ごあいさつ

 神社空間にようこそ。管理人のkokoroです。私が神社について興味を持ち始めてから十年以上たちます。その間、各地の神社を巡ったり、古代史の書物などをあさったりしてきました。たんに好きでやっていたので気ままなものでしたが、そんなことでも十年以上やっていると、いろいろな考えが多少は形となってくるようです。そこで、そうしたことがらを紹介する場として、「神社空間」というサイトを立ち上げることにしました。以下、神社空間≠ニいう言葉について説明することで、拙サイトの紹介に代えさせてもらいます。

 神社空間≠ニいう言葉はもともと空間デザインの文献などで使用されていたもので、例えばアーバンデザインの分野などでは、「都市に水と緑と青空をもたらす明治神宮の神社空間」などという感じでこの言葉が使われます。ただし私が言う神社空間≠ヘそうしたこととはあまり関係なく、神社というものを成り立たせている3つの空間のことを指しています。3つの神社空間を順々に説明していきましょう。

 まず私が第一の神社空間≠ニ呼ぶものは神社が実際に占めている物理的な広がりのことです。神社の敷地はふつう境内≠ニ呼ばれますが、せまく捉えれば第一の神社空間とは境内のことになります。宗教法人法第3条には境内地≠フ定義があります(※)。それによれば、本殿・拝殿・社務所などの敷地、参道、神せん田、神社の尊厳と風致を守るために必要な山林などの土地が境内地≠ニいうことになっています。実際の法的施行はどうあれ、文言の上からだけ見れば、こうした定義は神社の境内についての一般的な通念を満たすものでしょう。

 しかしながら私は、宗教法人法で規定された境内地≠謔閧熏Lく、第一の神社空間のことを捉えたいと思っています。例えばこの法律の規定によれば、境内地は宗教法人の所有地でなければなりません。が、しかし、例えば神体山を祀る神社の場合、その神体山がすでに人手に渡って神社の所有地ではなくなっているケースでもその山を第一の神社空間に含めて考えたいのです。
 もっと極端な例をあげれば、川畔に鎮座する女神の古社に、川を遡って男神が通婚するという伝承が残っている場合、古代人の想念上では神社空間は川を伝わって何10qも延長されることだって考えられます(じっさいそれは、彼らが他界として意識していた海の底にまで及んでいる場合だって考えられるのです)。とにかく、第一の神社空間はこうした固有信仰などもかんあんして柔軟に捉える必要があるでしょう。

 
川畔に鎮座する女神の社の例



 兵庫県宍粟郡波賀町皆木にある邇志(にし)神社は社前を引原川が流れ、神社の前は宮淵という淵になっている(右画像の右上に映っている樹木が社頭の杉。ふきんの川面が宮淵だが、現在は堆砂によってかなり埋まってしまったらしい。)。神社と川の間には国道29号線が通っているが、この淵は道路の下を通って神社の下まで通じていると言われ、そこには龍蛇が生息するとして恐れられた。当社の祭神はいつの頃からか、下流に鎮座する播磨国一宮の伊和神社の后神とされ、この龍蛇は伊和神社の使いとされていたが、男神が龍蛇やワニの姿となって川上の女神のところへ通婚するという古い信仰を感じさせる。



 それはともかく、この第一の神社空間についてはいろいろな特質を指摘できると思いますが、なかんずく次のことは強調しておきたいと思います。それは第一の神社空間は、その神社を介して鎮座する地域と分かちがたく結びついている、ということです。こうした地域との強い結びつきの結果として神社空間と氏子との間にはかけがえのなさ≠ニいう関係が生じますが、そのことについてちょっと丁寧に説明します。

 職場の近くでアパートを探すとします。ちょうど良い物件が見つかったのでそこに入居しようとしたら間一髪で別の人に契約され、そこには入れなくなってしまいました。では、アパート探しは諦めなければならないでしょうか。そんなことはないはずです。そのアパートに入居するのは無理だとしても、職場からの距離や、間取りや家賃等の条件が似た別の物件を探せばいいからです。ようするにアパート探しについては代替え性が利くのです。

 では神社の場合はどうでしょう。ある年寄りの氏子が最近、氏神である八幡神社への参拝がおっくうになってきました。その神社にはかなり長くて急な石段があるので、社殿のあるところまで登るのがけっこう大変なのです。たまたま隣の集落にも八幡神社という神社があり、その方の自宅からもそんなに離れていません。ではその方は「同じ八幡神社だから祭神も同じだし、家からの距離もそんなに変わらない。あそこの神社には石段がないからこれからはあそこを氏神の代わりにしよう。」などと考えるでしょうか。まず、ありえないでしょう。神社にはその神社が鎮座している土地のゲニウス・ロキ(土地の霊)を祀ったものという側面があるため、アパート探しと違ってとりかえが利かないのです。このような代替え性の利かなさ、すなわちかけがえのなさ≠ノよってその神社が鎮座する地域と結びついている、ということが第一の神社空間の特性として指摘できます。こうした事態は、第一の神社空間とその神社が鎮座している地域が、神社を介した地縁的な関係によってほとんど絶対的に結び付いていることを印象づけるものです。






 続いて、第二の神社空間≠フ説明です。私が言う第二の神社空間とは、ある神社とある神社の間にある広がりのことです。ただしそれは、たんに神社と神社を分離する「仕切り」のようなものではありません。神社巡りを趣味にしている人の中には、旅行中の神社から神社への移動時間を列車の車内や車の運転席で過ごされた経験をお持ちの方もあるでしょう。あの期待感と退屈が入り交じった時間のことを思い出してください。あれが第二の神社空間の体験なのです。つまり第二の神社空間とは、たんに神社と神社の間に拡がっているニュートラルな空間のことではなく(もしもそうだったとすれば、それはただの空間と変わりないことになってしまいます。)、2つの神社の間にある走破しなければならない「隔たり」のことなのです。そこには移動距離とベクトルがあります。

 第二の神社空間は、それが無ければ神社が成立しない、という意味で第一の神社空間と同じくらい大切なものですが、後者と比較してこれまでわりとその重要性が見落とされがちでした。しかし私は、重要なものとして常に第二の神社空間を意識しようとつとめております。






 ところで第一の神社空間と第二の神社空間は実体のある物理的な空間でしたが、これに対し、私が第三の神社空間≠ニ呼ぶものは神社をめぐる言説の空間です。すなわち、神社について語られる場所で無数に飛び交う言葉たちの空間のことなのです。

 この第三の神社空間では、しばしばある神社がある神社につながろうとします。岡山県の赤坂郡吉井町に鎮座する石上布都魂神社の例をあげます。この神社については古くから、以下のようなことが注目されており、このことは当社について多少とも真面目に語られる機会があれば必ずと言って良いほど言及されてきました。

 「石上布都魂神社」は奈良県天理市の石上神宮と名前が似ている(石上神宮は、『延喜式』神名帳では「石上坐布都御魂神社」という社名で登載されています。)。
 『新撰姓氏録』大和国皇別の布留宿禰の条には、仁徳天皇の時代に市川臣という人物が石上布都魂神社を石上神宮へ遷したという記事がある。
 『日本書紀』の一書には素戔嗚尊が出雲のヤマタノオロチ退治で使用した剣が「今、吉備の神部の許に在り」とある。
 この剣は現在、石上神宮の第三相殿で「布都斯御魂神」として祀られている。

 これらを総合すると、ヤマタノオロチを斬った剣は最初、吉備の石上布都魂神社で祀られていたが、いつの時代にか石上神宮に遷されて現在に至っているというつながりが見えてきます。こういったことはほぼ定説になっていると思いますが、さらにコノテーションのレベルでは、そこに吉備と出雲の関係だの、出雲と石上神宮の関係だのを見ようとする言説がかぶさってくるのです。

 
 石上布都魂神社の旧社地にある巨大な磐座。

 それはともかく、石上布都魂神社と石上神宮は岡山県と奈良県という物理的にはかなり離れた距離にあるにもかかわらず、このように言説の空間上では密接につながっており、第三の神社空間上では個々の神社を結びつける力がはたらくことの好例となっています。第二の神社空間は神社と神社を引き離し、第三の神社空間は逆にそれらを引きつける、とでも言えましょうか。
 そうじて私は、神社というものに興味をもつようになってからこのかた、いつもこうした第二の神社空間と第三の神社空間の相反する性質に感銘を受けてきました。そこでこれから私はこの「神社空間」というサイトで、伝承や古代史等の面から第三の神社空間に強力にコミットして、ある神社とある神社のつながりを強調していきます。しかしそのいっぽうで、両社の間に介在する第二の神社空間のことはことさらに無視するかのような挙に出ようかと思います(実際には私は、第二の神社空間のことを非常に強く意識していることはさっきも書いたとおりです。)。そうすることで両社が鎮座している地域と地域が思わぬ仕方で出会うことを読む人に印象づけたいのです。

 ある地域に鎮座している神社について探求しているうちに、全く別の地域に鎮座している別の神社のところへと送り届けられてしまうという、まるでクラインの壺のような体験 ── その体験は、第一の神社空間が、その神社が鎮座している地域と強く結びついているだけにいっそう逆説的です。そうして私はこのサイトで、こうした体験を意図的に作り出すことで私たちが生まれ育った国土についての新しいイメージを創造したいと考えています。願わくばそれが、諸地域に対する関心を取り戻させ、地域と地域をつなぐ新しい輪になれば、と期待したいです。






 風土≠ニいう言葉にはどこかしらロマン派好みのところがあります。この言葉の裡には、じつは大気的なものと大地的なものへの2つの憧憬があるのではないでしょうか。つまり「風」と「土」にです。その場合、ロマン派たちを惹きつけたのは、「風」よりも「土」だったと思うのですが、この「神社空間」というサイトが提供する神社のイメージは「土」ではなくむしろ「風」寄りのものです。
 神社のことを大地にではなく、大気に向かって開こうとする、── しかし大地のことをないがしろにするのではなく、むしろ心情の力を借りてそれを行うことで、より永続的な大地のイメージをうち立てようとする ── 、


   大地よ、これがおんみの願うところではないか。目に見えぬものとして
   われわれの心の中によみがえることが? ── それがおんみの夢ではないか、(『ドゥイノの悲歌』)


こうした試みが完全に成功した時、あるいはもはや「神社の空間」ではなく、「空間の神社」とでもいった事態が到来するかもしれない、── そんなことも夢想しております。






 日々のあわただしい生活のなかでこのサイトを運営しているのと、管理人の遅筆のせいで迅速な更新は無理ですが、気長にボチボチとやっていきたいと思います。そのかわり他の文献にある説の紹介だけに終わらせないよう、なるべく新知見を盛り込んだ興味深い内容にしたいと思っています。

 最後になりましたが、拙ホームページはリンクフリーですが、著作権を放棄した訳ではありません。他の文献からの引用やすでに公にされた学説の紹介等を除く私自身の考察的記述に関しましては、管理人、kokoroに「著作権」と「知的所有権」があります。したがい拙ホームページのテキストやその内容、画像等を、書籍、他のホームページ、記憶媒体等への無断複製等を行う行為はご遠慮下さい。よろしくお願いします。。。

2008.04.23記






 宗教法人法第3条の条文をあげると次のとおり。

 この法律において「境内建物」とは、第一号に掲げるような宗教法人の前条に規定する目的のために必要な当該宗教法人に固有の建物及び工作物をいい、「境内地」とは、第二号から第七号までに掲げるような宗教法人の同条に規定する目的のために必要な当該宗教法人に固有の土地をいう。
一 本殿、拝殿、本堂、会堂、僧堂、僧院信者修行所、社務所、庫裏、教職舎、宗務庁、教務院、教団事務所その他宗教法人の前条に規定する目的のために供される建物及び工作物(附属の建物及び工作物を含む。)
二 前号に掲げる建物又は工作物が存する一画の土地(立木竹その他建物及び工作物以外の定着物を含む。以下この条において同じ。)
三 参道として用いられる土地
四 宗教上の儀式行事を行うために用いられる土地(神せん田、仏供田、修道耕牧地等を含む。)
五 庭園、山林その他尊厳又は風致を保持するために用いられる土地
六 歴史、古記等によつて密接な縁故がある土地
七 前各号に掲げる建物、工作物又は土地の災害を防止するために用いられる土地


 ちなみに、この法律の規定に基づいて境内地≠ニされた土地は、固定資産税が課されない等の特例があったりするため、キチンと分筆された上で地目「境内地」として登記されます。

















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