支え合う社会に

〜弟とのかかわりの中で考えること〜  (中3)


 「障害者」ーよく聞く言葉です。体の障害、知的な部分での障害ー。あるいは、心の障害ー。みなさんは、この「障害」という言葉に、どういうイメージをもっていますか。また、いわゆる「障害」をもつ人たちとどのように接していますか。私は...

 私の弟、昴は、九才。自閉症の傾向があり、第二養護学校に通っています。小学校低学年部の三年生になった今では、弟の行動もだいぶ落ち着いてきましたし、私も弟のことをゆとりをもって考えてあげることができるようになりましたが、二・三年前までは、毎日が嵐のような生活でした。ーごみ箱をひっくり返す。私や兄の部屋に勝手に入ってきては机の引き出しを開けて物を出して散らかす。夜中の二時になるときまって起き出してきてカーテンにぶら下がる。テレビの上に上がる.....。

 このような弟をもって、正直、つらいと思ったことはあります。でも、弟のことを嫌いになったり、自閉症でなければ、と思ったりしたことはありません。その理由の一つは、周りの人達が、弟を含めた私達家族をとても温かく受け入れてくれているからです。私は、弟のことでいじめられたり、嫌がらせを受けたりしたことは、一度もありません。家に遊びに来て、弟から髪や服を引っ張られた友達は「気にしないで」と笑顔で言ってくれました。そんな時私の心は、感謝と安心の気持ちでいっぱいになるのです。

 もう一つの、そして、最大の理由は、両親の存在です。我が家の末っ子に生まれ、目に入れても痛くないほどかわいがってきた自分の子どもが自閉症だと知った時の両親の悲しみ、この事実を受け入れるまでのつらさは、どんなに大きかったことでしょう。しかし、父も母も、そんなそぶりは全く見せません。以前、「昴のためになんて考えなくていいよ。あなたは昴の親ではないし、あなたにはあなたの人生があるんだからね。」と言ってくれたことがありました。私は、この言葉から、父や母の大きな愛情を感じました。心から、両親の子どもでよかったと思ったことを、今でも覚えています。

 自閉症の弟ー。知的障害があるとも言われています。「障害」ー。障害という言葉は、じゃまなものとか、体の故障という意味ですが、言葉が理解できない人、やりたいことがうまくできずに周囲の力を借りなければならない人は、じゃまなのでしょうか。考える能力が多くの人より遅れていることは、体の故障なのでしょうか。私は違うと思います。

 私は弟のおかげで、家族の愛や尊さを知りました。かわいい弟のおかげで、ほんの小さな進歩が大きな喜びにつながるということを知りました。かわいいかわいい弟のおかげで、人間の心は広く、優しく、温かいものであることを知りました。

 一人一人がお互いに認め合い、支え合い、補い合うこと。この姿こそが、当たり前の社会のありようなのだということを、私は弟と一緒に過ごした九年間で感じることができたのです。
そして、こんな社会を実現させるための力になりたいと、私は今、強く思っているのです。



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