学校教育における創造性
−生きる力とは,創造的に生きること−
テレビで見た宣伝であるが,情報洪水の中で会社の人が私たちのように流され,漂っている。「助けを呼ばなくては―」で,女子社員が手を挙げると,○社コンピュータシステムの導入に映像が移り変わった。漂流場面(情報)を上手に使った説得力のあるCMである。
でも,もっと恐ろしいことは現実に起きている。そのシステムが停止したり,間違った道(操作)を示すことである。さらにはシステム(機械)が独自の知能で活動しだすことである。それは,映画「ターミネータ3」「アイロボット」が迫力あるバーチャル・リアリティで私たちに警告しているように,人類の滅亡さえも予感させる出来事である。
人類と機械・コンピュータとの戦争を描いたこの映画のように,単純な計算や漢字力,記憶力ではコンピュータには敵わない。人間は愛と英知(倫理的知性)で機械と共生していかなければならない。そして,忘れてはならないのは,人類との戦いで傷ついている地球環境の問題である。これも,同じように戦いから共生の時代に,選択の余地なく―移っている。
現在,自己(人間)と機械と自然との協調を導いてくれるシステムは完成していない。それができるのは,バランスと調整を意識した人間の創造的な生き方のみであろう。学校教育において,今後,その力をつけるのは暗記や詰め込み教育ではなく,創造的な学習体験(アートの学力)であることを確信している。
平成12年,文部科学省もこのことを十分に意識して指導要領を作成している。(平成10年12月告示)
第1章 総 則
第1 教育課程編成の一般方針
児童の人間として調和のとれた育成を目指し,地域や学校の実態及び児童の心身の発達段階や特性を十分考慮して,適切な教育課程を編成するものとする。
学校の教育活動を進めるに当たっては,各学校において,児童に生きる力をはぐくむことを目指し,創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で,自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに,基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り,個性を生かす教育の充実に努めなければならない。
狭い学力低下論や伝統的な学力観のために,この学習指導要領はすぐに改訂されようとしている。
「私たちの文明の将来―私たちの生存自体―が,私たちのつぎの世代の人々が持つ,創意豊かな想像力にかかっていることは,容易に考えられる。」(E.P.トーランス)
戦後の教育課程では,創造性の教育として以下の方向が示されている。
中央教育審議会の教育内容等小委員会審議経過報告(昭和58年11月)では,今後重視されるべき事項として,自己教育力や基礎・基本の徹底,文化の伝統の尊重とともに「個性と創造性の伸長」をあげている。
このような考えは,その後の臨時教育審議会においても検討がなされ,個性重視の原則のもとに,基礎・基本の重視,教育環境の人間化,国際化,情報化などとともに,「創造性・考える力・表現力」をあげ,これからの社会においては,知識・情報を単に獲得するだけでなく,それを適切に駆使し,自分の頭でものを考え,創造し,表現する能力がいっそう重視されなければならないとしている。中央審議会の報告に続き,ここでも個性と密接なかかわりあるものとして扱っている。つまり,個性が生かされてこそ創造性が育つという考えである。そこには,創造性豊かな国民の育成を図るための,人間性重視の方向が感じられる。疎外されつつある人間性の回復として,ここではマズロー(Maslow,A.H.)の言う,「自己実現の創造性」(self
actualizing creativeness)が個性と対になってあげられているようだ。
次の教育課程審議会の答申(昭和62年12月)では,あえて創造性という文言を使わず,「@自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を重視すること。A国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視し,個性を生かす教育の充実を図ること」としている。そこで,平成3年の学習指導要領では,その趣意を生かすために,各教科の評価の観点第1には自発的創造能力ともいえる,「関心・意欲・態度」があげられた。
創造性研究の恩田彰氏によると,創造性とは「新しい価値あるもの,あるいは創り出す能力すなわち創造力,およびそれを基礎づける人格特性すなわち創造的人格である」と定義している。つまり,創造性とは,新しい考えや新しいものを創り出すことであると同時に,その能力および態度ということになろう。
しかし,従来から言われているように,創造活動以外には教育現場において,アイディアの新しさや独創性を子ども達に求めることは難しい課題であった。そのため,学校における創造性の研究は個別変化を除き,あまり進展が見られなかった。
この答申で述べられていることは,まず自ら学ぼうとする「意欲の創造性」である。これは,マズロー(Maslow,A.H.)の言う限られた「特別な才能の創造性」(special
talent creativeness)とは異なり,「内発的学習意欲」とか「やる気」とも呼ばれ,積極的な姿勢,創意工夫する創造的な態度(創造的意志)としてとらえることができる。
このように,創造活動の過程の機能を左右する要因を指して創造性ということもある。これは,次の創造的思考力につながる大事な過程である。
この答申では,21世紀に向けて国際化や情報化などの「変化の対応」に力を入れている。それが社会の変化に主体的に対応できる能力の育成である。つまり,自己学習力として,方向性が見えにくいこれからの社会に対して,生きていく上で必要な判断力とか思考力,表現力といった能力を伸ばすことが重点になった。ここで初めて「社会への対応する力」として,資質や能力としてとらえられる「創造性」が登場してくる。
「民主主義国家は,諸問題を解決する場合に,知的で創造力豊かな方法を用ち得ない時にのみ崩壊する」(E.P.トーランス)
それは,以前の個性重視や自己実現という内面的な傾向から,創造的な適応学習として,客観的にとらえやすい創造性である。そこでは,新しい場面における社会と自己のバランスや調整が求められる。言うまでもなく,世界平和を視野に入れた自立と共存の調和のためには,異なるものに対する理解と許容の態度(共生の感覚)をもつことが必要である。その意味では,恩田氏の言う,豊かな創造的人格がこの創造性では大切な要素になっている。
明治14(1881)年,「小学校教則綱領」・「中学校教則大領」の制定で小学校の中等科,高等科に図画が置かれて以来,図画工作科では,創造活動を通して創造性を養ってきた。
ローウェンフェルドが言うように「創造性がどこで発揮されようとも,人々がいっそう創造的になるように創作過程を利用することが美術教育の目的である」(『美術による人間形成』)
この教科は技巧としての作品だけではなく,従来から過程としての創造的な表現を重視してきた。さらには,ハーバート・リードによれば,芸術は教育の基礎として,世界平和を願い民主主義社会を創る基盤になるものである。(芸術における教育)
その社会に対応する創造性とは,トーランスの言う知的な創造論というよりは,社会的意識と個人の独自性との調整・秩序を図る感覚の教育(審美教育)であろう。
しかし,2人の根底にある思想は,子どもは生まれながらにして,創造的な潜在能力を持っているということである。
創造性の父と言われるE・ポール・トーランスは次のように述べている。「私の研究は,人間の精神とその働きをよく理解することによって,あらゆる子どもに対して,成長する機会,つまり,その創造的潜在能力を達成させる教育を与えることができるであろうという大きな希望が動機となっている」
新しい教育課程の改善の基本的視点は,「 完全学校週5日制の下で,各学校がゆとりのある教育活動を展開し,子どもたちに『生きる力』をはぐくむ」ことである。
「生きること,それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。わたしの手を離れるとき,かれらはたしかに,役人でも軍人でも僧侶でもないだろう。かれらはなによりも,まず人間だろう。」(今野一雄訳ルソー『エミール』岩波書店)
削減された時間数は創造的な学習方法で補い,「生きる力」の基本である新しい社会に対応した力をつけようとしている。その4つの改善の基本的視点を見てみよう。
1.豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚の育成を重視する。
他人を思いやる心,豊かな感性,ボランティア精神,正義・公正を重んじる心,社会生活上のルールや基本的モラルなどの倫理観の育成を重視するとともに,我が国の歴史や文化・伝統に対する理解と愛情を深め,異文化の理解と国際協調の精神を培う。
「他人を思いやる心」や基本的なモラルと創造性とは無関係だろうか?ハーバート・リードは人間の存在を脅かす個々の破壊衝動と社会のゆがみを,秩序を求める個々の「創造的意志」と民主主義の観念の導入によってくいとめようとした。
まさに,創造−つくること−が美なのではない。爆弾やコンピュータウイルスなど社会生活のルールを忘れた創造物が蔓延っている。これらを,創造性と呼べるのだろうか?もちろん,呼ぶことはできない。それは「新しい価値あるもの」ではないからである。
即ち,創造性には人間性や社会性を指向する価値を含んでいるものと定義したい。このみんなの幸せをハーバート・リードのように,「美」と置き換えてもいいだろう。この観点が,今までの創造性教育にはなかった。そして,これが1番大切な創造的人格(社会的創造性)なのである。つまり,自己実現も,新しさも,人間らしさを超えてはいけないのである。
2.多くの知識を一方的に教え込む教育を転換し,子どもたちが自ら学び自ら考える力を育成する。
知的好奇心・探究心をもって自ら学ぶ意欲を身に付けるとともに,論理的な思考力や判断力,表現力,問題解決能力を育成し,創造性の基礎を培い,社会の変化に主体的に対応し行動できるようにする。
ここでは,創造的な学習方法によって自ら学び自ら考えるような創造性を養うことを唱えている。
「創造性が高い子どもは,権威によってよりも,創造的に学習する方がうまくやれるのである。彼らはものを操作したり,探求する活動に専念しがちであるが,そのようなことは,たいてい喜ばれもせず,禁止されることもある。そのような子どもは学習や思考を楽しんでいるのだが,これが人にはまじめな仕事ではなく,遊びに見えるのである」(『創造性の教育』より)
ここで,新しく創設された「総合的な学習の時間」のねらいを見てみよう。
第3 総合的な学習の時間の取扱い
1 総合的な学習の時間においては,各学校は,地域や学校,児童の実態等に応じて,横断的・総合的な学習や(環境や情報,福祉などの社会的創造性)児童の興味・関心等に基づく学習など(自己実現の創造性)創意工夫を生かした教育活動(各学校の創造性)を行うものとする。
2 総合的な学習の時間においては,次のようなねらいをもって指導を行うものとする。
(1)自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
この(1)のねらいは,「自発的創造性」を起点として,社会に対応する課題解決力を目指す「社会的創造性」である。
(2)学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的に取り組む態度を育て,自己の生き方を考えることができるようにすること。
次に(2)のねらいは,「創造的な学習方法」を習得して,「創造的態度」を身につけ,自分らしい生き方を目指す「自己実現の創造性」である。
つまり,「総合的な学習の時間」とは,創造性を育成する学習ととらえることができる。
「わたしたちについて学ぶ最初の哲学の先生は,わたしたちの足,わたしたちの手,わたしたちの目なのだ。そういうもののかわりに書物をもってくるのは,わたしたちに推論を教えることにはならない。それは,他人の理性をもちいることを教える。たくさんのことを信じさせるが,いつまでたってもなに一つ知ることを教えない。」(今野一雄訳ルソー『エミール』岩波書店)
3.ゆとりのある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実する。
社会生活を営む上で必要な基礎的・基本的な内容に教育内容を厳選するとともに,厳選された内容については確実な定着を図る。一人一人の個性を生かす教育を充実し,中学校・高等学校で学習の選択幅の拡大を図る。
基礎・基本の定着と創造性は両立して,児童に生きる力の育成を図るものである。ただ基礎・基本の習得は従来のような単純な繰り返しドリル学習から,例えば算数の100マス計算のように,創造的な学習方法が採用されているようである。しかし,このようなテスト学力だけで,個人や学校を正当に判断することはできない。
「私たちは創造的思考能力が,情報や種々の教育的技能を獲得するのに重要な貢献をすることを明らかにしつつある。最近の実験では,権威によって教えられよりも,創造的に学習する方が,多くのことがらをより経済的に学習すること,また人によっては,創造的に学習することを強く好むことが分かった」(『創造性の教育』より)
4.各学校が創意工夫を生かし特色ある教育,特色ある学校づくりを進める。
教科の内容を2学年まとめて示したり,創意工夫を生かした時間割編成を可能とするなど教育課程の基準の大綱化・弾力化を図り,各学校が地域や幼児児童生徒の実態に応じ創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開し,特色ある学校づくりを進める。
学校に「ゆとり」が求められた時代はよかった。今回は創意工夫を生かし特色ある教育,特色ある学校ということが望まれている。すべての学校や先生に創造性があるか,ないかが評価されようとしている。
しかし,思わぬ抜け道があった。算数や国語(英語)などの限られた教科でのテスト学力が優れているという学校の特色である。広島県などの小学校では,問題や県内(市内)での偏差値などをホームページ上で公開している。
文部科学省の意向に反して,社会では学力低下が懸念され,特色ある教育や「総合的な学習の時間」は軽視されようとしている。一方では,少年犯罪や凶悪犯罪は飛躍的に増加して,反社会的な行動が社会を賑わしている。
学校、家庭、地域の新生〜学校が良くなる、教育が変わる〜
一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む人間を育成する |
創造性に富む人間について,具体的な記述は見つからない。
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シンプソン(Simpson,1922)は創造的能力を”自発性”と定義したが,それは,通常の思考経路からはずれて,全くそれと異なった思考の型に入っていく時に,彼が自分の力で示すものだといっている。彼は所在をつきとめる問題に関して,探求し,混乱をかきわけ,総合する精神が求められているといっている。
この総合する精神とは,生きる力としての創造性といえるものだと思う。"Creativity For Life" 創造的な人生こそが教育の目的であろう。最後に今まで述べた創造性について表にまとめてみたい。より,多くの情報をいただき,創造性の教育が広まることを願っている。
19 August, 2003
Written by Makio Kawashima
Updated 2/13/2006
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<参考文献>
創造性の構造『創造性の教育』発明協会
E.P.トーランス著(佐藤三郎訳)『創造性の教育』誠信書房,1980
H.リード著(植村鷹千代訳)『芸術による教育』美術出版社,1953
教職研修総合特集『創造性教育読本』教育開発研究所,1988
佐々有生編『図画工作・美術科教育の理論と実践』現代教育社,2000
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