
A「ほっといたンかい」
F「突然ですが、ここで問題です。幽州の治所はどこでしょう」
A「え? っと……」
ヤスの妻「(けい)だね。130回の1にリストがあるよ」
F「ありましたね。実際のところ、董卓には『劉虞は味方にならんなら、コーソンさんに殺されろ』と考えていたふしがあります。幽州牧の劉虞は当然ながら治所の薊に所在していましたが、薊侯のコーソンさんは袁紹に敗れると、薊に逃げ帰ってきて、薊城の外に城を造っているんです」
Y「あからさまな二虎計だな」
F「そして、その計略に劉虞はまんまとひっかかった。コーソンさんと眼と鼻の先でにらみあって暮らすことになったモンだから、コーソンさんに襲撃されると疑心暗鬼に駆られて、自分から手を出したンだ。ところが例の一件のせいで、劉虞の手元には『戦闘に慣れておらず、統率がとれていない』と正史の注にも書かれる弱兵しか残っていなかった」
A「完全に自業自得なんだけど、ここまで来ると可哀想じゃね……」
F「しかも、劉虞の悪いくせが出た。コーソンさんを攻めるにあたって『民家には手を出すな』と命じていたモンだから、進軍スピードは落ちる、士気は上がらない。おまけに、コーソンさんが自ら民家に放火し、火に巻かれて混乱した弱兵に白馬騎兵が襲いかかって、劉虞軍はあっさり壊滅してしまう」
A「精兵を自ら手放したのが悪かったのか、それとももともとその程度の指揮能力だったのか」
F「どちらにせよ、コーソンさんに太刀打ちできるレベルではなかったようでな。薊を逃れた劉虞だったがコーソンさんは追撃し、立てこもった居庸城を攻略した。通常、最期の城に立てこもればある程度は抵抗するしできるモンだが、劉虞はあっさり敗れて、家族ともども囚われの身になっている」
A「部下には手を出させないために自ら降った、みたいなモンじゃないのかな」
F「だとしたら相手が悪かったな。薊に凱旋したコーソンさんは、劉虞の下で役人をやっていた者たちをほとんど殺しているンだよ。そのうえで、夏の盛りだというのに『お前が皇帝になる器だというなら、天が雨を降らせてお前を助けるだろう』と、市場にさらしものにしている」
A「どこまで劉虞を嫌ってたのさ……」
Y「劉虞への感情というよりコーソンの本性だと思うぞ」
F「コーソンさんがかなり人格的に問題があったのは、先に触れてあるからなぁ。しかもそこへ、タイミング悪く献帝から『劉虞は立派な奴だから、所領を増やしてつかわす。北方の六州全てを治めるがよいぞよ』という使者が来ちまった」
A「劉虞を殺したいのかよ!?」
F「いちおう、コーソンさんに『前将軍に任じる』という辞令も持ってきたンだけど、それでコーソンさんのハラが収まるはずがないな。『野郎は皇帝を僭称しようとした!』と誣告して、その使者を脅迫し『献帝も死ねと云っている!』と、劉虞を処刑してしまう」
A「……悪気がないのは判るンだが、間接的にいらんことした献帝には、責任を求めていいよなぁ」
F「だよなぁ。かくして、幽州はコーソンさんの旗のもとに統一されたが、その栄華は長くなかった……というのは、また別のオハナシ。ところで、さっきアキラが云ってくれたが、どーにも劉虞の失政・失策には、自業自得の感が強い」
Y「改めてまとめると、民政・外交分野には通じていても、軍事や戦略的な思考はまるでダメで、それが原因で身を滅ぼしたンだからなぁ」
F「考えていることがどうにも性善説でな。誰もが漢王朝のために働き続ければ世の中はよくなる、そんな淡い妄想を実現するために、というか実現できると考えて、活動し行動していたようでな」
Y「そんな甘ったれた考えのままに生きていけるほど、当時の情勢は恵まれていなかったな」
F「劉虞の望んだ漢王朝を実現するためには、やはり自分で皇帝になる必要があっただろう。もう少し柔軟な考え方ができれば、袁紹とはうまくやっていけたように思える」
A「でも、情や仁で売っていた劉虞がそれを捨てたら、評価がガタ落ちしないか?」
F「その通り。それだけに、羅貫中は劉虞を積極的には使えなかったンだよ。コーソンさんを善玉に仕立てるために、劉虞に関するエピソードはカットしないといけないのが第一。第二に『仁や義や情で世に名を馳せた漢の皇族』を出すワケには行かなかったから」
A「……出せませんね、そりゃ」
Y「皇叔の名を劉虞に渡すワケにはいかんだろうからなぁ」
F「かくて、演義では名のみの登場と相成ったというオハナシ。では、復帰初回はこれくらいにしておこう」
A「どーぞ」
F「続きは次回の講釈で」
三妹「じゃぁ、ビデオまた見ようか!」
F「オレの死を覚悟するというのか!?」


劉虞(りゅうぐ) 字を伯安(はくあん)
?〜193年(天に見放されて処刑された)
武勇1智略2運営5魅力6
徐州東海郡出身、北方で名を馳せた漢の皇族。
一時は皇帝への即位を望まれたほどの人物だったが、戦乱の時代を生き抜く器量はなかった。

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