富岡鉄斎 Tomioka Tessai (1836-1924)

西園雅集図  参考作品


京都生まれ 名を百錬、号を鉄斎とし、鉄人、鉄史、鉄崖などの別号を用いる 特に流派には属さず、広く先人の絵を手本とした
1897年 日本南画協会創立に参加、多くの展覧会の審査員となる
1893年 京都市美術工芸学校教員
1917年 帝室技芸員
1919年 帝国美術院会員
一般の展覧会に出品することなく、ひたすら文人としての生活を貫いた
そのため最後の文人画の巨匠といわれる