127 ホークミサイル実弾実射訓練 其の弐

 あれから2年近くが過ぎ…


 すっかりASPの事を忘れて遊び呆けていた僕。  
 与えられた任務だけをやっていれば叱られずに一日が終わって月末には給料が貰えるし…  日曜・祝日そして土曜は隔週で確実に休みだし…  ボーナスだって年に3回貰えたので衣食住そしてお金にも困る事なく、お金の使い道に困るぐらい裕福な日々を過していた気がする。  食事だって美味いし!  風呂や洗面所やトイレだって何処の駐屯地よりも綺麗!  
 なんとなくこのまま自衛隊に永久就職してもいいかなぁ〜って思うようになっていた。


 『あれから2年』という事は、自衛隊生活も3年前後が過ぎていた頃。  2任期満了で退職金をガッポリ貰って辞めるか…  陸曹候補生の試験を受けて永久就職をするか…  またしても人生の岐路にさしかかっていた。
 
 「辞めるのか? 陸曹候補生の試験を受けるのか?」
 訓練幹部や人事陸曹と顔を合わせる度に聞かれた。  中隊としては辞められるよりも継続してくれたほうが都合がいい。  ましてや中隊から陸曹候補生を出すのは中隊長のポイントとなる。  

 2任期満了退職と陸曹候補生に進む道しかない!  右と左…どちらかを選ぶしかない!  と思ったら、ちゃんと逃げ道があるのが自衛隊。  なんと陸士3任期という道を発見した。
 通常は1任期(2年)での任期満了退職と2任期(さらに2年)での任期満了退職しかないけど、陸曹候補生の試験を何度やっても不合格になる隊員は5年目に突入!  つまりこれが陸士3任期という制度。  実際、中隊にも2人ぐらい居た。  マネしたくない道ではありました。


 「辞めるのか? 陸曹候補生の試験を受けるのか?」  呪文の如く問いかけてくる訓練幹部と人事陸曹に、僕は態度保留を示しつつ…  
 「試験受けてみようかな♪」と、僕は小さな声で答えた。  

 その直後から訓練幹部と人事陸曹の態度が一転!  中隊長でさえ馴れ馴れしく「本多士長!元気かね?」とすれ違って挨拶する時はもちろん、居室で寛いでいる時でさえ話かけてくるようになった。  副中隊長は激しく優しくしてくれたなぁ。  きっと中隊長から『本多の待遇を良くしろ!』と指示されたに違いない。


 そして転がり込んできたASP要員!

 2年前のASPは駐屯地内の訓練場で雑用係としてコキ使われた。  ASPに対する夢は、あの頃に比べて小さくなっていたので驚きはなかった。  「陸士長でも行けるんだぁ。」ぐらいにしか感じなかった僕。


 発射機に携わる発射手として参加すると思ったら…  なんとミサイルを組み立てる任務(以下ML班)を与えられた。  しかもローダー手という小さなキャタピラ車でミサイルを運搬して発射機に搭載する任務。  画像参照  結構な花形的任務を与えられました。
 
 ミサイルを運んで発射機に搭載するだけの仕事で、しかも花形!  こりゃ幸せな仕事以上の何物でもない!  やっぱり素敵だぜ自衛隊!  2年前に実弾ミサイルを頭の上に積んで運んで来るローダーを見て興奮したものだ。

 と… 2年前の興奮が甦って手足が震え、心臓がオーバーレブ状態になり、奇声を発して喜びたくなった僕。
 同じクルーの班長にダッシュで挨拶に向かった二十歳。
 そこで班長に言われた事が…

 「ローダー手はミサイルの運搬搭載取り外しだけでなく、バラバラになっている実弾をローダーを使って微妙に持ち上げたり微妙に移動したりして組み立てる重要な仕事だ。  お前のアクセルワークとレバー操作1つでミサイルがキズついて正確に飛ばなくなる。  発射するまでは俺達以外が頑張るけど、飛んで命中するかどうかは俺達ML班4人の組み立て方次第なんだから恐ろしいほど重要な任務だと思え!」


 (T。T)知らなかった。  実弾ミサイルなんて組み立てて置いてあるものだとばかり思っていた。
 詳しく言えば、細長い専用コンテナにミサイル1本分がバラバラになってる状態から組み立てる。  駐屯地内の訓練場ではASP訓練をしないで、弾薬庫の土の壁の内側で実弾を組み立てて訓練場に運び込まれる。  組み立てている最中に暴発しても4人が即死するだけで済むからね。


 しかもローダーはエンジン車なので班長の声が届かず、班長の指の動きでアームを動かしてミサイルを組み立てなければならない。  さらに組み立てている最中は90%以上が英語。  ミサイルのパーツ1つ1つまで英語で発唱しなければなりませんでした。


 喜びの直後に受けた憂鬱。  慣れた発射機が良かったなぁ。
by606