|
エッセイ集 「紅塵故事」より〔妻子〕
94年に発売された散文集「紅塵故事」。〔妻子〕を初めて読んだ時、笑ってしまったけど、最後はちょっと切ないかな。「妻子」は日本語の「妻子」とは違い、「妻」という意味。ちなみにクリスに妻はいません。 |
〔妻子〕 |
少し前、こんな話があった。 だんなが歯を磨いている時、妻子は話しをしている。 だんなが顔を洗っている時、妻子は話しをしている。 だんながラーメンを食べている時、妻子は話しをしている。 だんなが出かける時 妻子は話しをしている。 だんなが帰って来た時、妻子は話しをしている。 だんなが新聞を見てる時、妻子は話しをしている。 だんながトイレに入っている時、妻子は話しをしている。 だんなが出勤する時、妻子は話しをしている。 だんなが仕事から帰ってきた時、妻子は話しをしている。 だんながお茶を飲んでる時、妻子は話しをしている。 だんながお茶碗を洗っている時、妻子は話しをしている。 だんなが料理をしている時、妻子は話しをしている。 だんなが食事をしている時、妻子は話しをしている。 だんながお風呂に入っている時、妻子は話しをしている。 だんなが寝る時、妻子は話しをしている。 妻子は最後に、だんなの言う一言を聞いた。 「さよなら」、その後彼を見ることはなかった。 僕はこの話を知った。だって、妻は話すのが好きだから。 |
在不久以前、有一個這樣的小故事。
妻子喜歡講説話。 丈夫起床的時候、妻子講説話。 丈夫刷牙的時候、妻子講説話。 丈夫洗臉的時候、妻子講説話。 丈夫食麺的時候、妻子講説話。 丈夫出去的時候、妻子講説話。 丈夫回來的時候、妻子講説話。 丈夫看報的時候、妻子講説話。 丈夫如厠的時候、妻子講説話。 丈夫上班的時候、妻子講説話。 丈夫下班的時候、妻子講説話。 丈夫喝茶的時候、妻子講説話。 丈夫洗杯的時候、妻子講説話。 丈夫炒菜的時候、妻子講説話。 丈夫吃飯的時候、妻子講説話。 丈夫洗澡的時候、妻子講説話。 丈夫上床的時候、妻子講説話。 妻子最後、只聽見丈夫的一句話: 「再見。」以後就沒有見過他。 我知道這個小故事、因為妻子喜歡講説話。 |