【自民党内に「青嵐会」結成される】
1973年 7.17日自民党内に田中内閣を批判して思想的行動集団「青嵐会」(自民党若手タカ派国会議員集団)結成される。
代表世話人には、中川一郎、渡辺美智雄、玉置和郎、湊徹郎、藤尾正行。座長・中尾栄一、幹事長・石原慎太郎、事務局長・浜田幸一。その他中山正あきら自民党タカ派の31人。
タカ派集団だ何だとマスコミなどから大いに叩かれたこの会の趣意書は次のようなものです。
自由民主党は、敗戦のドン底から、驚異的な繁栄を築いてきた。
しかしながら、今や歴史の推移とともに、高度経済成長のもたらした物価、公害などのもろもろのヒズミを生じているが、われらはこれを是正し、克服する努力とともに、わが党・立党の精神に立ち返り警鐘を乱打し、政治並びに党の改革を断行せんとするものである。
われわれは、いかなる圧力にも屈せず、派閥を超越し、同志的結合を固め国家・民族的視野に立って行動する。 それこそがわれらに与えられた歴史的使命であることを確信する。
記
一、自由社会を護り、外交は自由主義国家群との親密なる連携を堅持する。
二、国家道義の高揚を図るため、物質万能の風潮を改め、教育の正常化を断行する。
三、勤労を尊び、恵れぬ人々をいたわり、新しい社会正義確立のために、富の偏在を是正し、不労所得を排除する。
四、平和国家建設のため、国民に国防と治安の必要性を訴え、この問題と積極的に取り組む。
五、新しい歴史に於ける日本民族の真の自由・安全・繁栄を期するため、自主独立の憲法を制定する。
六、党の運営は、安易な妥協・官僚化・日和見化など、旧来の慣習を打破する。
結び
青嵐会は、いたずらな論議に堕することなく、一命を賭して、右実践することを血盟する。
昭和四十八年七月十七日