ロン・ノル将軍
カンボジアにおける親米派リーダー。
クメール国王軍を率いて北ベトナムに支援された共産勢力に対抗した。
後にカンボジアに作られたクメール共和国の首相兼国防大臣となる。
カンボジアではその後共産主義同士の内戦が始まりクメール共和国は崩壊。
ロン・ノルはその後アメリカを頼りハワイに脱出する。
1949年、シアヌークを元首としてフランスからの独立を果たしたカンボジア。
1970年3月、シアヌークの訪ソの隙に乗じて、親米派のロン=ノルがクーデタをおこした。
折からのベトナム戦争を有利に進めたいアメリカはこれをチャンスと見て、ロン=ノル政権を支援すべくカンボジアに侵攻した。これに対し、シアヌークは中国にあって祖国の解放闘争を指導し、激しい内戦が展開された。
1975年4月17日、ポル=ポト率いる共産党勢力、赤いクメール(クメール=ルージュ)はロン=ノル政権をついに打倒し、民主カンボジア政府の樹立を宣言した。
しかし、プノンペン解放後、ポル=ポト政権は、極端な共産主義政策を押し進め、住民の強
制移住や大量虐殺を行った。カンボジアはまさに“killing fields”(虐殺の野)と化したのである。