辞書でPocahontasと引いてみると、「John
Smithを救ったアメリカインディアンの女性」と出てくる。 そのくらい、実在のポカホンタスはスミスとのエピソードによって、現在知られている。
けれども、実はこのエピソード、真偽の程はよくわかっていないらしい。というのも、この話の裏付けとなるものが、スミス自身の手記以外存在しない上、その手記はどうも信憑性に欠けると言われているからだ。 Then as many as could laid hands on him, dragged him to them, and thereon laid his head, and being ready with their clubs to beat out his brains, Pocahontas, the King's dearest daughter, when no entreaty could prevail, got his head in her arms and laid her own upon his to save him from death, ... (The General History of Virginia, 1624年) (彼(スミス)は、横たえられ、彼等の棍棒で頭を砕かれようとしていた。そのとき、王の愛しい娘であるポカホンタスは、どう懇願しても空しいと察すると、彼の頭を両腕でかき抱き、死から彼の命を救おうと自分の頭を彼の頭にかさねた。) で、何が問題になっているかというと、このエピソードの書かれた時期である。スミスは1608年からいくつかの手記を発表しているものの、1607年に起こったはずのポカホンタスとのこのエピソードが記されるようになるのは、ポカホンタスがイギリスに渡って社交界で一躍有名人となった後の1622年以降のみなのだ。1622年には、彼女や夫のジョン・ロルフといった関係者はほとんど亡くなってしまっているし、そうなってくると、もしかしてスミスは証人がいないのをいいことに、「俺ってあの有名なポカちゃんと特別な関係だったんだぜ、へへん」(とは言わないでしょうが…)と自慢するために作り話をしたのではないかという疑いが当然出てくる。 歴史学者や専門家にとっては、真実を追究することが大切なのだろうけど、素人目で見るなら、これだけ昔の話になるとどちらが正しいということはなく、それぞれいろんな解釈があっていいんじゃない、という感じがする。ポカとスミスのロマンスだって、人それぞれ信じたいように信じればいいんじゃないかなぁ、と。(そういう私は、ポカとココアムのロマンスを信じているし…?) いろいろな推論のあるなか、私がおもしろいな、と思ったのは、スミスを救ったのが、実はポカホンタスではなくてパウアタン首長その人だったという説。ディズニーの「ポカホンタス」を見て、スミスの処刑方法って残酷だと思った人、多いのでは。実はこれ、実際にスミスを殺す目的で行われたのではなく、ネイティブ・アメリカンの間でよく行われていた、擬似処刑という儀式だったというのだ。養子縁組をする際に、それまでの人生を一旦終えて生まれ変わるために行われた儀式。実際、スミスはこの後パウアタン首長の養子となっている。とすると、ポカホンタスのお父さんは、儀式を受ける者に新たな命を与える重要な役を娘に担わせたということになり、その後のポカホンタスの人生に少なからず影響を与えたであろうこの選択は、とても興味深いものに思われてくるのだ。もしかしたら、お父さんは娘が幼い頃から、部族の未来を背負う素質があるのを見込んでいたのかも。 いずれにしても、ロマンスのあるなしに関わらず見逃せないのは、ポカホンタスがスミスによって書かれた対象としてしか、その姿を残していないという点だろう。残念ながら、スミスとのロマンスだけでなく、その他のいろいろなことに関しても、私たちは「彼女が」どのように見て、考えていたのか知ることはできないのだ。だからこそ、ポカホンタスはこれほど有名な女性でありながら、スミスを救った、という役割でしか認識されていないわけで。そういうことを考えた時、ポカホンタスを完全に「主体」として扱ったディズニー映画の意義も、改めて感じられると思う。
スミスが怪我の治療のため(原因は火薬の事故だったらしい)アメリカを去った4年後、ポカホンタスは、イギリス人側に捕らえられ、ジェームスタウンに連れて行かれる。レベッカという洗礼名をつけられた彼女は、そこで出会ったジョン・ロルフと結婚、息子トーマスを出産し、一家はロンドンへ。ポカホンタスは一躍社交界の花となるが、そこで病に倒れ、再び故郷に戻ることはなかった…。 これが、その後のポカホンタスの人生の概略である。こうしてみると、彼女は時代に翻弄され、男に利用された悲劇のヒロインと呼ばれるに相応しい女性のような気がしてくる。だけど…本当に、そう?考えてみてほしい。現実の状況に押されてとはいえ、言葉も通じない、考え方もまったく違う人々と第一線で交流した女性が、何も考えずにただ社会に流され利用されていたといえるのか? 当時、十数人の部族の人々に付き添われていたとはいえ(ちなみに、この中の一人がディズニーの「ポカホンタス2」でさんざん道化役にされたウトマトマッキン Uttamatomakkinである。実際の彼は、ポカホンタスの姉の夫であり、パウアタン首長の相談役という重要人物だった)、故郷からあまりにも遠く離れた未知の世界イギリスへ赴き、しかも敵意に溢れた社会に入っていく、ということは、今の私たちには想像もできないくらい勇気の要る行為であったにちがいない。自分と同じくらいの年の女の子が、まったく知らない土地の社交界にたった一人で挑んだことを考えると、私はそれだけでも深い感銘を受けてしまう。ポカホンタス。きっとものすごく意志の強い、自由な精神の女性だったことだろう。 繰り返しになるが、私たちがポカホンタスの生の声を聞くことは残念ながら絶対にない。だから、彼女がいったい何を考えて生きていたのかは、誰にも断定することができないのだ。史実といわれるポカホンタス像だって、他者の手によって勝手に作られたものにすぎないのかもしれない。しかし、だからこそ、現在の視点から様々に解釈することが可能なのであり、重要なのだという気がする。時代が変わり、価値観が変われば歴史観も変わる。ディズニーアニメーションが“別の立場から見た歴史”を示そうと試みたように、もはや伝説となったポカホンタスというヒロイン像にも、新たな評価が示される時が来たように思うのだ。 ◆参考文献◆ J. A. Leo Lemay, Did
Pocahontas Save Captain John Smith? (U of Georgia P, 1992) Helen C. Rountree, Pocahontas's
People (U of Oklahoma P, 1990)
|
|
Back to
Movie Archives, Columns
|
|
D's Stories
Home
|