『大林宣彦&臼杵・映画の名残館。クランク・イン!』オープンに関してのこと。
Text by 大林宣彦
<なごり雪>の撮影で大変お世話になった
そもそもが臼杵と謂う町と邂后し、後藤國利市長の信念である「町残し」の姿勢に大いに共鳴した所から出発した映画である。ぼくは一も二も無く「そりゃ壊しちゃいけません。駐車場になんかしたら、臼杵が臼杵じゃ無くなっちゃいます。それは、守らなきゃ、残さなくちゃ」。‥‥‥
久家さんは、ぼくのその一言で、この古い町並の保存を、即決されたのである。だが残すのは、壊して新しく作るよりも、手間もお金も数倍は掛る。久家さんはそれを承知で職人さんを入れ、少なからぬ時間と費用とを掛けて、四軒長屋を昔通りに修理修復された。
そして、「大林さんも、是非この一軒を使って下さい。」言い出しっぺとしての責任と、久家さんの勇気に対しては、ぼくも友情を以って応えねばなるまい。こうして一番端の角の二階家を、使わせて載く事になった。
初めは、臼杵に家が出来た、自ら「第二の古里」と呼ぶくらい惚れ込んだ町だから、これからは時々この家に「里帰り」して、映画の脚本を書いたりするのに自分で使おうか、等と考えていた。実際、住み心地のまことに良さそうな、日本家屋である。
けれども久家さんの、折角の御厚意だ。モット何か、臼杵とこの町並の為に役立てる方法は無いか。
一年間に亘る去年の<なごり雪>上映の旅の間に、色々考えた。夢も膨らんで行った。何しろ自分で自由に出来る家が一軒、臼杵に在るのである。・・・「大林宣彦&臼杵・映画の名残り館。クランク・イン!」が、この五月にオープンした、その家の名称である。夢は、こういう形で実現した。
ぼくと臼杵とを邂逅させ、結んだものは映画である。その幸福を先ず表現しよう。で、「大林宣彦&臼杵・映画の名残り館」である。「大林宣彦」と「臼杵」とを繋ぐ「&」に大いなる意味を籠めた。「名残り館」は勿論、「なごり雪」の記憶である。そして「クランク・イン!」。懐しむ許りでは無いよ、ここから新しく何かが始まるんだ、の気持を表した。思いが色々あるので、家の名も長いのだ。「寿限無ジュゲム・・・」程では無いけれども。
では、これは「お店」か? そうでも無いのである。要するに「映画」が結んだ縁から、この場所に人が集って、それがある穏やかで幸福な、一つの時間を創り出す事に役立ってくれれば良い。臼杵の町の「町残し」の覚悟が生み出した、智慧の蓄積を、味わいを、愉しんで貰えるなら、それで充分だ。
第一もう古くなって、街角の大きく太い電柱に、斜めに丸事寄っ掛っていた家である。それを大勢でロープで引き起し、家中を叮嚀に補強して再生させた。この家自身の歴史が約百三十年も在ると謂う事は、作られた木材はもう二百歳もの生命を持つものである。この町の人の暮しの歴史が、今も物語られ続けているのである。
その古い智慧の物語が、これからのぼく等日本人の、幸福作りの資源となる、それがこの家の、保存再生の強い意志である。
故にこの家は、安手のタレント・ショップに等、してはならぬのである。尤も、バスを連ねてやって来た観光客が、どっと押し掛けてわいわい賑やかに時を過す、と謂う様な場所では無い。一人、二人、多くても七、八人連れのお客が、五、六組も入れば、満杯である。
けれども一応「映画の名残り館」であるから、<なごり雪>に関する「資料」を置き、それをゆっくり愉しみ、語り合って時を過して戴く為に、お茶は出る。ぼくの映画のパンフレットや書籍やDVDも揃え、「大林映画」の歴史が見渡せる様になってもいる。こう謂う一人の「映画作家」が、「臼杵」と謂う町と巡り合ったのだ。それは町の「文化」と、映画の「力」の物語である。
《なごり雪》の撮影に用いた監督台本が、新たに装丁されて置かれている。ぼく自身の書き込みが方方にあり、言わば「創作の秘密」がそこから読み取れる。本来は「門外不出」の物だが、ここにも「&」の意味を籠めたかった。「こんなもの、映画ファンにとってはとんでもないお宝。黙って置いて置いたら、直ぐ様無くなりますよ」、と謂う意見も有ったが、「先ず、人を信じる所から、始めましょう」。
家は昔ながらの木造の日本家屋だが、中は大正ロマンチシズムを髣髴(ほうふつ)とさせる、洋風の調度で整えた。大分は日本で最初にヴァイオリンが入って来た地である。三浦按針・リーフデ号も黒島にやって来た。そのモダンな創りの外に、臼杵の古い町並が望める。日が昇り、日が暮れて、ゆっくりした時間の流れの中に、不思議な安らぎの調和が生れる。
この家並みの向う側に在る、映画の中では「道子」となった「福゜々゜」さんが、純和風だ。御主人の川野恵美さんは自ら民芸風の創作をなさる。だから「クランク・イン!」は言わば映画のスタッフ・ルーム風。間に在るのは撮影の時、スタッフが良く通った焼肉の「ハルナ」さんに、お好み焼きが美味しい「モンク」さん、それに映画にも登場した「中野散髪屋」さん。筋向いが「久家本店」さんに、ステーキ屋の「フレンド」さん。窓からは臼杵名物の河豚(ふぐ)料理屋さんの「良の屋」さんや「にしきや」さんの明りが見える。家の前の床几(しょうぎ)にぼんやり腰を下していると、今は無い日本の豊かな時間が戻って来る。ああ、この床几は、あの大分植樹祭の時、会場に並べられたものだった。芝生担当の山本定幸さんが、態態(わざわざ)持って来て下さったのだ。家の中に色色花を持ち込んで、美しく飾って下さる方もある。オープンした許りの「クランク・イン!」に、もう既に、多くの人の歴史が刻まれている。
美術監督の竹内公一さんや大分の山崎輝道さんが、ボランティアで参加して下さり、多くの大分の友と一緒に、何日も掛けて最後の仕上げをした。恭子さんのイメージに添って床も皆で貼ったし、ステンドグラス代りに《なごり雪》のフィルムが窓ガラスに貼られもした。竹内さんの工夫で、家の中を一巡りすると、映画のストーリーが分るのだ。千茱茰さんのアイディアの「チャイ」を始め、臼杵名産カボス味の「カボカボ」や、勿論、コーヒーもアイスクリームもみんな美味い。お世話して下さるのは山崎さんのお姉さんの奈緒美さん。みんな、みんな、手作りの味だ。
七、八人で坐るコーナーも在って、だんだん臼杵の人達の溜り場にもなって来たと言う。話が弾み、臼杵の暮しの元気の素の一つに成ってくれれば、嬉しいなと思う。
旅の人の思い出には、竹内さんデザインの、映画の場面と成った臼杵の風景の、手描きの絵はがき。これを様様な、映画のスクリーン・サイズの中に修めてみた。ヴィデオやDVDの時代になってから、映画のサイズが正確に再現されず、とても曖昧(あいまい)になって了(しま)ったから、こういう事で、映画への礼節と愛とが守られる一つの契機とも成って欲しい。
そんな訳で、今は「寿限無ジュゲム・・・」だが、ここから始る何かが、少しでも臼杵の町への、映画の御恩返しに成ってくれるなら、と望んでいる。
ああ、大切な事をもう一つ忘れていた。去年、ぼくが正やんと「ミュージック・フェア」に出て《なごり雪》のピアノを弾いたのを見て、ぼくに立派な演奏会用のグランド・ピアノを下さった方がいる。そのピアノは、今、この家の一階に堂堂と置かれて、ぼくはここに居る限り、お客の為にそれを弾く。古い日本家屋は、それ自体が見事な共鳴箱と成って、我ながらまことに良い音に聴こえるのです。
―――以上、未だ未だ足りぬが、取り敢えずの報告と、「大林宣彦&臼杵・映画の名残り館。クランク・イン!」オープンの、顛末記である。
(OBs Club通信 23号より)