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言葉世界

Chris' words


エッセイ集 「離家出走《完全本》」より〔毋怨〕



8月に発表されたエッセイ「離家出走《完全本》」より。
この〔毋怨〕を読んで、私は途中で泣いてしまいました。クリスの友だちの友だちの娘さんの話です。あまりにも世の中って不公平というか、なんでこんなことが起こってしまうんだろうかと思って悲しくなりました。自分たちがごく普通に平凡に生きていることがどんなに幸せなことなんだろうとつくづく思います。
テーマが重いのですが、是非読んでみて下さい。
おそらくこのエッセイ集の中で一番長い文だと思います。


〔毋怨〕

エブリンとロナルドは友だちの友だちで、モントリオール近郊のスキー名勝の山あいに住んでいる。ある年の冬、僕は友だちの親友と一緒に彼らを訪ねた。みんなとても親切で、毎年時間があれば彼らと彼らの娘、キャロラインに会いに来たいと思った。

キャロラインの話は、今までたくさん聞いていた。毎回、話し手は話す時に、みな表情はとても硬く、同情や憐憫に思う余り、知らないうちに普段とは違う眼差しが露呈してしまうのだ。

話によると、キャロラインはまだ赤ちゃんの時のある晩、高熱を出してしまった。病院に駆け付けた時にはすでに遅く、彼女の脳は重い障害を受けてしまった。知能の発達は断絶され停止してしまった。しかもさらに医者が言うには彼女は一生植物人間になるという。でも悲劇はこれだけでは終わらなかった。彼女は小さすぎたので、まだ話すことができない。大人たちはみな思いもしなかった。彼女は一日中夜まで体を曲げたままベッドに寝ていて、なんとそれがそのまま彼女の体を変形したまま発育してしまうとは。のちに気が付いたけれども、どうすることもできず、背骨、四肢はすでに不正常に成長してしまった。

サーカスの奇人たちを見たことがある?例えば、体がくっついてる兄弟とか、エレファントマンとか鬚のある女性とか?申し訳ない言い方だけど、もし当時の社会に生まれていたら、キャロラインは蛇人間として見せ物にされていただろう。というのもその頃の彼女は、何年もベッドの上で寝たまま成長していたから、エブリンがどんなに一生懸命娘の体をマッサージしても、体は曲がりくねって成長して蛇のような形になってしまったんだ!何度もキャロラインの肺は自分のろっ骨で圧迫されてしまい、呼吸困難を引き起こし、病院に行かなくてはいけなかった。

ついに、僕はこの目でキャロラインに会った。

30歳すぎ、S字の体、2インチ半(約63センチ)ほどの長さ(身長とは言えないんだ。というのも彼女はずっと赤ちゃんのようなままで、横たわっているから)、痙攣した手足、、、もし心の準備ができていなかったら、驚いていたに違いないだろう。

彼女の歯は、彼女の内臓の各器官と同じように、とても大きな問題があった。彼女は話すことができないので、どこに病気が出てもどこが痛くても、元々言うことができないんだ。考えてみて。普通の人が歯医者に行くのに、すでにおそらくは大声で泣くほどの事だと思う。キャロラインと歯科の闘いはなおさら想像できるだろう。まさに「鬼哭神號」*のようであろう。

キャロラインの目、それもよくなかった。
赤ちゃんの視力をどうやって計ったらいい?3段目の真ん中がHかPなのか彼女が見えてるかどうかどうやって知ることができる?彼女に眼鏡をかけるなんて、尚更言うまでもないだろう。彼女の目に見える世界が一体どんなものなのかわからない。ただ言えることは、1インチより外側にあるものは、だいたいぼんやりとしてしまっているということだ。

他に、歯痛、骨の痛み、各種の痛み、心臓、肝臓、脾臓、肺、腎臓の大小の損傷、手術と薬の副作用、それが引き起こす反応、、、
生まれてからずっと、キャロラインは痛みと苦しみの中に生きている。

僕はみんなについて客間に歩み入った。キャロラインはソファー近くの特製の赤ちゃんが寝る時に使うかごの中にいた。

友だちは頭をキャロラインの顔の前、1インチほどまで近付けて、彼女によく姿が見えるようにした。その後、彼は低い声で彼女の名前を呼んだ。「キャロライン、キャロライン」。数秒もかからず、キャロラインの顔に反応が見え、目に興奮の光が見えた。続けて、友だちはフランス語のお話を少し話した。キャロラインは狂喜した。明らかに彼女はその声、何年も前のベビーシッターの声を認識していた。友だちが遠くから来てくれて、嬉しくないわけがないだろう?
キャロラインの母、エブリンは、当時のすべての医者が間違っていたことを証明した。

元々、高熱を出して以来、キャロラインの脳は完全に発育が停止したわけではなかった。ただ、おそらく当時の医学は現在ほど発展していなかったし、それに身体の他の部分は動かすことはできず、話すこともできなくて、彼女の知能は、ハイハイしてる赤ちゃんの段階で停まってしまったんだ。
僕は友人が優しく彼女に「... des beaux yeux, des beaux yeux(美しい眼)....」と言うの見ていた。彼女は興奮してきて、まばたきを始めた。これは彼らの間の秘密の言葉なんだ。

彼女には、記憶があり、感情があり、思想がある。彼女は動くことはできるけど、それは目とまぶただけで、あとは口を開けて、うなり声を出すだけだ。

当時、夫であり、父であるロナルドはずっと自分を責めていた。一体何故このような悲惨なことが自分の身の上に起こったのだろうかと天を仰いだ。妻であり、母であるエブリンはずっと四方を走り回り、何か妙薬はないかと探していた。

何度も、キャロラインを世話する看護士が彼女の外見を怖がって、彼女をおざなりな扱いをしたので、エブリンに追い出されていた。
エブリンは知っていた。自分の娘が聞くことも見ることも感じることもできることを。

少し前、有名なテレビの子供番組の司会者が亡くなった。エブリンは娘に毎日与えてられていた楽しみが失われることに堪えられなかった。娘にあの叔父さんは死んだんだよと言う術もないことが辛かった。それで以前に録画していた番組のビデオテープを出してきてごまかしていた。いつものように、毎日午後3時、子供番組の時間になると、キャロラインは我慢できずに声を出して、母親にテレビをつけて、あの叔父さんの番組を見るんだとせがんだ。キャロラインがどうやって時間を知ることができるのか誰も説明できなかった。でも彼女はちっとも植物人間なんかではない、ということは誰の目にも明らかだった。

彼女には喜怒哀楽の感情があり、またすべての女性が持つ生理的な悩みも持っていた。30数年来、他人の目には奇形に映る彼女も、エブリンの目には永遠に発育できない女性なのだ。いや、女児と言うべきか。

ただ僕らは想像することはできるけれど、永遠にキャロラインの世界がどのようなものなのか知ることはできないだろう。みんな彼女は可哀想だと言う。その通り、僕らも彼女は可哀想だと言う。というのも彼女が可哀想なのを知ってるから。
でも彼女は自分がどのぐらい可哀想なのかおそらくは知ることはないだろう。
彼女は痛い時や苦しい時にうなり声をあげる以外、声を出さなかった。彼女はずっと他の人たちの生活がどんなものなのか体験する機会がなかった。比較することができないので、キャロラインはおそらく人生というのはこんな風なんだろうと、人間とはこんな風に痛く苦しいものなんだろうと思っていただろう。
おそらくは、正に比較することができないからこそ、キャロラインは笑うことができ、その純真無垢な笑顔を保つことができるんだ。考えてみて、もし君が他の人たちが思い通りに生活ができ、自由があり、夢があり、機会があることを知っているのに、自分は一生、一本の枯れ木のように縛り付けられていたとしたら、毎分、毎秒が一世紀のような長さに変わってしまうだろう。
でもキャロラインは永遠に母親の宝物であり、例えて言うなら、何の悩みも憂いもない子犬のようなものだ。彼女の憂い、彼女の苦しみ、彼女の精神的な痛み、彼女の一生はすべて家族の手にゆだねられている。でも自分の肉体的な辛さは自分が日夜黙々と我慢するしかないんだ。

エブリンはすでに60歳になっていた。キャロラインには普通のお兄さん、普通のお姉さん、普通の弟がいたが、キャロラインの日常生活の大部分は母親に頼っていた。エブリンは自分の体力が日に日に衰えていくのを心配し、いつか娘の元を去らなくてはいけないことを恐れていた。

最近になって、友人の口から、キャロラインが亡くなったことを知った。
彼女は一身に百病を背負い、又、手術をすることもできず、呼吸器系に常に問題があり、ぜんそくの発作もいつもあり。。。。

エブリンの憂慮はついに解放された。
キャロラインはついに解放された。

エブリンが以前僕に言ったことを覚えている。天がこの娘を自分に与えたのには、きっと何か理由があるはずだと。

この一家の愛、エブリンの勇敢さ、キャロラインの生命力は多くの人を啓発しただろう。

いわゆる僕の言う苦しみは、元々ちっとも苦しくなく、僕が思う痛みは、痛いとは言えない。
それでももしキャロラインがこんな風に天真爛漫な笑顔を持つことができるなら、じゃあ、僕には怨みを抱くだけのどんな価値があるというのだ?

子供の頃、香港電台に「幸福玻璃球(幸せのガラス玉)」というラジオ番組があったことを覚えている。パーソナリティの李安逑さんが番組の冒頭に言う台詞がある。
「...幸福、それはひとつのガラス玉のようなもの。このガラス玉が地面に落ちて、割れてしまった。すると周りの人々はその破片を拾いにやって来る。多く拾う人もいれば、少ししか拾えない人もいる。すべての人が少しづつ得ることはできるけど、誰も全部を手に入れることはできない。」

キャロラインは生き続ける能力さえもなかった。

僕らは、実際、本当にとても幸せだ。

*鬼哭神號・・・泣き叫ぶ声が凄惨を極める