ペ・ヨンジュン3 [06/7月まで]
届け!ピンクリボン
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ピンクリボン運動をご存知ですか?

昔、若くして乳がんで亡くなった女性がいました。
彼女の二人の子供と母親は大変嘆き悲しみ、二度と同じ悲しみを繰り返されないようにとの願いを込めてピンクのリボンを作り、乳がんの早期発見・早期診断・早期治療の大切さを訴える、乳がん啓発のメッセージを発信しました。
このピンクリボンには、女性が『乳がん』を日々意識することの象徴となるようにという願いが込められています。またさらに『乳がん』になってしまった女性たちが、この病気を乗り越え生き延び、そして克服できるようサポートする姉妹愛を表しています。
乳がん患者が増えつつあった1980年代のアメリカでは、行政、市民団体、企業などが乳がんの早期発見を啓蒙するためのイベントを展開したり、ピンクリボンをあしらった商品を頒布しその売り上げの一部を財団や研究団体に寄付するなど、積極的に取り組み、
市民や政府の意識をかえました。アメリカでの『乳がん』罹患率は8人に1人と非常に高く、当時は死亡率も高かったという背景もあります。ピンクリボン運動が盛んになったことで、人々の意識がかわり、マンモグラフィー検診が普及し治療法の向上と併せて、乳がんによる死亡率が1990年頃から低下しました。

ここ数年、日本でもピンクリボン運動が盛んになってきました。
毎年10月には、東京タワーをピンク色にライトアップする東京タワーイルミネーションや、ピンクリボンスマイルウォークなどのイベントがおこなわれます。
ピンクリボン1 [自動更新]
ピンクリボン3(ベア 145x138) [自動更新]
ピンクリボン4(ピン 145x138) [自動更新]
ピンクリボン5(ネクタイ 146x146) [自動更新]

私が、ピンクリボン運動を知ったのは2003年10月。乳がん告知後のことです。
今思えば、この頃沢山のテレビ番組で乳がんを取り上げて放送していたように思います。
まさか自分が乳がんだとは知るはずもなく、なんとなく見ていた…
でも無意識のうちに、「乳がん」という言葉が記憶されたのだと思います。
それまでも、何度か気になっていた胸のしこりになんとなく触れた200年10月
今までになくこみ上げた恐怖。そして、見つかった乳がん。
早くもなかったけれど、手遅れにもならないぎりぎりの時点で私に気づかせてくれたのは、この運動だったと感謝しています。
しかしながら、まだまだ認知されていないピンクリボン。もっと多くの人に知ってもらいたい!乳がんになってしまった私には、早期発見と言う言葉はもう必要ないけれど。乳がんを知らない、気づいていない、沢山の女性に伝えていきたいと思っています。
あなたを、家族を、愛する人を守るために、ぜひピンクのリボンを伝えてください
J.POSH 日本乳がんピンクリボン運動

アテニア はピンクリボン運動を
応援しています。