「大佐、ホークアイ中尉です。入ります」
執務室をノックしても返事がないので、リザ・ホークアイ中尉は断ってから扉を開けた。
仕事を片づけてくれるように頼んだデッドラインは、午後六時。だが、彼女はいつも、
時間ピッタリには、やってこない。大体、10分程度は猶予をもって、そのドアを叩く。
「大佐?」
返事はない。当のロイ・マスタング大佐の姿はというと……デスクの向こうの革張りの椅子は
背を向けられ、窓側を向いていた。ホークアイは、そのまま無言でデスクまで歩み寄る。
頼んであった書類は、みなデスクの上に綺麗に重ねられている様子が見て取れた。
返事がないことから、大方の予想はついていたが……彼女が椅子の横まで歩み寄ると、
“焔の錬金術師”は、専用の椅子に身を預け、くーっと眠っていた。
昨夜は、夜勤ではなかったものの、今朝一番までに処理しなければならない案件が複数あり、
随分と遅くまでかかってしまった。そんな日に限って、午後出にしようにも、動かしようのない会議が
朝から入っており、その後にも更にデスクワークが、嫌がらせかというほどに山積み。
そんな状況だったから、彼女は黙って、その場で彼が仕上げた書類のチェックを始めた。
何度か合間に取りに来ては処理しているので、残っているのは朝からやった分のうち、
ほんの一部だから、さして時間はかからない。
一通り目を通すと、ふとマスタングの方に目をやる。相変わらず、くーっと寝ている。
何て、無防備な。
ホークアイは思わず、くすっと笑った。
窓からは茜色の夕陽が差し込み、彼の面差しを照らしていた。
もう陽も落ちる。ホークアイはスッと背を伸ばすと、窓に向かって歩み寄り、ゆっくりとカーテンを引いた。
片側を引き終わると、更に歩みを進め、反対側のカーテンも、真ん中まで引いた。
――と、その時。
「……きゃっ!」
ガクン、と腰を引かれて、そのまま後ろに倒れる。
「大佐……!」
「捕まえたよ、中尉」
首を後ろにひねると、にっこり笑う男の顔に出会う。
ホークアイは厳しい顔つきで、
「いつ起きられたんですか」
「今。――ふと目を開けたら、何とも良い具合に、魅力的かつ無防備な中尉の後ろ姿が
目の前にあったもので」
「だからって……」
さっきまで“無防備に寝ている”と笑っていたのは、コチラだったのに。彼女は男の膝の上から
立ち上がろうとするが、マスタングの両手が、しっかりとその細い腰を抱きかかえている。
「放してください」
「ダメだ」
「どうしてですか」
「こうして英気を養う」
そう言うと彼は、彼女の背中にギュッと顔を押しつけた。
「……何だ、妙に大人しいな」
彼女が抵抗しないので、それも面白くないのか、横から顔を覗かせる。
駄々っ子になっている時の男は、何を言ってもしょうがないと分かっているのか、
ホークアイは溜息をついた。
「非常に頑張っていただいたのは認めますから。それ以上の“おいた”を、なさらないのであれば」
ヘンなことしたら撃ちますよ――と、言外に含んだ物言いに、マスタングは、ふっと笑った。
「君に認めてもらえるのは、何より嬉しいよ。……中尉、今日」
「だめです」
「――まだ言い終わっていないのだが」
速攻の却下に、男の口元が引きつる。
「今週一杯は、大佐も私も余裕はありません」
「私はもう、今日は終わって良いハズだろう?」
「まだ先が長いんですから、今日はゆっくりお休みください」
「…………」
また、ぴとっと背中に彼の頭が押しつけられる。
「……大佐?」
今度は、マスタングが大人しくなってしまったことが、彼女を落ち着かなくさせた。
「今週一杯……は、困るなぁ」
「は?」
「来週は、君、始まっちゃうだろ」
きゅっ、と彼の指が軽く下腹部を押す。
「…………!」
「当たり?」
うかがうような声に、ホークアイの頬が、かっと熱くなる。
「大佐……」
この人は何を……と言うような、冷たい、やや怒ったような眼を向ける彼女。
まさか自分の手帳にでも記録してるんじゃないでしょうね、という疑いの目も混じっている。
「セクハラです。即刻、この手をお放しください」
「しょうがないだろう。何となく分かるんだから。私にも不思議なことだが」
「それがセクハラだと申し上げてるんです。大体、何が不思議なんですか……」
「ん、時々分かる時がある。何となく……匂いで」
「匂い……?」
あからさまにイヤそうな顔をした彼女に、マスタングは、
「何と言えば良いのか……いつもとは違う、甘いというか、馥郁(ふくいく)とした香りがね。
そう……まるで、花の蕾(つぼみ)がひらく前夜のような」
「バカバカしい」
――絶対ウソ、とでも言いたげな彼女の言葉。
「ホントなんだがなぁ」
「そんな話、聞いたこともありません」
ホークアイは、これ以上そんな話題をする気は無い、と言うように、向き直った。
「だが、理にかなった現象だとは思わないかね」
マスタングの右手が、彼女の手を取り、椅子の肘掛けに置いた。
「花の香は、無意味に人を誘わないものだよ」
彼女の手のひらの上に、自分のそれを重ねて。
「それに、花も――そういう時には、外界からの刺激には、敏感になる」
つ……と、中指が、中心のくぼみを撫ぜる。
ただ、それだけ。それだけなのに――
「どうした? 中尉」
彼女の体が、微かに震えたのに、男がクスッと笑う。
「別に」
抑えつけた中にも、動揺は隠しきれず。
「いい加減……放していただけませんか」
「まだ良いだろう。おかしなことをしているわけじゃなし」
確かに――彼はただ、手のひらに僅かに触れているだけ。
指一本で。くすぐるのでもなく、ゆっくりと、なぞられているだけ。
ホークアイは、ぎゅっと手を握りしめてしまいたい衝動に駆られたが、そうすれば相手の
思うつぼという気がして、できなかった。自在に焔を創りだす男の、その指先から伝わる
何処となく淫靡な感触をやり過ごすには、気付かれぬよう、そっと唇を噛むだけ。
「どうしたのかね。黙り込んで」
身を固くして、不自然なほど微動だにしない彼女に問いかける言葉は、あざといまでの白々しさ。
人差し指が、彼女の指の付け根に伸び、その間をこする。ほんの僅かの震えが隠しきれない、薬指。
そして小指との境。そこを指先がきゅっと押すと、反射的にはねた小指が、からみつく。
「あっ……」
勝手に動いてしまった指に戸惑うような、小さな声が漏れた。
きっと彼女には、それすらも不覚であったことだろう。
男は、何も言わない。いっそわざとらしく、また、「どうしたのかね」とでも聞けばいいのに。
ただ柔らかく、掌(たなごころ)を合わせ、からめた指をこすり合わせる。
まさに手のひらの上で、思うがままに遊ばれているよう。
ホークアイは、図に乗った男の所業を、忌々しく思った。
だが、そんな彼女の思惑に、いたずら心に悦に入る男が気付くはずもなく。
彼女を捕まえていたはずの左手がおろそかになった瞬間を、ホークアイは逃さなかった。
さっと彼の左手を腰から外すと、体をひねりながらその手は背後のホルスターから銃を抜き、
銃口は、けしからん上司に。
――右手は、まだ指をからめたまま。
「撃たれるほどのことは、していないと思うのだがね」
ぱっと、彼女の手を放し、降参のポーズ。だが、当然彼女が撃つはずはないという思いからか、
その表情には余裕の笑み。一方のホークアイは、無表情のまま、無言。
そのまま、数秒。
「中尉……?」
彼女が近付いたかと思うと、その右膝が、ズッと、マスタングの両膝の間を割る。
そして、指をほどかれた右手が男の前髪に伸びると、ぐいっと、やや乱暴に額の上に押し上げた。
「ちゅ……」
上向きにされたところで、更に思いがけない行為――彼女に唇を奪われる。
半分体を預けるように、しかしどちらかというと押されているのはコチラの方で。
その証拠に、ホークアイの体に右手を伸ばそうとすると、彼女の左手に握られたままの銃で、
ゴリゴリとその手を押し戻された。
何もさせてもらえず、ただ彼女のされるままにするしかない。
何故そんなことを……。
欲望を手玉に取られたような宙ぶらりんの状態に焦れながらも、だからこそ純粋に、
そこだけがお互いの優位を決める場所であると理解し、交わされるキス。
ただし、先手を奪われた――そのリーチ分を取り返すのは、容易でないと分かっていたが。
そして普段、受け身であることが多い彼女からの攻めは、そうでなくても威力抜群。
気を抜けば、めまいを起こすような熱をからみつかせる。少々の不自由と、それ以外に
求める場所のないことが、甘いというよりも、灼け付くような交歓をもたらしていた。
彼女は、先ほど自分の華奢な手が受けた蹂躙を許さぬかのように、容赦ない追随。
彼は、その深さを受けとめつつも、こちらが熱を送り返す僅かな隙を狙う。
溜息も洩らさぬよう、濃密に交わる口吻。これだけ真剣に口づけに専念するのも、
思春期の頃以来ではないかと思うほどに、それは切実に。
少し上気したのか、ふわりとホークアイの襟足あたりから、彼女の香りが匂い立ち、
マスタングの感覚を刺激した。ふうわりと、甘いような、夜の雫(しずく)を含んだ蕾のような、
涼やかな官能。迷いの中に誘い込まれるように、意識は深く、彼女の中へと回帰を望む。
もっと奥へ……――そう思った時。
惜しげもなく熱を帯びた口づけは離され、膝がスッと抜かれ。
「えっ……?」
あまりにもあっさりと、ホークアイは彼から身を引くと、左手の銃も後ろにしまった。
「――では、お疲れ様でした」
濡れた唇の周囲を、中指でなぞってぬぐう姿が、非常に艶(なま)めかしい……のに。
彼女は、デスクの上の書類を整えると、それを手に、背を向ける。
「か、帰っちゃうの?」
「私はまだ帰りませんよ。帰ってよろしいのは大佐です」
……女という生き物は、何と身軽。
感覚を遮断する能力に長けているとしか思えない。
「では、失礼いたします」
バタン。閉じられた扉。
マスタングは、くるりとデスクに向き直ると、そのままデスクの上に突っ伏した。
今現在の感覚を表すとしたら、そう……「生殺し」。
やり場のない感情をどうしたものか、ぐっと拳を握りしめるが、覇気がない。
ほんのちょっとのいたずら心のつもりが、結構マジで怒らせてしまったのかも。
彼女をこの手に捕まえたと思ったのに、とんだお門違いだった。
――もしかして……お仕置き? なのか?
そんな思いが、胸をかすめる。
花の残り香は、男の意識をとらえたまま、しばらく彼を苦しめた。
2.28.2004.
900HITの澪咲透乃さんのリク、「執務室の自分専用の革張りのお椅子にリザたんを引き込んで、
何か悪戯をやらかす大佐」――澪咲さん……相変わらずヤッてないし、エロくなくてスンマセン(笑)
少しはセクハラエロっぽくなるかと思って、ロイ&リザでなく、マスタング&ホークアイで書きやした。
真面目に、勉強のためにエロ同人誌買おうか。ちゅーしかないにしても、もっとエロくべろちゅーを!
こんなネタで良いのか、今回こそ激しくギモン……_| ̄|○