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夜景



この地上で、最も繁栄を極めた都市。完全なる崩壊を殺戮で彩り、完膚無きまでに
破壊されながら、その灰燼(かいじん)の中から必ず甦り、その度に、より一層の魅惑を
たたえた都市として人心を惑わす、魔性の都市。そしてまた、幾度目からかの
カタストロフから復興し、これまで以上の凄絶な美しさを身にまとうようになった今、
失われた星の光の代わりに、夜の天空に君臨する超高層建築の煌(きら)めきが、
巨大な誘蛾灯となり、残酷な美しさは人々を惹き寄せ、魅了して止まぬ。
その象徴――“空中庭園”。その完成された美は、崩壊を畏怖する心を育て、
その一方で人々を破滅へと誘(いざな)い、飽くことなき因業を繰り返させる。

「――失礼いたします」
最上階の、最も美しい眺望を独占する長官室に足を踏み入れた青年は、
凛とした表情の中にも、憔悴の色が濃く滲んでいた。
まばゆいばかりの夜景を背にした最高指導者の一人、洗智長官は、荘重感あるデスクより
立ち上がり、青年の方へと歩み出た。冷静な覚悟が見て取れる青年の前に立ち止まり、
真っ直ぐに見上げた彼を、わずかに斜めから見据えると、おもむろに彼の頬に、
鋭い平手打ちを食らわせた。
撲たれた青年は身じろぎもせず、唇を固く結び、更なる打擲をも迎える体勢を崩さなかった。
……が、洗智はそのまま背を向けると、夜景の広がる硝子の壁まで歩いた。
「五日間の独房は、おまえのような純粋培養には随分こたえただろう。それでも破格の待遇
 だったということを忘れるな。おまえの失態が明るみに出れば、私にとっても好ましくない事態
  となるから、一切を秘密裏に取りはからい、おまえの党員からの除名どころか降格も差し止め、
 独房入りという処分にした。国家反逆罪で極刑とは行かなくとも、数年の懲役を科せられて
  当然だったことは、分かっているな」
「お返しする言葉も」
「あるものか! 摩耶を取り逃がし、“タワー”のシステムは引っかき回され、しかも局員を
 次々に血祭りに上げたのは、おまえが奪われた銃だった! あの時、昂揚して
 充分な注意を与えなかった私にも落ち度はあるとしても、直接的にはおまえの不始末だ。
 内通者が複数いたとはいえ……この始末、どうやってつけるつもりだ。考えはあるのか」
その背中からほとばしる威圧感にも屈せず、尚も青年は背を正した。
そして、静かに、しかしはっきりとした口調で、洗智に向けて言った。
「“摩耶”は、必ず捕縛します。今度は、自分のこの手で」
――その言葉に、洗智はしばらく沈黙したままだった。
もし、それが以前の青年の口から放たれた言葉であったのなら、それは現実感の無い
戯言(たわごと)としか受け取られなかったことだろう。が、振り返ると、そこにあったのは、
以前の何処か優しげな穏やかさが消え去り、その代わりに、目的を完遂しようとする
強い『意志』により、能動的な攻撃性すら秘めた冷静さを備えた、堅固な青年の姿だった。
「自分で負った恥辱は、自分でぬぐいます」
「何を言っているかは、分かっているようだな」
「心得ています」
確認の眼差しが交わされ、洗智は軽くうなずいた。手を後ろにしたまま溜息をつくと、
ゆっくりと数歩を歩いた。
「この度の事件は、摩耶と、それに荷担した内通者によって、七名の死者を出すという
 惨事になった。その中で……何故おまえだけが無傷だったのか。他の者達は皆、
 至近距離で急所にぶち込まれている。即死だ。――摩耶は所詮、何の特殊訓練を
 受けたわけでもないゲリラだ。腕力も、闘う技術もない。それでも、頭に銃口を押しつけて
 撃てば、外すことはない。……神経さえ太ければな。あの女の恐ろしさは、その図太さだ。
 弾も、ほとんど無駄にしていない。その無謀で冷酷なテロリストが何故、一番初めに殺して
 当然の状況にあったおまえを見逃したんだ? おまえが待機させていた武官も二人も、
 一撃で殺られた」
それが、一番の謎であったに違いない。事件の後、数日間の間、独房に身を置いた征騎の
 思考をも巡り続けた謎。
「おそらく……『挑発』であったのだと思います」
「……どういうことだ」
青年は、瞳を真っ直ぐに見据えたまま。
「摩耶には、闘いを終わらせるヴィジョンは存在しません。もっと即時的に、闘っている
 『今現在』という、ごく限られた時間の中にしか、自分の存在意義(レーゾン・デートル)
 見いだしてはいないのです」
彼は、眉をひそめた洗智に向かって、そのまま続ける。
「以前、こんな分析を読んだことがあります。女性テロリストが、その数の希少さににも関わらず、
 その活動の激烈さ、発揮される残忍性において突出した存在として知られているのは、
 その『想像性の欠如』からであると。つまり、引き金を引いた後にどうなるか……
 などということを、逐一深く考えることが無いからだ……と」
「摩耶も、そうだというのか」
「若干違うとは思います。しかし摩耶は、我々の闘いがこの先も続くことを前提に、
 自分を挑発してきたように感じます。どうしたら勝利を収められるか。そういった観点で
 思考していたなら、自分を生かしておくなどということは、しなかったでしょう。
 ――どのみち推測ですから、はっきりとしたことは言えませんが。……反体制分子の制圧
 には、これまで以上に、連中の活動に対する心理分析研究の必要があると思います」
洗智は黙って彼の言葉に耳を傾けていたが、それが一段落すると、無言のままツカツカと
歩み寄り、再び彼の目の前で止まった。
「……確かに、おまえは取り返しのつかない大失態をやらかした。が、同時におまえは、
 摩耶と密接に遭遇しながらも生き延びた、貴重な体験をした存在ともなった。
 ――叩かれて、根性も入れ替わった様子だ。期待してるぞ。……もう、帰って良い」
征騎は、きっちり頭を下げると、至上の夜景にも、しばしの別れを告げた。
「征騎」
出て行こうとする彼を、もう一度呼び戻す声。彼は、ゆっくりと振り返った。
迷いのない眼が、洗智に向く。
「……これまでのおまえは、実直だが、定石の上を踏むだけだった。今は自分の意志で
 歩く方向を見つけたらしいな。――この都市を、あらゆる混乱、無秩序から護ることが、
 我々の使命だ。この“空中庭園”に代表される、地上で最も美しい、繁栄を誇る都市……。
 流された血は皆、一滴残らず、この都市のために費やされなければならない。
 そうやって、何世紀もの間、この都市は危機を乗り越えてきた。分かるな? 
 きれい事では済まされない現実にも、時には対峙しなければならないこともある。
 特に、この場所に身を置く我々は、そのために選ばれ、ここに居るのだ」
「――はい」
洗智征騎は、長官であるおじの右目を見つめて応えた。
おそらくは、おじもまた、確かに保持している『理由』の存在を感じながら。

今なら、答えることができる。何故、自分がここにいるのか。おそらくは、闘いを介してしか
巡り逢うことのできなかったであろう“摩耶”――彼女と、再び相見(まみ)えるために。
“空中庭園”の灯が消えぬ限り、闘いもまた、続く。そうすれば、自分と彼女は、
いつか闘いの場で、再び出会うに違いない。その時まで……殺し合うためではなく、
巡り逢うために、戦い続ける。あの、菩薩とも、夜叉ともつかぬ女が、ただ一人の男のために、
自らの、そしてすべての破滅を予見しながらも、突き進むほか、終結させることはできない
闘いに、死ぬのではなく、同じく生きるために。
そして、おそらくは彼自身もが潜在的に探し求める、文明の最終発展形――
『終止符』にたどり着くまで。










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