現実はいつもすんでのところで僕らを目覚めさせてくれない。 あたりが眩しくなって意識が戻ってくる。 朝だ。 昨日の記憶が、夢と曖昧になって、どこからどこまでが本物か判断がつかなかった。 ベッドのどこを探してもオルエは見当たらない。 シーツを見ると、血はついていなかった。夢か。深いため息をつく。 意味が無い。 朝食のメニューを考えながら、ビジャックは部屋を出て階段を下りた。 ソファから赤髪がのぞいている。 「おはよう」 オルエは寝転がって本を読んでいた。 側を通ると視線が合った。 尋ねようと思った矢先、 「卵はスクランブルで、紅茶はミルク」 と返される。 開きかけた口を一度つぐんで、微笑んだ。 「了解」 壁にかけてあったエプロンを取り、紐を結ぶ。 頭が割れるように痛い。 がんがんと、ドラム缶でもぶつけられているような痛みだった。 夢の中でオルエは、誰かと楽しそうに喋っているのだった。 昨日、散々自分に蹴られたことなど、とうに忘れたようだった。 お気に入りのひとつである喫茶店のオープンテラスで。 テーブルにはよく解からない雑誌と(妖しげなゴシック体で月刊黒魔術と書かれてあった)、オレンジと茶色のアイスティーが二本、コーヒーカップが一個。 空は晴れていて、どこまでも青く、テーブルにささった青と白のパラソルが、ゆるい風をうけ、ちらちらと揺れている。 話し声はかろうじてこちらまで届いてくるが、内容までは解からない。時折まじる笑い声だけが鮮明だ。オルエはビジャックに気付いていないようだった。 隣で話しているのは誰だろうと、遠くから目をこらした。 そしてビジャックは重大な欠陥に気付く。 オルエは誰とも喋っていない。 突然、世界はオルエが座っている椅子と、ビジャックが立っている足元の石の通路を残して、真っ黒になる。それでもオルエは楽しそうに笑っている。何かを喋り続けている。 どうしてこちらを見ないのだろう。 ふいに言語化された疑問に、ビジャックは「そうだ」と思った。 どうして、こちらを見ない。 あんなに蹴ったのに。望みどおりに。オルエが望んだんじゃないか。 俺は何も悪くない。 夕飯の手順を考えながら、ビジャックは玄関のドアを開けた。 荷物を下ろし、「ただいま」と彼に声をかける。 ソファの上に倒れこんでいたオルエは、やはり本を読んでいた。 思い出したように頭痛が降り注いでくる。 (あなたァ、ご飯とお風呂どっちにするぅ。それともアタシィー) 急に頭痛がやんで、気がつくとオルエに微笑んでいた。 そうだ、夕飯を作らねば。(すぐに夕食にするから) 野菜を刻み、にこみ、かき混ぜて、焼く。 背後でオルエのつぶやいている声が聞こえた。 話し声はかろうじてこちらまで届いてくるが、内容までは解からない。時折まじる笑い声だけが鮮明だ。オルエはビジャックに気付いていないようだった。 彼が背後に近づいてくる。 ぎりぎりまで近寄らせて、振り返った。「もうすぐ、」 「ボタンをかけろ」 言葉はオルエの声にかき消される。 一瞬、状況がつかめずに、思考がストップした。 すると彼は、手の平で、ビジャックの胸をつきさした。 「ぐさ。」 あたりが眩しくなって意識が戻ってくる。 朝だ。 昨日の記憶が、夢と曖昧になって、どこからどこまでが本物か判断がつかなかった。 ベッドのどこを探してもオルエは見当たらない。 シーツを見ると、血は――あれは夢じゃない――ついていなかった。夢か。 全てはオルエが望んだことなのだ。 現実はいつもすんでのところで僕らを目覚めさせてくれない。 |