97 糧食班勤務 其の五

 飯ラッパで隊員が流れ込みます。  「おーっす!」 「おはよーっす!」と手際よく順番に進んで行く。

 ご飯は隊員がそれぞれ好きなだけ食器に盛って行くので、空っぽ間際の麦稈(ばっかん)を新しい麦稈に入れ替える仕事を僕はしました。  厨房の奥から食堂の中まで麦稈を運ぶ仕事は結構腰にくる重労働。  熱いし!  
 空っぽに近くなったらそれ以上は減りません。  古いご飯よりも厨房から出したばかりの麦稈から熱々のご飯を選ぶのは当たり前。

 「本多! 奥から新しいの持って来いゃ!」と同じ中隊の不良中堅陸曹から無理を言われる。
 「え? そんなぁ。 そりゃ無理ですよ。」と言っても聞き入れてもらえず…  言われた通りに運ぶと、我先に新しい麦稈に群がる。  そうなると中途半端に出した麦稈は半分も減らないうちに冷たくなってしまうのです。  そして僕は班長に叱られる。

 「自分の中隊の陸曹に命令されて飯を運ぶのか?」
 「今おまえは糧食班なんだぞ!」
 「残ったご飯はどうするんだ? ご飯が足りなくなったらどうするんだ?」
 「きちんと断れ!!」


 厨房の奥で怒鳴られてヤル気をなくす18歳。  
 それでも食堂は動いています。  麦稈を次々と入れ替え…  空っぽの麦稈を大きなシンクの横でタワシで綺麗に洗います。  
 洗米、熱い麦稈、洗剤で麦稈を洗う…  この作業は手が荒れる。  一番の原因はキツイ洗剤だった。  まだ朝飯を一食作っただけなのに、手のひらの皮が異常な状態だったのを覚えています。


 昼飯や晩飯みたいに早飯(通常の食事時間より30分早い飯)のない朝飯は短期決戦です。
 その早飯とは警衛隊や各中隊の当直、それに非番の隊員などが利用する食事です。  交代して食事ができる仕組みなのですが…  横着な隊員は昼休みを満喫する為に、課業中(11:30)に昼飯を食べに来て1時間以上昼寝をするパターンが多かったですね。
 早飯禁止令とか時々発令されていたけど…  あまり意味がなかった。


 『時間が解決する』  それが自衛隊。
 キツイ仕事も時間が過ぎればいつの間にか終わってる(片付いている)のが自衛隊。  演習だって同じ。  飯炊きだって同じ。  それを一生懸命やっていようがサボっていようが、いつの間にか終わるのが自衛隊。


 だけど僕は違った。
 この糧食班の仕事で、知らぬ間に一番キツイ炊飯係を背負ってしまっていた。


 他の隊員が食堂で突っ立って休んでる間に昼飯の準備をしなければならない。  つまり休む暇がない(サボる時が無い)という仕事を引き受けてしまっていたのです。  しかも昼飯は朝飯の倍以上の米を研がなければならず…  朝飯の後の休憩時間が無くなる。  米の袋だって自分の体重ぐらいあるのを倉庫から担いで運んで、洗米機に投入しなければならない。  
 休めるのは蒸気を通して炊き始めて、蒸気を抜くまでの1時間ぐらい。  その1時間だって焼き物や揚げ物などのヘルプに行かなければならず…  更なる忙しさを得ていました。
 
 だからと言って僕がパニックになっていても誰もヘルプには来ないし…。
それが自衛隊。


 それでも自分の任務となれば果たさなければならないのも自衛隊です。  休憩時間が短くなっても、他の隊員が休んでテレビを見ていても『昼飯は米何kg』と書かれたホワイトボードを確認してから厨房の片隅で洗米作業を一人で始めてました。
 本直の時は朝礼に出る必要はない。  だって僕が作るのは『ごはん』だけなんだもん!  誰が煮て、誰が焼いてとか…僕には関係なかったから、ひたすら米を研いでました。


 昼飯が一番忙しい。  時間も人数も朝飯の倍!  低い姿勢での作業ばかりなので腰にきます。
 ご飯が炊けて食堂で麦稈が足りている時は片付けに専念します。  キツイ洗剤で麦稈や鍋を洗いました。  次々とシンクに放り込まれる洗い物。  「僕って要領悪いよなぁ。」と呟きながらも下っ端だから仕方ないと諦めたりもします。


 晩飯は疲れて仕事が緩慢。  正直、米ばっかり見てたらキツイし!  でもね…  炊き立ての御飯を誰よりも先に食べれるのは、ちょっとだけ嬉しかった。  食堂が開く前に糧食班は食事をするのですが、おかずも焼き立て揚げ立てでスッゲー美味しく食事ができました。  しかも好きなだけ食べれたし♪


 本直が終わる頃は足が疲れてパンパン。  顔も油や蒸気でネトネト。  疲労度はDレベルに達するほど。
しかし翌朝は非番となり、明後日の朝まで自由!
『自由』を得るための苦労…  なんとなく今現在の生活と同じような感じだけど、あの頃の自由はまた違う意味での自由だったのかも知れない。  生まれて初めての非番。  警衛隊の翌朝とはまた違った自由な日。  
 実はその非番の時に朝から晩までこの自衛隊白書を書いていた。  実際は洗濯をする以外は何もする事がなかったもん。  『自由』の使い方を知らなかった18歳。
 今思えばクソ面白くも無い非番だったのかも知れない。  でも入隊してから今までを振り返る時間を得る事ができた貴重な非番だったのも事実。  それから日記代わりに自衛隊の中身を書き綴りました。
 その当時(20年前)にblogがあったら便利だったろうなぁ。
by606