マスタング自身、彼女を信頼して心配はしていなかったが、その後もホークアイとの、
職場での関係にこじれが生じることはなかった。
たとえ口先だけだとしても、閨(ねや)の睦言には付きものの、愛だの恋だのという言葉を、
一切持ち出さなかった彼女は、やはり変わっていると言えるだろう。
彼女は、愛されたいと思っているわけではない。抱かれても熱を帯びない自分の身体が、
生物的に何か欠けているような、空疎な思い。それは、極めて優秀な女性士官として
一目を置かれていながら、その彼女の、最大のコンプレックスであったのかもしれない。
だが、マスタングは彼女との口約束を、真に受けたわけではなかった。
それは彼女も同じことだろう。
大体、抱かれても違和感と痛みしか感じない女を抱くなんて、酔狂というよりもナンセンスだ。
だから、これまで通り、後腐れのない女たちとの関係を楽しんだ。
分かりやすく耳元で喘ぎ、簡単に濡れる体の、楽な相手。
何て容易で、空々しい快楽。
「――他の女のこと、考えてるんじゃないでしょうね……」
女にのしかかられて、マスタングはハッとした。
「……まさか」
「嘘。白状しなさい。誰のこと考えてたの」
女は勝手に上に乗っていたが、彼の心が泳いでいたのに腹を立てたのか、
責め立てるように腰を動かした。
「っ……不感症の……女のこと」
「――ナニよ、それ。あっ」
マスタングは女の腰を抱えたまま体を起こすと、おざなりになっていた行為を詫びるように、
深い口づけで女の嬌声を封じた。
これ以上、違和感を広げるものは要らない。髪も、目も、声も……匂いも。
――違うということは、初めから分かっていた。当然だ。
“彼女”ではないのだから。
何故かその夜から、不意に、リザ・ホークアイのことが頭を離れなくなった。
だが、翌日、彼女は非番だった。
日がな、彼女の影を知らずの内に目で追い求め、そんな自分に気付いては
窓の外を見やり、重苦しい曇天に溜息をついた。
深夜近くに勤務が明け、外に出ると、雨の匂い。夜半には降り出すだろう。
その気配に促されたのか。時間だとか、理由だとか、あまり深くは考えずに、マスタングは
そのままホークアイのアパートを訪れた。
彼女は、前触れのない訪問に驚きはしたようだが、すぐに彼を中に入れてくれた。
――これくらい簡単であれば良いのに。
マスタングは、心中でそんなことを呟いていた。だが、その頃にはもう彼女のブラウスの
裾を引き出し、そこから身体をまさぐっていた。
相変わらず冷たい肌。そしてまた熱を求めて、口づける。
「……苦しいのですか?」
壁際に追いつめるような体勢で彼女の唇を貪っていたマスタングが顔を離すと、
ホークアイが呟いた。そっと、労るように彼の髪を撫ぜて。彼は浅い息をつきながら、
「そんな風に?」
「いえ……すみません」
彼女は、手を離した。
「どうして謝るのかね」
「いえ……」
珍しく戸惑いの表情を見せたホークアイに、劣情をかきたてられ、乱暴にブラウスを脱がせた。
「君は男に何を望んだ?」
スカートも留め金を外して引きずりおろされ、下着も取り去られる。
「何も……」
それでも彼女は、先ほどのような困惑は見せなかった。
「じゃあ……何をされた? 何を言われた」
彼女の体を抱いていた左手が、その肌に粟立つものを感じる。まただ。
……どんどん冷たくなる。
「――“愛している”なんて……口にするな、と」
その言葉に、一瞬、手が止まる。
「こんなことは遊びだから……愛だの恋だのと勘違いするな、と」
そっと、彼女の表情をのぞき込むと、静かな顔だった。
何故、そんな顔で言えるのか。マスタングは、彼女の中に、指を入れた。
以前と同じく、不快を感じていると思われる、僅かにひそめられた美しい眉。
だが、相変わらず潤いの不足したそこに、更に指を増やす。
動かすと、彼女は気持ち悪いものをこらえるように、唇を噛んでうつむいた。
不快でしかない愛撫を与えるなんて、どういうつもりなのか。
自問しつつ、マスタングはそれをやめず、空いた片手で彼女の後頭部を支えると、
噛みしめられた唇をこじあけ、舌をねじ込んだ。こらえる支えを失った彼女の喉から、
微かな呻きが漏れる。冷えきってゆく彼女の体を包むように抱きしめたい衝動を抑えながら、
責め立てては、その悲鳴(こえ)を引き出そうとした。
そして彼女の脚を開かせ、片脚を少し持ち上げるようにして、体の先端を、ゆっくりと沈めた。
出来うる限り、潤滑にしたつもりではあったが、やはり彼女の苦痛はぬぐえない。
だが彼は、あえてそれを止めなかった。
「痛いならそう言いたまえ……我慢するんじゃない。声を出した方が楽になる」
彼女の耳元で、強く囁く。だが声は出ない。抑えた、苦しげな息づかいだけがよぎる。
「たとえ苦痛であっても、それが君の真実なら声を閉ざすな。――自分の存在を、
消すんじゃない……!」
突き上げれば、激しい痛みを伴うことは分かっていた。それでも彼女は、悲痛な叫びを
零すことはなかった。救いを求めて、彼に抱きすがることもない。
「何故抱かれる? 傷つくためか……?!」
祈るような願いの声が聞き入れられることもなく。……辛いのなら、いっそ拒絶してほしかった。
本当の声すら上げさせることもできない、無力な自分が苛立たしい。
腕の中にいる女ひとりに、苦痛しか与えられないことが、急に虚しく感じられ、胸苦しくなる。
繋がったまま、ただ動きを止め、マスタングは彼女を抱きしめた。
「――こうして抱いていても……君は今にも消えてしまいそうだ……」
泣き出しそうな気分だった。そんな馬鹿なとは思ったが、今彼女の静かな顔を見てしまったら、
本当に抑えが効かないような気がした。
彼女を抱いていた腕が震えていたのか、そっと、彼の髪に、優しい手が触れた。
まるで母のように、柔らかく……微かな温もり。何度も、ゆっくりと髪を撫ぜるように。
冷たいはずの手なのに、ひどく懐かしく、恋しい温度だった。
静かな空間に、微かな雨音が響いていた。
気付かなかったが、いつの間にか降りだしたらしい。
「“愛している”と私が言ったとしても……君は信じないのだろうね」
自嘲を込めて、彼は呟いた。本気でそんなことを言っているのか、自分でも分からない。
そんな馬鹿馬鹿しい問いかけに、彼女が真面目に答えるわけはない。
そう思った。
だが、髪を撫ぜていた彼女の手は止まり、今度は彼の頭を胸に抱くように、そっと。
「……それは違います中佐」
囁きかけるように。穏やかなモノローグ。
「――あなたを信じないのではありません」
痛々しい程に自分を抑えた静かな呟きが、耳元に、優しく落とされる。
「私自身が、“自分”を 信じていないだけです。自分なんかが……誰かに、揺るぎなく
永遠に愛される。そんなこと、有るはずがない……そんなことはあり得ないと。だから……」
きゅっと抱かれ、マスタングは優しい膨らみに身を預けた。
彼女の、緩やかな鼓動が聞こえて、心が落ち着く。
そのまま自然に、胸元に口づけた。ふくよかで、滑らかな肌に。
そして、鎖骨をなぞるようにキスを這わせ、顎下まで。
「中佐……?」
触れている箇所も人も変わらないのに、何かが違うようで、ホークアイが思わず声を洩らした。
その呟きを拾うように、唇をすくわれる。そのキスも、それまでとは違う。
急いた焦りや荒々しさはなく、労るような感触。
「痛かったらそう言ってくれ。……頼む。これ以上、無理はしない」
懇願するように、彼は言った。
「……はい」
やや疑問系になった語尾は、そんな彼の様子が不思議だったからだろう。
彼女がうなずくと、マスタングはその瞼(まぶた)に口づけ、ゆっくりと体を動かした。
片手で彼女の体を支え、もう片手は、そこに余るほどの優しい膨らみを愛おしみながら。
「あっ……」
「痛い?」
「いえ……大丈夫……」
神経を研ぎ澄ませ、彼女に無用の痛みを与えぬよう、極めて辛抱強く、ゆっくりとした律動。
足りないながらも、少しずつ生理的な潤いが継ぎ足されていく。
何かの拍子に、彼女が声を上げた。これまでとは異なる、弾んだような呻き。
「感じたなら声を出してほしい……苦痛ならば拒絶してくれ。不安でたまらない。
君の体が、私のせいでどんどん冷たくなっていくのが、どうしようもなく怖いんだ」
そんな情けない言葉を女の前で零すなど、自分でも信じがたいことだった。
けれど、そんなことよりも、一瞬で良い。腕の中の彼女に、浮遊するような快楽を与えたかった。
そこに愛などなくて構わない。痛み以外のものを分かち合いたいと、切実に願った。
「リザ……」
初めて、彼女の名前を口にする。
「リザ……」
こんなに愛おしげに女の名前を呼ぶことなどあり得るのかと、脳裏をよぎる思いは
奇妙に冷静だが、彼自身の体は、まったく余裕が無かった。
気のせいかもしれない。けれど、微かに、彼女の肌に熱が浮き上がってきたような気がしてくる。
「はぅっ……」
ガクッと、彼女の体が揺れた。これだけの時間をかけて、ようやく内が熟れてきたのか。
かといって強引にならないように、彼は同じ場所を緩やかに突き上げる。
「ちゅう……さ……」
彼女の吐息が早くなり、その手が彼の頭を抱き寄せ、自分から口づけた。
ねっとりと絡む舌は、淫靡で、けれど切ない甘さで脳髄を痺らせる。
彼女の体が、子猫のように跳ねると、どうしようもない愛おしさで、途方に暮れそうになる。
うわごとのように彼女の名前を呼び、その体を深く結びつけ、甘える子供のように、
彼女に無尽のキスを降らせた。
「……大丈夫……ですか」
崩れるように、床に横たわった後、ホークアイは横向きになったまま、マスタングの頬に触れた。
前髪が、額に貼り付いているのを、そっと横に流して。
「少尉」
何というか、精神的に疲れたのか。彼は、ゆっくりと息をついていた。
「何ですか、中佐」
「……私は、女性に欺(あざむ)かれることは、あまり気にしない方だが」
マスタングは、自分に触れた彼女の手に、自分の手を重ねた。
「今後、二度と苦痛をこらえるのだけはやめてほしい。その……まぁ、『今後』というのも、
君が望まないのであれば、どうでも良いことなのだろうが……」
後半、急に自信なげな口調にトーンダウンしたのが可笑しかったのか、彼女はクスッと笑った。
その気まずさを覆い隠すように、マスタングは彼女を抱き寄せた。
「以前……痛みを感じて、思わずそれを口にしてしまった時――『“痛い”なんて言うな』、と」
彼の胸で呟かれた言葉に、マスタングは、少し体を離した。
彼女は、こんなことを話しても良いのかと、少々戸惑いを浮かべた表情で。
「痛みよりも、嫌がられることが怖くて。……でも、こらえようとすると、どんどん痛みしか
感じないようになってしまって」
「――私自身、あまり人に褒められた行状の男ではないが。……そいつは最低だな」
溜息をついて、マスタングは彼女の髪を撫ぜた。
「痛いのは、そいつが下手くそだからだというのに」
彼がそう言うと、彼女は、彼の胸に、そっと身を預けた。
「……それでも、君は愛していたのだろうけれど」
「もう分かりません。あの時の自分の感情が、何であったかは。痛みばかりがいつまでも鮮明で、
それ以外の感覚は失ってしまったかのようでした。――過ぎたことは、仕方有りません」
その言い方が、とても彼女らしい理性的な響きで。強がりではないと思ったが、女性にしては
割り切りすぎているような気もした。
「――私は君を傷つけることだけはしない。他には誠意も何もない、いい加減な男だが……
それだけは約束できる」
少しずつ体の熱が冷めてきて、彼女の体が冷えないよう、マスタングは落ちていたブラウスを、
彼女の背にかけた。ホークアイの目が、真っ直ぐに見つめた。
「……少尉?」
彼女の顔が近付き、何かと思うと、顎の下に、ちろっと舌を這わされ、ゾクッとする。
「あなたの汗……。それは間違いなく、私のために流してくださったものだから……
たまらなく愛おしいと感じます」
思わぬ言葉に、一瞬、呆然とする。そのまま、また彼女を抱き寄せ、口づけてしまう。
「ちゅ……中佐、あの……」
「え……?」
深いキスに没頭しそうになる彼を、ホークアイが軽く手を添えて止めた。
「どうした?」
「あの……どうせなら、ここではなく……」
言われて、彼女を裸のまま床の上に転がしていることに気付く。
「もう……帰ろうか?」
随分と無理を聞かせてしまった気がして、そんなことを言った。
彼女は、カーテンを引いた窓のガラスに当たる雨音に耳を傾ける。
「……雨ですから。どうぞ、まだしばらく、このまま」
――ああ、と彼がうなずくと、彼女の口元に微笑が浮かんでいるのに気付く。
「何かね?」
「中佐は……せっかちな方ですね。以前も、今夜も……」
言われて、妙に気恥ずかしくなる。確かに、ベッドにも行かず、衣服も中途半端で。
「あまり……自分がそうだと思ったことはないのだが。今後は気を付けるよ」
――『今後』……そんなものを、もし、君が望むのであれば。
マスタングは彼女の額に口づけた。
取りあえず、もう少しだけでも一緒にいる口実を与えてくれた夜の雨に、感謝を込めて。
3.26.2004.
4000HIT中尾よしひと様のリクは、結構込み入っていて……関係はあっても、恋人未満な2人が、
ロイが他の女性と時を過ごす内、リザへの思いに気付く、みたいな。んでもって切ない系??
話としては、単品パラレルっぽく読んでいただければ。恋人同志じゃないし、イシュヴァール一緒に
戦ってると思えないし。つか、何で不感症の話に(汗) にしてもロイロイ、やりっぱなしで元気だね。
リクに答えられたのか不安を抱きつつ、リクをいただかなければ書けなかった話で、楽しかったです。