125 最後の演習 |
この頃には(126ページ以降に書く)アメリカ・テキサス州エルパソにあるマックグレガー射場で実弾射撃訓練を終えていました。 もちろん陸曹候補生への道も終わっていた頃でして… 最後の演習は自衛隊を辞める2ヶ月前ぐらいだったと思います。 初めての演習から数をこなし、自衛隊生活も3年が過ぎた頃から江藤はケガや腰痛を理由に入院や通院を繰り返して中隊から横目で見られるようになり… 入院中なのに、なぜかバイクで転倒して骨折。 仮病がバレて大目玉を喰らいながらも、ケガや入院をすればドカン!ドカン!と保険金が貰えるのが自衛隊。 多少給料は減るのかも知れないけど、確実に普通に働いてるよりも給料は多い。 ケガをして休んでいたほうが給料がイイのが自衛隊。 絶対変だよね! いろんな事を理由に江藤は中隊から信頼を失っていました。 江藤は僕がアメリカに行く前に、北方転地訓練という北海道の演習場に飛ばされて、演習を行ってる部隊の炊事係りをやっていたので… あまり顔を見ませんでした。 帰って来たら見た目も性格も別人になっていたのを覚えています。 最後の演習には顔を合わせてなかった。 最後の演習… 退職が決まった隊員は、最後の演習になると楽な任務を与えられるのが一般的でした。 なぜなのか理由は分かりません。 無気力でケガでもされたら幹部が困るからかな? 楽をさせて退職したくない気分にさせるつもりなのか? たぶん両方だと思うけど…。 そんな理由で僕はこの最後の演習では射撃小隊からミサイル組み立て班(ML班)に配置を換えられました。 半年間、実射訓練でミサイルを組み立てたり、ミサイルを搬送していたので、最後の演習もその仕事を与えられたのでしょう。 そりゃあ楽(失礼)な任務ですよ! 演習はダミーミサイルを使うので、ローダー車というトラクターみたいなミサイル運搬車両を動かして、ミサイルを運ぶだけですから♪ 最後の演習は、初めて嫌だと思わなかった演習になった。 前日なんて遠足気分でお菓子をPXで大量に買ったし♪ ウォークマンで聴くカセットも10個ぐらい用意した。 こんな雰囲気の演習が毎回だったら辞めようなどと考える奴は絶対いないはず! 僕だって一生ココで生きていこうか?と思ったぐらい。 やっぱりそれが中枢の作戦だったのか? 辞めると言ったら辞めるし! でも正直言うとちょっと考えてしまった。 親方日の丸or親方親父 そりゃあ誰だって日の丸選ぶわね! 最後の演習に向けて有終の美を飾る思いで演習準備をした。 「あいつは使える奴だったのに残念だ!」と皆に思ってもらって、退職の日に皆が別れを惜しんでくれる姿を想像しながら…まるで新兵の如く演習準備を頑張った。 でも… こうやって頑張って演習準備をやってると、本当に新兵だった頃を思い出して、忘れてはイケナイ大事な事をたくさん思い出す。 『初心』 あの頃はなにもかもが初めてで、とにかく必死だった。 『青春自衛隊!』などというクサイ台詞も不思議と当てはまる。 ダミーミサイルまでピカピカに拭き上げ、個人装備から全ての準備を完璧に仕上げ… 午後から中隊の演習打ち合わせの為に会議室に入る。 そこで手渡された資料に赤い字で『本多士長、MLローダー手から射撃小隊に変更』と書かれていた。 そして『都築士長、射撃小隊からMLローダー手に変更』と… はぁ? 僕また射撃小隊?? 事の真相はその後の小隊長からの説明で明らかになる。 「腰を痛めている都築の代わりに、すまんが本多は射撃小隊に戻ってくれ!」と…。 僕だって腰ぐらい痛いぞ! なんで後輩の都築のために僕がまた重労働をせないかんのじゃ! あいつ昨日まで全然普通に動いてたじゃん! ぜってー甘えてやがる。 いくら辞める身であっても幹部の決定には逆らえない。 明るい演習だったのに、一気にお先真っ暗になってしまった。 自衛隊とは言え、そこはやはり公務員。 要領のイイ奴が楽をする。 結局、最後の演習も発射機の整地撤去の繰り返し。 散々穴を掘らされて、散々草刈り作業して、散々走らされ…足が棒になり、腕が上がらないくらい疲れ、肩はパンパン、背中は64式小銃を背負って擦り剥ける。 ミサイル組み立て班の班長から、「大変だなぁ本多。 都築なんて寝てばっかりで床擦れしてるぐらいだよ♪」と言われて大きくグーを握った。 この班長とは一緒にチームを組んでアメリカに行った仲。 僕が自衛隊生活の4年間で一番信頼が持てて、面白くて強い人だった。 最後の演習は一晩中一緒に飲んで楽しい終止符を打つはずだったのになぁ(>。<) 最初から最後まで『苦痛』しか味わえなかった演習。 ただ… 最後の演習の片づけが終わった時、これまでにない「ほっ♪」とした気分になれたよ。 なんというのかな? 未練はない! 後悔はない! みたいな感じ。 ヤリきった達成感だけが残った気がしました。 演習が終わった時点で個人装備品を補給科から返却を命じられた。 4年間使ってきた鉄パチ、弾倉カバー、サスペンダーから擬装網に至る全ての演習道具を綺麗に洗って乾かして返却。 映画プラトーンを真似して鉄パチにMarlboroを挟んでみたり… Born to killとか書いてみたり… 弾倉カバーには弾倉を入れずにウォークマンを仕込んでみたり… 1つ1つに数々の思い出があったけど… もう二度と見たくないモノでもあった。 なによりも一番邪魔で普段は見たくも触りたくもなかったはずの64式自動小銃。 そのショルダーベルトからネームタグを外された時は思わず涙が溢れた。 嬉しいのか?悲しいのか? たぶんそのド真ん中の気持ちだったと思う。 1つ1つのアイテムを失う様は、1つ1つ一般人に戻る感じ。 やっと演習が終わった。 もう二度と演習なんてしなくていいから嬉しかった! それが本音。 でも自衛隊を辞めて家業を継いだら、365日毎日が演習以上に大変だったわ。 やっぱ辞めなきゃ良かったと… ちょっと後悔をして生きていた。 by606 |