「君には潜入調査を頼みたい。――危険な仕事だが、行ってくれるか?」
「分かりました。何処へなりと」
いつものように凛々しく敬礼をしてしまったあとで、リザ・ホークアイ中尉は、ハッとした。
――潜入……?
何だかその響きに、ふと思い出すものがあった。
ほとんど彼女に対する嫌がらせというか、ロイ・マスタングの個人的な趣味に付き合わされて
振り回されただけだったのではないかという、イヤな記憶。あの時は、「潜入捜査」という名目で、
胡散(うさん)臭い占い師のペテンを暴くため、何故だか彼女は富豪の未亡人という役柄で
黒いドレスに身を包み、怪しげな館に入り込んだ。ロイは自分で考えた設定に、とにかくご満悦で、
本当に『潜入捜査』が彼にとって重要なことだったのかと、いまだにリザには疑問の残る事件だった。
「内容が内容だけに、大っぴらには出来ない調査だ。他の部下達にも気付かれないよう、
極めて慎重にコトを進めなければならない」
如何にも厳粛な面持ちで、彼女の上司はデスクに両肘をついて言った。
「ついては、その打ち合わせをしたいので、うちまで来てもらえるかな。――今夜」
「……大佐のお宅でですか?」
リザが、あからさまに怪訝な目をすると、ロイは右の眉を微かに上げて、
「ここではマズイだろう。他の者に知られるわけにはいかないからね」
言外に、「他意はないよ」と、彼女に対してエクスキュースをほのめかせてはいたが、
リザとしては何か素直に受け取れない。ただ、ロイから渡された資料を見る限り、
此度の件は、陰謀としては以前のペテン師など比較にならない規模のものだった。
もし彼が抱いている疑念が現実となれば、それは由々しき事態となる。
――考えすぎ……よね。
そんな深刻な案件の潜入調査に、いくらこのけしからん男であっても、馬鹿げた悪ふざけを
持ち込むなんてことは……恐らく、恐らくは無いだろう。リザは、そう自分に言い聞かせ、
胸の内を騒がす不安を打ち消した。
しかし。
「潜入調査といえば、重要になるのが、どういった『設定』で敵地に潜り込むかということなのだが」
――………………やっぱり。
『極めて慎重に進めなければならない潜入調査』の為の、大事な打ち合わせの内容が
ナニかと思えば。――いや、まっとうに考えれば、確かにそれは重要なことなのだが、
その話題を持ち出してきた人物のこれまでの行状から、リザの脳裏には、例の嫌な記憶が
ダイレクトに蘇った。ほとんど必要ないような、やたらと細かい所まで、“設定”にこだわる上司。
何だか自宅まで呼びつけられたのも、早くも騙されたような気分になってきた。
「はぁ……確かにそうですね」
ここで喧嘩しても始まらないので、取りあえず相手の出方を伺うことにする。
彼女は客用のソファーに。ロイは一人掛けの方に座り、上っ面は相変わらず、真面目くさった
様子で向き合っていた。
――でも、いつもの大佐ならば、とうにそんな『設定』は考え抜いているような気がするのだけれど。
彼女の素朴な疑問は、思っても、その時口にされることはなかった。まあ、時間がなかったとか、
そんなことだったのかもしれないと、深くは考えなかったのだが。
「で、どう思うかね中尉。君なら何処から攻める?」
ノイエ・ヒースガルドの街に蠢(うごめ)く、陰謀の糸――そこにからんでいる疑いがあるのは、
ヒースガルド地方を統括する、国家憲兵隊の最高責任者、ムーディ・ネムダ准将。
そして、廃墟と化した街を、新たに錬金術によって造り上げた偉大なる錬金術師、
ヴィルヘルム・エイゼルシュタイン教授。
「やはり、憲兵隊の方に潜入するのはリスクが高いですから、接触を試みるのであれば、
ヴィルヘルム教授側の方が良いかと。事件の内容を考えても、教授の方が本質に
より近い存在のように思えますし」
「――メイドというのはどうかな」
「……………………は?」
唐突で具体的な提案に、リザは思わず、聞き返した。
「教授は広大な城に、娘と2人で住んでいる。良い斡旋(あっせん)があれば、メイドの一人も
雇う気になるのではないかな」
「は……あ」
言っていることは至極もっともで、如何にも筋が通っているように聞こえる。
メイドであれば、城の中を調べるにも都合が良い。だが、どうもピンと来ないのは、
何故だろう。その表情を読み取られたのか、
「うん。ただ話しているだけではイメージがわかないかな。ちょっと着替えてみるといい」
「……はい? 何にですか?」
「メイド服」
「……そんなもの持ってません」
「あるんだ。ここに」
「……………………」
――何故、そんなものが、ここに?
問いかけたい気持ちは津波のように押し寄せていたが、何だか無駄なような気がしたし、
もっともらしい説明も付いてくるので、取りあえず聞く。
「軍人というのはどうしても特殊な職業だからね。軍服を着慣れていると、普通の服装を
した時に違和感が生じることもあるものだ。如何にも似合わないいでたちで潜入しては、
すぐに疑われるのがオチだろう?」
そういうことで、彼なりに色々と想定をしてみた結果、衣装を揃えたそうで。
その言い分にも、確かに一理あるので、しょうがないからそれに従ってみる。
しかし、メイド服は「普通の服装」なのだろうか。
どうみても新品で誂(あつら)えたとしか思えぬ、洋装店の衣装ケースを渡され、着替え用の
一室に連れて行かれた。何だか釈然としないものを胸に抱いたまま、リザは着替えてみる。
トラディショナルな黒で、上下に分かれたツー・パーツ・ドレス。足首までのロングスカートは
豊富なギャザーが入っており、ペチコートでフワリと優雅に広がるが、トップははタイトな、
体の線に沿った裁断。開いた胸元には、真っ白なフリルシャツが覗く。袖が、少女趣味な
パフスリーブでなかったことが、リザ的には僅かな救いだった。カチューシャを付けるだけでも、
相当に恥ずかしいのに。実際、着替え終わっても、扉を開けてロイにその姿を見せるのには、
若干の抵抗があった。――結局、いつまでも籠もっているわけにはいかないのだが。
おずおずとドアを開けて上司を招き入れる。ロイは、一歩引いて彼女の全身を下から上まで、
ゆっくりと、審美するように眺めた。
「……どうでしょうか」
何か違うような気がする、と、言われる前から彼女は思っていたが、伺いを立ててみる。
ロイは何も言わず、彼女の肩を取ると、姿見の方を向かせ、自分はその後ろに立って見つめる。
メイド服としては、もっとも保守的かつ古典的なスタイルではあったが、その禁欲的な香りが、
却って危険な雰囲気を招いているような気がしてならない。
「ふーむ……良いんだけどね、凄く」
ロイの手が、ギャザーの寄ったロングスカートを、すっと広げて、フワリと離す。そしてそのまま、
キュッと引き絞られているウエストに手を置いた。
「何だか凛々しすぎるんだよね、君は。メイドにしてはシャープ過ぎるというか。――勿論、
私的には全然OKなんだが」
「あ、はい、ダメですね、ではそういうことで」
ロイの手が怪しい動きを見せ始める前に、リザは体を回して手を伸ばし、彼との間に
つっかえ棒を立てると、空いた方の手でカチューシャをはぎ取った。
「じゃあ、代案は?」
彼女のその仕草に、やや不満そうな色を声にじませつつ、ロイが尋ねる。
「え……えーとですね……」
急に言われても、そう簡単には出てこない。そうする内に、またロイが口を開く。
「――看護婦。とか」
「…………はい?」
「だめかな」
「あの、その『設定』の必然をご説明いただければ。教授は、何か持病でも?」
「……だめだな」
うーん、と自分で撤回してくれたので、ホッとする。――もしかしてその衣装も用意してたんですか?
というのは、怖くて聞けなかった。「折角だから、着るだけ着てみよう」とか、言い出しかねない。
「錬金術工房に、見習いで雇われるというのは如何でしょう」
まっとうそうな案を出してみる。
「ヴィルヘルム教授ほどの錬金術師相手に、付け焼き刃の知識では、いくら巧妙に
紹介状をでっち上げたところで、ボロが出るだろうな」
即刻却下。それも、実にもっともな理由。リザは、早く代案を考えないと、また何か
ワケの分からぬ扮装をさせられるような気がして、必死になっていた。
色々と言ってみるのだが、いかんせん焦って、深く考えないで出す案なものだから、
すぐに冷静な上司に論駁(ろんばく)されてしまう。彼の“メイド”案よりマシなものが
思いつけないというのは、どうにも納得がゆかないのだが、彼から出される案を却下する
理由を考えるので手一杯ということもあり、なかなか良いアイディアが浮かばない。
「教授の住居に出入りできて、しかも不自然でなく外にも出られる方が良いですよね。
……その意味で、メイドではやはり、ちょっと制約が出てきますから」
自分の案が思いつけないので、予防として“メイド”案の火消しに回る。
「それもそうだな。教授の身の回りに近付ける、だが錬金術の知識はいらない、外部との
接触もしやすい立場……か」
リザは、どうでも良いけど、いい加減メイド服は着替えたいなと思い始めた。
「あの、大佐……」
「――秘書。そんなところが妥当かな」
「秘書、ですか?」
まあ、彼にしてはまともな提案かもしれない、と思った辺り、相当毒されているだろうか。
「専門的な知識は必要ないが、教授と外との繋がりを仲立ちする上で、雑務を処理する
存在は必要だろう」
なるほど……と、彼女が思うと、
「ちょっと待っていてくれたまえ」
ロイは、彼女をスッと離すと、一旦部屋を出て、また衣装ケースを持って入ってきた。
「……今度はナンですか」
「秘書。よろしく」
メイド服姿のまま、リザは衣装ケースを受け取った。
――……結局、最初から予定の一つだったということ?
今更あれこれ考えてもしょうがないのだが、ナニか誘導尋問に引っかかったような、
スッキリしない気持ちだった。大体、何故着替えることがデフォルトになっているのか。
だが、問いつめる前にロイが部屋から出て行ってしまったので、何となく成り行き上、
それに従わざるを得なくなってしまった。
今度は、やはり誂えたように見える新品の、スーツ。それだけを見ると、メイド服に比べて
非常に普通に見えて、リザは安心した。色も渋めで、生地も、上等ではあるが派手な
ものではなく、装飾も一切無い、極めてシンプルな三つボタンのテーラード・ジャケット。
ブラウスも涼やかなペール・ブルーだし……。初々しさを漂わせる、キャリア・ウーマン
とでもいった風情。とてもメイド服を着せた人物が選んだとは思えない選択に思われた。
――が。
着てみると、予想以上に、彼女の体ピッタリに誂えられていた。仕立屋で何カ所も採寸を
されなければ、こんなに体のラインが綺麗に出ることはあり得ないと思われる程に。
豊かな胸を締め付けることもなく、それでいてウエストはカーヴを描くようにピッタリと。
一体どういうことなのか、不思議でたまらかった。そして、こうしてみると、スーツ自体の
色合いやデザインがシンプルであればあるほど、それが際立って見えることに気付く。
「……ちょっと、丈が短いわね」
職務柄、普段あまりスカートを履く機会はないし、プライベートでも、セミロング丈か、
ロング丈の物しか履くことはない。これは、ひざ上10センチ位で、しかもバック・スリット入りの
タイトスカートなので、非常に心許ない気分にさせる。
「あの……ちょっと、スカートの丈が短いような気がするのですが」
またしばらく、上司にその姿を見せることを躊躇しつつ、そのままではらちがあかないので、
ドアを開けたのだが。
「……意外に違和感がないものだな」
リザにとって、ある意味、メイド服よりも気まずい雰囲気になったスーツ姿を見て、ロイは言った。
「ちょっと、くるっと回ってみてくれるかな」
「は? はい……」
ゆっくりと、1回転してみせる。彼女の上司は、それを真面目くさった表情で、じっと見つめる。
「あの、大佐、スカートがですね……」
「ちょっと」
「え?」
スッと手を伸ばされ、何かと思うが、彼の手は顔の横を素通り。彼女の後頭部の髪留めに
手がかけられ、ぱちん、と外された。ふぁさっ、とセミロングの金髪が肩に落ちる。
「……何ですか?」
「この方が自然だ。君の凛々しさが和らぐ」
まあ、変装なのだし、それくらいはやった方が良いのかもしれない。
「あの、大佐、このスカートなのですが……」
「何か問題があるのかね?」
少しでも下げようと、裾を引っ張ってみるが、どうやったって膝までも下りはしない。
「ちょっと、短すぎるのではないかと……」
「いや、それで良いんだ」
「どういう理由でですか?」
ちょっとムッとして、すぐに問い返す。上司はといえば、涼しい顔で、
「君は普段、軍服で颯爽と歩くのに慣れているからね。その格好であれば、自(おの)ずと
大股で歩くということもできなくなるだろう。無理に意識しなくとも、如何にも秘書らしい
振る舞いになろうというものだ」
うっ……と、リザは言葉を飲んだ。筋が通ってる。通り過ぎている。悔しいけれど……。
「うーん……そうだな」
ロイは、また何か考え込むように腕を組むと、じっと彼女の顔を見つめた。
「何ですか?」
訝(いぶか)しげに彼女が言うと、彼は、ポン、と拳を手のひらに当てた。
「何か足りないと思った」
スーツが入っていた衣装ケースが載ったチェストに歩み寄ると、ケースの中をがさがさと、
何かを探しているようだった。
「――忘れているよ、中尉」
「はい?」
振り返った彼の手に有ったのは、手のひらほどのサイズのケース。カチッと開けると、
中から出てきたのは、細身のレンズの眼鏡。
「これで、完成」
あっという間に、かけられてしまう。勿論、度の入っていない、伊達眼鏡だった。
リザが横の姿見を見ると、見たこともない、眼鏡をかけた自分。
秘書というか、学校で教鞭を執る女教師のように見えなくもないが。
「……何ですか、これは」
「変装の定番。自分でも、一瞬分からないくらいだろう?」
それもまた、筋が通っていた。何だか本当の目的は他にあるような気がしてならないのだが。
もう、今夜は、ロイに主導権を取られてばかりで、悔しさばかりが空回りで募っていた。
――その悔しさに紛れて、とうとう彼女は疑念をぶつけてみた。
「大佐……もしかして、初めから大佐の中で、シナリオは決まっていたのではありませんか?」
聞くのが怖い、なんて、もう言っている段階ではない。いい加減、怒りをぶつけてやりたい気持ちで
一杯なのだが、どうも微妙に付け入るスキを見せないので、ますます腹が立ってくる。
ロイは、そんな彼女の剣呑な表情に何を思ったのか、にっこりと笑った。その笑顔に、また一瞬、
毒気を抜かれる。無邪気な少年のような、翳りのない。何でも許してしまいそうになる、危険な笑み。
「そんなことはない。まだ色々と、君と一緒に決めなければならないことはあるさ。たとえば――
美人秘書の偽名をどうしようか、とか」
リザの肩を取り、くるりを回すと、姿見に向かわせる。鏡の中のリザを、その肩越しに見つめて、
ロイは、実に楽しそうな笑みを見せた。彼女のために誂えた、その体のくびれも上品にかたどる
スーツのウエストが、すっぽりと簡単に、彼の腕の中に収まる。
「潜入調査で準備しなくてはならないことは、まだまだ沢山あるよ、中尉。……心の準備も含めてね」
今夜はまだ長いから――
そんなニュアンスをにじませて、彼はリザの耳元に、そっと口づけた。
3.27.2004.
1900HITの、すい様のリク、「秘書ペコーちゃんにちょっかいかける大佐」。
以前書いた"S'il vous plait, madame" が、ほんのり前提。あれも潜入系だったので。
色々コスプレさせようと思ったけど、長くなるのでほとんどカット。一体、何種類のコスを
準備していたんだ、大佐。リクはペコたんなのに、それ以外が長いって……(汗)
メイド服の描写が意外に面白くて、延々書きそうになってしまった。リクとずれてるって!