152 天皇陛下御崩御の日 |
覚えていますか? テレビを観てれば何分おきかに流れる昭和天皇の容体を知らせるニュース速報を。 僕は右でも左でもないので下血の量とか輸血の量の凄さに驚いていただけでした。 一度でも一緒に飲んだり笑ったりした仲なら心配はするけど… 雲の上の人。 あの頃は現人神的で神秘的な存在だったもんね。 下血と輸血を長い事繰り返していたのを覚えています。 年末年始の休暇も終わった1月7日、天皇陛下御崩御を知ったのは朝礼直前(7時45分頃)。 隊員が朝礼場所に並び始めた時だった。 その日、僕は警衛隊勤務になる日。 朝礼時からビシッとアイロンがかかった戦闘服を着ていました。 それは本当に突然の事でした。 「天皇陛下が御崩御なされた。 全員隊舎に戻って待機。」 駐屯地司令がマイクもなにも使わずに大きな声で叫んだ。 ちょっと驚いた。 生まれて初めての天皇陛下の死。 その受け方は人それぞれだった。 居室に戻って速攻でテレビをつけたけど天皇陛下の事を報じているテレビ局はまだない。 情報は国の機関だけ先に伝えられいたのだ。 今日はどうなるの? まずはコーヒーでも飲んで落ち着こう。 営外陸曹が陸士部屋に来てテレビの前を占拠する。 午前8時少し前になるとテレビ局が一斉に『昭和天皇崩御!』という題名で緊急特番が始まった。 それと同時に警衛隊の集合命令。 「くっそー! テレビが観たいぞ!」 警衛隊の集合場所に行く。 本部隊舎の上には生まれて初めて見る『半旗』が掲げられていた。 なにもかもが特別な日だった。 「本日の課業は終了。 営外者は速やかに帰るように。 営内者は隊舎から出る事を禁ず!」 隊舎内に響き渡る放送で、これを聞いた殆どの隊員は大喜び。 年配の隊員は休みになって喜んでる隊員を叱っていたのを覚えています。 妙な光景だったなぁ。 集合場所で盛り上がってる隊員を眺めながら、「おいおい! 警衛隊は? 僕は休みにならんの??」と…。 その日の警衛隊勤務につく隊員は半端ない教育を受けさせられた。 テレビ局や右翼・左翼の人たちが来た時の対応に関する教育で交代ギリギリまで話を聞かされた。 もの凄くピリピリしていたけど… こんな山奥の田舎駐屯地にテレビ局とかが来るワケないじゃん。 今日は隊員の出入りがないから楽な警衛隊勤務になると思っていました。 がっ! ただでさえ時間が押してるのに戦闘服から制服に着替えさせられた。 「えぇ〜! 制服で24時間警衛隊勤務をするのぉ〜?」 着慣れた戦闘服でも疲れるのに、これが制服となったら何倍疲れるのだろうか? 履き慣れない革靴だけでも嫌だぞ! 制服の上から弾帯装着を命じられて、しかもヘルメット! なんとも違和感のある服装。 というワケで制服で24時間警衛隊勤務に就いたのを覚えています。 まるでガードマンだったね。 いやこれ本当に私設ガードマンそのものだったよ。 もちろん何事も無く、天皇陛下御崩御の知らせから24時間後に警衛隊勤務の交代。 今日交代に来る警衛隊は戦闘服やん! めちゃめちゃ疲れた。 肩は凝るし足の裏は疲れるし… 他の隊員が昨日は休みだったと思うと、疲れも重なって腹も立ってきた。 64式自動小銃を手入れして格納後、居室に戻って「はぁ〜疲れたぁ。」と一休み。 「昨日は一日中天皇陛下の番組だったぞ。」と教えてくれたけど… あたしゃ〜一日中制服に警棒持って正門におったわ! 夜は制服着て64式小銃背負って歩きながら警備しとったわ! もちろんテレビ局も右翼・左翼の人たちも来ませんでした。 この日は警衛隊の勤務明けで非番です。 他の隊員は通常勤務なので昨日の分まで徹底的に休んだよ。 お昼休みに「なんで代休がつかないのですかーっ!?」という大声が事務所から聞こえた。 「元気のイイ奴だなぁ♪ 代休の1個ぐらいで大騒ぎしてアホな奴やのう♪」と笑って聞いていたら… 昨日の警衛隊は駐屯地が休みになっても代休がつかないらしい。 通常、日曜日とか祝日に警衛隊勤務になると一日の代休がもらえる。 昨日だって代休がもらえて当然のはず。(代休と非番は別物) 「なんでやねーん!!」と僕も加勢した。 あれから23年も過ぎちゃったんだなぁ。 by606 |