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その後、ずっと手伝ってくれた葉月のお陰で、基からプレゼントされた“メンドウ”は、
ほどなく片づいた。
「――あ……基だ、もといーっ!」
葉月が、てくてく歩いている基を見付け、手を振った。英二は無意識に、持っていたノートを
すっと下に下げた。
「何だ葉月、英二と一緒か」
「まったく、何が忙しいのよ。自分のポイント稼ぎに芦名君使ったりして。女の子紹介してあげる
 とか、お礼してるの? してないんでしょ」
「いーんだって、オレと英二のこったから。オンナにゃー分からん、オットコ同志の友情さ」
「……基、できたよ」
「お、サーンキュ! 早いじゃねぇ」
英二が、取って付けたようにノートを渡すと、基は書いてあるものも確かめもせずに、丸めてしまう。
「葉月が手伝ってくれたから。助かったよ」
「そうかそうか。おし! じゃ、葉月を一週間、貸してやろう」
「それで自分は一週間ヨロシクやろうって魂胆ね?」
見抜いたように葉月が唇をとがらせる。
「いや、ホントに忙しくなんだよ。明日からヨット部で出かけんだ」
「そんなの聞いてないわ。サボりも程ほどにしなさいよー、もうっ。知らないわよ」
「なーにスネてんだよ。オトコばっかだから、妬くだけソンだぜ、えっ」
「誰が妬くのよ、バカ」
「良いって、今夜付き合うからさ……」
調子の良いことを言って、基は彼女の肩を抱き寄せる。
「でも、私は芦名君にレンタルなんでしょう?」
「それは、明日から。今夜はオレの。じゃな、英二!」
「……あぁ。気ぃ付けて行ってこいな」
もう聞いていないだろうなと思いつつ、呟く。「もう、勝手なんだから……」と、遠ざかる葉月の
呆れた声が、英二の耳にも届いた。
英二は、自分が書き留めた葉月の言葉が、あまりにも素っ気なく基の手に渡ってしまった
ことを思うと、少し後悔した。それと、幾らかの寂しさと。彼女の言葉だけは、そっと自分の
胸の内に収めておきたかった。「その他大勢」の中の一つとして、機械的に処理されるには、
惜しすぎる気がして。自分のお人好しを後悔したのは、生まれて初めてのことだった。


その週末は、大学の寮祭があり、レポートをギリギリで仕上げた英二は、やはりひとに頼まれて
パーティーへ出向いた。付き合いだけで来たから、フロアはダンパをやっていても、壁の花。
顔は出したから、もう帰ろうかと思うと人に捕まり、ズルズル。何処までも貧乏くじな奴。
女の子と話していれば、チークタイムになって、他の奴がかっさらう。そして、かれこれ四回目。
――おし、ここで帰るぞ! と気合いを入れた時。
突然、誰かの細い腕が、するりと彼の腕を取る。えっ、と振り返ると、葉月が笑っていた。
「まぁった、お人好し男が大ボケかまして。来る時は、相手くらい連れてきなさいよ、
 断れないなら」
何かを言う前に、ぐいと手を引かれて、ダンスホール。柔らかな腕が、彼の首筋まで届く。
「葉月、君は……」
「忘れたの? 私はあなたの、レンタル・ラヴァーよ」
悪戯な瞳で笑って、そっと寄り添う。ふと頬に触れる髪が、風を送る。そんな笑顔で、
見つめないでほしい。密かに、英二は祈った。戸惑い隠すには、二人の距離が近すぎる。
「葉月ぃ、どーしたのよう! 基は?」
友人の女子寮生が、彼氏の肩越しに手を振ってくると、葉月は微笑み、ピタリと英二に
頬を付けて。
「知らないわ、そんな男」
リアルな言葉に、周囲がざわめく。
「よー、芦名! 基からカノジョ盗っちまったのか?」
「ヤボなこというもんじゃないわよ、コウジ君」
英二の戸惑いを余所に、葉月は無邪気な笑み。
「葉月……」
何か言い出そうとする時には、決まってできなくなる。
葉月は、英二のジーンズに付けられたキーホルダーに手を回し、サッと取ると、
チラチラと目の前にかざした。
「行こう、英二。二人で」
そして、スッと離れると、ざわめきの渦など存在しないかのように、外へ流れ出した。
何をどうすれば良いのか、彼には分からなかった。今は、すっかり葉月に振り回され、
惑わされている。その困惑も、決して不快なものではなく、彼女に魅せられたまま、
その鮮やかな残像の軌跡に遅れぬように、後をついていった。

「あーっ、外の方が気持ち良いっ……」
英二の車まで来ると、葉月は、走って乱れた息を整えるのに、背伸びと深呼吸をした。
そして、肩で息をつく英二を横目に、そよぐ風に、髪を洗わせる。その姿が、とてもキレイで、
見とれずにはいられない。
「……どういうつもりなんだ、葉月」
途方に暮れた英二は、彼女に応えを求めた。友人のカノジョのはずの彼女。見つめるだけ
でもスリリングな夜に、何を思ってか自分の手を引き、迷いへと道案内。
その彼女は、はぁっと、溜息のように笑った。あの、簡単には手に入ってほしくはないと
思えるほどの、素敵な笑みで。今夜、彼女の指には、指輪は無かった。
「行こうって、言ったでしょう?」
「何処へ……」
「連れてって。――海へ。去年、三人で行った、八月のあの海。……今度は、二人で行こうよ」
そう言って彼女は、キィを彼の目の前にぶら下げた。まるで、催眠術のコインのように、
彼の目前で揺れていた。心と同じく……彼女の魔法の中に、誘われていた。

――行こうよ……

葉月が言う。英二は、そっと手を伸ばした。キィ・ワードは、「八月」と「あの海」と。
後は、もう手に取るだけ。キィと、そして彼女の手と。一緒に、彼女まで引き寄せられる。
あの、悪戯な笑みが、彼に向く。どうでも良いと思うのなら、そんな笑みで見つめて
ほしくはなかった。けれど、本気なら……

その先を考えるのは、少し後。葉月が、基の「彼女」だということも、今は関係なかった。
今は、初めてのキスに出会っていたし……
取りあえず来週までは、自分の側にいてくれそうだから。










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