S'il vous plait, Madame 2
二人がまず通されたのは、エントランス・ホールを真っ直ぐ抜けた先にある広間。
案内をしたのはメイドだったが、ソファーで待っていると、執事然とした熟年の男性が現れた。
「ダルトン様でいらっしゃいますね。今宵は当館へ、ようこそ。執事のハリスでございます」
「本来、もっと順番を待たねばならぬ所を、特別のお計らいをいただき、誠に有り難うございます」
ロイは立ち上がりると、深々と頭を下げた。
「こちらが、マダム・オクタヴィア・シルフィム。――御主人を亡くされたお嘆きから、今もお心を
閉ざされたままなのです。その想いの深さの一部でも、私のような賛美者に注いでいただければと
願うのですが……残念ながら、私では奥様のお心を癒して差し上げることは、叶わぬようです」
「レニー、ですからわたくしは、別にこのままで構わないのです」
「ああ、オクタヴィア、私の想いを受けとめていただけないのであれば、せめてこの願いは聞き入れてください。
もしやあなたの笑顔を見られるのではないかと、わずかに繋ぐ、一縷(いちる)の望みを奪わないでいただきたい」
――何なのかしらこの人は……
仰々しくひざまづき、レースの手袋に口づける男に、リザは演技でない戸惑いを面に出した。
「エウリディス様は、必ずやお力になれることでしょう。特にマダム、あなたのように若くお美しい方が
悲しみの国におられることは、旦那様も決して良しとはしないはず。――申し訳ございませんが、ダルトン様。
旦那様は奥様とのみお会いになられますので、どうかあなたはこちらでお待ちになってください」
そこでリザはロイと引き離され、執事という男に導かれ、二階へと上がった。
人の姿は見えないが、気配から、何人かの人間が邸内にいることは伺えた。
「こちらに――旦那様がおいでになりますので、ここでお待ちください」
扉が開かれると、何だか甘い香りが彼女を包んだ。
カーテンの閉め切られた居間のような空間。だが、生活感は全くなく、中央にぽつんと
椅子が置かれ、あとは奥の方に、ヴェールで仕切られた祭壇のような場所があるだけ。
室内は薄暗く、壁際に幾つかの灯明がある。薄もやがかかっているように感じられるのは、
気のせいではないだろう。何か、香を焚いているような――
リザが椅子に腰掛けて静かに時を待っていると、目前のヴェールの中に、ふっと灯りが灯った。
「オクタヴィア。あなたは何故ここを訪れたのか?」
覆面でもしているのか、くぐもった低い、男の声。姿は、ヴェールに映る影しか見えない。
「エウリディス様でしょうか。わたくしは、何も望んではおりません。友人に、どうしてもと連れて
こられただけで……。わたくしはただ、このまま夫を偲(しの)んで、静かに暮らしたいだけなのです」
「その気持ちは理解できますが、ご友人の心もまた、痛ましい。悲しみを乗り越えるということは、
決して御主人に注いだ愛を否定することにはなりません。――話してごらんなさい。あなたと、
御主人との思い出を」
何だか占い師というよりは、人生相談みたいだなとリザは思ったが、とにかくロイに言われた通り、
時間を稼がねばならないので、彼が考えたロクでもない『設定』通りに、ポツポツと思い出話を
語り始めた。その時々に、エウリディスは合いの手を入れ、語る者の心中にその存在を巧みに
植え付けるように思われた。
どれくらい時間を稼いだかと、ふと思うと、この部屋に入った時から感じていた甘い香りが、一瞬、
きつくなったような気がした。幽(かす)かなものだったので、不快というほどではなかったのだが、
何だか時間が経ってきたせいか、少しクラッとする。
「どうか、されたかな」
そんな彼女の様子に気付いてか、ヴェールの向こうの声が言った。
「いえ……」
「オクタヴィア、あなたはあまりにも気高く、高潔な女性だ。あなたの魂こそが、この世で
祝福を受けるに値する宝石のような存在」
男の声が、何だか脳髄に痺れるように響く。もやがかかったように見えていた視界は、
まぶたが熱を持ったように潤み、リザは膝の上で拳を握りしめた。
「あなたは選ばれし女性。我が館が待ち望んだ理想の聖女」
いつの間に声はヴェールの外に姿を現し、彼女の元へと歩み寄っていた。
だが、相変わらず頭から布を被ったような姿で、その顔を伺うことはできない。
「さあ……甘露をその口に含みなさい。苦い記憶は流され、安らぎが与えられる」
肩に手を置かれ、小さなグラスに入った、トロリとした液体を勧められる。
とても甘い香りの……薄明かりの中で、黄金色にとろける物体。
「心を解き放ちなさい。その先にあなたの新しい未来が待ち受けている」
リザの唇が震えた。ひどく喉が渇いたように感じ、舌がその雫を求めるように、
口腔の中で動く。
――男の手が、肩を滑り落ち、腰をなぞり……脚の内側へと降りる。
「さあ、オクタヴィア……――ん?」
貴婦人の脚に相応しからぬ固い感触に男が気付いた瞬間、リザは両手を椅子につき、
腰を浮かせると男の下腹に膝蹴りを食らわせ、そのまま立ち上がるとホルスターから
抜いた拳銃で、壁際にあった灯明を、次々に撃ち倒した。
その内の幾つかから、香の灰らしきものが舞い上がる。
「お、お前は一体……!」
「意識を混濁させる香を焚いて……その甘ったるそうなものは何? 向精神薬?
救いを求める者には、甘い慰めは効果絶大でしょうね、エウリディス」
リザは、床にひっくり返った男に銃を向けた。
――すみません大佐、もう限界でした……
薬物を使われることは予想していなかったので、これ以上は危険と判断してのことだったが、
果たしてロイの方はどうなったのか。リザは、痺れを振り払うようにかぶりを振った。
銃声に、邸内の人間が駆けつけてくる音がした。リザは更に男に蹴りを食らわすと、ぐいと腕を
ねじって体をひっくり返し、頭から被っていた布を引きはがすと、それで男の手を縛り上げた。
急いで入口の横に身を寄せると、バタンと扉を開けて飛び込んできた用心棒らしき男2人を、
一人は腹に膝を蹴り入れ、もう一人は銃身で後頭部を殴り、昏倒させる。
一体この館にどれくらいの人間がいるのか、計算し切れてはいない。
ロイは、彼らを殺しても構わないとまでは言わなかった。この様子からして、
相手は軽武装しているだろうから、ロイと二人だけでは、いささか厄介過ぎるか。
そう思って部屋の外に出て、階段の下を見下ろした時……
――えぇっ……?
リザは、目を丸くした。十数名の憲兵達が、わらわらと邸内に突入している。
「やぁ、無事で何より」
ハッと振り返ると、ロイが腕に女性を抱きかかえて立っていた。
「大佐! その女性は……」
「ああ、知人の姉君だ」
彼の背後、廊下の角に銃を持った男が顔を出し、リザはその手を打ち抜いた。
「……無防備すぎます、大佐」
「私がここにいるとバレては、“彼”の立場もないものでね。あまり派手に振る舞えないのだよ」
「それはそうと……」
知人の姉君、とかいう女性だが、年は30代半ばだろうか。黒髪が乱れ、なんとも艶っぽい様子で
ロイにすがりついている。意識はあるのかないのか、とろんとした目で、彼の首筋に唇を寄せる格好。
「大佐と親しい方でいらっしゃいますので?」
「いや……誤解しないでほしいのだが。彼女はちょっと暗示と薬物によって、こんな風に
閉じこめられていたのでね。病院で治療が必要だろう。――さ、彼女が他の者の目に
触れてもいけない。そちらの角に、外に出られる階段がある」
リザが周囲を警戒しながら、女性を抱えたロイと彼女は館の外へと向かった。
要するに……この地域の責任者である人物がロイの知人であった。怪しげな噂を振りまく
占い師については何とか対処したかったのだが、実の姉がエウリディスの心酔者となり
囚われてしまうというスキャンダルを隠すためにも、全く無関係の『第三者』からの告発を
受けての捜索――という形を取らねばならなかった。
「やはりエウリディスはお前のにらんだ通り、手配中の詐欺師、ニーダムだったよ。
催眠術と甘言で女を誑(たぶら)かすことに長けた、ちんけな悪党。ま、奴を抱き込んで
一儲けをたくらんだ人間は、あの中にいると思うがね。――ところで……その女性は?」
「お互い、詮索しない方が良いだろう、この件に私が絡んでいるとバレれば、私もお前も、
面倒なことになる」
目立たないように裏口で密会した旧友は、肩をすくめた。思いがけず、リザのヴェール付きの帽子が、
はっきりと顔を見せないという意味で功を奏していた。あるいは、それもロイの計算だったのか。
「では、早々に失礼するよ。もう遅いのでね」
「ああ……。この借りは必ず」
「忘れるなよ」
ロイは旧友を指さすと、ふっと笑った。
「――疲れただろう。眠っても構わないよ」
「いえ……」
リムジンのリアシートは、運転席とはガラスで仕切られており、カーテンが引かれているので、
ロイ以外の視線を気にしないですむようにはなっている。だが、今のリザの体を包んでいるのは、
疲れや眠気とはまた、タチの違うものだった。
「何だか、緊張が解けたら……急に……」
また、ちょっとめまいのような感覚に襲われ、頬にロイの手袋に覆われた指が触れただけで、
ビクッと身を震わせた。何だろう、体がジワッと熱を帯びていくよう。
「どうしたのですか? オクタヴィア」
「もう……その『設定』はおしまいでしょう? 忘れますよ、私は」
「私たちの時間はこれからだというのに」
「何言ってるんですか、もう十二分にお約束分はお付き合いしました」
「どうして震えているのかな?」
ロイに言われるまでもなく、気付いていた。何だか心臓の鼓動が早まり、頬に熱が集まってくるよう。
「エウリディスの手管は……甘い言葉と、媚薬を混ぜた香。そして薬物入りの酒だったようだね。
勿論、君のように意志の固い女性には、大して効果はなかったと思うが」
「そこまで分かって……」
「私は君に絶大な信頼を寄せている。何が有ろうと……おかしな男に惑わされるような
女性ではないとね。やはり、オクタヴィアの心を開かせるのは、この私でないと」
「だからもう、その『設定は』……!」
必死に体の内から来る震えを抑えようと抗う彼女のことなど気に留めず、ロイはそっと
その顔を覆っていたヴェールを上にまくり、外してしまう。
「――もう、隠す必要はないよ。その顔も……心も。見せてくれたまえ」
下唇に触れたかと思うと、そのままぐいと押し上げるようにされたキスに、リザの胸に痛みが走る。
そういえば、何日ぶりの口づけだろう。焦らして焦らして……逃げられない最悪の状況で、
感じすぎて痛みになるほど、とぎすまされた感覚。渇ききった喉が水を求めるように、
彼女の意志とは別なものが、彼の舌を受け入れる。救ってほしい――何処かで声が囁く。
それは、彼女の心の声なのか。
「……甘いな。淫蕩な残り香だ」
耳元の、髪の生え際に鼻を押しつけるように囁いた彼の吐息にも、ビクンと身を震わせてしまう。
なぶられているような気がして、息が上がるほどに意識は紅く染まり、自分が何者なのかも
混乱する程に意識が乱れ、リザは涙を浮かべた。体の節々が、熱を持ったようにきしむ。
「無理に抑え込まなくて良い。苦しいのなら」
「いや……見ないでください……」
「恥じることはない。少なくとも、私に触れられて感じる分にはね。君の貞節は、十分に証明された」
何だか逆のことを言われているようで、耳を塞いでしまいたいようないたたまれない気持ちになる。
そんな彼女の閉じてゆこうとする思考をゆっくりと押し広げるように、彼の口づけは深くなる。
彼女の体内に高まりすぎて、その神経を蝕(むしば)んでいる熱を、少しずつ放出させるように。
なぶるように、けれど甘く、優しいリズムで繰り返される。
――やがて体の緊張が少しずつ解け、彼女のキスも、求め返す反応を見せ始める。
その頃には、もう彼の手が素肌を探り当て、彼女を陶然とさせていた。
追いつめるのではなく、緩やかに解きほぐす指先が、柔らかな肌を優しく翻弄し、
あえかな吐息が二人の間で湿度を増しては、融(と)け合うように絡んだ。
「大佐……」
ようやく意識の混乱が収まり、甘やかな疼(うず)きだけが体を包むようになり、リザは、
彼の首筋に腕を回したまま、軽く息をついた。痺れも熱も、心地よい陶酔へと変わっていた。
この人といると、安心する――どんな自分でも、受けとめてくれる。
そんな穏やかな安堵感が、じんわりと広がりつつあった。
だが、はっとリザが一瞬正気に返ると、ぐいと両手を掴まれて、シートに横に倒された。
「もう髪が崩れるのを気にする必要はないね」
「ちょっ、大佐、こんな所で……」
男は待ちかねたように、白い胸元に口づけを落とす。
「――オクタヴィア、もうあなたは喪服を脱いでも良い頃だ」
「だからもうその『設定』は……いけません!」
「大丈夫。ちょっと声を出したくらいでは分からないよ」
「そういう問題では……なく――あぁん、もうっ……!」」
何処までが計算。何処までが成り行き。
まさかこの結末のために総てが仕組まれたかのような思いに駆られる。
拒みきれないのは、香の残り香……あるいは、“彼”という媚薬のせいなのか。
このバカげた一夜の茶番劇の舞台から、リザはまだ降りられそうにもなかった。
あのー……車の中なんすケド。すんません、家に帰ってると更に長くなるので。何ちゅー言い訳や(汗)
500HITの澪咲透乃さんの裏サイト用に、賭けに勝った大佐が、中尉に良からぬたくらみを仕掛ける、
というリクでした。エロ以外の部分が長すぎなんですが、どうも手順を踏まないとイケナイ人間らしいです、
ワタクシ。何だか裏っぽくなくてゴメンナサイ。入れてないし。(コラ) でも、これは15禁よねっ! 一応!
スンマセン……(涙) もっと腕を上げて出直してきます! ああー、ラブラブエロへの道は険しい〜!