「話とは何でしょうか、ロキ様。」
ゆるやかな海を走る船の甲板でフォズはロキに問いかけた。
「今の状況について説明しておこうと思ってね。」
ロキは薄笑いを浮かべながら言った。
「状況?」
「実は今の状況はとても危ないのだよ、フォズ君。」
ロキはからかうように大きく笑顔を作った。
「なぜ、ミッドガルド領からはもうすぐ出るはず。海戦はありえないでしょう。」
フォズの言葉が終わると、ロキがゆっくり首を振った。
「そうじゃないのさ。危険なのは――」
「おまえら、なに話してんだ?」
背中に大検を背負ったトールがどこからともなく現れ、異常に静かな声で話に割り込んできた。
「噂をすればなんとやら・・・か。」
ロキは冷たい声で静かに言い、フォズに向き直った。
「我、欲するは聖なる奇跡、慈悲あるならば彼の者に光を。」
――何かの呪文?
フォズは一瞬そう考えたが、すぐに変化に気づいた。
「目が・・・見える?」
フォズは震える手で仮面をはずした。
「この、光に満ちた大海原を再び見る事ができるとは・・・。」
「怒らないのかい? 僕はやろうと思えばいつでも君の目を治せたのかもしれないのに。」
大きく目を見開いたフォズに向けてロキは言った。
「なぜ怒らなければいけないのです? 僕は今までこの目に光が戻る事はないと思っていました。その目に光を戻してくれたあなたを感謝する事はあっても、恨むことなどありえない。そうでしょう?」
フォズは当惑の声を上げた。
「そうかい。それじゃあ、次は裏切り者の処置を考えるかな。」
フォズからトールに視線を移し、ロキはさらっと言った。
「ふん、裏切り者はおまえらじゃねえか」
トールが意地の悪い笑みを浮かべ、静かに言った。
「兄さん? 何を言って――。」
「オーディン様の理想を邪魔するものを、生かしておくわけにはいかん!」
フォズの言葉を大声でさえぎり、トールは大剣を両手で構えた。
「うそだ・・・反乱を始めると言い出したのは兄さんじゃないか!」
「ああ、あんなのうそさ。反乱なんてのはおまえらの忠誠心を計るための芝居に過ぎねえんだよ。」
トールの笑みが大きくなった。
「ずいぶん下手な策士気取りだったな。」
ロキがからかうように言った。
「なんとでも言えよ。なにを言ったっておまえらは死ぬんだからな!」
トールは大剣をロキに向かって振り下ろした。
「当たると思っているのかい?」
ロキは薄笑いを浮かべながら右に跳んで回避した。
「フォズ、海に飛び込め! ここからなら海流に乗ってミッドガルドに着くはずだ。」
ロキは鋭く叫んだ。
「僕は・・・。」
「飛べ! 俺も後から行く。」
「ロキ様、僕は――。」
「早く! ミストルティンがおまえを守る。」
フォズは仮面を付け直し、歯を食いしばって、ゆるやかな海へ飛び込んだ。
「ロキ! おまえはとんでもねえ馬鹿だな。あいつは泳げないんだぜ!」
言いながらトールは大剣をなぎ払った。
「馬鹿はおまえだ。縦か横かの斬撃しかできない大剣じゃ、俺はしとめられないって事がわからないのかい?」
ロキが後ろに跳びながら言った。
「さて、太陽高度からしてヴァルハラでは今ごろ民衆への演説が始まるころですかね。」
「だからどうしたぁ!」
トールは懇親の力で剣を振り下ろした。
「流水の流れよ、盾となって我を守りたまえ。」
突如、ロキの足元から水が噴き出しトールの剣を大海原へ弾き飛ばした。
「大昔から剣士は術士に勝てないものさ。悪いけど、あとはがんばってアスガルドに帰る事を考えてくれ。」
ロキは笑いをこらえているようだった。
「逃がすか!」
トールはロキに殴りかかった。
「我が肉体ここにあらず、願わくば転移の力を与えたまえ。」
トールの拳がロキの顔面に命中する瞬間、ロキは姿は消えていた。
「航海士のいない船がどこに行き着くか、見物させてもらうよ。」
トールの耳に姿のないロキの声だけが聞こえた。

民衆への演説を終えたバルドルが城のテラスに作られた演説台の後ろに作られた席に腰を下ろした瞬間、ロキが目の前に現れた。
「やあバルドル、それにオーディンと・・・君がフレイかい? まあいいさ、ちょっと時間をもらうよ。」
ロキはそういって振り返り演説台に登った。その瞬間、オーディンの演説を待っていた民衆が一斉にどよめいた。
「さて、誇り高きアスガルドの諸君。今日は我らが主神オーディンの御言葉を頂く前に少し僕の話を聞いてもらおうか。まず、我らがアスガルドと交戦状態にあるミッドガルドについてだ。諸君らはあの国についてどれほどの知識を持っているだろうか? おそらく、全くといっていいほど持っていないのだろう。なぜならミッドガルドについて正しく知る者が諸君らの中にいれば、主神オーディンは主神ではいられないだろうからだ。なぜか? それはミッドガルドは国力、軍力、科学力のどれをとっても我らがアスガルドに大きく勝っているからだ。諸君らがミッドガルドについて正しく知る事があれば誰しもミッドガルドにオーディンの首を差し出し許しを請おうとするだろう。今ならばまだ間に合う。急ぎオーディンをギロチンにかけ、許しを請うのだ。今こそ、諸君らの力を示せ!」
歓声、罵声、叫声、さまざまな声が民衆からあがった。
「次に、おかしいとは思わないのか! 諸君らもこの国の一員であるというのに、この国の全ての権限は主神オーディンが持っている! ミッドガルドとの交戦も、ヴァナヘイムとの和睦も、決める権利を持っていたのはオーディンだけだ! だが、ミッドガルドは違う。あの国では国民から広く意見を聞き、我らの国で言う主神にあたる者は血筋に関係なく全ての国民の中で最も優れたものが国民の投票により選ばれている。それにひきかえ、我らの国では主神は能力ではなく血筋により選ばれる。これだけでも、どちらが優れた国かはわかりきっているだろう。諸君、今こそ、このアスガルドに流れる古く汚れた血を洗い流し、新たなる血を流し入れるのだ! 我はニブルヘイムに行く事になるだろう。だが、我に賛同するものがいるならば、我に代わりオーディンの首を取れ! アスガルドに光を! ヴァルハラに新しい血を!」 
一瞬の沈黙の後、民衆に様々な反応が表れた。ロキに向け石を投げる者、力の限り盛大な拍手を送る者、ヴァルハラの広場はかつてない歓声と罵声に包まれていた。
「覚悟はできているのだな?」
演説台を降りたロキに向け、オーディンは低い声で言った。
「新しい血を!」
ロキは口元に微かな笑いを浮かべながらオーディンを見据え、よく澄んだ大声で叫んだ。民衆から割れんばかりの大きな歓声と拍手が沸き起こった。
「連れて行け。」
オーディンは傍らの衛兵に向け、言った。その目には明らかな殺意が浮かんでいた。

「主神オーディンよ、一度はこの国を救ったこの僕に、なぜこんな仕打ちをなさるのです。」
薄笑いを浮かべたロキが芝居がかった声で言った。
ロキの演説からは2週間が過ぎ、ヴァルハラの広場の中央でロキは鎖で椅子に縛り付けられ、両側に大きな斧を持った兵士が立っていた。今まさにロキの処刑が始まろうとしている。
「僕は真実を言った。それだけじゃないですか。」
ロキはなおも言葉を続けた。いつもどおり、その瞳は空よりも蒼く、髪は黄金のように輝きを放っている。
「やめてくれ! お願いだ!」
「なんで死刑なんだ!」
「そうだ! 裁判をやりなおせ!」
ロキを囲んだ民衆が演説台のオーディンに向け口々に叫んだ。
「静まれ! この者はありもしない事実を並べたて、この国に混乱を招いた! 死刑以外の刑では済まされん罪だ! はじめろ!」
演説台のオーディンが広場中に響き渡る大声で言った。
ロキの右側の兵士が斧を振り上げた。
――やっと終わる。
ロキは心の中でそう言って瞳を閉じた。
生温かい感触がして、首が落ちるのが分かった。