2006年4月、私と同じくみすゞを好きな2番目の子どもと一緒に
みすゞの第2の故郷である山口県下関市を訪ねました。
風が強い日だったせいか、みすゞを訪ねて散策する観光客は
私たち親子以外、誰もいませんでした。でも、そのおかげで
ゆっくり、みすゞの世界に浸れた気がします。
みすゞゆかりの地を、撮影してきた写真と共に紹介したいと思います。
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観光情報センター(旧秋田商会ビル)
1Fの奥にある金子みすゞのコーナー。 |
寿公園 |
@ 旧秋田商会ビル |
詩碑「日の光」 |
上山文英堂本店跡の詩碑 |
みすゞの母の再婚先である上山文英堂書店本店は下関にありました。
20歳のとき母を追ってここに移り住んだみすゞは、本店からほど近い
西之端町商品館内の上山文英堂支店を、店番として一人で任されます。
この頃からペンネーム「金子みすゞ」で童謡を雑誌に投稿。
西條八十の絶賛を受けて、詩人「金子みすゞ」が誕生しました。
上山文英堂支店のあった商品館跡
大好きな本に囲まれた職場。 お客が来たとき以外、自分の精神世界に 浸ることの出来た空間。 本を読むことが好きだったみすゞにとって これ以上にない、最高の自分のお城だった に違いありません。 今ではもみじ銀行が建っています。 |
弁財天橋。 |
西之端町 | |
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左右の欄干にみすゞの詩があります。 |
商品館があった付近 |
詩人、金子みすゞとしての輝かしい日々も、意に染まない結婚により
陰りを帯びてきます。みすゞの夫は、みすゞが詩を作ることも、詩人仲間などと
文通することさえも禁止したといいます。自由な心の翼をもぎ取られた
結婚生活のなか、唯一の光は一人娘ふさえさんの誕生でした。
現在の下関駅のプラットホーム。
下関駅(現在の細江町)は、師と仰ぐ西條八十と
つかの間の出逢いを果たした場所です。
我が子を背負ってプラットホーム に佇むみすゞ。 「お目にかかりたさに山を越えて まいりました。これからまた山を 越えて家へ戻ります」 憧れの人を目の前にして、みすゞ はこう言うのがやっとでした。 |
上山文英堂本店跡
離婚後身を寄せていた義父と母の住まい。 みすゞはここの2階で自らの命を絶ちました。 昭和5年3月10日、享年26歳。 |
亀山八幡宮
日本一大きな石の鳥居の神社。 |