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エッセイ集 「離家出走<再續本>」より〔故人〕
6月26日に発売された新譜♪WISH YOU WERE HEREの初回特別版の付録になっていた散文集。これは♪LONG TIME NO SEEのやはり初回特別版に付録となっていた散文集の続編。双方とも20篇のエッセイから成り、すべて漢字2文字のタイトルになってます(まだ読破できていない)。 この〔故人〕の前半部分は4月11日付けの太陽報にも掲載されましたが、こちらが完全版。 |
〔故人〕 |
僕の音楽上の多大なる啓蒙となった人物3人はみな相前後してこの世を去った。
初めて買った広東語のレコード、それはコンピレ−ションアルバムだった。 初めて地元(香港)の流行歌手に憧れた、それは陳百強(ダニ−・チャン)が自作自演で歌った<First Love>を聞いた時、そこで「初恋」が始まった。 初めて香港音楽界の新人に注目した、それはLeslie、張國榮がアジア歌唱コンテストの中でドン・マクリーンの<American Pie>を歌ってるのを見た時だ。彼は嬉々としてステージに躍り出て準優勝をさらっていった。 ステージの上でも舞台裏でも彼ら3人の故人は、以前の僕の学習対象だった。 彼らはおそらくこう思ってるだろう。実際のところ彼らは数多くの僕のような人間に本当に影響を与えたのだろうか?僕らに数多くのものを与え、間接的であれ僕らの人生を変えてしまうぐらいにたくさんの影響を与えただろうか?と。 Romanは病に倒れ、Dannyの死もたどれる原因がある。じゃあLeslieは何故生を軽んじるような選択をしなくてはいけなかったのだろうか? 僕は長いこと考えた。 三日三晩考えた。 最後には納得した。 Leslieがもう引き返せないと思ったのであれば、きっと彼にしかわからない理由があったに違いない。 そして、その苦しい胸のうちを詮索するよりも、Leslieがこの世に残してくれたすべての素晴らしい作品、美しい思い出に、気持ちや時間を費やす方がいい。 そして、頭の中にはデビューしたばかりの新人の頃、Leslieと行き交わしたある小さな断片が又沸き起こってきた。 あの時のことを覚えている。僕はメイクの時に自分に合った化粧品がわからないでいたので、顔に吹き出物を作ってしまっていた。ある日、仕事をしていた香港電台でLeslieに偶然会った。おしゃべりの際に、彼は僕のこの顔を見ていた。彼は立ち去る前、小さな白い紙にある外国の化粧品メーカーの名前と、その代理店が入っているセントラルのある商業ビルの住所を僕に書いてよこして、こう言った。 そして、又断続的にたくさんの思い出がよぎっていく。 みんな(3人とも)ありがとう。 『秋光老盡、故人千里』(秋が過ぎれば、故人も遠くに) あなたたちは門を出て遠くに行ってしまったんだね。 あなたと別れて、再会はいつになるかわからないけれど、僕は永遠に忘れない。あなたたちが僕に残してくれた、僕らすべての人に残してくれた思い出を。 あなたはいない、けれどまだあなたはいる....... |