まるで体中の血液が沸騰しているような感覚だった。
胸から顔の皮膚が焼け爛れているのが鎧の上からでもはっきりわかった。
それに、おそらくロキが術でもかけたのだろうか、さっきから口がひっきりなしに動いている。
「――私は言われたのです、オーディン様に。フレイ様とフレイア様にあいさつにいくあなた様を監視し妙な行動をしたりフレイ様とフレイア様のお屋敷以外の場所にあなた様が行かれるようなら始末をしろと、そういえば――」
「もういい」
ロキの言葉と同時に口の動きが止まった。
「この術も便利なんだが聞きたい事のみを喋らせる事はできないものかな。」
ロキは独り言のように言い、しばらく考え言葉を発した。
「なぁ、ヘイルダム。動ける程度に術を加減してやったんだから、このブリージンガルをオーディンに持っていってくれないか」
「なぜ俺に頼む!」
痛みに耐えながらやっと自由になった口と舌でヘイルダムはロキに向けて叫んだ。
「今頃、騎士団が僕の歓迎パーティーの準備をしてるだろうからさ。酒も食い物もねぇ、僕の血が酒で肉がご馳走の代わりのパーティーを。」
ロキの血がべったりついた顔が笑った。
「ブリージンガルを奪ってくれば騎士団が、フレイアの屋敷以外の場所に行けば君が僕を消す。あの王はどうしても僕を消したいらしいな。」
そういってロキはヘイルダムの近くの地面に考え込んでいるような表情をして腰を下ろした。
今、剣を抜いて斬りつける事ができるだろうか
ヘイルダムは考えたが自分の持っていた剣は少しはなれた木の根元の近くに転がっていた。
じっと剣を見つめているうちにロキが立ち上がりヘイルダムの剣を拾い上げた。
「さあ、プレゼントだ。これが欲しいんだろ。」
ロキはヘイルダムに向けてブリージンガルと剣を投げた。
「君はそれを盗賊からとりかえしたとでも言ってオーディンに持っていってくれ。オーディンだって何の口実もなしじゃヴァルハラでは僕を殺せないさ。じゃあね。」
そういってロキは歩きかけたが止まった。
「あぁ、念のため言っておくけど君がさっきフレイアの屋敷で起こった事を正直に言っても誰も信じはしないよ。はっきりした証拠が無ければ僕に罰を与えることは無理さ、僕が王家顧問魔術師であるかぎり。」
去っていくロキを見ていた目がかすみ、ヘイルダムの意識は消えていった。

「では、貴殿らは盗賊からこのブリージンガルを取り返したのだな。」
銀髪を短く切り、屈強な顔をした男は低い声で聞いた。
「・・・はい。」
ヘイルダムは短く答えた。
「そのとおりです、オーディン様。なんども申しましたとおり、私が閣下からもうしつけられた仕事を果たそうとフレイア様の屋敷に参ったところ入り口を守っている番兵が殺されていたもので無礼を承知で屋敷の中へと入らせていただきました。そして中にいた賊をたまたま通りかかったこのヘイルダムと共に倒し、ブリージンガルを取り返したと言うわけです。」
ヘイルダムの隣にひざまずいているロキがヘイルダムと対象的に長く答えた。
「・・・・・・御苦労だった。2人とも下がり、ロキは遠征の準備をするがいい。」
オーディンは言った。

「失敗ですね、オーディン。」
端正な顔立ちをした金髪の男がオーディンの部屋に入るなり言葉を発した。
「俺に会いたいのなら謁見の間に来てほしいものだな、フレイよ。」
怒りが見て取れる表情でオーディンは答えた。
「それに俺は言ったはずだ、正面から当たってもロキには勝てんと。失敗は俺ではなく俺の言葉を無視した、おまえの責任だろう。」
「別にあなたに責任を押し付ける気はありませんよ。私は彼の力を見ておきたかっただけですから。」
「力を見たかっただと?力の確認の代償に妹を取られてもよいと言うのか?」
オーディンの顔には微笑が浮かんでいた。
「見苦しいうそはやめるんだな。」
オーディンは微笑したまま言った。
「今日はさよならだ、フレイ。」
フレイは動かなかった。
「さよならだ。」
怒りの表情をうっすらと顔に浮かべながら荒い足取りでフレイは踵を返した。
「策士のつもりなら、これからはもう少し人の言葉に耳を傾けるのだな。」
去っていくフレイに向けてオーディンはなおも言った。
「他人の言葉に簡単に惑わされるような策士ならば必要ない、違いますか?」
一瞬だけ振り返りフレイは言葉を返した。
その言葉の後、オーディンの顔から微笑が消えていた。