「もう、四日になりますか? 僕があなたに拾われてから。」
昼食の後片付けをしながらフォズが言った。
「せめて、助けられたって言ってくれない? 」
三時間ほど前から、メリルは小さなソファーに腰掛けて本を読んでいる。
「すいません。ところでメリルさん、僕が食事の用意をするというのはかまわないのですが、食材がもう少なくなっていますよ。」
「うん、そろそろ無くなるかなって思ってたんだ。」
メリルは本を閉じて言った。
「あ〜ぁ、やっぱ本の読みすぎは良くないね。頭痛くなってきたよ。」
言いながらメリルは立ち上がり、フォズの使っている部屋の扉を開けた。
「来て、フォズ。」
フォズが部屋に入ると、メリルは壁に掛けられていた長い筒のような物をフォズに手渡した。
「見た感じはそれが一番いいと思うから使って。」
「あの、これは? 」
筒はかなりの重さがあった。武器なのかもしれない、とフォズは思った。
「アルテミス、四連式のリボルバーライフルだよ。ちょっと古い型だけど十分使えると思う。反動が大きいから注意してね。」
メリルはにこやかに言った。
「は? 」
フォズには言われた事の意味が全く分からなかった。
「狩りにいくよ。野牛か鹿なら高く売れるから、がんばろうね。」
「これは、何なのですか? 」
フォズは手元の筒を示して言った。
「……もしかしてさ、銃ってアスガルドになかったりする? 」
「残念ながら、今までこのような物を見た事はありません。」
「…………あぁ、わかった……。銃っていうのはね……あぁ、うまく説明できそうにないや。うん、使う時に教えるよ。だからとりあえず、それ持ってて。」
メリルは言いながら黒のテンガロンハットをかぶり、手袋をしてコートを羽織った。淡い金髪が黒いコートと帽子で際立って見える。
「ついてきて。」
そう言うと、メリルは家の外へ出て行った。

「う〜ん、なんだか久しぶりに外に出た気分。」
扉を開けて外の空気を吸い、メリルは言った。
「あんなに長く本を読んでいるからですよ。」
「うん、私って夢中になると他の事とか見えなくなっちゃうんだよね。」
「僕もたまにそうなりますよ。」
そう言ってフォズは建物や地面など、全てが石で作られている商店街に目を走らせた。
「このリリウォンも綺麗になったもんだよ。昔はひどかったよね〜。」
「いや、そう言われても僕は四日前にこの町に来たばかりですから……。」
「そういえばそうだね。とりあえず外に出るには一番街に行かなきゃいけないから汽車に乗るよ。ついてきて。」
メリルは商店街を北に歩き出した。雑貨、食料品、衣類などの様々な店がフォズの視界に入っては消えていき、しばらくすると大きな建物の前に出た。
「駅までが遠いから嫌なんだよね。まとまったお金が入ったら一番街に引っ越そうかな。」
呟くようにそう言ってメリルは大きな建物へ入っていった。
「あっちが改札で待合室はあっち、まずは乗車券を買わなきゃね。」
そう言ってメリルはフォズに小銭を手渡した。
「一番街行きのを二枚買ってきて。私はここで待ってるから。」
「わかりました。」
フォズが乗車券を買って戻ってくると、メリルは両手にフォズが見た事のない物を持っていた。
「ごくろうさま。はいこれ、この駅の売店で売ってる奴はおいしいんだよ。」
メリルは右手のそれを差し出した。
「これは、食べ物……なのですか? 」
フォズはそれを受け取り、言った。
「アスガルドにはアイスもないの? まあいいや、食べてみて。」
メリルはそう言うと左手のアイスを一口なめた。
「……はい。」
一口かじってみると口の中に甘い味が広がった。
「これはいいですね。気に入りましたよ。」
「うん、よかった。」
メリルは満面の笑みを浮かべた。

しばらくして、轟音が聞こえ汽車の到着を知らせた。
「ああ、着いたみたい。席取らなきゃ、急いで! 」
メリルは汽車に駆け込んだ。
「うん、思ったよりすいてるね。」
「そのようですね。」
汽車の中にはフォズとメリルを合わせても六人しかいなかった。
近くのコンパートメントに入り座席に座ると、途端に眠気が襲ってきた。フォズはたまらず大きなあくびをした。
「眠いなら寝てていいよ。着いたら起こすから。」
「それでは、お言葉に甘えさせていただきます。」
朦朧とした意識で言い、フォズは目を閉じた。

「気分はどうだ? ロキ。」
白髪を靴のかかとまで伸ばした男が言った。
暗い部屋の中にはロキの座っているベッド以外には何もなかった。窓も扉さえもない。
「最悪だな。あんたのせいで汽車から落ちたよ。」
体に痛みはないが、ひどく動きにくく喋るのでさえ苦痛だった。
「無理に動かなくていいさ。まだ魂が馴染んでいないだろうからね。」
白髪の男が薄笑いを浮かべて言った。
「魂……って事はあの汽車は本物だったのか。本気で死ぬとは思わなかったから少し驚いたが、こういう事だったのか、イドゥン。」
独り言のように言ってロキはベッドから立ち上がった。
「あんたも運がないねえ、俺を生き返らすなんてどうかしてるぜ。絶対に死んだら地獄行きだな。」
ロキはからかうような口調で言った。
「あいにく、私はその地獄を統べる者なんでね。地獄行きなら歓迎するさ。」
白髪の男が口元に笑いを浮かべ、濁った声で言った。
「……へえ、だったらここから出してくれないか? 悪魔とは話したくないんだ。」
ロキはそう言ってベッドを部屋の片隅へ蹴り飛ばした。
「そう言わんでくれよ。私は君に頼みごとをしたいだけなんだ。」
白髪の男は木片になったベッドには目もくれずに言った。
「悪いが俺は年寄りも嫌いなんだ。年寄りの悪魔の頼みなんて聞きたくねえな。」
「……残念だが仕方がない。完全に自我を消すとするかな。」
「やってみろよ。汝、深遠の片隅で終末を見るがいい! 」
ロキがそう唱えると、白髪の男は黒い球体に飲み込まれた。
「心地よい闇を出してくれるな。」
その声がすると共に、暗黒の球体は徐々に小さくなり白髪の男の体に吸い込まれた。
「へえ、ならこれはどうだい? 混迷の彼方で果てよ、肉も骨も魂さえも! 」
一瞬にして、白髪の男の体はその場から消え去った。
「闇と光の狭間へ飛ばすというのは面白いかもしれないが、転移魔法ぐらいは習得しているのだよ。」」
白髪の男は汚い笑みを浮かべ、ベッドの破片の上に立っていた。
「ふふん、なかなか頭が良いらしいが、これで最後だ。黄昏の時は来た、焔の大蛇が放つ冥界の鬼火が汝を討つだろう! 」
ロキの言葉と共に青白い炎が白髪の男に向け燃え上がった。
「……ふぅむ、おまえを蘇らせた事を少々後悔しているよ。」
炎の中で白髪の男が言った。
「いまさら後悔したって遅いのさ。まあ、骨も残さず逝ってくれよ。」
ロキの顔に薄い笑みが浮かんだ。
「何を言っているんだ? 君は。」
白髪の男が言うと青白い炎は一瞬にして消えた。
「私が後悔しているのは君の力のなさに対してだ。いったいどうしたというのだ? 今の術は理論に魔力が追いついていない。君の力はそんな物ではないはずだぞ? 」
白髪の男は当惑の表情を浮かべていた。
「ふん、……しかたないだろう? 俺はあんたのせいで列車から投げ捨てられたんだ。まあ、負けは負けさ。あんたの頼みを聞いてやるから早くこの狭い部屋から出してくれ。」
ロキはそう言い、床に座り込んだ。
「……それでいい。自己紹介しておこう、私はヘーニル。こっちがラストだ。ここから出たいのは分かるが君はしばらくここで休むといい。食事の用意や掃除はこのラストにやらせてくれ。」
いつのまにかヘーニルのとなりに若い女が現れていた。ヘーニルと同じように白髪を長く伸ばしている。
「ああ、わかったよ。かわいらしい世話係までいただけて僕は幸せだ。」

「下手だねえ。」
フォズの放った銃弾は標的の鴨からやや外れた木に命中していた。
「まあ、最初よりはましだけどさぁ。もうちょっとがんばんないとご飯が食べられないよ? 」
メリルはそう言ってフォズの肩をたたいた。
「そんな事を言われても、僕はこんなものを使うのは初めてなんですよ? 」
「初めてでも、獲物を取らなきゃご飯が食べられない事には変わりないでしょ? 早く次のを探すよ。厄介なのに見つかっちゃう前に終わらせなきゃ。」
メリルはそう言って早足で歩き出した。
急いだ方がいいことは確かだ。まだ鴨を二匹とうさぎを一匹しか獲っていない。
「メリルさん、ずっと気になっていたのですが、何が厄介なのですか? 」
フォズが後に続きながら言った。
「そのうち嫌でも分かるよ。いつでも逃げる準備はしといてね。」
メリルは前を向いたまま言った。
「止まって。」
しばらく歩いて林の出口にさしかかったところでメリルが言った。
「あれは、野牛ですね。」
茂みで隠れていて見えにくいが草原で小さめの野牛が一匹、草を食んでいた。夕焼けに染まった草原の彼方には要塞都市リリウォンがそびえ立っている。
「群れからはぐれたのかな? まあ、いいや。あれは私がやるよ。」
メリルは声をうれしそうに弾ませ、肩に掛けられていた短い散弾銃をおろした。
「……行くよ! 」
短く叫んで、メリルは野牛に向け突進していき、全体重をかけて野牛の腹を蹴り飛ばした。鳴き声と共に野牛が倒れる。メリルは野牛の喉元に散弾銃の狙いを定めた。
「もうちょっと大きくなるまで一人歩きはだめだよ。」
メリルの言葉の後に轟音と鳴き声が響いた。
「見事……ですね。」
フォズは目の前で起きた出来事に呆然としていた。
「ありがと。早くこっち来て。肉を切り分けなきゃ。」
メリルは血が飛んで所々が真紅に染まった顔をコートの袖でぬぐった。
「ひどく血が飛んでいますが……。」
言いながらフォズはメリルから渡されていた大振りのナイフを鞘から抜いた。
「いいのいいの。後でそこの川で洗えば血なんて落ちるよ。」
メリルもナイフを抜いた。
「フォズ! ちょっと見て。」
野牛の解体が終わりに近づくと、メリルが言った。
「ほら、あれ。」
そう言ってメリルは草原の彼方に見える物を指差した。
「あれは……?」
それは、よく見ると人形のようであった。
「あれが厄介なんだよ。でも、一匹でよかったよ。気付いてないみたいだし。」
「いえいえ、私どもは気付いておりますよ。」
声がするほうを見ると、白髪を短く切った男が立っていた。
「おじさんだれ? 私が気付いてないみたいって言ったのはあれの事なんだけど。」
メリルが立ち上がり、言った。それと同時にフォズが後ろにさがった。
「メリルさん! 離れてください。この男からは死臭がします! 」
はっとしたようにメリルも後ろに飛ぶ。
「鼻がいいんだね、フォズ。私ったらこの牛の匂いかと思ったよ。」
メリルは両腰につけていたホルスターから銃を抜き、男に突きつけた。
「ふむ、目が見えないぶん嗅覚が発達したんですかね、フォズ。」
白髪の男はそう言うと左手の指を鳴らした。
そのとたん、林の中から何体かの人形が現れた。人形は空高くから糸で吊られている。
「血をしみこませた糸で土を縛り、悪魔の媒介とする。ずいぶん古い術ですね。」
フォズは持ってきていたミストルティンを抜いた。
「まず、自己紹介をしておきましょう。私の名はスロース。古き時代から研ぎ澄まされし我が呪術、受けるがいい。」
スロースがそう言うと、人形が一斉に飛び掛ってきた。
「全治をすべる霊神よ、願わくばその力で我を守りたまえ。」
フォズが唱えると、地面に複雑な形の魔方陣があらわれ、人形をはじき返した。
「これって、結界って奴? 」
メリルが言った。
「そうですが、長くは持ちませんからよく聞いてください。あの人形を破壊するには土を繋ぎ止めている糸を断ってください。そうすれば土に戻るはずです。」
そう言ってフォズは仮面を取り出した。
「それ、趣味悪いよ〜。絶対、つけない方がかっこいいって。」
「顔に返り血を浴びるよりはましでしょう。いいですか? 結界を解きますよ。」
「待って。あのスロースってやつは殺さないで。」
「なぜ? 」
「とにかくだめ、事情は話すから。」
「わかりました。それでは、結界を解きますよ! 」
足元の魔法陣が消えると、再び人形が飛びかかってきた。
フォズは人形の頭上に向け、ミストルティンを一閃した。
すると、人形は土になり、草原に崩れ落ちた。
「帰れ、暗黒の彼方に。」
フォズがそう言うのとほぼ同時に、フォズの背後で銃声が四回響いた。
「あ〜あ、一発外しちゃった。」
メリルはそう言って、まだ銃口から煙が上がっている銃をスロースに向けた。
「あんた、スロースって言ったけど、もしかして、議員の……。」
「ええ、貴女の予想通り私はザイウォンで議員をさせていただいておりますよ。」
スロースは不気味な笑みを浮かべた。
「さて、本題に入ろう。フォズ、その剣を渡してくれないか? 」
スロースは視線をフォズの移し、言った。その顔からは笑みが消えている。
「ミストルティン……を? 」
「そうだ。渡してくれ。」
スロースはフォズに向け、握手を求めるように手を差し出した。
一瞬の後、フォズは差し出された手に向けて無言でミストルティンを振るった。
スロースの腕に浅い傷がつき真紅の血が流れ出す。
「それを必要としている人がいるんだ、フォズ。」
「あいにくですが、僕もこれが必要なのですよ。」
フォズは懐から小さな布を取り出し、剣に付いた僅かな血をぬぐった。
「……まあ、いいでしょう。返事は待ってあげますよ。」
そう言うと、スロースの姿は一瞬の内に消え去った。
「だいぶ、まずい事になったよ……。」
メリルが銃をホルスターに収めながら言った。
「あの男は何なのです? 」
フォズもミストルティンを鞘に収めた。
「帰りの汽車の中で話すよ。早く行こう、せっかくの肉が悪くなっちゃう。」