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言葉世界

Chris' words


エッセイ集 「離家出走《完全本》」より〔命運〕



8月に発表されたエッセイ「離家出走《完全本》」より。
この〔命運〕の中では香港で人気歌手だった時代に味わえなかったデパートでの買物の楽しさ、その中で偶然人助けをした思い出が書かれています。
彼は運命というものを信じているようです。インタビューなどでも自分の人生やすべては「天意によるもの」と答えています。


〔命運〕

歌手になってからも、よくデパートに買物に行ってはいたけど、常に人の視線が自分に注がれ、ある種監視されているような感じだった。
家を出て(香港を離れて)、遠くに行き、ゆっくりと、新しい生活を獲得し、毎週末買物に出かける楽しさと、見るだけで買わない自由というのを享受し始めた。

いくつかのデパートでは、毎週ダイレクトメールを送ったり、チラシを貼り出して、その週のお買い得商品をみんなに知らせている。

(カナダに)来たばかりの頃、僕は3回人生があっても着きれないほどの服を持っていた。生活上の日用品、必需品は逆に全然なかった。だから暇があると、家電売り場、浴室用品売り場は必ず見て廻り、他の売り場もついでに廻っていた。

ある週末、僕はわざわざあるデパートの最上階にある家電売り場にやってきた。
というのも、僕のある店子が、古くなった食器洗い機がついに動かなくなってしまったから、修理を依頼するか、新しいものを買うか僕に見て判断して欲しいと言うんだ。

ここは最初の場所だ。見終わったら、また次にところに行って見なくてはいけない。

僕はエスカレーターに乗り、1階ずつ降りて行った。

降りながら左右を見ていた。
ちょうどこの時、すぐ左隣にある、上りのエスカレーターに、年配の女性がゆっくりと上がっていくのが見えた。
彼女たちは周囲のディスプレイや商品に惹かれ、周りを見渡していた。
彼女たちはただ見渡してるだけでなく、首を伸ばして見ていた。
僕はこっちのエスカレーターでだんだんと降りて行き、彼女たちは向こうのエスカレーターでだんだんと上がって行った。
その中の一人が思いっきり乗り出して、完全に気にかけていなかった。もし彼女がこの姿勢を保っていたら、10インチ後に、彼女の頭は隣のエスカレーターの下に挟まれて切断されてしまうだろう。
僕は降りて行きながら、彼女がずっと上がって行くのを見ていた。あちこち首を伸ばして見回し、まるで上にあと何インチあるか、まさに災難が彼女を待っているのなんて知らないようだった。
5インチ、4インチ、3インチ....
間一髪のところで、僕は突然英語を使わなくちゃと思い、大声で彼女に言った。
「Hey! Wacth your head!(頭、気をつけて)」
彼女はすぐに首を引っ込めて、危機を回避した。
この時、彼女と彼女の友だちは今正にこんな危険があったのかと呆然としていた。あと数秒でエスカレーターの一番上に到着するところだった。2人は僕の方を見て手を振り、命を救ってくれたことの感謝の意を表した。

信じずにはいられない。気付かないうちに自然と決められているのだ。

もし香港を離れなければ、カナダには来なかっただろう。
もしカナダに来なかったら、あの中古の家を買って人に貸したりしなかっただろう。
もしあの中古の家を買って貸し出さなかったら、あの古い食器洗い機を持つことなかっただろう。
もしあの古い食器洗い機を持っていなかったら、このデパートには来なかっただろう。
もしこのデパートに来なかったら、この老人に出会って、彼女の命を救わなかっただろう。

おそらく、僕は今生で彼女の命を救ったから、彼女は来世で僕に恩返ししてくれるだろう。それとも、彼女が前世で僕の命を救ったから、僕は恩返ししに来たのかもしれない。

あ〜、うまく行かず、あの日芸能界を去ったのは、彼女のためだった。