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History Members 三国志編 第14回
「引き立て役ではない男たち・5」

 ぐきっ
F「くぁっ!? 肩が、肩が……!?」
ヤスの妻「母さんか上の子の呪いかな」
F「アンタじゃなかったら怒りますよ、その発言! うくぅ、肩が……」
三妹「そのトシで四十肩はないでしょーが。ほら、背中出しなさいよ。湿布貼ってあげるわ」
F「いや、そこまで手間はかけさせられんて。自分でやるからよこせ」
三妹「別に、アンタのことが心配なんじゃないわよ。アンタがしっかりしてないと、子供のためにならないンだから」
Y「妹よ、何をツンデレのテンプレートしてやがる」
三妹「だから、生身の人間に向かってツンデレ云うな!」
ヤスの妻「ツンデレでしょ?」
A「ツンデレじゃね」
M「ツンデレよねェ」
A2「……本物のツンデレって、はじめてみる生命体」
F「コレが素だからなぁ、コイツ。冷えると肩がきつい……おい、早く湿布」
三妹「ほら!」(ばんっ!)
F「づあぁっ!?」
M「ちーちゃん、よこせって云ったみたいなんだけど」
三妹「先に云いなさいよ!」
F「云っただろ! ……まぁ、これでしばらくもつ。ありがとな」
三妹「……別に、アンタのためにやったわけじゃないわよ」
A「じゃぁ誰のためなのさ」
F「それはシベリアの彼方に放り投げておいて。では、ラストの5人めいきます。いつぞや触れた通り、羅貫中は水滸伝に白虎と西斗五星を出し、そこから五虎将というフレーズを生み出した……と僕は見ている」
Y「西はまぁいいが、東の四星ってどんな配列になるンだ?」
F「くの字逆にして、下にひとつ伸ばしてるンだ。中国の占星術に存在してるぞ」
A「だから、戦術から占術までこなすなよ……」
F「占いのひとつやふたつできないと、女と会話するときにネタが不足するぞ?」
三妹「不思議と、昔から女には不自由しないのよね、この雪男」
F「若い頃は、お前がいれば充分だと思ってたから相手にしなかったけどなー。今にして思えば……もったいなくもないか。正直、お前よりいい女なんてそうはおらんし」
M「はいっ、ここにいます」
F「はい、愛してます。んー……」
A2「わっ……だいたん」
ヤスの妻「アキラは見ちゃいけません!」
M「んっ……やん、お兄ちゃん、みんな見てるわよォ」
三妹「だったら嬉しそうにするンじゃない!」
ヤスの妻「ちーちゃん、落ちつこう? 相手は子供産んだばっかりだから、ね?」
三妹「1ヶ月経ったわよ! ええぃ、アタシの前でえーじろと……」
F「ほんとに落ちつけ。あと、えーじろやめろ。では魏ではと云えば、パターンに当てはめれば玄武に北斗七星なので七武将ないし七武大将軍とでもなる、というところ。魏書十七巻『張楽于張徐伝』の5人に次ぐ残りふたり、のひとりとなるのが確定しているのが李典だ」
A「何事もなかったように……曹操軍団メインメンバーのひとりだけど、数字的には許褚典韋じゃないか?」
A2「……数字って」
F「最後のひとりが誰かはともかく、李典で『確定』と云っておろうが。魏書十七・十八巻は夏侯・曹両族(曹操の一門衆)を除く魏の武官列伝だが、十八巻のトップにいるのが李典だ。五将軍に次ぐ扱い、と云っていいぞ」
Y「地味ではあるが優秀だからな。その辺り、ちゃんと評価されているワケだ」
F「ただし、羅貫中からの扱いはちょっと非道い。といっても、天下の三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君を敵に回した罪でありえない戦死を遂げた徐晃なんかとはちょっと違って……えーっと、俄何焼戈(ガカショウガ)って覚えてるか?」
A「西羌の武将だったね。正史では俄何焼戈のふたりだけど、なぜか演義ではひとりにされているという」
Y「……だから、何で北方系異民族にだけはそんなに詳しいンだ、お前も」
F「演義での李典は、正史での3人分でな」
A「……はい?」
F「『私釈』での李典初登場は第13回、その当時、楽進ともども生え抜きと云ってあるが、正確には、この頃の李家部隊を率いていたのは族父にあたる李乾(リケン)だった。このヒトが、一族郎党数千戸を率いて曹操に合流しているンだ」
Y「生え抜きなのはそのおじだ、と」
F「そゆこと。李乾は気性が荒く、曹操の下につくと黄巾を討つのに貢献している。袁術陶謙との戦闘でも奮闘していたと記載があるが、このおじが死んだのは呂布との戦闘の折でな。もともと住んでいた地方の慰撫に送られたところ、呂布の部下の薛蘭(セツラン)・李封(リフウ)に寝返りを求められたンだ」
A「それをつっぱねた?」
F「そして殺された。李乾の息子の李整(リセイ)が、李家の軍を率いて薛蘭・李封を打ち破り、そのまま兗州での戦闘で功績をあげている。父の仇討ちという思いが強かったのは云うまでもないな」
A「ここまででふたり分、と」
F「ところが、功績を挙げ続けて青州刺史にまで昇進した李整が、あっさり亡くなっている。誰に李家の軍を率いさせるのか……で曹操が目をつけたのが『軍事は好まなかったが学問に親しみ、書物を多く読んだため曹操に気に入られた』と注にある、李典だった。李乾から見れば一族の年少者だが、正確な関係はよく判らんというところでな」
A「李整はともかく、李乾とは将としてのタイプが対照的じゃね?」
F「曹操としては問題がなかったようなんだ。李整が死んだのが『曹操が袁紹と官渡で対峙していた当時』とあり、官渡戦で李典がやったのは『一族と部下を引き連れ、食糧・物資を曹操軍に供給する』という、後方支援だから。勇猛な武将にそんなことやらせておれんだろう」
Y「前に出した方が人事としては正しいな」
F「加えて、当主を亡くした李家を無理に前線に出すのも好ましくない。戦死なら李乾のとき同様仇討ちに燃えるのを利用できるが、李典が後方任務についたからには、李整は戦死ではなかったと逆算できる」
Y「代替わりした李家の軍が、きちんと李典に従うか試した、というのもありそうだな。李典ごとき若造に従うのが不満のようなら、前線に出すのは不安だ」
A「曹操ならではの巧妙な人事か」
F「そして、曹操はそういう行いにもきちんと評価を下す。官渡の決戦で勝利したあと、李典は裨将軍に叙されている」
A「輜重輸送でも軍隊なんだ、と」
F「その辺りが、曹操が天下の七割を抑えた所以だろうな、と思う。ちなみに、血縁関係は判らんと云ったが、李典にもきちんと李乾の血は流れている。63回で見たが、このあと、水路で食糧を輸送しているとき、袁尚の部下・高蕃(コウハン)を『あんな連中にオレが負けるかい!』と叩き潰しているンだから」
A「……意外と勇猛なんだな」
F「高蕃がどれくらいの兵を預かっていたのか不明だが、黄河の水運を遮断するのが目的だったからには、ある程度の兵数があったと考えられる。加えて、高蕃は、曹操が魏公に就任したとき、唯一手放さなかった魏郡の太守でな。軽く一万は率いていたと考えられる」
A「李典の軍は?」
F「李家の軍がおおよそ一千。これに、同行していた程cの率いる一千か千七百が加わっても、せいぜい三千足らずというところだ。ところが『高蕃の軍は鎧を着用している者が少なく、水塞に立てこもっていることで気持ちがだらけている。国家に利益があるなら、専断するのも許される!』と、黄河を渡って高蕃を打ち破り、水路を確保しているンだ」
Y「袁紹の軍は、官渡の時点でも鎧の着用率が14パーセントだったな」
F「先の二代で鍛えられた李家の軍は、そのくらいなら充分打ち破れたワケだ。ただし、やや素行に問題があると思われたのか、このあと対袁家戦線から外され、許昌に戻された形跡がある。演義では孔明のデビュー戦となった夏侯惇との一戦で、暴走する夏侯惇をいさめたのは正史でもやっているが、この時代のことだ」
A「にひゃく……いつごろ?」
F「204年くらい。翌205年の鄴攻略戦には従軍しているから。鄴ほどの大都市を包囲するには、輸送と補給路の確保には実績のある李典を欠かせなかったと云える」
Y「国家に利益があるなら、専断するのも許される……と公言するような輩は、結果を出しても感心できんがな」
F「利用はされても信用はされていないと考えたようで、李典はここで手を打っている。攻略した魏郡に一族郎党を移住させたい、と曹操に申し出たンだ。曹操は、袁紹の地盤を引き継ぐために冀州・魏に拠点を動かそうとしていた。全面的に賛成すると態度で示し、一方で、李家兵の家族を曹操の手元に置くことで背信の意志はないと表明するワケだ」
A「どこまで、曹操に不審がられていると思ってたさ」
F「曹操にも笑われたンだが、本人の台詞がある」

「私は愚鈍で決断力がなく、功績もわずかだというのに、爵位も恩寵も過分でございます。なれば、一族を挙げて殿にお尽くしするのが当然でありましょう。また、まだ袁家の討伐が終わらぬからには、本拠の周囲を充実させ、四方へと征していくのがただしい手順にございます」

F「曹操はこれを認め、李典を雑号将軍に任じている」
A「本心は、独断型の武将ではなかったのか」
F「いや、根っこでは自分のやりたいようにやりたがっていたンだが、国のためにそれを押し殺していた。張遼・楽進とともに合肥で孫権の相手をしていたときの、有名なエピソードがそうだろう」
Y「もともと張遼と仲が悪かった、と正史に明記があるアレか」
F「李乾を殺したのが、呂布の部下だったからね。含むものがあるのも仕方ないだろう」
A「……あー」
F「どうして降将の下につかねばならんのだ、みたいな自負もあっただろうし。兵卒から叩き上げの楽進は表に出さないようわきまえていても、最初からある程度の軍を率いていた(李家は三千家で一万三千人とあり、推定兵数は一千程度)李典には、その辺りが我慢できなかったみたいなんだ」
Y「張郃辺りとも相性は悪そうだな」
F「正史を見るに、張郃と同じ戦場にいたのは鄴包囲戦くらいだな」
A「……曹仁辺りの下につけておけばよかったンじゃね?」
F「だが李典は、自分の指示に従うかと懸念した張遼に、はっきり云っている」

「これは国家の一大事で、こちらが問題としているのはお前の計略そのものだ。我々は、個人的な恨みで公の道義を忘れたりはしない!」

Y「つまり『個人的な恨みはあるが、国のためなら仕方ない』と云っているのか」
A「気持ちと理屈は判るけどなぁ……?」
F「ところで、李典は『学問が好きで、儒教を学び、諸将を功績を争わなかった。すぐれた士大夫を尊敬し、謙虚そのものの態度をとったので、軍中では彼の態度をたたえた』とある。ここに、見落としがちな李典のパーソナリティがはっきり書いてあるのに気づけるか?」
A「張遼を『すぐれた士大夫』ではないと思っていたのか?」
F「張遼はさておけ。『諸将を功績を争わなかった』という一文だ。李典の正式な生年・没年は不明なんだが、享年は三六でな。楽進に前後して亡くなっているようだが、180年代の生まれなんだよ。張遼は167年の生まれで、ひとまわり以上年代が違うンだ」
A「……若いのか?」
F「さすがに息子世代とまでは云えないが、五将軍と比較すればかなり。それなのに、先達と功績を争っても仕方ないと考えていたようで、正史・演義を問わず、地味な副将格というイメージに収まっている。本人がつとめてそうあろうとしていたことが、陳寿羅貫中にも採用されたようでな」
A「あらら……」
Y「張遼への不満は、年齢的なこともあるのか。若いだけに感情をコントロールしかねた感がある」
F「惜しんでいいな。36で死なずにそのまま生き延びていれば、曹休の苦労はかなり軽減されたはずだ。あるいは対蜀方面に来て、曹真の下で孔明を相手にしていたかもしれないが、呉・蜀いずれが相手であっても奮戦したのは予想に難くない。現に、演義では徐庶や孔明の策をさりげなく看破しているンだから」
A「ですね……」
F「……ふぅ。長々となったが、魏の五将軍まいなす張遼ぷらす李典、の講釈はこれで終わりにします。まだまだやり足りない感はあるけど、贅沢は云っておれん。まぁ、また別の人物のときに語ろう」
Y「終わりか」
A「疲れたよ……」
ヤスの妻「アキラ、義姉さんが」
Y「いい加減にしろ、お前も!」
F「続きは次回の講釈で」
A2「……よろしく」


李典(りてん) 字を曼成(まんせい)
?〜?(三六歳の若さで死去)
武勇4智略3運営5魅力4
兗州山陽郡出身、李家三代めの武将。
正史・演義問わず「地味な副将」の印象があり、そのままの存在だが、曹操軍メインメンバーのひとりには必ず含まれる。

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