カタカタカタカタカタ…
「………。」
部屋に無機質なキータイプの音が響く。
カタカタカタ、カチッ ディスプレイのカーソルが砂時計のマークに代わり、やがて検索結果を表示した。
「………チッ!」
「どうした、藤原?」
「ん…あぁ、いや、ネット上のメン募掲示板を見てたんだ…」
「え、藤原も外で組むんだ?」
「あぁ…校内で楽器隊は集めたんだが、ヴォーカルがな…」
「へぇ…お、結構いんじゃん」
「ダメだ。」
「ん?なんで?」
「まず欲しいのは男だ。そして実力も経験もあるやつがいい」
「お前、それ欲張りな」
「けど、妥協したくねーんだ…くそ、ホント、ロクなのいねぇ…」
フン、とため息を吐くと藤原は適当に画面をスクロールさせた。
「だけど、それでバンドできなかったら本末転倒だろ?」
「そらそうだけどよ…」
答えながら、「次へを」クリックしようと思ったときだった。ひとつのスレッドが藤原の目に止まった。
「ん…誰だこいつ…あーるえーじー…らげ?」
「あ…藤原そいつやめといた方が良いぜ?」
「なんだ、知ってるのか?」
「Rage…ラージュだよ。この辺じゃ有名だぜ」
「はん?」
「一度あってみよう、ってメールが来るんだが、スタジオでセッションして、それでやっぱりやらないっつってかえっちまうんだと。これまでに何件もあったみたいだぜ」
「へぇ…変な奴だな。」
「それで、悪かった、っつって、スタジオ代は払ってくれるんだ。ホント、変な奴だよ」
「………。」
「っておぃ、なにやってんだ?会う気か?」
「あぁ」
「って、もうこれ去年の書き込みじゃねーか」
「ん…そうだな。でもこういうのはなかなかみつかんねーし、そいつ、バンドあんまり組みたがらねぇんだろ?」
「…お前も大概物好きだよな」
「こいつの音楽性の説明、お前も読んだろ?結構俺と似てんだよ」
-----------------------------------------------------------------------------------------------------

「ふぁ〜、ここも寒くなってきたね」
言いながら綺堂さんが膝掛けを抱きしめた。…だからこの間から図書室にいけばと言っているのに。この人はほんとになにやってんだが。
「………。」
俺も俺で寒いながら、ピアノのを引き続けているが、スカートでないぶん、彼女よりマシと言ったところか。
「体操着…あるんだろ?着れば?」
今日は三限目に体育があった。荷物にあるはずだ。
遅くに帰るとよく体育系の女子部員にみられる格好だった。制服に着替えたが良いが、やはり寒いのでスカートをはいた状態でジャージもはく。
「えー?やだよ、あの格好、可愛くないし」
「………。」
俺はもう知らんと言わんばかりにピアノをまた弾き始める。11月の頭ごろのことだった。

…あの日の後。学祭の二日目。
俺はちゃっかり学校に来ていた。…藤原たちのバンド演奏を聴くためだ。人のことをバカにしていたのだ。これでくだらない演奏を見せたらもう一発見舞わねば気が済まぬまい。
俺はクラスの連中に(特に綺堂さんに)気付かれぬように、ステージの時間に体育館に入った。なんとか前の方にポジションを確保すると、俺は藤原の出演を待った。そしてその時はやってきた。
ギュイ…ギュイーン…
ボーンボーン…
藤原たちと一緒にいた奴らが軽いチューニングと事前の調整を行っている。
…ここで書くのは筋違いかも知れないが、俺はこのチューニングアップの間が好きだった。客席を焦らす意味の込められいて、そうでなさそう音が、始まる前のテンションに刃をかけ、その糸を断つ。体育館のクセのあるリバーブがそれを新鮮に感じさせた。
やがてそれが終わるとステージが再び照らされ、演奏が始まった。
ちちちち…
ハットのカウントから入るオーソドックスなロックだった。
………。
……………。
…………………。
ジャーン、と、ギターが大袈裟なアクションをして、演奏が終了した。
「………。」
そのときには、藤原を殴る気など失せていた。…別に演奏に感動したわけではない。バンド自体もそこまで悪くないのだが…。だが、そのバンドはバランスに欠けていた。…藤原が、突出していたのだ。ロックなのに、それはロック以上の激しさを持ってして奏された。ドラムの手数が明らかに多い。かといって不自然ではない。まるで…まるでヘヴィメタルのようなドラミング。
「………。」
俺はもう一度鼻で息をつくと、体育館を後にした。


「ねぇ、聞いてる?」
「ん…ぇ、あぁ、なんだっけ」
「もう…だから、なにをボーッとしてるのかって」
「あぁ、なんだ、……」
「…?」
俺は、理由を言いかけて、やめた。代わりに疑問系でこう切り返すことにした。
「なぁ、2日目の藤原のバンドどうだった?」
「え?ん、えぇと、よかったと思うよ」
「そっか」
「そんなに気になるなら、桜内くんも見に来れば良かったのに」
俺は何も答えずピアノを弾きながら苦笑することにした。その場に居たなんて言ったらなんて言われることやら。
「…それがどうかしたの?」
「いゃ、確かにな。あんだけ俺のことバカにしてたからさ。ちょっと気になっただけだよ」 「ふぅん」
ちょっと疑問を秘めた眼差しで相づちを打たれた。…何故納得しない。
そのとき、
たーらららら…
間抜けな音を奏でてケータイが震えた。やば…マナーモードにしていなかったようだ。授業中にならなくて良かった。
「いまどき着メロ?」
「うるさいな。暇なときに打ち込んでんだよ」
「…自分で作ってるんだ…」
綺堂さんがなにかまだ呟いていた気がしたが、俺は無視してケータイを開く。メールが来ていた。ディスプレイには名前が表示されていない…見たことのないアドレスだけが表示されていた。誰だろう。メールを開く。
「あ…」
そこにはこう書かれていた。



掲示板の投稿見ました。音楽性が合いそうだったのでメールした次第です。
楽器隊は揃ったのですがヴォーカリストが見つからなかったので、よろしければ一緒にやってみませんか?
あ、ちなみに全員学生です。もしよかったら返信お願いします。

ふむ。
メン募のメールはここのところは無かった。久し振りだ。
「………。」
「…どうしたの?」
「…どうしたって、メールが来たから読んでるんだけど」
「なんか、桜内くんがケータイ片手にボーッとする、っていうの珍しくない?」
「なんだよそれ」
正直、学生っていうのが引っ掛かるけど、この前の効果もあってか…俺はバンドがやりたい。俺は"良い返事"と共にメールを返すことにした。送信ボタンを押す。…ポチッとな。
「…で一度会ってみませんか?…って桜内くん、何ソレ、出会い系!?しんじらんない!!」
「ち…そんなんじゃねぇよ!って、なに後ろから覗いてんだよ!!」
気が付くと、俺の背後には見開いたかと思えば次の瞬間にはジト目の綺堂さんが居た。
「桜内くん、見かけに因らずそんなことしてるなんて…」
「だから話を聞けっての!…だいたいなんだよ見かけって…」
「…じゃぁなに?」
「………。」
「やっぱり人に言えないような」
「…バンド」
完全に俺の負けだった。…俺の黙秘権は行使できないのだろうか?
「一緒にバンドやらないか?ってメールが来たんだよ」
「え…」
「それで、一度スタジオに入ってセッションしないか、ってことになったんだ」
「やっぱり…桜内くんはバンドマンだったんだ…」
「やっぱり?」
俺はこの娘にバンドやってたなんて言ったっけ。その答えはNoらしい。綺堂さんは続けた。
「わかるよ。ピアニストじゃないよ、あんなドラムの曲を作れるのは…」
あぁ…そういえば。綺堂さんもあそこに居たんだよな。あのときは、どっちかっていうと藤原に音楽でモノ申したい気分だったから忘れていた。
「そっか」
ぱたむ、とケータイを閉じる。
「でも隠すことないんじゃない?言ってくれたっていいのに」
隠すもなにも、あんた、覗いてただろ。
「まぁ、そうかも知れないけど、まだやると決まったわけじゃないしな。やれるかどうかもわからないうちに、やるって断言してできなかったらカッコ悪いだろ?」
「…へぇ」
「な、なんだよ」
「なんか意外…かも。」
「なにが」
「桜内くんて、カッコ良いとか悪いとか気にしてないって言うか、鈍そうなところあるから」
「………。」
「あはは、気にしない気にしない」
ほんとうの俺が周りからどう見られているかが少し気になってしまった。
「ま、実際かっこ悪かったからな。そのときの俺」
「え、じゃぁ…」
「昔、バンドやろうって言って、そのバンド、ポシャったんだよ。」
「あ…」
まずいことを聞いてしまっただろうか、という顔をされる。
「気にするな。……一度ステージに立って、その自分をもう一度見つめ直す。すると急に自分が空っぽになるんだ。」
冬の夕方は短く、第一音楽室は鈍い赤に包まれていった。
「俺はほんとうは何がしたいのだろうか。俺は音楽で何を表現したいのか。楽しければそれでいいのか。…答えが見つからないまま俺はバンドを辞めた。俺が抜けて、バンドは解散した。それからも色んな奴とセッションしたけど…違う。俺は結局、ここ2、3年バンドからは縁遠かったんだ。実際、いまもだけど。だから、俺はソロでも堂々としているピアノや"自分に合うバンドメンバー"を補う術として打ち込みを学んだんだ。でも…」
「…でも?」
「やっぱり、バンドをやりたいって、思う。思った。綺堂さんの御陰だよ」
「わたしは別になにも…」
「綺堂さんが俺を無理矢理推薦なんかしなかったら俺はこんな気持ちにはならなかったよ。体育館の舞台袖でさ。俺、結構ワクワクしてたんだ。それで気付いた。」
「………。」
「あ…ごめん。なんか俺のことばっかり…」
黙った綺堂さんを見て、つい、さっきから開きっぱなしになってる口に気付いた。なんか…気まずい?
「あ、ううん…でも桜内くんて、音楽のことだとホント楽しそうに話すよね」
「そうか?」
そうかもしれない。
「そうだよ。ちょっと妬けちゃうくらい。」
「なにが?」
「…。」
あ、あはは、と苦笑する。なんなのだろう。
「へぇ、でも桜内くんがバンドかぁ…パートはなんなの?ピアノじゃないよね?」
「え?ヴォーカルだけど?」

そのあと思い切り爆笑されたので俺は彼女の額にかつて無い思いきりのデコピンを叩き込んだ。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
日曜日。当然今日は学校はない。…補習も。
そんな日の昼下がり。俺は街をぶらぶらしてテキトーにファーストフードで昼を済ますと、駅前のビルに入っている楽器屋を目指していた。全国規模に出回ってる楽器店で、色々イベントも開催している大きな店だ。
そこで俺は、先日のメールの人と待ち合わせし、楽器店のスタジオでセッションをする予定だった。だったのだが。
「…なんでテメェがここにいる」
「それはこっちのセリフだ」
開口一番に互いに飛び出した言葉は、待ち合わせた二人の挨拶から遠くかけ離れたものだった。そこには、藤原がいた。睨み合っている間に「おーい藤原〜」なんて呑気な声が聞こえてきたりする。ソフトケースを肩に担いで、どうやらバンドメンバーのようだ。集合にはまだ10分ほどあった。
「………。」
「………。」
あの日…学祭が終わって以来、俺は藤原と話すことはなかった。加え、藤原が俺にちょっかいを出すこともなくなっていた。藤原のドラムプレイを見ていて、メタルとか好きそうだったので、俺の打ち込んだドラムパターンにちょっと意外なもの感じてくれたのではないか、なんて淡い期待を抱いていたりしたが、まぁ、それは定かではない。
が、しかし、ここで再会した。また面倒なことにならねば良いんだが…。と、そこに先ほどのバンドメンバーがやってきた。クラスの、この間藤原とバンドをやってた奴じゃない。メガネをかけた、これまた茶髪のヤサ男風の男だった。
「あぁ、君が噂のラージュだったんだ〜。まさかオレらとタメ、しかも桜内くんとはね〜!」
「あ、あぁ…。知ってるのか?俺のこと…?」
「ぇえ?そりゃもう、学祭で一人であそこまでするのは桜内くんくらいだったよ〜。特に藤原なんかが絶賛しててね〜。『なんだ、あいつ!?ドラムはヘヴィメタなのにピアノはすっげぇクラシカル路線だぞ!?』とか言っちゃって!」
そうか…いまや俺は学校の有名人なのかも知れないな。…やれやれ。
「ば、バカヤロー!テメェ、俺はそんなこと言ってねぇぞ!!」
HAHAHAと笑うバンドメンバー一号(仮)に顔を赤くして藤原が一喝した。
「俺は、"クラシック"路線っつったんだよ!」
「………。」
「………。」
そこに沈黙が訪れた。
「クソ、てめ、どいつもこいつもバカにしやがって!これで勝ったと思うなよ!!!!」
ずだだだだだ!!
言うやいなや、藤原は脱兎の如く駆け出して行ってしまった。遠くから店内では走り回らないでくださ〜い、という声が聞こえた。…先ほどの不安は杞憂となりそうだった。
「どこ行く気だ…」
「トイレにでも行ったんじゃないかな〜。」
「そうだな。で、あんたは?」
「俺は3-G、ギターの東野 譲だよ〜。」
「もしかしてウチの学校の…?」
私服だからわからななかったが、そうだよ〜、と言うのだからそうなのだろう。
「うん、藤原がみんなを集めたんだよ〜。みんなウチの学校の、タメなんだ〜。」
「そっか」
…っていうかこいつと喋っていると妙に疲れてくるな…。ワンテンポずれているというか、ずらされているというか…。
「や〜、すまんすまん、約束の時間の10分前に10分も遅れてしまった…」
「おゎっ!!」
いきなり背後からぬっ!と現れた影に思わず吃驚してしまった。っていうか、時間的にそれで問題ないんじゃないか…?
ソフトケースが東野のものより大きい。ベースだろう。男は、見た目なんの変哲もなかったが、なにか違う空気を纏っている…。
「ダメだろ〜、これから一緒にやっていこうか、って人を驚かせちゃ〜。」
「はっはっは!すまんすまん!!」
「………。」
「紹介するよ〜、彼はベースの田村和正だよ〜」
「フフ、よろしくな、ラージュとやら」
「あ、あぁ」
…藤原は一体どんなメンツを集めてんだ…。なんかこう、マトモな会話ができるやついないのか?
「…これで全員か?」
声色が既に疲れているから少しためらったが、やはり気になるので聞いた。
「いや〜。ツインにしようってことでもう一人いるんだけど〜」
「あぁ、宇喜多ならトイレに藤原を呼びにいったぞ」
「そうか〜。じゃぁ受付行ってくるね〜。」
こうして最初とは違う不安に包まれてセッションは開始された…。

スタジオに入るのはかなり久し振りだ。俺はスタジオの中のしんと静まりかえった空気と、機材の匂いが好きだった。まるで自分の本当の家にいるみたいな…落ち着く。アーティストがスタジオに泊まり込み、っていうのは別の意味で納得できるものがある、なんて思う。
「桜内くんはバンドやってたの〜?」
不意に東野が話しかけてきた。
「昔、一度きりだけど」
「そっか〜」
言う東野はシールドを接続し、準備を進めている。エフェクターは歪み系のエフェクトが2つに、ワウペダル、コーラスといった面々。ワウってのとアンプでミドルを上げてるあたりから、こいつは主にリード担当なのかもしれない。
「だが、あなどれんぞ」
田村が嫌な笑みを浮かべて言う。
「体育館のあのステージ。そしてなんて言ったってあのラージュだ」
「………。」
…俺はラージュとして何かした覚えはないぞ。ほとんど誘いは断っていたし。だが東野は愛想の良い笑みを浮かべ、そうだねー、なんて言っている。
ちなみに田村の機材はエフェクターが三つあるのだが、全てが黒、名前は愚か、各ツマミの下にも何も書いていなくて、それがなんのエフェクトなのかはサッパリわからん。気になってうずうずしているのもなんだから聞いてみたが、
「企業秘密だ」
と返された。なんでも
「これは極秘で裏ルートから仕入れたモノだ。壁に耳あり障子に目あり、というしな。簡単に口を割ることはできんよ。はっはっは!!」
らしい。
「………。」
「あはは、田村にそういうこと聞いてもムダだよ〜」
このバンドの常識が一つ増えた。
「悪い、遅れた。」
入ってきたのは、俺の頭一個分はでかいであろう男と藤原だった。
「こいつがトイレでなにやら呟いて出てこようとしなかったからな…。」
「うるせぇ!!」
こいつはいつもこんなんなのだろうか。俺は、あんたも大変だな、なんて思うと、それに気付いたか、顔をゆるめ、まったくだ、なんて眼差しを向けてきた。
「俺はギターの宇喜多秀一。よろしくな。」
「あぁよろしく。」
こいつはどうもまともらしかった。
「すまんな、桜内。藤原なんかに任せず、やはり俺が一番に来るべきだった。」
「いや…このバンドの面々が個性的だってわかってよかったよ。」
苦笑しながら言った。
宇喜多もソフトケースと機材ケース置くと、準備にかかった。すでに向こうで藤原もペダルを設置し、スローンとハットの高さを調整している。ド…という音が聞こえたのはスネアを張った音がバスドラに響いたのだろう。
既に調整が終わっていた東野と田村の二人は時折音を出しつつ細かい調整をしている。俺もマイクをとり、ミキサーのスイッチを入れ、「あ、あ…」と声を出しながらボリュームを上げていった。

「ふぅ」
5曲ほど演奏してブレークを入れる。ギター・ベースはまだいいんだが、ヴォーカルとドラムはこうも激しい曲が立て続けだと、流石に休憩無しはきつい。俺達が演奏していたのは一般にHR/HM(ハードロック・ヘヴィメタル)で区分けされる曲だった。楽器隊が分厚いサウンドを作るので、俺は叫ぶたびに体力が磨り減り、藤原もまたツーバスの連続や手数の多いフィルインに消耗されていった。
「お疲れ〜」
「フフ、どうだ我々のサウンドは?」
変な二人組が話しかけてきていた。
「あぁ、悪くない」
正直な感想だった。音の作り方もさながら、演奏面でも問題はなかった。東野のプレイには、荒さが目立つが、それはそれ、味のあるギターソロを数フレーズ披露してくれていた。田村のベースは、ベースとしての存在を保ちながらも、リズムとしての役割を果たしていた。通常のリフでは全体を支えるように、繋ぎではドラムに沿うように演奏された。
「へへ、当たり前だろ」
少し息を切らせながら、セットから立ち上がってやってきた藤原が言った。
「学校でもこいつらは一番上手いからな。マジ争奪戦は激しかったぜ。他のバンドと取り合いになってよ」
ニカ!と笑う藤原。ここに来て初めて藤原の笑顔を見た気がした。
「俺もシーズンだったので裏の業者との取引をしようと思っていたのだがな…こいつが強引にバンドに誘うものでな」
「でも田村もまんざらじゃなかっただろ〜」
「ふっ、まぁな」
なんのシーズンかは敢えて突っ込むまい。
「しかし、桜内のヴォーカルは不思議だな」
「あぁ、そうだね〜」
これまで黙っていた宇喜多が口を開く。みんなもそれにそれとなく頷く。何が不思議なのだろうか。
「曲には確かに合っているし、ピッチ感も悪くない。だが、ヘヴィメタルによくあるハイトーンな声色ではなく、甘く、太い」
「そーいやそうだな」
宇喜多の指摘に納得の藤原。俺はその藤原に納得がいかず、突っ込んだ。
「…そうだな、って、掲示板に自分の声の性質くらい書いておいただろうが!」
「あー、そういえば…」
やれやれだ。
「はぁ=3」
隣で宇喜多がため息を吐いていた。

それから数曲合わせて俺達はスタジオを出て、同ビル内にあるファーストフード店の一角に腰を下ろした。
「で、どうするんだ、桜内?」
「…なにが?」
「なにが、って、はぁ、お前今日何のために来たんだよ!」
「フフ…我々と共にやるか否かだ」
「あぁ…」
サウンドに馴染んでいた。まるで俺がここいるのが当たり前みたいに。時間が俺の音楽に対する姿勢を変えたのかも知れない。あのとき…学祭の日にピアノを弾いたという事実が俺の背中を押したのかも知れない。なんにせよ、俺は嘘をついてない。俺自身に。セッションを通して、俺はこいつらとバンドがやりたいと思えた。
みれば4人の視線が俺に集まっていた。
「あぁ、一緒にやりたい。やらせてくれないか。」
「マジか!?」
「おぉ、あのラージュが?」
口々に感想を述べる面々。俺は苦笑した。

そのあと、これからどうするかを話して、それぞれ帰路についた。どうするか、というのは5人の共通の音楽性、それからそれをどう再現するか。バンドをやりくりする資金や時間、スタジオのこと、機材のこと、そしてライブのことと、えとせとら。
市外組なのは変な二人組。彼らは駅からそのまま電車にて家路についた。一方、市内組の俺、藤原、宇喜多は、一緒に他の楽器店でも見ていこうか?となったが、宇喜多はなんと門限があるらしく、早々に帰ってしまった。
「あいつ、結構良いトコのおぼっちゃまなんだぜ」
藤原が言うには、昔このあたりの土地を統括していた家系らしく、なかなかの門構えとのことだった。
「だから、バンドなんて俗っぽいのやってるだけでもおじさんにはいい目で見られてねーらしいんだ」
「へぇ。でも、よく許してくれたな」
「あいつとは小学校ンときから一緒だったんだけどさ。あいつン家、いろいろ厳しいから、なかなかみんなと一緒に遊んだりできなくて。きっとそういうのもあってかな?あんな無口でマジメになっちまったのは。」
「金持ちもラクじゃない、か…」
「あぁ。で、たまたま一緒に帰ってたとき、バンドやるって話になったんだ。で、そんとき、あいついきなり」
藤原は宇喜多のマネか、顔を顰めると、
「…俺もやる…」
と宇喜多よろしく渋い声で言い、元の声で話し始めた。悪いけど、お前が真似しても全然似てない…。
「っていったんだ。たぶん、あいつにとってもすごく勇気の要ることだったんだと思う。」
「………。」
「それからだよ、あいつとやってんのは」
音楽を始めた理由はなんだっただろうか。楽しいから?かっこいいから?そういうものもあったのかもしれない。でもそれはどこか違う気がした。
「なぁ、桜内…」
「ん…」
途中、別れ道で藤原が立ち止まる。どうやら藤原は向こうのようだった。
「その、あのさ…」
「?」
話しかけてそのままどもる。どうしたのだろう。藤原は開けにくそうに口を開くと、
「その、悪かったな…学祭のとき」
「あぁ…」
「お前の曲を聞いたとき…とくに打ち込みが入った後…素直にすげぇって思った」
「それはよかった。俺も、お前のがくだらなかったら殴り飛ばしてやろうと思ったけど…。フツーの爽やかロックにツーバスはねぇだろ」
俺は少し笑いながら返した。藤原もちょっと呆けた
「へへ、ブッ飛ばしてやりたかったからな。けど、聞いてスグに帰んなよ。感じ悪ィぜ」
「気付いてたのか」
「妙な気配を感じたからな」
二人笑う。
あいつとはあれ以来喋ってなかったからわからなかったけれど。少し藤原のことをわかった気がした。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「あ、今日はいた」
ガララ、と第一音楽室の扉を開けると3秒後にその声は聞こえた。綺堂さんだった。
「なんか、最近ここ来てないよね?どうしたの?」
勉強道具をいつもの古ぼけた机に出しながら視線はそのまま、俺に向けたままそう問う。
「あぁ、最近はちょっと…バンドをやることになった」
「へぇ〜、ほんとにやるんだ〜!」
「あ、あぁ…」
「でもいいの?もうセンター試験まで2ヶ月ないよ?」
あぁ、そういえば…。
「なに、あぁそういえば、みたいな顔してるの!」
エスパーか。
「でもほんとに大変じゃない?」
「って言われてもな…。俺ぐらいの成績の奴がいまさらやったってな…」
「ちゃんと残された時間を大切に使わなきゃダメだよ」
11月の半ば過ぎ。
そうなのだ。センター試験は愚か、吐く吐息も白く染まりつつある今、この生活ともお別れが近づいてきていた。俺は…それをバンドに捧げても良いかな、なんて思ってたけど。綺堂さんは「ちゃんと勉強しないとダメ!」なんてわかってない子供みたいなことを言う。辛いのはわかってるし、俺はこのまま受験せずにフリーターでもいいんだけどな…。

「そういえばどんな音楽やるの?やっぱりガンガンロック系?」
綺堂さんは面白そうに言う。「想像できない〜」とか、笑ってる。…まぁ、ムリもない。俺がピアノ以外をやっているところをみたことがないのだ。
「そうだな。ロック系…かな。綺堂さんはロック好き?」
「うん、好きだよ〜。テレビとかでも結構みるもん。かっこいいよね」
ヘビメタ…はそんなにテレビに出てこないよな…。まさか深夜の人気ヘビメタ番組、ヘビメタ君の視聴者か!?…なワケないか。
「今日は?練習とかないの?」
「無いし、いつもしてるわけじゃないよ。スタジオ代もバカにならないしな。ここ最近はどういう曲やるか、とか相談?みたいなもんだよ。」
「曲?もうライブとか決まってるの?」
「あぁ、藤原が隣町の駅前向かいのハコを12/23日に押さえてさ…。」
つい一昨日のことだ。やる曲が大体決まり各個宅練を進めている中、藤原から一言、「ライブやるぞ!」ってメールが来た。既に対バンも何組か確保しているようで、手が早いというか何というか。綺堂さんもちょっとは驚くかなとおもいきや、
「ぇえ!?」
「そんなに驚くことか?」
「桜内くん、藤原くんとバンド組むことになったの!?」
そっちか!
「…言ってなかったっけ?」
「言ってないよ!藤原くんと!?桜内くんが!?いったいどういう経緯で!?」
「まぁ、…男の事情?」
他に答えるべき言葉はなかったことか。綺堂さんの目がちょっと訝しげになる。
「でもすごいよね。12/23日なんて、イヴイヴだよ!」
それを言ったら22日なんてイヴイヴイヴじゃねーか。…と突っ込みたかったがやめておいた。
「藤原は24日じゃないのに凄い悔しがってたけどな」
「藤原くんらしいかも」
二人して笑った。藤原のことを。
「でも今日は?話し合いも宅練もいいの?」
「ん?あぁ、曲を作りに来たんだ。まだちょっとセットリストには数が足りなくてな」
「へー、今回はここで作るんだ」
「ん…そうだな」
そういえば前回…学祭の時2日引き篭もって無理矢理作ったっけか。あのときは時間無かったからな。バンド演奏ならともかく、ピアノソロともなるとミスが目立ってしまう、そのためにはどうしても練習時間を増やす必要があった。が、説明するのが面倒だった俺は、
「今日はこっちな気分だ」
と答えた。すると綺堂さんは嬉しそうな顔で
「やた!」
と答えた。
「何が嬉しいんだ?」
「だってこの前みたいな綺麗でかっこいい曲ができるところを見れるんでしょ?」
「そんなに楽しいもんじゃないぞ?」

数分後…
「ねぇ、変わろっか?私が弾くよ!」
「それだけは遠慮しておく」
「うー」
曲作り中に何度となく「自分が弾く!」と綺堂さんは申請した。…まぁ、進行を色んなコードで試している内に聞き飽きたのだろう。曲作りなんて、何か閃かない限りは地道なトライアンドエラーの繰り返しだ。
「だってつまんないよぉ。同じ所を何回も何回もー」
「だから言っただろ。楽しくないって。」
「でも、桜内くんは、私がこうするといい、って思うメロディといつも逸れてく感じで聞いてられないよ」
席を立って俺の所にやってくる。「確かここがこうでー…」とたどたどしく鍵盤を追いかけるが既に、調が違っている…。
「あー、はぃはぃ、わかったよ。最初はココ。こっから発展させてみて」
「うん」
俺は観念してピアノを綺堂さんに明け渡す。
ポロン…ポロ…ロン…ポ…ポロン
…ピアノが悲鳴を上げていた。
「………。」
俺の教えたコード進行とは無関係の調のコードを取り入れている。
「だから違うって、ここは…」
とそこで言い留まる。眼前では綺堂さんが「えー」と不満そうな声を上げているが、無視した。何かが引っ掛かる。なんだ?今俺はなにをしようとした?コード進行…綺堂さんの演奏…違う調…
「そうか!」
俺の大きな声に「わっ!」と綺堂さんが身をすくめたが、そんなのはお構いなしだ。
「ありがとう、綺堂さん、わかったよ!」
「え?え?」
「綺堂さんの御陰で曲が出来そうだよ」
「え?…まだ私自分の思ってたメロディ見つけてないよ…?」
「わかったんだよ。綺堂さんの探していたメロディとコードは、こうだろう?」
言って、綺堂さんの背後から試しに弾いてみせる。
ポロン…
「そうそう、これ!なんでわかったの!?」
「なんとなくだよ。」
「すごい!ね、どう、これ使えない?」
「うん、いいね、使わせてもらうよ。」
「やた。作曲:綺堂 出海だね!」
「他は全部俺だろ!」

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

そして次の土曜日のこと。
いつかのように俺達は駅前ビルのファーストフード店の一角を占領していた。
「で、こんなんなんだけど」
俺は書いた譜面をそれぞれに配り、MP3プレーヤーのイヤホンを一人ずつ交互に渡して作った曲を聴かせた。
「ん、いいじゃんコレ!」
藤原がハンバーガーを口の中でモシャモシャさせながら言った。「口に物を入れながら喋るな」と宇喜多が静かに突っ込む。
「でもコレいいね〜。桜内くん色んな曲かけるんだね〜」
「あ、あぁ、まぁな。一人の時いろんな曲かじってたりしたから、ロックと掛け合わせれたら面白いんじゃないかって」
「フ、だが桜内よ、これは綺堂女史との合作ではないのか?」
「!?」
田村の発言に俺は吃驚した。
「あいつが作ったのはほんの一部分で、ってそうじゃない!なんでそんなことを知っている!?」
「ほーぅ、やはり事実か」
「っ…!!」
こいつ、カマかけやがった!!見ると東野はやれやれと言った顔で苦笑し、宇喜多はため息を吐き、藤原はエビバーガーを食っている。
「だが」
そこに宇喜多が無表情で入り込んだ。
「お前、結構綺堂さんと噂になってるぞ。知らないわけでもあるまい。あれだけ放課後に行動を共にしているんだ。しかも一人でひっそり勉強していたはずの綺堂さんの場所でな。まぁ、言いづらいのはわかるが俺達に隠すほどのことでもないだろう。気にしなくて良いぞ」
それだけ言うと宇喜多はポテトをつまんだ。
…知らなかった。別に隠しているわけでもないし、噂なんて俺の耳にも入ってこなかった。大体、綺堂さんだって何も言わないし…。これが彼女の言うところの、俺の鈍感の謂われなのだろうか?
「あのな、別に俺らはそんなんじゃねぇし、曲を作ったのもたまたま、あいつが気に入らないって言うから…」
『………。』
4人の視線が少し重く感じた…気がする。
「で?これからどうするよ?」
数秒の沈黙を破り藤原が言った。気を遣ってくれた…なんてことはこいつにはないか。
「そうだな、みんなの懐具合でスタジオに入れる回数は決まるな」
「あ、俺は週2ぐらいまでだいじょうぶだよ〜」
「フム、俺もそのくらいか」
「え?え?俺、週1でも厳しいんだけど!」
それぞれ懐状況を口々にする。藤原はどうやら今月はピンチのようだった。しかし、あ!と目を見開くと
「そうだ、そうなったら宇喜多に金貸してもら、いで!」
言い終わるが前に、空になったシェイクの底で軽く藤原の頭を叩く宇喜多。無論、無表情で。
「バカ言うな。俺の家が厳しいのは知ってるだろう。金だってあるだけくれるわけじゃない。」
そうはいう宇喜多だが、気になるから俺は聞いてみた。
「そういう宇喜多は週にどれだけ入れる?」
「…4」
『………。』
宇喜多の普段の生真面目さから考えると、嘘をつけない正確なのだろう。こういうときくらいはついてもいいのに。俺は苦笑した。
「ま、週1でもいいんじゃないか?あとは宅練でカバーってことで。」
「そうだな〜」
「まぁ、いいだろう、藤原に合わせてやろう」
「へぃへぃ、アリガトウゴザイマスー」
ということに、練習頻度の件は落ち着いた。
「じゃぁ、こいつを」
俺はカバンからCDを4枚取り出す。盤面にはそれぞれの名前が書いてある。
「あー、2,3トラック目に今回やる音源の他、ドラムのみ、各パートを抜いた打ち込みが入ってる。打ち込みだからショボい音だけど…」
言ってそれぞれに渡す。出来るだけ宅練を活かそうという俺の考えだった。
「へぇ〜。打ち込みできる人がいると便利だね〜」
「ウム、有難くもらっておこう」
「ありがとう」
「なぁ、俺のはどうなってるんだ?ドラムだけとか意味なくね?」
「あぁ、お前のはドラム以外の全パートとメトロノームだけとか、そんなんだ」
「ふーん、さんきゅ」
だいたいこれからのことはまとまったか。
「じゃぁ、来週の土曜日からな」
「あぁ。」
これで解散かと思いきや。宇喜多が静止をかけた。
「待て。これから期末テストがあるだろう」
「ん…?それがどうかしたか?」
だったらなにさの顔で藤原が応じた。
「お前と桜内は成績悪いみたいだからな…。そこでしくじって補習行き、ライブに出れませんでした、なんてのはやめろよ」
「………。」
「へぃへぃ、わかってますよーだ」
「…どうだか」

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
12月も半ばに入り、いよいよライブまで一週間ちょい。なんとか二学期の期末テストを振り切ると、俺達は練習のペースを上げていった。 ちなみにウチの学園のデッドラインは30点だ。30点は含まない。他の学校では平均点の半分とか、デッドライン変動制が導入されているところもあるらしいが、俺達は違う。テストが帰ってきたその瞬間、生死が決定するのだ。それが良いことか悪いことがわからないが。俺は苦手の数学を32点、藤原は苦手な英語を30点でやむなく制したというわけだ。生きた心地がしない。英語の時間の藤原の顔、数学の時間の俺の顔はまさにそんな言葉に形容されるだろう。

「ちょっとストップ」
マイクを通して俺は制止をかけた。
「ここさ、ちょっとリズムとりにくいからドラム…ハットで刻んでみたらどうだろう?」
「そうだな〜。俺もここはちょっと入りがわかりづらかったし〜」
「藤原、いけるか?」
「おけぃ。次からやってみるぜ」
練習は順調だ。譜面にも、殴り書きの補足が次々と増えていった。録音でなら決してやらない、ライブならではの工夫。改めてバンドやってるんだな、と思う。
「フッ、ではもう一度通して今日は終わりとしようか?」
田村の言葉に、それぞれの獲物を握り直すと、
ちちちち…
今日最後の練習を始めた。

いつも通りファーストフード店の一角に腰を下ろす俺達。
「お疲れ〜」
相変わらずマヌケな声で東野が言う。…ライブまであと少し。それでもピリピリした空気にならないのはこのバンドの良いところなのかも知れない。
「それじゃぁいつもアレ、やろうか〜」
「えー、またかよ」
「フ、どうした、臆したか」
「ンなわけねーだろ!」
いつものアレ、というのはなんのことはない。罰ゲームだ。その対象はこれから決まる。

スタジオから出ると、ファーストフード店で反省をするのだが、あるとき田村がこんなことを言い出した。
「ンっふっふ…」
「なんだよ田村、気持ち悪ィな」
「こうしてただただ反省を続けても面白くはあるまい?」
田村は嫌な笑みを浮かべる。それに訝しげな視線を放ちながら宇喜多が突っ込む。
「だとしたら、どうしたいんだ」
「罰ゲームだ!!」
田村は笑みを崩さず意気揚々に言った。
「ルールは簡単!これからは、練習の度、一番失敗が多かったヤツがこれを…!!」
田村はカバンの中から何かをガバっ!と取り出し、
「一口でガブりといくのだ!!」
『………。』
呆然とする4人。
田村の手には"カカオ100%!!"と書かれたチョコレートらしき物が握られている。…添え書きに、"本商品はとても苦いので、少しずつ口の中で溶かしてお食べ下さい"とあった。
「フ…どうした?怖じ気づいたか?」

とまぁ、そんなわけだった。
別に怖じ気づいたわけでもないが、気付けばヤツのペースにハマり、罰ゲーム〜恐怖の激苦チョコ〜は恒例になりつつあった。
「準備は良いか?…さぁ、張った!」
バン!!
田村の合図と共に5人一斉に紙切れをテーブルに叩きつける。その紙切れの裏に答えが記されているのだ。合図はない。だが、ゆっくりと。驚くほど合ったタイミングで5枚の紙は裏返されていく。
「な"…!?」
俺は驚愕した。そこには…
・藤原 祐樹
・桜内 玲司
・田村 和正
・桜内 玲司
・桜内 玲司
という紙切れが出揃った。
「今回はちょっと疲れるのが早かった」
「たまにピッチがずれた」
などなどの理由を挙げられる。
「年貢の納め時だな、桜内…」
田村の顔がよりいっそういやらしい顔に歪む。
「くっ…」
四面楚歌。昔の中国のとある兵士は、敵国の楚の兵士に囲まれた。そのとき、周りから聞こえてくるのはどれもその歌だったという、まさに周りに敵しかいない状態を表す言葉だ。
…なるほどな。どいつもこいつも目を白く不気味に輝かせている。あの冷静な宇喜多でさえもだ。この間チョコを食らった藤原の目の輝き具合は言うまでもない。
「…チッ、わかったよ、食えば良いんだろう、食えば!!」
「お」
バ!と、田村から乱暴にチョコを奪うと
がぶり!
「おぉ」
「あ…」
「フッ」
「…」
それぞれの声が上がる。と同時に
「!?」
この世界が色調を反転させた。俺はそのまま凍り付く。まさか、まさかこれが…!?それはただ単えに苦いとは形容しがたかった。舌に、しょっぱいような辛いようなえげつない味が広がる。そして、それは悪魔の速さでそのまま喉に襲いかかろうとしている!
バッ…
刹那。俺は宇喜多が先ほど頼んでいたストロベリーシェイクを
ちゅごぉぉぉぉぉ!!
と音が鳴り響くほどの勢いでそのストローを吸った。気付けば、俺は、最悪の事態は免れたようだった。
「…っ!!…はぁ、はぁ、はぁ…」
「だ、だいじょうぶか桜内?」
シェイクをとられたにもかかわらず、宇喜多が心配そうにしていた。
「あ、あぁ、なんとか…」
「どうだ、桜内、俺の苦しみわかったかッ!」
藤原が偉そうに笑っていっている。東野はそれを苦笑しているが、無論、俺にはそんな余裕はない。
「くっ、…あれはチョコではなく、チョコレートなんかではなく…」
はぁ、と一息、
「カカオじゃないか…」
俺が肩で息をしている横に、一つの影が近づいた。
「…ックックック…見ろ桜内!」
見ると田村が携帯を片手に笑っている。あいつ…まさか…!!
「どうだ、桜内、お前のシェイクを啜る顔は!ハーッハッハッハ!」
「な"…!?」
そうだ。
本日の本当の驚愕はこれだったのだ!
「ダッヒャッヒャヒャ!」藤原がバカ笑いし、
「ははは…」東野が失笑し
「ふ…」宇喜多が目を伏せた。ってなんだよ、その見てはいけないものを見たようなリアクションは!
「こら、田村、それを今すぐ消せ!」
「断る!」
「何!」
「消して欲しくば!」
「…欲しくば?」
「ライブ、成功させるぞ」

-------------------------------------------------------------------------------------------------
ポロン…ポロン…ぽ ろ ろ ろ ろ ん…
「桜内くん、最近弾く曲がちょっと変わったよね。」
「そうか?」
そうかもしれない。現に今弾いている曲はサティのジムノペディだ。いつも弾いてる曲よりも勢いもなければ凄みもない。
「そうだよ。前だったらそんな優しそうな曲弾かなかったし。」
「あぁ…」
12月22日。学校が終わって、リハまでまだ少しあるので、学校を出る前に第一音楽室で時間を潰していた。こんなときにピアノを弾くと落ち着く。
「でも相変わらずだねー」
「なにが?」
「明日本番なのにこんなとこでピアノ弾いて」
「言っただろ?本番だからこそ、落ち着いていたいんだ」
「はいはい」
ほんとにわかってんだか。
「そうだ」
俺は思い出してピアノを弾く指を止めて、カバンを拾う。
「どうしたの?」
「チケットいるか?」
「え?今あるの?」
俺はカバンから数枚のチケットを出してみせる。俺達…とはいっても藤原が主だってデザインをしたもので、自作だ。デザインと言ってもシンプルなモノで、出演バンド、時間ほか、ギターとピック、それにドクロが描かれているだけだ。一応一枚500円する。ほんとはもっとたくさんあるんだが、
「桜内と宇喜多は友達少なそうだから」
というわけで配分を変えられてしまった。
「ほぇー、ガイコツさん…これってひょっとして藤原くんが?」
「あぁ」
「ふふ、藤原くんこういうの好きそう」
藤原がせっせとドクロを描く光景が目に浮かんだのか、綺堂さんは笑った。
「ねぇ、桜内くんのバンドはどれなの?」
「ん?あぁ、これ」
俺は記載されてる6バンドの内、下から2番目の名前を指さした。下から2番目…乃ちトリ前だ。位置的にかなり微妙だ。結構後の方だが最後ではない。会場のテンションが下がっていなければいいのだが…。藤原が他のバンドとクジ引きして決めた結果だった。次は藤原にはやらせまい。
「…ユダ?」
「あぁ。みんなで好きなバンドやアーティストの話をしていて、みんなが共通で好きって思ってたアーティストの名前を捩ってつけたんだ」
「意味は?」
「"裏切り者"…かな?藤原は客の予想も裏切ってやるぜ!とか言ってたけど」
二人して苦笑する。
「ふーん。…でもアルファベットとかの方が格好良くない?」
「いや…」
俺は苦笑したまま続けた。
「アルファベットにしたら、その由来のアーティストと同じになっちゃうから。読み方変えただけなんだ」
「ふーんそうなんだ。」
「…来れる?」
「うん、行くよ!」
「………」
「ん?どうしたの?」
「え、いや、なんでも。それで、何枚いる?」
「あ、じゃぁ三枚かな〜。"きぃ"と"うっちぃ"にも話したら来るって!」
誰だそれは。と、俺の顔が物語ったのか、
「あ、ほら、この前学祭の時にここに来てた娘達いたでしょ?」
「あぁ、あいつらか。確かクラス違ったよな」
「うん、"きぃ"は去年、"うっちぃ"とは一昨年一緒だったよ。っていうか"きぃ"は一昨年桜内くんと同じクラスだったんだよ?」
「……そ、そうだっけ?」
あんな奴居たかな?うーんダメだ、思い出せない。
「あ、ひどい。"きぃ"も"うっちぃ"もね、桜内くんが歌うんだって言ったらすっごい笑ってて、似合わなーい!ってなんで私を突っつくの〜?」
俺は人のことを楽しそうに笑い飛ばす綺堂さん(の中の"きぃ"と"うっちぃ"とやら)にビスビスとデコピンを入れた。恨むのなら失礼な友人を持った自分を恨むんだな。
「それより、はい、三枚」
「あ、誤魔化した〜。うん、ありがと。えぇと、お金お金…」
「あぁいいよ、別に」
俺はカバンから財布を取り出そうとしている綺堂さんを制止した。
「えー、ダメだよ、こういうのはちゃんとしなきゃ」
「いいんだよ、別に儲けたくてやってるわけじゃないし、出費は考えてそれなりに余裕はある」
「ぶー。じゃぁ、私の分だけ!」
はぃ!と硬貨の中でも一番大きいのを無理矢理渡される。
「ちゃんとお金払ったんだからしっかり演奏してよね!」

-------------------------------------------------------------------------------------------------
ハコの前に着くと既に田村と東野が立っていた。
「フン、遅かったな」
「まだ5分前だぜ〜」
「ダメだな、常に予定の10分前には行動がとれなければ…」
「早いな」
「あぁ、俺達はここらへんに住んでるからね〜」
聞けばこいつらは過去にもなんどかここでライブがやったことがあるとか。こいつらはどういう機材が入ってるとか、音響の具合はわかってるかも知れないが、俺、藤原、宇喜多はここは初めてだ。だが小さいハコとはいえライブハウス、スタジオより値は張る。スタジオ練習を少なくしたのは前日リハで入るためだった。俺や藤原はそこまで問題はないのだが、宇喜多のギターの音作りは前日にやっておいた方が良いだろう。当日リハの時間はアテにならない。他のバンドが押すかも知れないし、ほかになにか変動、アクシデントがあればそれに対応しなければならない。俺でなくても当日は余裕を持ちたくなる。悠長に音作りをするとなれば他に時間を作る必要があった。
しばらく待っていると藤原と宇喜多が姿を現した。
「フン、遅いぞ」という田村の毒に「悪ィ悪ィ」という藤原はちっとも悪そうに思ってない。
「まだ当日のことがちゃんと説明受けてないバンドがあったみたいで、話してたんだ。ほら、いつものファーストフード店で。」
「お疲れ〜」
「では時間が惜しい、早速入るか」
田村はそこが自分の家であるかのように軽く扉を開けた。

「いらっしゃ…げ!田村!」
「ハッハッハ、久し振りだな、オーナー!」
入るなり、ここのオーナーと思しきワイルドなおっさんに田村が話しかけていた。二人は顔見知りのようだった。それにしても、「げ」ってのはなんだ。俺と藤原、宇喜多が顔を見合わせていたが、そこにへろ〜っと一人、物知り顔がいた。俺は東野を小突いた。
「どうなってんだ?」
「いや〜、田村ね、ここに初めてきたときにね、CO2ばらまいたり色々凄かったんだよ」
『………』
絶句。驚きというより、呆れ。何やってんだ…。
「いや、思えばあれが初めての田村とのライブだったかな〜」
こいつはこいつでトリップしてるし。だいじょうぶか?貸してくれるのか?
「クッ、田村、今日はなんもねぇんだろうなぁ…?」
オッサンは訝しげに田村の様子を伺っている。そのついでに、ちら、とこちらも一瞥する。…なんか、一緒にされたくない。
「ハッハッハ、今日は何もせんよ!リハーサルではないか!」
「明日はなんかすんのかい!」
ボケもツッコミも完璧だ。
「だいじょうぶだ。この前もちゃんと、当日に全額弁償しただろう?」
「それは何に対して大丈夫なんだ!?」
………こいつ、ほんとうになにをやったんだ?
「それに、見ろ」
ビシィ!と俺達を指さす。
「バンドメンバーも見るからに善良そうな生徒だろう!」
「………。」
楽器をもった厳つい男達を指さして言うそのセリフは説得力皆無だ。
藤原や東野は茶髪だし、宇喜多なんかかなり背でかくて無表情だし、俺も結構髪長いし。
「あの〜」
と、いつの間にか東野がオッサンと田村の間に割り込んでいた。
「5時に予約してた"ユダ"の東野ですけど練習して良いですか〜?」
「あー、ったく、機材壊さなねぇでくれよ、ったく。」
渋々案内するオッサン。田村と東野もそれに続いていく。あっけにとられていた俺達三人もそれを追った。
「んじゃ今から1時間な」
「うぃっす」
オッサンの去り際に、俺は一言呟いた。
「…あいつといると、何かしら大変だよな…」
「兄弟!」
その瞬間、オッサンにシンパシーを感じた。
小さいハコだったけど、機材は悪くなかった。目につくもの全て、というわけではないが、それでもそこそこに新しい機材が使われているようだ。そのことについていうと、
「フフ…俺の御陰だ、感謝するんだな!」
と田村がニヤリと笑った。その感謝は道徳に反するな…きっと。
ュイ、ギュイーン…
ぼぉん、ぼぉ〜ん…
各自準備に取り掛かる。田村と東野はもう大体大丈夫のようだが、宇喜多はまだ音作り中だった。どうやらこのアンプは初めてらしい。
「いけそうか?」
「あぁ、なかなかいい音が出るな。どんな音にしようか迷っている。」
「フフフ…そうだろうそうだろう」
ジャラ〜ンと開放で弾いたり、ザクザクとミュートしながらエフェクタやアンプののツマミを弄る。確かにこの間のスタジオの時とは少し違うな。その一方で田村や東野の音作りはスタジオの時とさほど変わらない。アンプに因る若干のニュアンスはあるもの、根本的なサウンドは同じだった。
「藤原の方はどうだ?」
「あぁ、チャイナからスプラッシュ、タムも4つ付いてるなんてスゲぇな!」
「ハッハッハ!そうだろうそうだろう!キットごと変えたからな!」
「………。」
しばらくして全員のチューニングも終わるとリハに入り、とりあえず一曲ワンコーラスを演奏する。
………。
……………。
…………………。
「オーケー、ストップ。オーナーさん、どうですか?」
俺はPA卓にいるオーナーのオッサンにとりあえずな感想を聞いた。
「んー、聞く自体には問題ねぇよ」
ほんとにとりあえずな感想だな…。
「みんなは?」
「あーじゃぁ俺〜」
はい〜、と東野が手を挙げる。
「返しさ、もう少しドラムの音あげられねぇかな〜?」
「ん〜、全部混ざってるからな…。とりあえずスネアの帯域だけ上げるぜ?」
「うぃ〜」
「それじゃもう一回」
………。
……………。
…………………。
「どう?」
「うん、だいぶ拍をとりやすくなったよ〜」
「じゃぁ一通り通してやってみようぜ!」
「あぁ。それじゃお願いします」
「あぃよ」
オッサンに合図を出す。セットリストの最初にインストを置いてある。これは録音で、次の…最初の曲に繋げるためのものだ。曲の終わりに藤原がハットでカウントをとって、そこから俺達の演奏が始まる。
………。
……………。
…………………。
ふと演奏中に気が付いて俺はステージから降りて客席で歌ってみることにした。返しとどれほど相違があるかを確かめたかったからだ。みんなは一瞬俺に気をとられるモノの、すぐに演奏に戻った。
「♪〜〜〜」
………。思ったよりヴォーカルが小さく、ぼやけて聞こえる。ベースがでかすぎる?俺は歌うことをやめ、PAに指示を出す。
「ヴォーカル、少しあげれますか?できれば高域を!で、マスターのローを少し押さえてください!」
言うと、なにやら合図を送り返し、イコライジングする。ふむ。これで少しはヌケがよくなっただろうか?しかし客席はひどく歌いにくいな…。俺はステージに戻ってまたリハを続けた。
………。
……………。
…………………。
持ち時間一バンド30分。曲にして5曲分。一通りの演奏を終えると、リハは半分を過ぎていた。
「あーぃ、だいじょうぶかい?」
オッサンが手を挙げてマイク通しに声をかける。俺はみんなの顔を見てから答えた。
「はぃ、じゃぁ本番もこのくらいのイコライジングで!それじゃもう一回通しでお願いします!」

リハを終えて近くの喫茶店でみんなで一息吐く。ちなみに、今日はまた藤原がチョコを食っている。
「仕方ねーじゃんかよ!ハコだしスタジオより籠もって聞こえんだってば!」
「はぃはぃ〜」
「言い訳とは見苦しいな藤原」
「理不尽だー!!」
俺と宇喜多はそれを黙って見て苦笑していた。
「しかし…」
俺は切り出す。
「実際、ドラムとベースが頼りだ。宇喜多のバッキングもといえばそうだが、常にバッキングに回っているわけじゃないしな」
「へーへー、気をつけますよ!」
藤原は気持ち悪そうにそういうと、頼んでいたメロンソーダの上に乗っているアイスを一口で頬張る。口の中の苦みをそれで相殺しようとしたのだろう。しかし、
「〜〜〜っ」
一気に食べたのが災いと成したか、どうやら次は頭痛に襲われているらしい。難儀な奴だ。
「そーいや…」
頭痛から回復したか、今度は藤原が切り出した。
「チケ裁けてる?」
「んー、ま大体5,6人かな〜?」
「フッ、呼んでも大丈夫そうな奴は4人ほど呼んでおいた」
東野はいいとして、なんだ、その呼んでも大丈夫そうな奴って…。普段は大丈夫ではない奴らを呼んでいるのか?
「俺は…8人だ」
「ほぉ、渡したチケット全部さばいたのか?宇喜多はそういうの苦手そうに見えたが?」
「まぁ、色々あってな…」
「ま、差詰め、ライブ出るって噂が流れててクラスの女子にたかられたんだろうよ」
「………。」
黙っているところ図星らしい。納得できるところが宇喜多らしいというかなんというか。
「で、桜内、お前はどうなんだ?」
「え…3枚…」
『………。』
場が静まりかえる。
「なぁ桜内、オメーも食うか?チョコ。」

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------

「それじゃユダさん、リハお願いしまーす」
「うぃーす」
当日、オープン2時間半前。逆リハなのでトリ一歩前の俺達のリハは早い。小さ過ぎて楽屋と呼べない楽屋で簡単にギターをぺちぺち言わせながら合わせてると、バイトのあんちゃんがリハの順番を告げに来た。
ステージに上がると俺以外は各自軽いチューニングを開始する。音量調整やイコライズはほとんど昨日すませてしまったから、やることはあまりない。最後に一度だけ通すだけだ。
「おっすお疲れさん。」
PA卓のオッサンがマイクを通していった。
「こっちはもういいぜ。いつでもきてくれ」
俺は手を上げてサンキュ、と合図をするとみんなと向き合う。流してくれだいじょうぶだ、とオッサンに再び合図を送る。準備は…整っている。それを互いに確認し合うと、みなが藤原に目でサインを送り、客席に向き直る。
ちちちち…
藤原のカウントから、演奏が始まった。

「はい、OKです、ありがとうございましたー。」
リハを終え、バイトのあんちゃんの案内で再び小さな部屋へと戻る。ほんと小さくて、5バンドも呼んだことを後悔する。
「さて、これからどうする?まだ結構時間あるけど?」
「んー、俺は昼まだだから、ちょっとそこらへんのコンビニで食い物買ってくるよ。桜内もくるか?」
「俺はいいよ。本番前は食わないって決めてるんだ。多少の水分があればいい。」
言って手中のミネラルウォーターを見せてみる。
「そっか。」
「あ、俺もまだだから一緒に行くぜ〜。」
「フム、俺も出るとするか。」
「宇喜多は?」
「俺はいい。昼は早めに済ませたしな。もう少しここで練習してる。」
「わかった。じゃ、行こうぜ!」
言うなり藤原は外のコンビニへ向かった。
「桜内、手が空いてるなら練習に付き合ってくれ。」
「あぁ。」
俺は宇喜多の隣に腰を下ろすと、ぺちぺちという音に合わせて軽く口ずさんだ。
「そうだ、桜内、この曲、お前が書いたんだろう?」
「…そうだけど?」
「間奏の終わりからまたBメロに入っていくだろう?この辺りがうまい感じに繋げないんだが、どうしたらいい?」
そういえばリハんときもここの繋ぎがちょっと不自然だったな。いきなり飛ぶというか。
「あぁ、そこか。そこは…ちょっと貸してくれるか?」
「あぁ」
俺は宇喜多のギターを借りると言われたフレーズを弾いた。フレーズとフレーズの繋ぎ目なんか適当でいいと思うんだが、そこは宇喜多、カタチとしてマジメに覚えておきたいらしい。俺はぺちぺちと、コード進行が不自然にならないように弾いて見せた。
「なるほどな。」
「面倒くさいならギュイーンてスライドさせてもいいし、スクラッチとか入れても変にならないと思うから」
「わかった。お前はギターも弾くのか?確か打ち込みやったりピアノもやったりしてるってな」
「まぁ、ギターやベースは曲作りに使うぐらいさ。ピアノも大して弾けやしないさ」
「そうか?今の指使い見ても結構弾けるんじゃないか?」
「どうだかな…」
そう言って、二人、黙る。そしてその沈黙は宇喜多によって破られた。
「俺も…ピアノを少し弾くんだ。」
「へぇ。それは初耳だな。」
「意外だとは思わないか?」
「…いや、藤原に聞いたよ。宇喜多は"おぼっちゃま"だそうだ。」
「そうか…。」
ふっ、とため息を吐く。
「俺は、そう、おぼっちゃまだったよ。」
「………。」
「音楽も大嫌いだった。週一でピアノがあって、練習しなければ凄く怒られた。いつしかピアノは俺の枷になっていた。そのときの俺に逃げられる方法なんて無かった。家を出たって行くとこなかったしな。でも、丁度その時…」
「藤原か」
「あぁ。昔からの馴染みだったけど、あんな楽しそうな顔はあれ以前に見たことが無くてな。何がおかしいのか、と聞いたら、"俺、音楽やる。バンドをやるんだ"と言ったんだ。あいつはあのときからバカだったけど。あいつといれば、音楽を嫌うことなく…むしろ音楽を自分の糧にすることができると思ったんだ。あいつもバンドを作ったばかりで、丁度ギターが居なかったんだ。」
ごきゅ、とペットボトルに口をつけてから、続けて宇喜多は俺に問う。
「お前はこんな曲を書くことが出来、それをバンドとしてカタチにすることが出来る。お前にとって、音楽はどういうものだ?」
「………。」
「………。」
「…いきなりそんなこと言われてもわからないよ。」
「それもそうだな。くだらないことを聞いたな。忘れてくれ。」
そういって、飲み終えて空になったペットボトルを捨てようと立ち上がる。
「ただ…」
その背中に俺は喋りかけた。
「俺は、これまで、音楽に縛られたことはないぞ」


---------------------------------------------------------------------------------------------------------------

ガヤガヤ…
最後のバンドのリハを終えて、数分。ハコの中にはもう客が入ってた。リハが少し押して開場時刻に食い込んでいた。
「結構はいってるな」
俺は楽屋から出て藤原と客席を見に来ていた。どのくらい入っているか少し気になっていたしな。それに出番まで結構ある。ライブが始まれば他の三人も来るだろう。
「このあたりの学校に知り合いのバンドとか結構いてよ。学校っていうコミュニティは結構客を呼ぶのに最適な宣伝場所だぜ。」
「そうかよ」
見てみるとなるほど、客層も俺達と同じくらいの顔ぶれだ。でも時期が時期だしな…タメは少なそうだ。考えてみればセンター試験まで一ヶ月無い。そんなことを思い出している中、ふと聞いたことがある声が近づいてきた。
「桜内くん!」
「ん?」
振り返るとそこにいたのは…綺堂さんだった。あのとき第一音楽室に来ていた二人…"きぃ"と"うっちぃ"も一緒だった。どっちがどっちかわからんが…。
「早いな」
「え〜?もう開場30分過ぎてるよ〜?」
そういえばリハが押していたんだったな…。そのせいか、色々進行が早く感じる。
「それもそうだった。」
「もう、大丈夫〜?」
来て早速不満そうな顔をする綺堂さん。そこに藤原が割り込んでくる。
「そうなんだよ、こいつ色々ボケボケでさ。」
どちらかというと俺は宇喜多とともに、お前等三人にツッコミ役だぞ。俺の心持ちなど微塵も解さずに綺堂さんは、あはは、と笑う。
「でもビックリだよね。喧嘩してた二人が一緒にバンド組むなんて」
この発言に俺は藤原に対し絶好の反撃の機会だと思い、切り出す。
「あぁ。ホントにな。最初あいつからメール来たろ?見るか?こいつ凄い丁寧な喋り方してるぞ?」
俺は笑いながらケータイを出してみせる。
「えー、ホント?」
「わー、バカ、やめろ!!」
だがそんなことをしている内に開演時刻となったようだ。
「出海〜!そろそろ始まるよ〜!!」
開場の入口から二人が呼んでいる。
「うーん!いまいくーー!桜内くんたちは?」
「俺達も行くよ」
「敵情視察だぜ!」

ライブが始まると、綺堂さんはビックリして俺に何か言う。
「〜〜〜」
けどその声は音にかき消されて何言ってるか聞こえない。俺は彼女の口に耳を近づけて伺う。
「すごいおっきい音だねー!!」
と精一杯叫んだ。どうやらこういう場所で演奏を聴くのは初めてらしい。どうやら他の二人もそのようだ。
最初のバンドは隣校のバンドだった。先月の歌番組やCMなどで取り上げられている曲を演奏していた。…俺はテレビをあまりみないからわからないが、あとで綺堂さんが教えてくれた。テレビっ子なのか、綺堂さんはこのバンドになかなか好感を抱いたようだ。
確かに、ヴォーカルの女の伸びやかな声と、ベースのしっかりしたサウンドが楽曲を引き立てている。うまい。
「どうだ、結構良いバンドだろ?」
耳元に声をかけてきたのは藤原だった。
「お前が呼んだのか?」
「あぁ。」
今回の参加バンドのうち、3バンドは藤原が呼んでいる。藤原は得意そうに言った。
「あのベース、昔一緒に組んでたんだぜ」
「宇喜多もか?」
「あぁ。一緒に…あんなふうにポップスやってた」
「お前がポップスね。」
「へへ、似合わねーだろ」
「そうだな」
俺は苦笑した。藤原の性格を考えると、こんなに手数の少ないドラムを叩く姿は想像できない。リハの時でも「こんなのあったっけ」なんてフィルが追加されていたくらいだ。
そんな風に敵情視察(?)をしている内に、2バンドが終わった。レベルは高い。選曲は大したことはないが、何れも同年代にしてはなかなかのものだ。俺達も負けてられない。
「それじゃぁ、そろそろ戻るか〜」
3バンド目が出てくる前にそれとなく東野が言った。
「そうだな」
とみな合意する。客席の分厚い扉に手をかける。ふと
「桜内くん」
呼び止められる。
「ん?」
「がんばってね!」
「はぃはぃ」
「もう、応援しがいがないな〜」


--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
ステージ脇の分厚い扉。この扉の向こうで戦いは繰り広げられている。扉越しにハイをカットしたもこもこした、それでいて生々しい音が漏れてくる。俺達は機材を準備し、扉の向かいに立つ。
ふと、扉の向こうで音が止まる。4番目のバンドが演奏を終えたようだった。いよいよだ。
キィ
と軽く軋みをあげて扉が開くと、機材を抱えた男達が戦いを終えて戻ってきた。
「お疲れ」
「お疲れッス!」
「お疲れ〜」
互いに声を掛け合う。中には
「お、田村!オメーまたやらかしにきやがったか!」
「フフ…案ずるな…今回はこのバンドの小手調べだ。まだなにもせんよ」
「ハハ!どうだか」
とか。
「お、東野、久し振りだな!」
「おう、久し振り〜」
「がんばれよ!」
「お前も扉越しで良い演奏だったぜ〜」
などのやりとりも見えた。そういえばこいつらはここで何回かやってるんだったな。
「それじゃいこうか」
俺たちは4番目のバンドが全員撤収したのを確認すると、開いた扉の向こう…照明の落ちたステージへと向かった。


ぼぁーん…ギュアーーン…
ギィーーン…
ぼん…ボォォーン…
たんたん…
牽制するように、威嚇するように。ボリュームを調整し、軽いチューニングをする。
ふ、と調整がやむ。俺は全員を見渡す。
―――みんなもういけそうか?
ところが。俺の視線は宇喜多のところで止まる。宇喜多が、目で何か訴えている。近寄り、
「どうした?」
「シールドだ。シールドがやられてる!」
ぺちぺちと弦をならす。くそ、なんでいきなり!
「待っててくれ、ちょっと戻って予備をとってくる!」
「悪い、頼む!」
俺は背後でザワつく客席を無視して一端楽屋に戻り、急ぎカバンをあさる。確か誰かのカバンに予備が入っていたはずだ。
がさがさ
…無い
ガサ…ガサ!
くそ、なんでこんな肝心なときにねぇんだ!
俺は動揺し始めていた。だからだろう突然話しかけられてビックリした。
「おぃ、どうしたんだ」
「っ!?」
「?」
それは東野の知り合いと思しきさっきのバンドメンバーだった。一瞬、頭が白くなるもの、俺はこの際仕方ないと思い、切り出した。
「悪い、シールドがイカれたんだ」
「マジか?」
「…貸してもらえないか?」
「オーケー、ちょっと待ってな。」
がさごそ、とカバンをあさり、先ほど使っていた物だろう、まだしっかりと巻いてないシールドを俺に手渡した。
「3メートルあれば足りるよな?」
「十分だよ」
「ほらよ」
「すまない」
「いいって!ほら、早くいきな!」
あとで何かお礼をしないとな。俺は急いでステージへ戻ると宇喜多のシールドを取り替えた。
キッキッ…
ギターに与えられた振動がアンプから音として飛び出してくる。どうやら復活したみたいだ。ギュイーンと一鳴らし二鳴らし。宇喜多は音量を調整すると、もう大丈夫だ、と言った。
俺はマイクスタンドの前に戻り、みんなをもう一度見回すと、オッサンに合図を出した。

ゆっくりと。
会場全体に音が流れ始める。ごう…と風の音や心臓の音…そしてそこにストリングオーケストラがのせられ曲は展開していく。
ドクンドクン…
それは会場に響く録音だったけれど、まるで自分の鼓動のように聞こえた。オーケストラが盛り上がって、頂点に達するその直前!
ちちちち!
藤原のカウントが入る。…来る!
ドン!
ここからが最初の一曲目だ。この曲は洋楽メタルのコピーだ。スピーディーで重く、そしてメロディアスで一気に駆け抜ける。田村のベースの刻みと藤原のツーバス(厳密にはワンバスツインペダル)が唸りを上げる。最初のリフを抜けると宇喜多と東野のツインリードだ。そして
「♪〜〜〜!」
ヴォーカルイン。入りのピッチはどうだったろう?よく憶えていないが、少しずれたかも知れない。
2回目のサビを終わるとギターソロに入る。最初は高速でツインでハモり、そのあとに東野の完全なソロに入る。―――うまい。演奏は粗い。だがあの早いスケールの移動で藤原のドラム、田村のベースにしっかりついていっている。
そしてワンコーラスを終え、一曲目が終わった。ここまで若干7、8分か。俺は体力的に余裕がある。藤原は――振り返ると、藤原はまだやれる、と俺を睨み付けた。
俺はそのまま二曲目の曲名を告げる。それと同時に微小だがカチ…という音が聞こえた。東野がピックアップをフロントに切り替えたのだ。それを聞き終えたあとに藤原がカウントを入れる。
ちちち…
この曲はカウントは二つ。スローで重みのある曲だ。宇喜多は1曲目と同じくザクザク刻むが東野は歪んだアルペジオがメインだ。スローとは言え、藤原のドラムの手数は多いし、時折ツーバスも織り交ぜてある。
「♪〜〜〜」
速い曲でバスをそんなに早くドコドコやられると拍をとりにくい。イコライジングの時スネアを強めに出したのがせめての救いか。
二曲目を終了したところでMCを入れる。藤原はまだいけるというかも知れないが、ムリは禁物だ。
「はぁはぁ…」
喋ろうとしたら上がる息を拾ってしまった。一度マイクを降ろして息を整える。そのとき、ステージの目の前にいる綺堂さんに気付いた。にへ、と笑う。くそ。俺は渋い顔をしながら顔を上げた。
「今晩は、ユダです」
いぇーい、なんて軽い声が聞こえてきた。思ったより会場のノリは良い。
「このバンドでのライブは今回が初めてです。…よろしく。」
俺は息を殺しながら言った。ちょっとカッコ悪い。
「メンバー紹介します。下手、ギターのジョーです!」
東野がギュイギュイギュイーとアーミングで挨拶をし、コーラス用マイクで
「よろしく〜」
とだけ言った。
「上手…ギターのシュウでーす!」
ジャンジャカジャンジャーンジャジャン!!
なんてどっかの音楽アニメのCMから切り替わるときのようなフレーズを弾いてみせる宇喜多。これまで見る宇喜多の中で一番お茶目かもしれない。すると、会場の一角から「秀一く〜ん!」という黄色い声が聞こえた。あれか、チケット売った奴らって…。分かり易すぎる。いつの時代も一緒なんだな、とか思った。おっと苦笑してる場合じゃない、次紹介しないと。
「ベース、カズ!」
べんっべべべんべん!
さっきまで奏法とはことなり、かなりスラップでテキトーなフレーズを弾く。
「ドラム、ユウ!」
たんぼぼん、たぼぼぼんぱーたたたぱーたたたぱんばんぱんっ!
好き放題叩く。ほんと、いつか首にコルセットかも知れないな、こいつ。
「ヴォーカル、レイ!」
ぱんったたたんぱん!
ぼんボーン!
ギューン!
ライブハウスの中を見回してみる。ギュウギュウってほどじゃない。けど、やっぱり、結構入ってる。俺はふと視線を落として、目を細める。すぐに顔を上げると、曲に入る。
「俺達のオリジナルです。次の二曲は、ドラムのユウが作りました。聞いてください。ウォークライ、ブラッディフィールド!」 ち、ち、ちたたたたたたたたたぼぼぼん!
ウォークライ…この曲はドラムのカウント…というかフィルで入る。
ジャーン!上手い具合にタイミングが合う。楽器隊じゃない分、そのへんは俺にはどうしようもない。だからこそ、ハラハラさせられる。 「♪〜〜〜」
ヴォーカルは俺の音域に合わせて低めに始まる。音程はとりやすいが、低くなるとどうしても音量が安定しなくなる。腹に在りったけの力を入れて声を振り絞る。
次にブラッディフィールド。
この曲は東野のアルペジオから始まる。東野だけで一フレーズ弾いた後、今度はヴォーカルとのデュエットだ。音が少ない分、音程が…相対的に音をとると入りのピッチがずれやすい。モニターで聴きながら俺は自分の多少ある絶対音感にかける。最初以外は、他の楽器もインしてしまえば他の曲と難易度は相違ない。
そして、いよいよ最後の曲を迎えた。
「次でラストです。この曲は、俺が書きました。聞いてください…デュラハン!」
ちちちち…!
そして再びフツーの4つカウントで入る。ドラマティックなギターのリフからメロディアスな展開を期待させるが
「ヴォーーー!」
叫ぶ。この曲はサビ以外デスヴォイスが続く。この曲で最後。俺は声が徐々に枯れるのを感じながら、英詩を叫ぶ。
ぼむ!
タムを最後に一小節ミュートを挟むとサビへ。
「♪〜〜〜」
サビに歌詞はない。ずっとラララ、と歌う。
「♪〜…〜」
まずい。声が途切れ始める。思ったよりデスヴォイスで喉を消費しているようだ。ふとそのとき。
たんたたたん…
ドラムの音に違和感…これは…若干だがテンポアップした?BPMにして5程度か。だが演奏に支障はない、大丈夫だ。藤原の奴、余計な気使いやがって…。負けてられない。俺はもう一度腹に力を込め、なんとか完走…もとい完奏した。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

打ち上げが終わって。
東野と田村と別れ、終電に乗って帰る途中。駅へ着くと、
「ちょっと駅前広場で休んでいこうよ〜」
「だからいわんこっちゃない。打ち上げなんか参加しなければ良かったのに」
ちなみに早くもダウンした藤原は宇喜多が担いで早退した。反面教師がいたというのに…。あれか。やはり子供は早く帰った方が良い、みたいな言い方を気にしていたんだろう。迂闊だった。
「えへへ…」
弱々しく笑ってベンチに腰を下ろす。
「でも桜内くん、すごかったよ。"きぃ"も"うっちぃ"も言ってたもん。意外…じゃなかった、すごいね〜、って」
「…ほぅ」
「ほんとだよ!」
「わかってるって」
演奏が始まると、綺堂さんは俺の真下で、ポカンと口を開けてた…気がする。よく憶えてないけど。まぁ…初めてで、テレビで見る程度のロックしかしらないなら、まず驚くよな…。
「ねぇ、あの音楽室で作った曲…最後の曲だよね?」
「あぁ。わかったか?」
「うん。あの、ラララ〜ってとこ」
何がおかしいのか笑いながら言う。…俺がラララー歌ったらおかしいだろうか。
「あそこ、なんか音楽室と違ってたけど、雰囲気?が同じだなって」
「…あぁ。コード進行一緒で、ちゃんとあのとき作ったメロディも取り入れてる。それは東野のギターだったり俺のヴォーカルだったりするんだ。」
「そうだったんだ。ピアノとじゃ全然違うよね。」
「かもな」
ピアノは…一人でその舞台を背負うことが多いのに対して、バンドだ。色んな音があってもっと多彩なアプローチができる。その違いが曲に垣間見えたのだろう。
「まだ耳キーンてする?」
「ん…もうだいじょぶ」
「そっか」
「………。」
二人の間に沈黙が降りる。これまで何度かあったけれど。今回はいつものそれよりずっと重く長く感じた…のは俺だけだろうか?綺堂さんもまだ抜けきってないのか、赤くなって俯いている。
でもその沈黙は容易く破られた。
「あ…」
その犯人は空から舞い降りて来た。
「雪だよ…」
「そうだな」
「ホワイトクリスマスだよ!」
そういえばそうだ。もうそんな時期か…。ライブですっかり忘れてた。嬉しそうにはしゃぐ綺堂さん。雪の中で微笑む。その姿はまるで…。まるで子供だ。
「…今日はまだイヴイヴだろ?」
いつかの綺堂さんの言葉を引用して見せる。すると
「ぶっぶー!残念でした、今日はもうクリスマスイヴなんですよ〜!」
「お…ほんとだ。」
パカッとケータイのディスプレイを開くと、日付が変わってもう数分が過ぎていた。
「だから、メリクリだよ!」
それでも一日早い気がするけど。
「はいはい、メリクリ。」
埒があかないので付き合ってやることにした。
「………。」
そしてまた沈黙に包まれる。だが今回その沈黙は長くは続かなかった。
「ねぇ、桜内くん」
「なんだよ…んっ!」
振り返った瞬間。それは略奪だった…キスという名の。狙いは…俺の唇。一瞬触れるだけの優しい―――。
小さな悪魔が、体を伸ばしてようやく届く…。
「………。」
「…桜内くんが好き…」
小さく、でも精一杯に、振り絞るようにそう告げた。
それに対して俺はと言えばポカンとして呆然と綺堂さんを見つめてしまう。目が合って、一瞬顔を伏せられるものの、もう一度見つめ合う。
「………。」
「………。」
…俺の答えを待っているのだろうか。ふ、っと息をつくと俺は腕を伸ばすと、綺堂さんの手を握った。いつも近くにいたその手はとても遠くに感じて…心なしか震えていた。震えていたけれど…
「…俺も今日、来てくれて嬉しかったから…」
「………。」
震えが和らいでいく。「付き合おうか」なんて言おうかとも思ったけど。手に、きゅ、と握り返す力が込められて俺はやめた。代わりに
「俺も綺堂さんが好きだよ。一緒にいたい」
とだけ言った。
ぎゅ…。
さっきより強く握りかえしてきた手は、温かかった。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------


終章


------------------------------------------------------------------------------------------------------------
―――はぁ、俺はなんでここにいるんだ?
気が付くとそんなことを考えていた。それは何故だろう?俺は5W1Hで自問してみた。
いつ?…1月20日。
どこで?…近所の大学。
誰が?…俺が。っていうか他に誰が居るんだ。
何をしてる?…試験を受けに来てる。
どうして?…センター試験当日だから。
どのようにして?…綺堂さんに無理矢理連れてこられて。
はぁ。もう一度ため息を吐く。
「こら!」
ぺし、と頭を叩かれる。
「ちゃんと勉強しないとダメだよ。次の科目もうすぐ始まるよ?」
しかも俺を連れてきた当の本人はすぐ俺の左斜め前の席から振り返って笑みを覗かせる。クラスも同じだし、配席が近くなるのはわかってたんだけど…。これじゃ寝られやしない。
あれから、すぐに冬休みに入ったんだけど。いっつも俺を呼び出しては勉強しようと言ってきた。なんでも、もしかしたら一緒の学校にいけるかもしれない、だそうだ。…ムリだろ。だが俺に拒否権はなかった。
「いいだろ、別に。俺は最初から受ける気無かったんだし。」
はぁ、とため息を吐かれる。
「あのとき、一緒にいたいっていってくれたのに…」
いきなり泣き真似を始められる。別に俺自体はそれをウソ泣きだなんてわかってるんだけど…。クラスの連中や、他校の生徒からの視線が痛い。痛すぎる…。遠からずヒソヒソと「泣かせた」だとか「あのヤロー!」だとか「カンニングしようぜ!」とかヒソヒソと聞こえてきた。
「…わかった。わかったから。ちゃんと教科ごとに復習するし、真面目に問題も解く。だからそれをやめてくれ…」
にぱっ、と笑みを取り戻す。
やはり、俺に拒否権はなかった…。俺はこの時点でもう尻に敷かれ居るのかも知れない…。

そして21日の帰りのことだ。
「やっと試験終わったねー」
んーっと伸びをする綺堂さん。
「あぁ…」
俺はもう伸びをする気力もなく、しばらく猫背のまま歩く。
「もうだらしないなぁ」
ぱんぱん、と背中を叩かれる。
「そりゃ綺堂さんからしてみりゃ伸びで回復できるほどの疲れだったかも知れないけどさ、俺は12月の終わりから二週間3年分の復習をさせられたんだぞ?だ・れ・か・さ・ん・に!」
ビスビスと頬をつついてみせる。…柔らかかった。
「もう、ちゃんと勉強しない桜内くんが悪い!ちゃんと勉強してればバンドやってても今日の試験なんて余裕だもん」
「何処にそんなやつがいんだよ…」
「宇喜多くん」
「………。」
「あいつは異常だぞ。おかしい。比べものにならない」
だいたい育った環境が違いすぎるだろ…それは言い訳にすらならないのか?
「そういう綺堂さんはできたのかよ」
「う…」
というリアクションからするとスコアはそこまで芳しいものではないらしい。
「まぁ、まだ悪いと決まったわけじゃないしな。学校行こう。するだろ、自己採点?」
「うん、そだね」

学校の図書室に来ると既に何人か自己採点している者がいた。まぁ、ホントの戦いはこれからって奴もいるだろうし、センターの点数をいち早く調べて体勢を整えたいのかも知れない。俺と綺堂さんは図書室の一テーブルにカバンを置くと、腰を下ろす。
「ふぅ」
「ふぅ、じゃなくて、桜内くんも採点するんだってば!」
「え?俺も?俺解答もらってないんだけど?」
「ぼそぼそ(もらわないと思ったら、別に一緒にみるつもりじゃなかったんだ…)」
「ん?」
「なんでもないよだ!」
何を怒ってるんだか。俺はこれ以上機嫌をそこねないように配慮しながら文具と先ほど解いた問題を出した。ふと、綺堂さんの問題用紙を見て俺は思ったことを口にした。
「なぁ」
「なに?」
綺堂さんの問題用紙には諸処にメモと解答の写しらしきものがある。解答用紙は提出してしまうし、あとで自己採点をするにあたって然るべき行為なんだが…
「俺、自分の解答をメモしてないぞ。」
「え〜!どうやって採点するの!?」
「………しらん」
「もぉ!桜内くんは、もう一回解くーっ!!」
「マジか…?!」
「大マジ!図書室閉まるのはやいんだから、私が採点し終わるまで全教科解いてよね!」
マジか…。折角戦いは終わったと思ったのに。
「あの」
ふと、そこに一人の女の人が立っていた。
「あ…はぃ?」
俺はいきなり話しかけられて少し間抜けな声を出しながらも返事をした。
「図書室では、静かにお願いします。

日が暮れ始めていた。1月ともなると暮れるのは早く、4時にもなれば空をビロードのカーテンが支配し始める。図書室の閉館まであと三十分、俺は自己採を終えた。
「…疲れた」
「自業自得だよ」
はぁ。今日何度目かのため息。何が悲しくて同じ問題を二度も解かなきゃいけないんだ。しかし、意外だったのは俺の点数だ。冬休みからの地獄の特訓が効を成したのか、だいたい5割5分越えといったところ。三年間ほぼ勉強していないに等しい俺にしてはかなり上出来だった。
「へぇ…結構すごいね。鉛筆転がしただけじゃとれない点数だよ!…捏造?」
「するか!人が早く終わらせようと思って必死で答え思い出してたってのに。そういう綺堂さんはどったんだよ」
「私も思ったより良かったんだ。じゃーん」
言って自己採点記入用紙(確か試験前の金曜に担任が配ってた)を見せてた。確かに結構いいかも。7割はいってないけど…6割5分ってとこか。
「でもこれだけあれば結構いいとこいけるんじゃないか?」
「んー、そうだね…。」
でも綺堂さんは素で笑わず、曖昧に笑む。何か問題があるんだろうか?
と考えていると、そこに、
「桜内」
俺達のテーブルの前に大きな影が差した。顔を上げると図体のでかい男が一人。宇喜多だった。
「まだ残ってたか。自己採はしたか?」
「あぁ、たった今したよ」
「ふ、ちゃんと試験を受けていたんだな」
なんだかバカにされている気がするのは気のせいか。宇喜多は何かを言おうとすると一度口を噤み、代わりに別れを告げた。
「じゃぁな。ちゃんと送っていってやれよ。」
「………。」
―――わかってるよ。
それだけ言うと、宇喜多は去っていった。去り際に奴の記入用紙が見えた。
「8と9が多い…」

カキーン
グラウンドの向こうの方。センター試験の苦痛を知らない野球部がノックをしている。千本…じゃないよな。そのままグラウンドに背を向けて二人で校門へ向かう。そのとき、さっきから黙りだった綺堂さんが歩を止めた。つられて俺も歩くのをやめ振り返る。
「どうしたんだよ。」
「終わっちゃうね。」
その一言で、彼女の姿がとても小さな者に見えた。
「始まったばかりなのに…終わっちゃうね。」
「………。」
主語はなかったけれど、そこにあてはまるのは何か…誰なのかわかってる。俺は無駄に元気に振る舞ってみた。…無駄だった。
「バカ言え、まだ一ヶ月と半もあるんだ。早く卒業して自由の身になりたいぜ」
「でもそうしたら…!」
指で大きく開きかけた口を、唇を制す。
「卒業したら…綺堂さんは俺のことを嫌いになるか?それとも俺が綺堂さんのことを嫌いになるのか?」
「………。」
「そりゃ、こうやって毎日会うわけじゃないかもしれないし、綺堂さんがどこか遠くの大学に行ってしまうかも知れない。」
「………っ」
「でも、約束できるだろ?…"会おう"って。だから…そんな寂しい顔するなよ。」
―――俺まで悲しくなるだろ。
「…うん」
「じゃぁ帰ろうぜ。」

------------------------------------------------------------------------------------------------------------
センター試験から一週間後。俺は綺堂さんと街に繰り出していた。残り時間は少ないから、という彼女の提案である。よく考えれば休日に二人で出かけるのは初めてだ。冬休みにその機会はいくらでもあったわけだが、それを須く阻止したのは綺堂さん本人だ。
「どこへ行くか決めてる?」
提案したからには行く場所が決まってるかとも思っていたが
「んーん、桜内くんは行きたいとこないの?」
「俺は…俺はやっぱり楽器屋がみたいけど、別に綺堂さんの行きたいところで良いよ」
「じゃぁ私も楽器屋さん☆今日は頼りがいのあるナビゲーターがいるから!」
「楽器のことなら藤原…いてて、なにするんだよ」
綺堂さんの靴が俺の足を思い切り踏みつけてた。
「デート中は、他の人の名前を出さないの!さ、いこ!」
「お、おぃ!」
綺堂さんは俺の手首を掴むと(無論、その小さな手で掴み切れていなかったが)、俺の声など聞こえていないかのようにすたすたと駅前ビルに向かって歩き始めた。

「ここでいつも練習してるの?」
「そうだよ」
「へぇ〜私も楽器始めようかな?」
「…それはやめといた方が良いんじゃ、いて、いてて腕をつねるな!」

スタジオの前から次はギターの展示場所へ。
「やるんだったら何が良いかな?わ、これかっこいい!」
綺堂さんが持ってるのはかなり厳ついカタチをした変形型ギターだった。いまどきこんなのビジュアル系も使ってない…。
「やめとけって、座って弾けないぞ、それ」
「え?でもライブの時みんな立って弾いてるよ?」
「最初は座って練習するんだよ。」
「へぇ〜。ねぇ、買うんだったらどれがいいかな?」
「んー、そうだな」
俺は周りをぐるぐると見回した。最初から始めるならこんな新品で質が良いのを使わずにもっと安いのでもいいと思うけどな…。ふと、一点に目がとまる。ミニギターが置いてあった。フレットも少なくて、実用的じゃないんだけど…でも、これサイズ的に綺堂さんにピッタリ…。
「むぅ〜」
ぎぅぅぅぅぅ!
「いて、痛いってば!」

今度はDTMコーナーだ。
「ねぇ、これなに?」
「こいつはデジタルドラムだよ。」
「…でじたる??ドラムなの?」
「あぁ、ほら、スティックが置いてあるでしょ。それでパッドを叩いてみな」
言われて脇に置いてあったスティックを1本だけ取り出しぺしぺしと叩いている。
「音でないよ〜?」
「もっと強く叩いて良いぞ」
「そうなの?えぃっ」
ぱーん
ちょっとダサい、それでも高級そうなシンセのクラッシュシンバルの音が鳴る。
「わ、すごい、こっち叩くとどんな音が鳴るの?!」
綺堂さんは次々とパッドをバシバシ叩いていく。
たん!
ぼむ!
ちー!
「………。」
無邪気にデジドラと戯れる綺堂さんはまるで…まるで子供だ。そんなことを考えている内に全て叩き終わったのだろう、スティックをしまって戻ってきた。
「ねぇ桜内くんはドラム叩ける?」
「あまり叩けな…」
「叩けるんでしょ。叩いてみてよ」
「………。」
正直俺はドラムは叩けない。けど無理矢理綺堂さんがスローンに座らせて、なんだか後に退けない…。仕方ない、相手は素人だ。なんとか誤魔化そう。

ぱつたつつつたつつつたつ たたたたぼぼぼぼぱーーん
簡単な8ビートにフィルをつけて終わらせる。
「むぅ、桜内くん出来ない楽器ってないの?」
誤魔化しは成功したようだ。っていうか、できない俺を見て喜ぼうとしていたのだろうか?
「…でも、やっぱ藤原くんみたいにはムリだね〜」
俺は藤原以下という類似ワードにむ、と反応したが、堪えるしかなかった。…どこの誰があんな手数の多いパターンを店のデジドラでやるんだ…。

小物コーナー。
「桜内くんチューナーとか使う?」
そんなものを手にしてほんとにギターを始めるつもりなのか?それを誰が教えるんだ…。
「いや…俺はそんなに使わないかな。それに使わない方が音感が養われるぞ。」
「そうなんだ。」
チューナーを離れて二人で弦を見る。
「ギターは弦だけで結構音が変わってくるものだ」
「へぇ〜」
「それに定期的に取り替えなきゃダメだ。特に血の付着した弦を3,4年も放置しておくなんて最低だぞ。」
「…なにそれ?やったことあるの?」
「いやないけど」
変なの〜、って笑われる。
「これはどういう音がするの?」
「そうだな、ニッケル性で芯のある音が出るぞ」
「これは?」
「音にそこまで迫力はないかも知れないけど、錆びにくい。最初はこういうのや、やわらかいのを使えばいいぞ」
「ふーん、じゃぁこれは?」
「HP・MPが全回復するぞ。」
「なにそれ」
「いや、…なんでもない」
流石に女の子はあんまりやらないか。次にピックを見た。
「ねぇ、どれがいいかな?」
「知るかよ。好きなの選べばいいだろ?」
「じゃぁ、これ!」
「バカ、デザインで決めるなって。そんな柔らかいのであんな音出るわけ無いだろ?あぁいう音にするなら…」
「えーそんなの可愛くないよ!んー、この硬さなら良いんだよね。じゃぁ…」
「………。」
そういってウサギのマークの付いたピックを購入していた。

「はぁ、疲れたぞ」
ずずず…とシェイクを啜る。
「あはは、お疲れ様。」
結局、綺堂さんはピックだけを買い楽器屋から出た。なんでも今日の思い出なんだそうだ。…よくわからん。
そしていつも通りファーストフード店で休憩した。いつもと違うのは一緒にいるのが綺堂さんということくらいだ。
「へぇ、じゃぁいつもここで作戦会議を開いてるんだ」
「作戦会議って、まぁな…。楽器屋の一個下ってことで他のバンドも結構使ってるよ。」
そういえば、と思い出す。
「でも俺達には常に罰ゲームがあるんだ。」
「罰ゲーム?」
「あぁ。一番下手だった奴が…」
俺はどこからともなくじゃん!と効果音が付きそうな勢いでカカオ100を取り出した。
「コレを食う!」
「…チョコ?それがどこが罰ゲームなの?」
「これは強力にまずいんだ。凄い苦くてな」
「へぇ?ちょっと食べさせてよ」
「いいけど…」
って言ってチョコごと渡す。
「ホントやばい程苦いからひとかけらずつ食った方が良いぞ!」
「むぅ〜」
俺が注意を促そうとすると何故か不機嫌そうに目をつり上げた。
「私だってビターチョコくらい食べたことあるもん!」
どうやら子供扱いされたと思い、怒っているらしい。そう言って銀紙(金色に塗られていたが)をベリバリ剥ぎ取り一気に頬張ろうとする!後悔先に立たず…か?
「あぁ!よせ!」
俺は店内の視線を集めてしまうかも知れないという危惧を無視し、少し荒げた声で綺堂さんに言うが最早後の祭り。
目の前の
はぐ!
という音と共に綺堂さんの瞳がどんどん潤んでいくのがわかった。瞳を潤ませながら悩ましげに俺を見つめる綺堂さんはまるで…まるで子供だ。

「うぅ、ひどいよ…まだ口の中が苦ぁい…」
日が、もう暮れ始めている。雲行きも芳しくないのを見て、そろそろ引き際、と二人合意した。
あれから色々なところに行った。服屋とかレコード屋、100円ショップにゲーセンなどなど…。でもコンビニにちょくちょく入ってはジュースを買っていた。いまも綺堂さんは隣で、あぅ〜、と呻きながらコンビニで買ったミルクセーキを飲んでいる。まったく、あれじゃほとんど俺達のやっている罰ゲームと相違ない。きっと、もう苦みは消えているだろう。ただ、舌がそれを頑なにも記憶してしまったのかも知れない。
「だから俺がひとかけらずつ、って言ったのに…」
そうすれば「こんな罰ゲームやってるの!?」くらいの笑い種で済んだかも知れない。
「だってぇ…」
と恨めしそうに睨まれる。俺は悪くない…たぶん。
気付くと駅前広場まで来ていた。広場にある一つのベンチ。ここから始まった。俺はどかっ、とわざとらしく腰を下ろした。
「少し休憩しよっか」
「うん…」
「今日はほんと疲れたよな」
「うん…」
「ほんと綺堂さんは俺を疲れさせるよな」
「え…」
不安そうな瞳で見つめられる。なんて顔しているのやら。
「会った頃から、ピアノ弾けだの、学祭に出ろだの…」
「………」
ほんと疲れた。面倒くさがりの俺には拷問のような日々だった。
「でも、…心の何処かで嬉しかった…。また、誰かが俺の音楽を必要としてくれたし、バンドをやりたいと思えて、実際にこうしてバンドをやれている」
俺は綺堂さんに向き直る。
「ほんとに、ありがとう、出海…」
どちらからともなく。二人は口づけた。…苦かった。
ふと、首筋に冷たいものがあたるのがわかって、二人、離れる。雨が降っていた。
「まずったな。早く帰れば良かったな…」
図書室での曖昧な笑み。彼女の不安をこんなことで拭い去れるとは思っていないけれど。積み重ねだと思った。思い出を積み重ねることで、少しはそれを和らげるんじゃないかと思った。
「ううん、いいよ、駅ビルの雑貨屋さんで傘買って帰ろうよ。」
彼女は少しだけ元気を取り戻して、笑顔を見せた。

「ねぇ、どれがいいかな?」
「俺だったらこれかな…」
二人で雑貨屋の雨具コーナーを物色する。俺が持っていたのは巨大な黒いこうもり傘。これなら機材を持ってても多少は安心でき…
「だめだめだめ!」
「ぁ?」
「そんなのダメだよ!」
「何がダメなんだよ?」
「可愛くないよ!」
「………。」
実用性においてはどうでもいいのだろうか?そのことを訪ねると、
「実用的で可愛くなきゃダメなの」
と来た。
はぁ…。ため息を吐く。
しばらくして、綺堂さんはそれが気に入ったのか、一本の白い傘を持ってきた。可愛い、と言えばそうだが、なんとなく大人っぽいデザインだ。そういえば綺堂さんの服もそんな感じがする。可愛いだけじゃなくて、こう、大人っぽい着こなし方をしている。23日…ライブの時もそうだったな。やっぱり外見を気にしているのだろうか?大きさも彼女の肩幅より一回り大きいと言ったところか。
「これお願いしまーす」
「1200円です」
高!
まぁ、今は彼女の買い物は置いておいて、と巨大な黒い傘をレジに持ち出そうとすると。
「あ、桜内くんは買わなくて良いよ」
「え?」
「一緒に入って帰ろ?」
えへへ〜、と笑う。…俺に拒否権は無いようだった。

しとしとと雨が降っている。隣では綺堂さんが俺の左手を握っている。俺の右手は…傘を握ってる。
「あー、もう、私濡れちゃう!」
「………。」
だったら手を握らずに左手に傘を持たせてくれればいいだろう?それにこんな小さな傘では綺堂さん一人が精一杯だ。というか、もう俺は半身びしょぬれだったりするが。そしてなにより、こんな傘俺が持ち歩くには恥ずかしすぎる…。眩いほど白く輝いてるぞ。
「やっぱりあの黒いコウモリ…いてて」
「あれはダメ!」
左手をつねられる。
やっぱり、俺、精神的にこの人と居ると凄く疲れるよ…。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------

二月も半ばにかかるといよいよ終わりが近くなったな、って思う。授業もほとんど自習になり、教室の中の喧噪が目立つ。まぁ、俺はいつでも寝てたけど。
「おぃ、桜内!」
突然呼ばれる。教室の入り口に担任が立っていた。
「ちょっと来い」
仕方なく席を立って行こうとする。すると綺堂さんと目が合う。その目は「何やったのよ」と訝しげだ。なにもやってないって。俺は担任の下へ行くと、進路指導室に拉致られた。
「なんスか?」
「お前…進路どうするんだ?就職するつもりでもないだろう?進学するのか?」
「………」
「お前まだ決めてなかったのか」
「はぁ、すんません」
「でもセンター試験で平均並みにとれてるからな。今からでも遅くない。進学したらどうだ?」
「………」
確かに悪くない話だ。しかし…進学した先に俺の望むものはあるのか?俺の求めているものが…成りたい自分が居るのか?
「どうした桜内?」
「…ぃえ。」
「桜内は…なにをやりたいとか、明確な目的はあるのか?」
それはあった。眩しくなるほど明瞭なヴィジョン。ただ、その道は茨の上に鎮座していたけれど。
「…音楽」
俺の呟きに担任は、はぁ、とため息を吐いた。
「…あのな桜内。俺はな、妥協案を聞いているんだ。確かにそれは夢のあることなのかも知れない。だが、それが叶う保証が何処にある?俺の仕事は…わかるだろ桜内。お前に確実を渡すことだ」
「………。」
「ふぅ、まぁいい。もう戻りなさい。もう時間はない。来週だ。来週の月曜、答えを出しなさい。幸い、今からでも就職も進学もどちらも不可能じゃない」
可能だ、と言わないところが憎たらしいが、俺は答えた。
「わかりました。」

ガララ。
第一音楽室の扉をと聞き慣れない音が聞こえた。
ぺちぺち…
と。ここに来る人物はたかが知れているが、なんだこの音は?ピアノと違い、壁をつきぬけられない弱々しい音。その答えは入ってすぐに理解できた。
「あ…桜内くん」
見るとそこにはボロボロのギターを抱えている綺堂さんが居た。かなり傷んでいるが、張られたナイロンの弦からしてクラシックギターだろう。ナイロンは柔らかくて押さえやすく、初心者がコード引きするにはうってつけだろう。
「…なにやってんだ…?」
「なにって、チューニング…」
「………」
べれれ〜ん
俺はサウンドホール上で弦を軽くなぞる。
「…全然合ってないぞ」
「だっていまチューナー無いし〜」
「ここにこんな良いチューナーがあるじゃないか」
俺はカバンをいつもの位置に放ると、スローン…じゃなかったスツールに座ると綺堂さんを呼んだ。
「そっかピアノを聴きながら合わせれば良いんだ。えぇっと1弦はミだから…」
俺は彼女の指より先にeを叩く。すると彼女はペグを弄り音を合わせようとするが…。どうやらeより高いのか低いのかわかっていないようだ。
「もっと低く…弦をゆるめて」
言われたとおり弦をゆるめて音を下げる。するとピアノとギターの音がユニゾンした。
「ん、おっけ。」
「2弦はシだから〜」
といってまたピアノで合わせようとするけど…。
「あとはそっちで合わせた方が良いんじゃないか?」
「え?」
「ほら、2弦の5フレットを押さえれば1弦と同じ高さになるようにすればいいんだ」
「あ、そっか」
「………」
なんとか2弦を合わせると、同じ要領でチューニングしていく。どうやら2弦と3弦の高低差が長三であることは知っていたようだ。完了するのを確認すると俺は気になっていたことを聞いた。
「…それどこにあったんだ?」
「え?そこの準備室だよ。すごいでしょー」
あまりすごくない。弦も見る限りかなり参っていて、すぐにチューニングは狂ってしまうだろう。しかし彼女の服の汚れ具合からして、結構奥底まで探していたのかも知れない。それはすごいかも。なんにしてもやる気満々だった。あのときピックだけ買っているのを考えると、あの時点でここにギターがあるのを知っていたのかも知れない。彼女は再びピックを握りしめ、どこで入手したか、教則本をみながらコードを押さえようとする。各弦の音の高さもそこから仕入れた知識だろう。ぺちぺち、と成り損ないのコード音が音楽室に響いた。んー、女の子は手が小さいから不利かも知れないけど、彼女の場合はそのハンデが特に大きいからな…慣れるまで時間が掛かるかも。
「少しピッキングが強いな。最初はフィンガリングの練習して指弾きにしたらどうだ?」
「ぶー…。せっかくピック選んでもらったのに」
「クラシックギターでそんな硬いの使うこと無いだろう。…まぁ、なんにせよ、もうちょっと優しく弾いた方が良いぞ。でないとそんな脆くなった弦、すぐにイかれる」
音が出ないのはピッキングの所為ではない。フィンガリングのせいだ。不満そうだったが、弦が切れれば、その比ではなくなるだろう。綺堂さんは渋々やさしく弾くようにした。

それから程なくして。
ガララ!
第一音楽室の扉が開く。綺堂さんでもないから、棚に隠れて見えない、なんてことはなかった。むしろその人物はかなりの身長の持ち主だ。
「宇喜多…珍しいな。」
俺はピアノを止めて宇喜多に向き合った。
「どうした?」
「藤原がな、卒業ライブに出ようって言っているんだが…」
「そういうと思ったよ」
「じゃぁいいのか?」
「あぁ。体育館の音響は最悪だけど…まぁそういうのもいいんじゃないか」
俺は苦笑して頷いた。
この学校の卒業式の日には、式が終わってからその夕方には卒業生が何組か…5,6バンドだったかな?を作って行う卒業ライブがある。これは学校側からも公認で、この学校もほんとイベント好きというか何というか。俺は興味なかったから去年も一昨年も見てないんだけど。
「そうか。わかった。藤原にも伝えておく」
そして宇喜多も気になったか、さっきから鳴りやまないぺちぺちという音の出ている方を向く。
「………。」
「………。」
「なぁ、桜内」
「なんだ」
「蒔いた種は自分でなんとかしろよ…」
どういう経緯でこうなったのが予想できたのか、宇喜多は俺にボソリと呟いた。
「ちょっと宇喜多くん!聞こえてるって!」
「ぐ…」
こういうとき、女だなぁ、って思う。
「蒔いた種は自分でなんとかしろよ…」
俺は宇喜多の言葉を繰り返した。

「…こういうコードの場合左手はもっと捻って押し出した方が良い。親指は、そう、添えるように」
「わ、ほんとだ、押さえやすい。」
「………」
「バレーコードは指の腹で押さえるんだ。」
「腹?」
「あぁ、指の…」
ぺちぺち
「うーん、それでも上手く鳴らないよ?」
「あとは慣れだ」
「………」
まぁ、俺と違ってギター専門だ。それにあの宇喜多だ。教えるのも上手い。俺はちょっと悔しさを感じつつも安心しピアノに戻った。 ポロン…と弾き始めると
「そういえば」
「わっ!って田村みたいな真似するなよ」
気付けばそこに二人が立っていた。
「む…田村みたいとは…。まぁいい。そういえばお前もピアノを弾くんだったな。体育館で聞いたものとは少し違うが…いい音だ」
「あぁ、ありがとな。…お前も弾いていくか?G#の音がたまに出ないけど」
「いや、俺は…」
「私も宇喜多くんのピアノ聴きたいな〜。」
「そうだな…たまにはギター以外の楽器を手に取るのも良い」
それを聞くと、俺はスツールを宇喜多に明け渡した。
ポロン…
その太い腕からは想像されないほど細い…柔らかい音が出た。哀しい旋律だった。これは…ベートーヴェン・ピアノソナタ第8番第2楽章だ。
ポロン…ポロロロン…
ほんとにそんな擬音しか浮かばないような柔らかい音で、哀しみを彩っていく。これが、こいつの過去なのだろうか?
5分ほどの演奏の後、宇喜多に二人分の拍手が送られた。
「へぇ!宇喜多くんもこんなにピアノ弾けるんだ!」
「小さい頃に親にこっぴどくしつけられたんだ。全く、転んだとき手もつかせてくれない勢いだった。」
「大変だったんだね…」
「まぁ、昔のことだ。それじゃ、俺は先に帰るぞ」
「あぁ。」

それから少ししてから。暗くならないうちに、と、俺達も第一音楽室を後にした。
「宇喜多くんのピアノ上手かったね〜」
「あぁ、ヘタしたら俺より上手いかもな」
「宇喜多くんのピアノ…桜内くんのピアノに似てた」
「俺の?」
「うん、桜内くんの…ううん、ちょっと前の桜内くんのピアノ」
ちょっと前…?
「ここで初めて会った頃の桜内くん。あんな感じで、無表情で、何考えてるかわからない顔で、あんな風に哀しい曲を弾いてた」
「………。」
そうだ…。閉ざされた空間。ぽっかり穴が空いてそこに飛び込むと、ピアノがあった。俺は自分が何を求めているかと、悩んでいることすら忘れていた。否定されていく可能性の中で、俺は目を背けたんだ。
「でも、俺はいま自分のやりたいことを…音を見つけようとしてる。もっと聞いていて満たされるようなピアノを弾いてやるよ。いつか。」
「でもね、もう時間がないよ?」
「だから、学校にいる内じゃなくても…」
「第一音楽室、壊されちゃうんだよ…」
「え…」
唐突な情報に俺は戸惑った。そんなの初めて聞いた…いや、朝担任が言っていたのかも知れない。それ以前にも…。
「そう、なのか…」
思い出が詰まった場所。思い出の始まった場所。そこが…壊されてしまう。
「やっぱり聞いてなかった…」
言う綺堂さんは少し哀しそうだった。第一音楽室はやがて壊されてしまう。それは、俺達のエゴだけで止められるものではなかった。だとしたら?だとしたら俺に出来ることは…。
「わかった。出来る限り…あそこに行くよ」
「…桜内くん?」
「だから、綺堂さんも居て。土曜はスタジオだから午前中しか居られないけど…」
「うん…」



---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
それから俺達は放課後あそこで二人で居た。綺堂さんはいつもどおり受験勉強をして、俺はピアノを弾いて。何も変わらない。変わらなかったけれど。今はそれでいい―――そう思った。思えた。

そして…土曜日…この日を忘れはしない。決して。休みだったけれど、この日も学校へ行こうと約束していた…。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
ざぁぁぁ…
雨が降っていた。そこまで強くもなかったが、優しくもない雨だった。俺はため息を吐きながら傘を差して登校する。土日でも部活動があったりして学校は開いているし、第一音楽室にも入れる。幸い俺の家も彼女の家も学校からそこまで遠くなく、それほど雨は苦にならない。ぱしゃぱしゃと水たまりを幾度かはねながら、学校に着く。
ガララ…
第一音楽室にはまだ誰もいない。俺が先に付いたようだ。ざぁぁぁ、と窓越しの雨が室内に反響している。俺はピアノの蓋をあけ。適当に弾き始めた。
ポロン…ポロン…
誰もいない教室に、ピアノの音は嫌なくらい鳴り響いた。
2,3曲を弾いてから。約束した時間はすでに15分ほど過ぎている。確かに「ちょっと遅れた」の範囲なんだが…。綺堂さんはいつも待ち合わせに遅れたことはなかった。5分前行動は基本なのだそうだ。だからか。俺はやけに心配していた。これが杞憂なら良い。ならいいんだが。
キンッ…!
甲高い音がした。すると…あれ?G#の音が…。真ん中のG#の音が完全に出なくなっていた。ピアノを調べてみると線が切れていた。 「………。」
だっだっだっ
俺はリノリウムの床を蹴り、下駄箱で靴だけ履き替えると傘を持たず再び雨の中へ躍り出た。傘は…必要ない。この先に少女が居る。だから彼女の傘に入れてもらえばいい。半身は濡れるけど。
ばしゃばしゃばしゃ!!
走るたびに泥水が跳ねた。俺はそれも気にせず彼女の家の方へと走った。

少女は居た。
白い傘…小さな躰…。
綺堂 出海は居た。交差点の真ん中に。居たという言い方では少々具体性に欠ける。彼女は倒れていたのだ。交差点の真ん中の彼女は余計に小さく、お気に入りだったはずの白い傘も放りだして…。
「…綺堂さん!?」
すでに周りには赤いランプを灯した車が何台か来て、警察らしき人や物々しい雰囲気をかいくぐって彼女のもとへと走った。駆け寄った俺は小さな躰を抱き締めて、震える指で頬をなぞる。冷たかった。するとズルリ、と彼女の躰が滑る。雨と違いぬめりのある液体が彼女の背中越しに流れ、地面へ滴り落ちる。
「こら君!勝手に遺体触っちゃいかん!」
「いた…い…?」
俺は呆気にとられていた。いたいってなんだ?イタイ…イタ…イ…?どういう漢字を当てはめるんだ?
警察官は俺の様子を見て察したように言った。
「あぁ…この子の大切な人かね?この子はもう…」
―――嘘だ。
うそだウソだ嘘だ!!
何もかも嘘だろ?
頬が冷たくなってるのが雨の所為だって言って欲しかった。
躰から流れ落ちるのは血ではないと言って欲しかった…なのに…なのになんで俺の腕はこんなに赤いんだ…?紅いんだ…。

人の死は呆気のないものだった。出血は多かったものの彼女の躰は目立つ外傷はなく、その後病院に運ばれると血を綺麗に拭き取られ、自宅に安置された。弾き逃げた犯人も近くの道路で警察に取り押さえられたらしい。
コト…
目の前にお茶の入った湯飲みを置かれる。
「粗茶ですが…」
「いえ、おかまいなく…」
時間にして4時間後。俺は綺堂さんの自宅にいた。病院からずっと彼女に付いていた。
「出海は…最近のあの子はなにかとても楽しそうでした。不器用なくせに、手にマメまで作って」
あいつ…
俺はちらりと向こうの部屋を見やる。彼女の安置されている部屋を…。
「貴方…桜内くんですね」
「あいつが…喋っていたんですね」
「えぇ。とてもすごい人がいると。なのにその人はいつも哀しそうな…そんな人がいると言っていました」
綺堂さん…
「でも最近は、桜内さん…あなたが変わったと言っていたんです。」
おばさん…綺堂さんのお母さんは淡々と告げた。
俺のこと。自分もピアノをやっていればよかったとのこと。ギターのこと。音楽のこと。
「………すみません」
俺はいたたまれなくなっておばさんに謝った。
「何故…あなたが謝るの?」
「俺が言ったんです。土曜も学校で会おうって。音楽室がもう少しで壊されてしまうからできるだけって。そして俺があいつに言ったんです。お前の御陰で音楽を取り戻せそうだって」
「………。」
そのとき、初めて涙を流した。何故だろう。さっきまでは零れなかったのに、あいつの話をした途端…!!
だけど次の瞬間
ふわ…
俺はおばさんに抱き締められていた。
「自分を責めないで…。音楽を…あの子のことを好きだったんでしょう。だから貴方は好きでいてあげて?」
「………」
おばさんは微笑んでいた。ゆるやかに、この時が止まってしまうくらいに。
「なんで…なんでそんな微笑ってられるんだよ…。あんたの娘がし…死んでんだぞ!!」
認めたくはない。死。気付けばその言葉を俺はおばさんに叩きつけていた。
「私も…もしかしたら貴方を許してやれなかったでしょう。鋭利な言葉で貴方を傷つけたでしょう…でも」
おばさんは服のポケットからそれを出すとテーブルの上にそれを放った。
カラン…カランカラン…
乾いた音を立ててピックが転がった。
「死後硬直後もずっと握ってて離さなかったそうよ。あの子も変なとこ強情なんだから…」

「ねぇ、どれがいいかな?」
「知るかよ。好きなの選べばいいだろ?」
「じゃぁ、これ!」
「バカ、デザインで決めるなって。そんな柔らかいのであんな音出るわけ無いだろ?あぁいう音にするなら…」
「えーそんなの可愛くないよ!んー、この硬さなら良いんだよね。じゃぁ…」
「………。」

言葉が…二人の間の時間が俺の中でリフレインしていく。リフレインしては消えていく。
目の前に置かれたピックには泥がついていた。泥の付いたピックを、あいつはひどく、強く握りしめていた…。俺の目の前でピックのウサギが笑っていた。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

目が覚めるとまず天井が目に入る。
―――ここは…俺の部屋?
いつの間にか部屋に戻って眠っていたらしい。…結構重症かも。
あのあと、綺堂さんの家でひとしきり泣くと、家路につくことにした。

「もうだいじょうぶなの?」
おばさんはそう心配したけど。俺は無理に笑顔を作って
「えぇ、その、すみませんでした」
「だから、あなたが…」
「違います。おばさんを…母さんと間違えそうになりました…」
「………。」
「それでは。…出海、また来るからな。」

情けない。いつもそんな風に呼んでやれなかったのに。今更…。
カパ、とケータイを開くと、日曜日、今日はまだ学校が休みだったことに気付く。ある意味良かった。こんな顔…誰にも見せられないよな。いつか藤原と殴り合ったときより非道い。
ケータイの隅には非通知のマーク。みんなが心配したのかかけてきてたみたいだ。言うまでもなく、俺はかけ直す気になれずケータイを放って再び天井を眺めた。俺は…どうすればいいんだろう。あいつのいなくなった俺は…どうすればいいんだろう?
その答えは出そうになかった。

夕方。もう一度綺堂さんの家に行った。
今日はおばさんの他に、綺堂さんの親父さんもいた。おじさんは俺を見るなり俺の胸ぐらを掴むとブン殴ってきた。
ガッ!
「てめぇ…よくもノコノコとこれたもんだな…ぇえ!」
「ちょっとあなた、やめて!」
「うるせぇ!大体なぁ!」
おじさんは玄関に倒れた俺をもう一度ひっつかむとギリギリと首を絞めた。
「てめぇが出海を学校に呼ばなきゃ済んだ話だろうか!ぁあ?」
「………。」
「なんとか言えよ!」
バキィ!
おじさんはもう一度俺を蹴飛ばした。
「……つつ」
「あなた!」
「ンだよ!」
「悪いのは彼だけじゃないわ。本当に悪いのはあの運転手や不幸な事故で…」
「わかってんだよ!」
おばさんに宥められ家に戻っていくおじさん。そしてもう一度呟く。
「わかってんだよ…そんなことは…」

次の日も俺は綺堂さんの家に来ていた。仕事なのか、おじさんはいない。
「ごめんなさい、昨日はあの人が…」
「いえ、いいんです。いっそ殴られた方がラクになりますよ」
「ごめんなさいね。」
おばさんはもう一度俺に謝った。
「あの」
「なにか?」
「我が儘なのはわかってますけど…少しだけあいつの側に…二人きりにさせてくれませんか?」

綺堂さんは自分の部屋で眠っていた。いつもそうあるように。本当に童話の世界のお姫様みたいだった。
「出海…」
そっとベッドの縁に腰掛けて、その冷たい手を握る。
「………」
俺は何をやっているんだろう…?こんなことをして俺の思いが通じるわけでもないのに。
念じてみる。
笑って欲しい。
声、聴かせて欲しい。
下手くそなギターを聴かせて欲しい。
俺を、困らせてくれよ、いつもみたいに…。
動かない躰。どうすれば思いは伝わる?
「………」
冷たい唇に、そっと口づけた。

夜になるとおじさんが帰ってきた。
「あ…」
「あ…」
目が合う。そして逸らす。
「………」
「………」
このまま気まずい空気が続くかと思われたが、そうはならなかった。
「昨日は…すまねぇな。頬、傷むか?」
「いえ…」
「け、けど、お前のこと許したわけじゃねぇからな…!」
目つきが鋭くなる。
「これで許されたら…俺は苦しみに押し潰されてしまいますよ。」
「………。」
「………。」
「なぁ。」
「?」
「あいつのこと好きでいてやってくれよ…」
「無論です」

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「先生…俺、進学します」
「桜内…いいのか?」
「いいのかって…先生が決めろって言ったじゃないですか」
「そうなんだが…今のお前はほら…綺堂のこともあって動転してるんじゃないかって…」
その名前を口に出すことを躊躇っていたのか。担任は少しきまずそうだった。
「なんでもないです。ただ…ただ踏ん切りが付いただけですよ…」
「………。」

…これでいい。これでいいんだ。今の俺は…何も無い。伝えるモノも…伝えたい相手も。
これで終わりにしよう。出海。俺は階段を上った。
たん、たん、たん…
心なしか、その音は沈んで聞こえた。それもそのはずだった。
やっと開きかけた扉はいまでは幾多にも鍵が掛かり、俺はどこへもいけない。俺の作り出す音は、何も変えることが出来ないんだ。
ガララ…
誰もいない教室、第一音楽室。今日この日俺を最後に、今後誰も来ることはないだろう。
俺は数ヶ月世話になったピアノにお礼を言った。
「…今までありがとな」
スツールを弾き出し、座り、この部屋で最後の演奏を始める。もうG#の音は完全に出ない。
ポロ…ぽろん…ぽろ…
「………。」
手が震える。
「………。」
鍵盤が翳む。
「うっ…うう…っ」
ダーン…
鍵盤に突っ伏すとピアノは哀しそうに悲鳴を上げた。演奏は、演奏にならなかった。忘れられない。忘れられねぇよ…。
いつもそこにあるはずの存在が。視線が…。
一緒にいるはずなのに。
ここがなくなるまで一緒にいるはずなのに!…なんで…お前が先になくなっちまう…?
「………。」
落ち着くと、俺は鍵盤から顔を上げる。スツールから立ち、鍵盤と蓋の間に右手の指5本をかけると一気にピアノの蓋をめがけて左腕を振り下ろす。
ガン!!
………。
……………。
…………………。
「…にやってんだよ…」
「………。」
「何やってんだよバカヤロー!」
バキ!
指は…折れなかった。俺はすんでの所で藤原に吹き飛ばされていた。
「うるせぇな…もうあいつはいねぇんだよ!」
ガキャン!!…ガタンガタン…
藤原を殴り返すとそのまま古びた机の方へと吹っ飛ばす。
「てめぇ…!!」
「お前には…俺のことなんてわからないだろう…?」
「あぁ、わからないね。知りたくもない。ふざけんなよ。どうせお前のことだからまたウジウジ考えてんだろ。綺堂がいなくなってどうすればいいかわからない。支えられたものを失った、辛い、とか思ってんじゃねーのか!」
ガン!!
「………。」
「…わかってんじゃねーか。」
「………。」
「………。」
睨み合う。
「俺は伝えるべき人を失ってしまったんだ…。もう俺は…」
「それはどうかな〜?」
入り口の方から声が聞こえた。3人の影が見える…。
「おやおや、額から血なんか出しちゃって、ヴィジュアル系じゃん〜?」
「フン、無様だな桜内!」
「下手くそなピアノの演奏が聞こえると思ってきてみれば…」
「お前ら…」
「オメーはいちいちいわねーとわかんねーのかよ。」
みんなが、そして藤原が、俺を囲んだ。
「オメーはどうかしらねーけどな、俺は必要なんだよ!お前が!」
「!!」
藤原…。
「バンドをやろうぜ桜内…」
「俺は、俺は…」
周りからふぅ、とため息が聞こえた。俯いていたので誰のものかはわからない。俺は、顔を上げると、言った。
「…少し考えさせてくれ…」
「桜内…土曜、いつもの時間にスタジオはいるから」

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------





---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
――3/3 土曜日――
カッコ悪いよな…。なんで俺はここに…スタジオの前に居るんだろう?この扉を開ければ傷付くのはわかっているのに。音楽が嫌でもあいつを思い出させるのに…。それでも…何かに背中を押されて扉の取っ手を握る。
ギィィィ
だんだんだんだん!
いきなり轟音が漏れる。しまった演奏中だ!俺は急いで扉を閉める。すると中から声が聞こえた。
「ん?待て今扉開かなかったか?」
「みんなストップストップ〜。桜内かもよ〜!?」
ギィ…
「あ…」
「桜内!」
「桜内…」
「みんな…俺は…」
でも俺は俯いてしまって。でもそんなとき声が聞こえた。そっと背中を誰かに押されるような、そんな声が…
『がんばれ』
綺堂…さん?
「俺は…みんなとバンドがやりたい!」
「おかえり、桜内…」

「みんな…これ…」
いつものファーストフード店。
いつかのように俺はカバンから4人分の楽譜とMP3プレーヤーのイヤホンを順番に手渡した。
「桜内…?」
「録音使わなきゃいけないけど…。あいつに届ける歌って、こういう音の方が合うかなと思ってさ。」
『………。』
全員絶句する。
「おい桜内、オレぁテメーの恋を応援するためにバンドやってんじゃねーぞ!」
「とかいって、"おぃ、あいつらキスするぞ、するぞ!"って一番興奮してたの藤原、お前だろ」
「わ、バカ、宇喜多、なにいってやが…」
「………。」
「と、ともかく!…オレは、その、いいと思うぜ。このくらいのテンポだったら録音聞きながらドラム合わせられる。」
そして「俺も」という声が3つ上がって満場一致で俺の曲は採用された。早速音作りのイメージを説明したりどうやって演奏するかなどを考える。
「でもこの曲…」
東野が口を挟む。
「桜内っぽくない曲だね」
「どういう意味だ?」
「これまでで一番、人間らしいというか、有り触れているというか。」
「放っておけ」

――3/5 月曜日――
俺達はライブの実行委員会の元へとやってきていた。抽選結果を知るためだ。藤原の話だと、なんでも、今年は応募数が多いため(10バンドくらいらしい)出場バンドは抽選で決めるとのことだった。だが―――。
「えぇと、バンド名は?」
2年生の実行委員の男がおずおずと聞く。まぁ、迫力のある面子ではある。
「ユダだけど」
「えぇーっと…あのすいません、ユダは落選してしまいました。」
「…!」
「そんな…」
「おぃ、ふざけんなよ!」
藤原が掴みかかる。俺はそれを急いで止めた。
「おい、よせ藤原!」
「離せよ桜内!お前それで良いのかよ!あいつに伝えたいことあんだろ!?」
俺は藤原を引っ込めると、男に取り次いだ。
「すまない。出場バンドを増やすことは…俺達のバンドを出すことは出来ないか?どうしてもやらなきゃいけないんだ…」
「…すみません。僕一人の権限では…。それに伝えたい思いがあるのは…皆さん一緒だと思い…ます」
「てめぇ!」
「藤原!」
「…ちっ」
「わかった、すまないな。じゃぁ俺達はこれで。」
「あの!」
「ん?」
「あの…お力になれず…」
「いいって、気にするな」
俺達のやることはまだ他にもある。それをするだけだ。

「どーすンだよ。」
廊下でも藤原は声を荒げた。
「校長の所へ行く。」
「は?何しに?」
「生徒一人減っても、作るモノは作ってもらわないとな。」

それから俺達は校長のところにいって出海のことを色々頼んだ。すると校長は快く引き受けてくれた。
「ほっほっほ、若いな、桜内くん。」
「いぇ、俺はただ…」
「いやいや、みなまで言うな。綺堂くんのことについて、君たちのことについて、計らってみよう。」
いつも長ったらしい話しかしない校長だと思っていたが、こういうとき味方に付いてくれるととても心強い。
「ありがとうございます!」

「校長、いい人だったな。」
「あぁ」
校長の御陰で先ほどまでギスギスした空気も少し中和されたかも知れない。
「でも卒業式来週の土曜じゃなかったっけ?」
『………。』
みんなで黙るけど。
「けど」
俺は沈黙を切り裂く。
「また前日くらいに最後のスタジオに入ろう。」
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

――3/6 火曜日――
今日は綺堂さんの葬儀があった。俺と藤原と、他にクラスから仲の良かった奴が呼ばれた。親族ばかりかとも思ったが学校を抜け出してきたヤツも居た。"きぃ"と"うっちぃ"だ。
「あ…桜内くん…」
「よう…」
「そんな顔してたら…出海に笑われるよ?」
お前らにいわれたくねーよ。そんなに哀しそうにして。…それだけ、あいつの近い場所にいたんだな…。
「出海…」
誰となく呟く小さな少女の名前。もう、いなくなってしまった―――。でもその死は誰かが背負わなければならない。だとするならその誰かは…。
葬列に加わり、出海の写真の前に一輪の花を飾る。残酷なのは花屋か葬儀屋か。こんな小さな花…いやでもあいつの笑顔を思い出させる。目の前にも写真の出海は笑っていたけれど、そんな写真より、この花の方がずっと出海に近い気がした。

葬儀が終わると俺はおじさんのところへ来ていた。
「ん…お前…どうした?」
「おじさん…卒業式来てくれ。」
「何言ってんだ、出海は」
「来てくれ」
「………。」
「………。」
しばらく睨み合いが続いて、やがておじさんが根負けした。
「わかったよ…」
やれやれと言いながら部屋の片づけに戻った。
「おじさん」
「なんだよ、まだなんかあるのか」
「ありがとう」
「………」
俺はそれだけいうと、綺堂さんの家を立ち去った。
「……出海」
背後から聞こえる声は、いつものおじさんの声とは似ても似つかなかった。

――3/7 水曜日――
結局俺達は、来週出れるのかもわからないままスタジオに入る。でもみんな信じてる。理不尽にも急に戻ってきて俺のやりたいといった音楽を練習している。だから諦めるわけにはいかなかった。ここで、俺が諦めたら…あ…れ…。視界が…。
気付いたときには俺は暗闇の中にいた。



暗闇の中でたゆたっている。
ここはどこだろう?躰がふわふわと浮いているようで、まるで自分がここにいないような…。俺は何故ここに居るんだろう。
『桜内くん…』
誰?
振り返るとそこには…見慣れた姿。小さな手…俺の胸ほどの背丈の少女…。
「出海…?」
光に包まれて少女の顔はよく見えない。でも確かに聞こえる。彼女の声が
「出海?出海!」
でも、俺が手を伸ばせばその光は遠くへ、遠くへと霞んでいった。
「出海?出海!」
呼べど、返事はない。そのまま俺は光を失っていく―――・・・。

――3/8 木曜日――
「出海ぃーっ!」
がばぁぁ!
「おぅおぁぁぁっ!!」
ガチャーンー!!ボタボタボタ…
「あーちゃちゃちゃちゃ!!!」
あれ…ここは?
「ここは…誰?私はどこ?」
「バカヤロー!」
「え?藤原?」
するとここは藤原の家?当の藤原は…なにやら茶を浴びているらしい。変わった趣味だ。
「テメェ、人が折角目を覚ましそうだと思って茶を煎れたってのに、恩を仇で返しやがって!」
別に俺は藤原に茶汲みを頼んだ覚えはないが…。
「俺は…一体?」
「お前、スタジオで倒れたんだよ」
「あ…」
「ったく、しっかりしろよ。お前担ぎ込むのもラクじゃなかったぜ。」
「………。」
「…悪い夢を見たのか?」
「…いや」
夢?確かに見たような覚えがあった。だけど思い出そうとすると
「うっ」
頭が痛くて…。思い出せそうになかった。
「そうか…」
藤原はそれ以上何も聞いてこなかった。
「お前…ムリすんなよな。」
「俺は…大丈夫だ。」
「説得力無いぜ」
「………。」
藤原から、いつものちゃらけたイメージは完全に消え失せていた。しばらく沈黙が続き、それを藤原が破った。
「これじゃぁ、やっぱ卒業ライブは…」
「ダメだ!」
「桜内…」
「ダメだ…」
握りしめていたピック。いまでも思い出す雨の日。掴んで離さなかった…。
「じゃぁ、お前、明日学校最後だけど休めよ。」
「え…?」
「そんな体じゃ、でれるライブにもでれねーぞ!」
「藤原…わかったよ。」
「みんなには、連絡しとくからな」
「サンキュ」
「貸し1だ。それとも、チョコか?」
藤原がニカっと笑う。気持ち悪い笑みだったけど、正直、救われた。

------------------------------------------------------------


きみしょ


------------------------------------------------------------

――3/10 土曜日――
目覚めたのは昼過ぎだった。
「ち…!」
かなり疲労が溜まっていたようだ。仕方ない…といえばそうかもしれない。それとも、大切な人が死んで、歌を歌おう、なんて精神してるほうがイかれているのかもな…。どちらにせよ、俺は後戻りできない。あいつがピックのカドで示したその先。道はある。茨の上に敷かれた王道が。
俺は重い体を無理矢理起こし、ブレザーに着替え、飲まず食わずで学校へ突っ走る。急がなきゃ…。
財布とケータイをズボンに入れようとしたところで、ケータイにメールが入っているのに気付く。藤原から来たメールは、1行だけ、こう書かれていた。
―校長が時間確保してくれたぞ!―
俺は焦る気持ちをはやらせ、余計に急いだ。

「ごめん、遅れた!」
「遅いぜ!」
体育館外の脇でそいつらを見つける。変な奴らだから見つけるのは容易だった。でもそんなことよりも。なによりもソフトケースを、スティックを機材を手に待っていてくれることに、俺が来ると信じていてくれたことに、俺は涙が出そうになった。
「お前、なんてツラしてんだよ」
「今から空に歌を届けるんだろ〜?」
「お前がしっかりしなくてはどうする?」
「フッ、空から笑い声が聞こえるぞ。」
お前ら…。
「そうだ。これを校長から預かったぜ。お前が持ってろよ。」
俺は藤原から筒状のそれを受け取る。
「校長…」
「俺達にできることをやろうぜ!」
「あぁ、行こう!」
全員が揃うと、体育館の裏口へと向かった。

俺達に与えられた時間は短かった。それも当然だ。落選したところを校長が無理矢理権力を行使したといえど、無闇に伸ばせる時間ではない。生徒達も俺達の存在に気付いていないかも知れない。それに、おじさんたちも…。だから俺達はいかに素早くセッティングし、注目を集め演奏をするかを考えていた。
「でもどうすれば…」
答えは行き詰まる。そんなことをしている内に出番は迫る。どうすればいい。
ふと、舞台袖を覗いてみた。舞台では意気揚々とバンドが館内を盛り上げている。…ヘタクソだなこれじゃPAも…ん?あのPAって…。
「お、おい桜内どこ行くんだよ!?」
俺は談義を抜け出してPAの元へと向かった。
「あ、あの」
「ん?…いま仕事中だから…って君は、桜内くんだっけ?」
「あ、はい。ピアノを弾いた…。覚えてますか?」
「あぁ、覚えてるよ。あんなことやったのは君ぐらいだからね。それで?そんなに血相変えてどうしたの?」
「あの、あのときの俺のピアノのイコライジング覚えてますか!?」
「え、あぁ、覚えてるよ。それが…」
「俺達、シークレットなんです。ゲリラでゴリラなライブなんです!」
俺は落ち着きが無く、もう自分で何を言ってるか分からない。
「ちょ、ちょっと落ち着けって。どうしたんだよ」
「あの、俺達、最後なんですけど、その前のバンドが終わったらすぐピアノの音拾って流せますか!?」
「ぇ、あぁ、マイクスタンドでも予めピアノにたてときゃできるんじゃねぇか?」
「!!…お願いします!、どうしても…やりたいんです。俺がピアノ弾いてる内にあいつらの音を…」
ちら、と舞台裏を見る。PAはだいたい状況を握して言った。
「わかった。安心しな、きっちりやってやるよ。おぃ、村山!」
「はーぃ!」
「マイクスタンドにマイク挿してピアノんとこ突っ立てといて。あと二つライブ終わったらマイク、ミキサーに繋いで。」
「わかりました」
そしてPAは何も言わずに俺にウィンクだけして見せた。



「あー、今年も終わったなー」
「今年のライブレベル高かったよねー」
最後のバンドが演奏を終えると皆思いを口々に席を動き出す。そのとき
―――今だ!
PAが睨むようなアイコンタクトを送ってくる!
ガラガラガラガラ!俺とPAのアシスタントさん達でピアノ及びマイクを取り出す。それだけで何事かと館内の生徒達や親御さん達はステージを見るが、それだけではまだだ。俺はスツールにどかっと腰を下ろすと2度目となる、体育館のグランドピアノの蓋を開き、布を投げ捨て、コードを叩く。叩く最初のコードはDメジャー!さっきまでお前らが聞いてた曲だ!
館内にピアノの音が流れ、「あれ終わったはずなのに…」とみなステージを見やる。
「あれ…この曲さっき式で…」
「パッヘルベルのカノン…!!」
館内がざわつき出す。この選曲は集客効果だけじゃない。送りたい人がいるんだ。他の誰でもない…。
そしてその背後から
ぎゅい…ギュイーン…
ぼん…ぼぉーん…
ずん…ジャーン…
ち…ち…ぱーー…
チューニングの音が館内に木霊する。相変わらず低音ブーストのヌケの悪いリバーブ。だがそれも今となっては心地良い。
「あれ、まだ終わってなかったのか?」
生徒達の動きの流れが変わる。みな、席に戻っていく。
ギュイーン、ギュイーン
ぼん…ボぉーん
つた…た…
俺は弾きながらみんなに…東野に、宇喜多に、田村に、藤原に、そしてPAに目配せをする。
―――もう大丈夫だ!
全員の目が俺の視線と交差すると、俺はカノンを終わらせてヴォーカルマイクの前へと立った。館内を見渡すと、空いた席はなかった。ただ一席を除いて。そして、体育館の後ろ…最後尾に二人はいた。出海の両親が。
俺はそれに安心すると口を開いた。

「今日、僕らのバンドはこのライブには出る予定ではありませんでした。」
(…えーなんだ?どういうことだ?ビックリか〜?)
館内がざわついた。俺は無視して続けた。
「でも、どうしてもと、僕が、僕らが出たいと頼んだのです。僕には、どうしても卒業を祝ってやりたいやつが、祝ってやらなきゃいけないやつがいるからです…」
シリアスな内容と察したのか、館内は静まりかえった。そのとき、ステージ下で教頭が動こうとするが、校長がそれを制止するのがみえた。校長…。ありがとう…。
「彼女は…交通事故でなくなりました。」
(えーなんだそれ!?あいつもしかして3-Dの桜内か!おぃ、綺堂さんのことだぞ!)
もう一度館内がざわめく。遠くで二人がきゅ、と口をきつく結んだ。
「俺のエゴかも知れない…けど!…けど、俺らのために…あいつのために…この時間をくれたことを…心から感謝しています。言い訳かも知れないけど…聞いてください。」
俺はタイトルを…ここにいるかもしれないあいつへの言い訳を呟いた。
「君と一緒だから」
-----------------------------------------------
あたたかい風が吹いた 桜の香りが頬をくすぐる
淡い色に染められた花は さようならを乗せて吹雪く

時を告げる鐘の音が やがて消えていき
始まりの別れを告げる

君が居るだけで僕は微笑んでいられた
忘れないで、また出逢えるから

夜になれば月と星が 微笑みながら闇を包んでる
薄紅のドレスを纏う 君は綺麗だろうな
 
オリオンに別れを告げて また春が訪れる
君の影だけ残して
 
君の影 遠い夢に…消える
君だけは、あぁそのままで、いつまでも笑っていて
 
君の微笑みをこの胸に忘れはしなかったよ…いつでも
 
君が居るだけで僕は微笑んでいられた
忘れないで
君と一緒だから
-----------------------------------------------
歌い終わると、アウトロの間に俺は脇に置いてあった筒を取り出した。証書入れだ。かぽっとあけて、曲の終わるタイミングを計り、中央のスタンドの前に来て、読み上げた。
「卒業証書…綺堂 出海。右は、本校普通科の過程を卒業したことをここに証する。平成19年3月10日、3-D、桜井玲司。」
ぽたり…ぽたり…
渡さなきゃいけないのに…。証書に俺の涙が染みを作っていく。あぁ、また怒られてしまうな…。疲れるけど。でもその日々が心地よかったと思い知らされる。
俺は、呼ぶ。多く呼んでやれなかったその名前を。
「卒業おめでとう…出海…!!」


Fin.