ラグトリア城、騎士団控え室――
「思い直したか? シウォン。」
騎士団長の冷たい声が騎士団控え室の中に響き渡った。
「うるさい…。」
シウォンは額から流れる血で顔を真紅に染めていた。本来なら美しい金髪であるはずの髪も、所々が赤くなっている。
「俺が…何をしたって言うんだ…。」
もう、二時間以上も拷問は続いていた。逃げようにも、剣を持った六人もの男に囲まれている。
「次はおまえだ。」
団長はシウォンの真後ろの男に向けて言った。
男はシウォンの腰の辺りに向け、鞘の付いたままの剣を振り下ろした。
「ぐあぁ…。」
痛みのあまり、シウォンの口から呻き声が漏れた。
「シウォン・ドラクロウ、一般兵のおまえに我が軍の機密を知る必要があるのか?」
「なんの…事だ…。」
「いい加減にするんだ。君が持っていこうとしていた物が我が軍の兵の配備図だという事は分かっているんだぞ。それを持ち出しただけでも重罪だと言うのに、これを保管していた者を君は三人も殺している。コーネリアかセインベルグか、どっちの国から来たか教えて欲しいんだがな。」
「…。」
シウォンは自分の意識が消えかけている事に気づいた。物事を深く考える事ができなくなっている。
「言えば死刑は免れる。この戦争が終わった後に釈放されるかもしれない。だが、言わなければ、この場で死刑だ。」
そう言って、団長は腰に差していた細身の剣を抜き、剣先をシウォンに向けた。
「俺の出身はラグトリアだ…。」
シウォンは抑揚のない声で言った。
「そうか…。」
その声を聞いた直後、シウォンは胸に鋭い痛みを感じた。見ると、心臓に近い位置に細身の剣か刺さり、そこから鮮血が溢れ出している。
――セインベルグ帝国、万歳。
シウォンは心の中で呟いた。

辺りが闇に包まれた空間で、シウォンは目を覚ました。正確には永遠の眠りについたと言ったほうが正しいのかもしれない。体中の痛みはもう無く、胸から溢れていた血も止まっている。
「だれかいる? 」
大声でそう叫んだつもりだったが声は出なかった。
――空気が…無い?
体を動かしてみても、全く抵抗を感じなかった。息が上がることもない。
――俺は本当に死んだのか?
「ちがうな、おまえはまだ生きている。」
よく澄んだ美しい声がはっきりと聞こえた。
――どこだ?
思わず辺りを見回したが声の主はおろか、雑草さえも見当たらない。
「ここさ。」
その声が聞こえると同時に、目の前に漆黒の鎧を身に着けた女が現れた。女は、まるでガラス細工のように透き通った肌をしていた。端正な顔立ちで、黄金のように輝く金髪を腰の辺りまで長く伸ばしている。
「シウォン・ドラクロウだな? 」
シウォンは女の言葉にどう答えるか迷った。
「偽名か。まあいい、お前のことはシウォンと呼ばせてもらうぞ。」
女が言葉を続けた。
――心を読めるのか?
確かにシウォン・ドラクロウという名は偽名である。
「そういうことさ。おまえが生きている限り、この空間ではこうしないと会話が成り立たないからな。さて、本題に入るが――。」
――待ってくれ、あんたは何者なんだ?
「さて、何者なんだろうな。まあ、《死に瀕した人間の前に現れる者》とでも言っておこう。」
女の顔に薄い笑みが浮かんだ。
――…死神なのか?
「おまえがそう思うのならば、わたしは死神なのだろうな。」
――俺の思いで…あんたは変わるのか?
シウォンは顔に当惑の表情を浮かべた。
「それは違う。私は私さ。ただ、私という存在をどう思うかはおまえの勝手だ。」
――意味わかんねえよ! 《死に瀕した人間の前に現れる者》なんて死神か戦乙女のどっちかだろ! どっちなんだ! 俺を地獄に送るのか、ヴァルハラに行かせてくれるのか、どっちなんだよ!
「おまえはどうしたい? 」
――え?
いきなりの問いに、シウォンはとまどった。。
「おまえは地獄に行きたいのか? ヴァルハラに行きたいのか? この世界に未練はないのか? 」
――この世界…?。
「もう、この世界で生きたくないのか? 」
――まだ…生きれるのか!?
「生きれんのなら、こんな事は言わんさ。」

空間がゆがみ、再びシウォンは騎士団控え室で六人の男に囲まれていた。だが、胸に突き刺さっていた剣はシウォンの手の中にあり、溢れ出していた血も止まっている。そして、傍らには暗闇で出会った女がいた。女は左手に剣を持ち、微笑を浮かべている。
「戦乙女が…なぜ…。」
騎士団長が声を漏らした。
「さあ、なぜだろうな? 」
女はそう言って、目が追いつかないほどの素早い動きで団長以外の五人に斬りつけた。
一瞬の内に、斬りつけられた男達は断末魔の叫びと共に石造りの床に倒れこんだ。
「使え。」
そう言って、女は五人の血で真っ赤に染まった剣を武器を持っていない騎士団長に向けて投げた。
「力なきものに生きる資格などない。シウォン、生きることを望んだからには力を見せろ。」
女は厳しい口調で言った。その顔からは笑みが消えている。
「戦乙女よ、我が名はケルヴィン。対等の勝負を望む貴女の精神に感謝いたします。」
騎士団長はそう言って紅く染まった剣を上段で構えた。
シウォンは細身の剣を中断で構え、身構えた。
互いに間合いを詰めあい、間合いに入った瞬間、ケルヴィンが上段から突きを繰り出した。
シウォンはそれを左に跳んで紙一重で避け、中断に構えていた剣を下段に移し、下段から上段に切り上げた。
シウォンの手に、剣を通して肉を引き裂く感覚が伝わった。だが、それと同時に腹部に激痛が走り、痛みのあまりバランスを失いその場に倒れた。
「その程度か、シウォン。」
ケルヴィンの声がした。見ると、右手から血を流していたが剣を左手に持ち替えていた。
ケルヴィンは僅かに青ざめてはいたが、口元に勝ち誇った笑みを浮かべていた。
シウォンは立ち上がったが、腹部の痛みが激しくなり思わず片膝をついた。
内臓がやられているらしく傷口から流れ出している血はどす黒い。

「生きたいか?」
辺りは闇に包まれた空間に戻っていた。
腹部の痛みもなくなっている。
――戦乙女…。
「おまえも私をそう呼ぶのか、まあいいがな。今はそんな事より問いに答えてもらおうか、シウォン・ドラクロウ。」
シウォンは無言で首を縦に振った。
「やはり…そうか…。」
女の顔に急に悲しみの色が浮かんだように見えた。
「シウォン、単刀直入に言おう、私と共にいてはくれないか? 」
しばらく間をおいた後、女は凛とした表情で言った。
――…どういう事だ?
女の言葉がシウォンには全く理解できなかった。
「言葉のとおりさ。永久に、私と共にいてくれないか? 」
――なぜ……?
その言葉を聞いて、一気にシウォンの心に当惑と動揺が広がった。
「私は好きなのさ。おまえの心、髪、体、おまえの全てが好きなのさ。それに、そうでもなければ私におまえを救う理由などないだろう? 」
そう言って、女はシウォンに向けて僅かに微笑んだ。
「おまえが私を受け入れるのならば、私はおまえの力となろう。この世界で、おまえを英雄にしよう。」
シウォンは女を始めてみた時から薄っすらと心に持っていた衝動を解き放ち、女を思い切り抱きしめ、唇を重ねた。
「私を、受け入れてくれるのだな? 」
――ああ。
空間がゆがみ、間近の女の顔がぼやけていった。

シウォンの持ち帰った軍事機密情報が決めてとなり、セインベルグ帝国によりラグトリア王国は滅ぼされた。そして、コーネリア公国はセインベルグ帝国に降伏。長きに渡る三つ巴の戦争は終わりを告げた。
「シウォン・ドラクロウ。長き時を忌まわしきラグトリアにて耐え、我らに有益な情報を与えた貴殿の働きは大きい。よって、貴殿の名を我らがセインベルグ帝国の歴史に刻むと共に、最上級騎士を位を与えよう。」
王はそう言ってシウォンに美しい装飾がされた剣を手渡した。そのとたん、セインベルグ帝国の広場は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。
「シウォン・ドラクロウ、これからも期待しているぞ。」
「お任せ下さい、陛下。」
シウォンは歓声の中、深々と頭を下げた。
その夜、シウォンは自宅のベッドで突然目が覚めた。
「あなたは…。」
そこには闇の中で愛し合ったあの女が左手に剣を持ってたっていた。
「ひさしぶりだな、シウォン。」
女はシウォンに向け微笑みかけた。
「会いたかった…。あなたのおかげで全てが――。」
言葉の途中で女の左手が閃き、シウォンの首が飛んだ。

辺りは闇に包まれ一筋の光も見えないが、その女だけは美しい輝きを放っていた。
「なぜ、私の首を…。」
シウォンは今の状況が信じられなかった。
「おまえは私を受け入れただろう? 私は死ぬか、死に瀕した人間の元にしか現れることはできん。私を受け入れるとはこういう事さ。それに、ちゃんと英雄にもしてやったろう? 」
死んじまったら意味無いだろ! シウォンはそう叫ぼうとしたが、代わりに女を思い切り抱きしめた。
「それで良いんだ。私がおまえを満たしてやる。」
そう言って、女はシウォンと唇を重ねた。
――これで良いんだ……。
シウォンは自分の心が満ちていくのを感じた。