158 自衛隊から戻って… 其の弐

 一日の段取りが分からず…

 8時⇒17時という課業時間を当たり前と思っていたのが、6時⇒21時という家業時間。

 土曜日も一日仕事。

 日曜・祝日も返上。  かと言って代休がつくワケでもなく…  もちろん連休なんて微塵も無い。  そんな生活に日々嫌気がさしてきた。  これが高校を卒業して自衛隊に行かずに家業を継いでいれば何とも思わなかっただろう。  少し苛々した程度かな?  逆に当たり前に思ってバリバリ働いていたのかな?
 とにかくこの生活習慣の変化は膨大なストレスになった。


 高校時代、授業中はもちろん、放課後も一緒に遊んで、卒業後も一緒に自衛隊に行った親友が、こちらでの唯一の友達でした。
 たった一人の友達だったなぁ。
 そんな親友は自衛隊を一任期(2年)で退職していたので、僕とのブランクは2年間。  僕が年3回の休暇で帰ったら一日ぐらいは一緒に遊んではいたけど…  その時でさえ自衛官と民間人の『差』というものを感じていたので、間が持つのは24時間が限界だったのを覚えています。  柵の中と柵の外では世界が違う… 違い過ぎるという事を思い知らされていました。
 
 今ではPCや携帯電話で、柵なんて外からの侵入と中からの脱柵を防ぐだけのモノにしか見えないだろうけど…  20数年前はテレビでしか柵の外の事を知る術がなかったんだもん。  この世の色なんてOD色と迷彩色しかない!と思えたぐらい。

 
 高校時代、授業中はもちろん、放課後も一緒に遊んで、卒業後も一緒に自衛隊に行った親友が唯一の友達とは鎖国(江戸時代)と開国(明治時代)くらいの差を感じた。
 あんなに話が合って、些細な事で1時間くらい馬鹿笑いできたり、一晩中話のネタが尽きなかったのに…  話題が噛み合わなくなっていてスッゲー淋しかったです。  まぁこれが自然なのかも知れない。  いつまでもお互いに状況が同じだなんて事はないんだもん。


 いろんな事全てが時間と共に解決したけど…  4年間の柵の中の生活(ブランク)は大きな爪痕に感じました。  そんな4年間は得たものがたくさんあったのは事実。  だけど失った何かもたくさんあった事に気がつきました。  
 『ヤル時はヤル!』 『やらない時は全くやらない!』 それが自衛隊だったのに、今はヤル時ばっかりで、やらない時は一人ぼっち。

 もの凄く淋しい毎日だった。

 
 シャバの生活に順応できるようになるまで1年くらいかかったのを覚えています。
 MR−2を通じてだんだん友達もでき…  仕事を覚えたら土曜日も早く終わるようになり、日曜日も朝から好きな事ができるようになったり…  連休も我慢できるようになりました。

 次第に自衛隊の事も忘れ…  自分の中で自衛隊生活が完全に過去形になったのが分かりました。  筋肉も落ちて、体力・持久力もどんどん落ちていく自分。  筋肉が落ちていく時の体の痛みに悩まされた時もあったぐらい。
 そうやって少しずつ自衛官から民間人に変身できました。
 by606