鷲野一之先生の先生奮戦記
  前七生養護学校学校経営アドヴァイザーの戦い

鷲野一之先生の書き下ろし

その1
それは天命です

それは天命です!

 私は平成十五年三月に嘱託も定年退職になってしまいました。これ以上勤めたくてもどうにもなるものではありません。それにしても私には学校教育にやり残したものがあまりにも多く心殘りでありました。
 学校の道義・道徳の墮落は眼を覆いたくなる状況であり、どうにもならない閉塞状況をそのままにして去ることに言い知れぬ虚脱感を味わった。

 私には天に一つの祈りがありました。「私はご存じのように退職してしまいましたが、今日まで人とは違う特別な経験をしてまいりました。なんとかその特長を生かせるような仕事をお与えください。」というものでした。そして必ず与えられると信じ人にも公言していました。

 そう信じていたとはいえ、実際には悶々とした日々を過していましたところ、平成十五年七月、日野市にある都立七生養護学校に勤務することになりました。退職四か月目でした。

 都教委から次のような説明を受けました。
「日野市に都立七生養護学校がありますが、そこは過激な性教育が行われており、しかも教員たちの服務においても規則違反を重ねてきました。四月に赴任してきた現校長はなんとか改善したいと努力してきたがどうにもなりません。  校長は性教育問題に限らず、服務上、学校経営上の問題など杜撰な実態があるにも関わらず、職員が言うことを聞かないとため、困り果てています。校長の苦悩の状況を考えるとなんとか助けないといけない。先生には一旦退職され、そして家庭の事情もあると思うが、力を貸してもらえないでしょうか。」

私は間髮を入れず、「それは天命です。」と快諾いたしました。しかし、東京都教育委員会にはその職種はありません。新設しなければなりません。都教委も大変困難だろうと思いましたが、学校をこのまま放置できないとする都教委の姿勢から、なんとかこの問題は解決するだろうと期待しました。

新聞で実態を知る
七月五日の産経新聞に、「過激な性教育 都議ら視察」との見出しで、「性器の部分が協調された男女の人形などを教材とした性教育の授業が都内の小中学校と養護学校十一校で行われていた問題で、都議会で指摘した都議らが、四日、このうち東京都日野市の都立七生養護学校を視察した。性器付人形のほか手作りの射精機能&t男性器、コンドーム裝着用の男性器の模型など過激な教材がずらり。

都議らは『常識では考えられない』『まるでアダルトショップのよう』と口々に非難した。」とあり、また読売新聞七月十六日付で「都教育庁が是正指導」都立七生養護学校≠ニあり、「都教委に届出た学級数を勝手に削減するなど不適切な学校校運営を行っていたとして都教育庁は十五日、是正指導に乗出した」とありました。

また七月十七日付産経新聞には「都立七生養護学校問題」として、「校長の不正指摘報告、都教育庁默殺=vと見出しでの記事がありました。
その重要な部分を抜粋しますと、「今年四月に就任した三苫由紀雄校長が、前校長時代から行われていた不正の実態を都教育庁に報告していたにもかかわらず、担当職員がこれを默殺≠オていたことが十六日、土屋・古賀・田代都議の調査で分った。土屋都議や同庁によると、三苫校長は四月の就任直後、修学旅行などでしか例外的に認められない『調整休暇』を日常の残業にも適用するよう組合側から申入れを受けた。

このため校長は四月十四日と五月二十日に東京都教育委員会人事部に相談を持ち掛けたが、管理主事等は真剣に取合わず七月四日の土屋都議らの学校視察まで不正の発覚が遅れたという。」

都教委が校長の梯子をはずす

平成十五年四月に就任した三苫校長を塗炭の苦しみに落しめたのは他でもない校長を任命した都教委だったのです。前校長の不正を裁く立場にある人事部がそれを庇うというのは私がこれまでも度々指摘した組合と教育委員会の談合の結果である。

東京都組合立付属学校になってしまっている。不正を認めよというのは行政職の任務を放棄したもので当然懲戒免職に相当するが軽い処分に終っている。組合の力が働いているからである。公務員は自らを律するに厳でないと他を律することはできない。今、教育界のふんどしはゆるみっぱなしである。

七生養護学校への赴任実現

七月二十日も過ぎたころ東京都教育委員会から呼出しがあった。新しい制度が設けられた。それは校長の重荷に同情し、学校改革に懸けた都議の並々ならぬ努力に依って出來たものである。重責であるからこそ引き受けねばならぬ。

都教委は勤務の時間は午前中で隔日の勤務を提案してきたが、私はこれまで国立第二小学校、国立第五小学校と嘱託として勤務し、多少お役に立てたのは教職員とともに行動出來る時間が確保されてきたからであると述べ、嘱託なみの出勤数を要求した。その結果、月十五日を限度とする日数が認められ、平均週四日となった。名称は「東京都立学校経営アドバイザー」と言い、校長の助言と情報の收集に勤めるのが主な任務とされた。勤務場所は校長室で八月の最初からの出勤となった。

八月は夏休み中で校長、教頭、事務職員以外はほとんど誰にも会わなかった。学校経営アドバイザーが入るという組合からの情報は流れていたであろう。ほとんど人に会わなくても学校に慣れると言う点では八月勤務も良かったと思う。

全員の前に立つ

八月の勤務も終りに近づいた八月二十七日、新学期に向けて臨時職員会議が召集された。最初に全員の前に立ちました。八十人の教職員が注目しています。その数の多さと、一見これが教師たちかと思える異様な雰囲気を感じました。

そこから発する気というものでしょうか。服裝の異様さも目に付きました。組合にすればこれまで自分たちがやってきたことに文句をつけにきた人間だから、遣わされた犬と目に映ったであろう。実質において今日が私の入学である。自ら式辞を述べる事にした。躊躇しないで所信を話すよう心掛けた。

所信を明らかにする

○人格を立派にする教育
学校では人格を立派にする教育をしなければなりません。人を立派にするには教師自身が自分の人格の欠点に苦しむことです。どういうことに苦しむかと言いますと、理想の自分と現実の自分があまりにも隔っているからです。正直でありたいと願う自分がありますが現実にはなかなかそうはいかない。人の前で恥をかきたくないという心が働き、人に自分を良く見せようとしてつい嘘をついてしまうことがあります。誰とでも平等にわけへだてなく交際したいと願っていても私心私情で心がかき乱される自分がある。

みんなの前でこのことだけは絶対に発表しなければ悔いが残ると心に決めてかかっても、いざとなると友達に嫌われるのを恐れて、言いたい事を引っ込めてしまった。その勇気のない弱い自分に歯ぎしりしたこと。相手に厳しいが自分に甘いと人から指摘され何をいうかと腹を立てる自分の姿。結局本当の事を言われたので腹を立てたのだと気づいたときはすでに遅い。自分の度量の狹さをなげく。

みんな人間はよくなりたい。立派になりたいと悩み苦しんでいる。自ら悪くなりたいと願う人は一人もいません。常に人は向上したいと願っているのです。自分が立派になろうとしないでどうして子供たちに立派な人になりなさいと言えますか。

○受けたくない性教育
七生養護学校に赴任する事が決ってから、性教育の資料を見ていると東京都教育委員会発行の「性教育の手引」というのがあった。内容をみるとこんな性器のことまで教えなければならないのか。私が子供だったら絶對教えられたくないことが、随所にある。

私は昨年(平成十五年)三月まで国立第五小学校に在職していましたが、一年生に性器の名前を暗誦させたのです。子供たちはいやだと思ってもどうすることもできません。まじめな子供は家に帰ると声高らかに唱えました。親がびっくりして、担任に抗議しましたが受け付けません。どうしても教えなければならないと信じているのです。

性教協(人間と性°ウ育研究協議会)という組織の信者になってしまっているからです。悲しいかなその判断ができないほど幼いのです。ジェンダーフリー(日本の造語)という性差をなくす運動に組込まれ、ロボットのように動いているだけです。彼等は人間らしい人間になると困るのです。性から人間を破壊するのがもっとも早い事を知っていて、現在は性の乱れが最も激しい時代ですから、その弱点をしっかり握っているのです。そこから救われるのは正しい信仰しかありません。

聖書・仏典・論語などから人間の正しい生き方を学ぶ事です。しかしそれも道を得た明師を得て指導を受けなければ大きな間違いをします。師は必ず選ぶべきです。文部科学省も教育委員会も性は道徳により律すべきだと言わないのです。言うのが恐ろしいのか信念がないからです。だから性教協の息のかかった出版物が各学校にたくみに配付されるとあわてて回収を促したりし、それを繰り返すだけで何の手を打とうともしません。

今、日本の教育史上最も悪質なことが教えられ、子供たちの精神が破壊され日本の将来が危ない事が分らないのです。男女共同参画とかいう巧みな言葉に迷わされて、国民は躍らされていることに気付くことです。

○私の受けた性教育

私はある年齡に達した時こんな話を聞きました。「男と女というのはお互い好きになるように神様が作られたのです。相手を恋する心がおきるのはごく自然で恥かしいことではありません。しかし男と女というのはよほど気を付ないと間違いを起こしやすい。だから一つの部屋に入らないこと。

もし一人で家に居て女友達が訪ねて來たときは玄関で話しなさい。常に結婚を前提にした交際をしなさい」と教えられました。そのことが今日も、とても有難く思っています。

○これは殺人のようなものだ

東京都教育委員会が平成十五年五月に發行した「性教育に関するる指導資料」の中に恐ろしい数字が目に入った。人工妊娠中絶数のうち二十歳未満が全国で四万四千四十七人となっています。(平成十二年の統計)今では、これだけではなくもっと多いと推察します。これは人殺しみたいです。悲惨窮まりない恐ろしいことです。国家的規模の殺人行為のようなものです。

○教育によって人となる

人間は教育されないと動物以下になる。今、国民が社会教育を受けて成功している良い例がある。その一つは禁煙である。ずいぶん長い間根気よく教育してきたもので、駅に設けてあった喫煙コーナーも廃止されるという徹底ぶりである。タバコ飲みには耐えられないほど苦痛であろうとむしろ同情するくらいである。この運動は本人の身体の害になること、もう一つは他人に迷惑がかかるということで、社会運動を続けてきた結果、隨分效果を挙げてきたのです。車内の携帶電話の使用制限への放送をくりかえしやって来た結果、隨分改善されてきた。

それなのに性の規範だけはなぜ教育出來ないのか。自己決定権などと言って自由にやることを推し進めているのに默っているのはなぜか。日本国民はどうしてこんなに愚かになったのか。人間はなぜ教育を受け、自ら教育を施さなければならないのか。それは神様が人間に自由意志を与えられたからである。そこが人間の実に尊い所以であり、良いことも、悪いことも出來る自由を与えられました。

それを判断するのは良心です。良いことをすると良心は喜んでくれるが、悪いことをすると良心の呵責に苦しむ。しかし、そのままにしておくと低いほう低い方へと流されて良心は鈍ってしまいます。私の経験からそれがよく分ります。だから人間が人間らしくなるために教育が必要なのです。自由意志の問題でも心が鍛錬されてくると「良いことが自由に出來、悪いことは自由にやらないようになれる。これが真の自由人である」と教えられました。このように考えてゆくと性の問題も解決されていきます。人間は低い方を向いているとだんだん低くなっていき、目標を高くもっていくとなかなか理想には近づかないけれども向上して行くものです。

今、日本は大変な精神的試練を受けています。識者は国家存亡の危機だと警告しています。まったくその通りです。しかしそれに氣付こうとしない国民があまりにも多いのです。




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