セントラルからヒューズ中佐が見えられたのは、まるで抜き打ちテストのような、ある将軍閣下の
“視察”の随伴ということでだった。誰も口にはしないけれど、「嫌がらせ」みたいなものだと、
誰もが思っていた。現に今も、お付きの者は全員追い出してしまって、大佐と2人きりで
応接室。嫌味ともお小言ともつかない退屈な話を、大佐はどんな顔で聞いていることか。
あの人は、あれで結構そういことには我慢強いので、特に心配はしない。
それより私は、折角いらしたヒューズ中佐のお相手をさせていただくことに。
主(あるじ)不在の執務室にお迎えして、お茶をお出しする。
「……お、何か良い香りだねぇ。東方司令部は出すお茶が違うんだなぁ」
「大佐の分の、お裾分けです。――どちらかのお嬢さんからいただいた」
おやまぁ、と、ヒューズ中佐は眉を上げる。目が合うと、私はニッコリと微笑んで、小さく囁く。
――将軍閣下にもお出ししません、と。
ヒューズ中佐、他ならぬあなただから。
「そりゃあ、恐縮だね。心していただくよ」
そう言って中佐は、紅茶に口を付けられた。
「勤務中に秘蔵のお茶をご馳走になった上、ホークアイ中尉にまでお相手いただいて、
マスタング大佐に糾弾されそうだな」
「それをおっしゃるなら、私が大佐に怨まれるかもしれません。折角中佐がお見えなのに、
ゆっくりとお話しすることもできなくて。私ばかりお話ししていては」
自分は将軍閣下からお小言を喰らうばかりだというのに――と。
するとヒューズ中佐は、にやっと、隙のない笑みを口元に浮かべた。
「そんなんじゃないよ、中尉。野郎同士なんて、口をきくことなんてどうでも良いもんだ。
大体あいつも、俺が何か話そうとしても、いっつも鬱陶しがって、聞こうとしやしない」
それは、中佐のお話はいつも、グレイシアさんとエリシアちゃんのことだから。
あんまりお幸せそうで、眩しいのでしょう。私だって、あなたを見ていると、何だか
気恥ずかしいような気持ちになります。同じ空気を吸って生きているのだということが
信じられない程に、あなたは暖かいものを分け与える方だから。
ヒューズ中佐とご一緒することは、滅多にあることではない。マスタング大佐ですら、
直接会う機会は、そうないのだし。だけれど中佐は、ごく希に私と2人で話す機会がある時は、
何故か必ず、大佐との昔話をされた。私自身、中佐とのお付き合いはそこそこ長い方
であるけれど、それより更に以前。中佐の口以外からは、私には絶対に知り得ないと
思われる話の数々。間違っても、大佐はご自分では話されることはないというような。
「――でな、ロイの野郎、理論ばっかり構築して、いつまでも紙の上でだけ、『いや、ここがまだ
不完全かもしれない』とか、あーだこーだ言ってやがるから。俺には錬金術は分からねぇし、
アドバイスなんかしようもないし。見てるとイライラしてきてなぁ。じゃーもう、とにかく実験して
みるしかないだろう!?って、 焚きつけて。気乗りしないあいつを上手いこと乗せて、
学校がふけた後の演習場で、超ヤバい実験やらせたんだけどさー」
コトの顛末を語り終える前から、思い出し笑いをこらえるのを必死になっていることが伺える
正面の中佐の様子を見ているだけで、私もつい、口元に笑みが浮かんでしまう。
「成功したんですか?」
「まぁ、ある意味、大成功だな。演習場の地面の真ん中に2メートル近い大穴が空いて、
周囲は直径15メートルは真っ黒に焼けこげてな! いやもう、大目玉だよ。あの時俺が、
口八丁手八丁で教官達を丸め込まなきゃ、ロイは良くて謹慎、悪くすりゃ放校処分だったよ」
「まぁ……中佐は大佐の恩人でいらしたんですね」
「――ま、元はといやぁ、俺のせいなんだけどな?」
ハハハ、と屈託のない笑みを零す。
「でも、それまでアイツ、あんなだから、『近寄りがたい』みたいな雰囲気で見られることが
多かったけど、その事件以来、ちょっと印象が変わったみたいで、声かけてくる奴が増えたよ。
バカやるのも、悪いばかりじゃあないってことさ。『あ、結構アホなんだなコイツ』って、
親しみ感じるっていうの?」
何だかひどい言われ方のような気もするけれど……。私が、ちょっと思惑を持ったような笑みを
浮かべたものだから、ヒューズ中佐が、「ん?」と口をとがらせた。
「どうした? 中尉」
「いえ……。昔、学校の先生がおっしゃったことを思い出したんです」
その時の私の笑みを、中佐はどんな風に、ご覧になっただろう。
「『たとえ世界中が敵になったとしても、たった一人切りであろうと、自分の味方になってくれる。
――それが、真の友人というものだ。見返りは、一切求めない。友情というものは、与えるだけ、
与えっぱなし。そして、それで良いんだ』と。先生が、少年のように目を輝かせて、熱く語って
おられたのを、よく覚えております。……大佐にとってのヒューズ中佐は、まさにそんな存在
なのでしょうね」
口元に浮かぶのは笑みなのに、心の中には、何だか若干、複雑な思いも紛れ込んでいて。
そんな微妙な感情に気付いたかどうか。中佐は穏やかな表情で、眼鏡の奥の優しい瞳を、
そっと細めた。そして、静かに、こう、おっしゃった。
「……買いかぶりすぎだよ、中尉」
それは、私に対する気遣いだったのだろうか。何だか、労られているような気持ちがした。
けれど中佐は、すぐにソファーの背にふんぞり返ると、
「悪いけど俺は、あいつと女房、どっちって言われたら、女房を取るぜ? とーぜん。
――あいつだってそうに決まってる。オトコなんて、そんなもんだよ」
いつもの、のろけ話の顔になる。
「友情、ねぇ。そんなの、わざわざ言葉に出して考えるようなことじゃないからな。
まあ、似たようなことは、士官学校時代にロイとヘラヘラ喋ったことがあったなー」
そしてまた、思い出話。
「あの頃は、漠然と、そのうち自分らも戦争に駆り出されるんだってことを理解しつつも、
じゃあ何のために戦うのか。そういうイメージを掴めずにいた。所詮、前線に出るまでは
気楽なもんだったよ。理想ばっかならべても、世界は動いていたから。正義とか、大義とか」
その悲しい響きの言葉を口にできるのも、死線を越えてきた強さなのだろう。理想と、現実と。
その両方を、血を吐くような思いで噛みしめた私達。それを、こんな穏やかに。
「『たとえ世界中を敵に回しても、ただ一人、自分を信じてくれる女が側にいてくれたら、
戦い抜くことができるだろうな』」
ヒューズ中佐の言葉に、私は、そっと息を詰めた。中佐の視線が、私と繋がる。
「――ロイが夜更けに、そんなことを、ポロッと言ったことがあった。あれであいつ、
相当ロマンチストだからな……。あ、リザちゃん、この話は絶対ナイショ、な?
ロイの奴、バラされたと知ったら憤死しかねんから」
しんみりしたかと思ったら、最後にはおどけてみせるヒューズ中佐に、思わず苦笑させられる。
確かに、大佐が聞かれたら、さぞお怒りになるでしょう。「そんなことを言った記憶はない」、
とでもおっしゃるかしら。
「その時、お酒でも飲んでいらしたんじゃありませんか?」
「お、よく分かるね。あいつ、飲むと可愛くなると思わない?」
爽快に笑う中佐。“可愛い”だなんて。また大佐が聞いたら、それこそ憤死しそうなことを
おっしゃって。それもわざとでしょうか。あんまり同意しては大佐に申し訳ないので、曖昧な笑みで
お茶を濁す私に、中佐は、膝の上に肘をついて、ちょっと前のめりの姿勢になって語りかける。
「なぁ中尉。……あいつ、自分のこと、素直に好きになれない、厄介なヤツだからさ。
他人に後ろを見せるのは嫌いなくせに。――自分を否定することとは違うんだが。
どーも、自分が可愛い人間だってことに、気付いてないんだなー。
……そんな奴が“野心家”だなんて、呆れるね」
マジメなのか、からかっているのか、判然としない。
けれど、その言葉は私の胸に、確かに、重く沈んだ。
ヒューズ中佐……あなたは、本当に大佐のことを、よくご存じなのですね。
あまりの近さに、私が胸苦しさを覚えるのを、禁じ得ないことが有るほどに。
私はあなたに、はかない嫉妬を抱きつつも、あなたの存在に甘えていました。
以前は、もし、自分の身に何か起こったとしても、まだ、あなたがいてくださる。
きっと何処かで、そんな風に思っていた。だから自分は、いつ命を投げ出すことも厭わないと。
……でも、もう、それはできない。
私は、“私の命”という切り札を使うことが、永遠にできなくなってしまった。
いざとなったら、自分の命に代えて――そんな安易な考えは、二度と持てない。
死ぬことはできない。何があっても生きて、生き抜かなければ。
それは、死ぬことよりも、何て厳しい覚悟がいることか。そして、困難なことか。
何て自分は甘かったのだろうかと、今さらに思う。
あなたと私は、まるでヤジロベエのように、大佐の両側にあって、バランスを取っていた。
――ヒューズ准将。
あなたの葬儀の日……。あの日ほど、あの人が私を強く抱いた時はありませんでした。
そしてあの日ほど、私があの人の体の重みを感じたことはなかった。
それはただ、それまでが無知であったに過ぎなかったということなのか。
あなたという存在を失って初めて、私たちは、自分たちが負うべき重みというものを、
本当の意味で知ることになったのかもしれません。
あなたを失っては、私たちは、新しいバランスの取り方を探さなければ、ただ倒れてしまう。
それは、何も考えずに引き合っていた頃よりも、はるかに難しいこと。
死ぬことよりも、生き続けることの方が、ずっとずっと難しいように。
あなたが何故、私に、あんなに大佐との昔話を聞かせてくださるのか、よく分からなかった。
あなたは何か、予感されていたのでしょうか? あなたが教えてくださらなかったなら、
ずっと大佐の胸の奥に秘められて、永遠に失われていたかもしれない、沢山の思い出。
沢山の言葉。それをあなたは、私に分け与えてくださった。惜しげもなく……。
まるで、形見分けのように。ご自分の重みの代わりに、そっと遺(のこ)してくださったかのように。
世界でたった一人。
たとえどんなことがあろうとも、大佐の側にいてくださる掛け替えのない友人。
あなたの代わりなど、誰にも務まりません。――けれど、どうしようもない。
ご自分のことは、「買いかぶりすぎだ」とおっしゃられたけれど。
もしも、私を信頼して、あれらの沢山の掛け替えのない記憶をくださったのだとしたら
……それこそ、買いかぶりすぎです。だけど、もう、そんなことは言っていられない。
あなたを失ったあの日ですら、あの人は、私に、助けを求めはしなかった。
自分の側にいてくれ、とは言わなかった。
この先もきっと、問われることはあっても、請われることはないでしょう。
問われた時には迷いなく。そして、請われることがなくとも――答えは変わらない。
『たとえ世界中を敵に回しても』
たった一人でも。
4.13.2004.
2222HITの、松山カズキ様のリク、「ロイアイ&ヒューさん」。タイトル決めた後に、稲垣潤一に同名の曲が
あることに気付いたが、内容はカンケーなし。ヒューズスキーの松山さんのために、素敵ヒューズさんを!
と思ったのですが、ほのぼのにしたかったのに、エラくしんみりになっちゃいました……。ヒューズさんを
書くのは難しく、切ないです……。自分的にハードルだったため、これまでノータッチで来てしまいました。
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